2020年7月に発行した乙普本「技師と天使」に収録したお話の再録です。時計職人太乙と用心棒普賢が旅をするファンタジーパロ。本には望月楓さんの素敵な挿絵がついています。
「私たちは単なる技術者なんだ」
砂埃が渦を巻いて高く舞い上がるのが、汚れた窓の外に見えた。袖口でガラスを擦ってみたが、外にこびりついた砂粒を拭えるはずもなく、土色に霞む景色がますますぼんやりしただけだった。
隣の部屋からは物音一つしない。仕事はまだ終わりそうにないようだ。面倒な案件で案外よかったかもしれないと普賢は思った。このひどい砂埃の中を出ていかなければならないのはけっこう辛いから。
通された居間の壁際に鎮座する依頼品を一目見て、太乙はしばし絶句した。ぐるぐるとその周りを歩き回るその背に、普賢は小さく訊ねる。
「……状態がよくない?」
「っていうか、けっこう問題作」
しゃがみ込んだまま、うーんと唸る。不安そうに見守っていた家主に「いや、大丈夫ですよ」と笑いかけ、太乙は道具を床に広げはじめた。
頑丈にはめ込まれた螺子を一つ一つ丁寧にゆるめる。手前の板をそっと取り外すと、大小無数のぜんまいが複雑に組み上げられた中身があらわになった。羽箒でほこりを払い、細かい部分をルーペで覗く。背後で控えている家主のことなど忘れるくらいに没頭するのを確認してから、普賢は隣の部屋に移動する。太乙の仕事が終わるまでは、そうして隣室で控えている。
諸国を廻ってからくり時計を修理する、それが太乙の仕事だった。依頼先から依頼先へ、つてと噂と一枚のメモをたよりに足を運び、目当ての品を探し当てて修理を申し出る。からくり時計は天井に届くほど大きなものもあれば、手のひらに乗るほど小型のものもあり、素材も栗やアカシア、桜、杉などさまざま。造形もその土地の風土や宗教に合わせて千差万別で、共通しているのは、それを作ったのが一人の職人だということだけだ。訪ねた先でどんな難儀な修理が待ち受けていても、太乙はそれを、この先五十年は動き続けるように直した。
「面倒な人でさ」
「師匠」のエピソードを漏らすとき、太乙はいつも深いため息を混ぜたが、案外気に入っているよね、と普賢は笑ったものだった。酔うといつも同じ話を繰り返しているよ、と指摘されるまで気づかなかった。
「旅先で作ってたんだ。長く泊まったところでは大きなもの、数泊だけのところでは小さなもの。要するに宿代の代わりに置いてったんだけど」
一部の界隈では有名な腕のいい職人だったらしい。作りたいもの作るだけ作って、金が入れば材料と酒代に消えて、ある日突然ぶっ倒れて死んじゃったよ。ぶつぶつと文句を垂れながら、酒を注ぐ頻度が上がっていく。
「何でそれをあなたが直して回ってるの」
それね。酔った目で普賢を見、そして酒をまた呷った。
「だって他に直せる人いないから」
太乙以外には頑としてその技術を教えなかったものだから、直せるのは世の中に一人しかいない。
「……面倒な人」
「そうだろう?」
だったらやらなきゃいいのに、と普賢は正論を吐いたが、そうはいっても手に職をつけてくれたのは間違いなくその面倒な師匠だし、そうやって修理して回ることで結果的に食えていけている。「ま、一つのところにとどまってる性分でもないからね」と言いわけのように付け加えたけれど、そうやって手を動かして何かを直す仕事は決して嫌いではなかった。
外が暗くなりかけてようやく、普賢が待つ部屋の扉を開いた。
「お待たせ。終わったよ」
「もう夜になるから泊まっていってください」
二人の期待通りの家主の好意に遠慮なく甘えて、太乙と普賢は一晩を屋根のあるところで休めることになった。
「ベッドが二つ!」すごいね!普賢が嬉々として布団を整えるのを、太乙は苦笑しながら見やる。
「普段どれだけ環境の悪いところで寝てるんだろうね」
「間違ってはないと思うけど?」
屋根のある場所ならまだましだ。そう思えるほどには酷い暮らしをしている、と普賢は言う。
「だったら契約解除してもいいけど」
冗談めかして太乙が言うと、普賢はむっと口を結んだ。
「そうしたら困るのあなただよ」
やれやれとため息で答えて、太乙はポンと枕を普賢に投げた。
「明日は昼前には発つよ。さっさと休もう」
柄の悪い酔客のいる場末の酒場で二人は出会った。一人で飲んでいる太乙に声をかけたのは普賢の方だ。「大事そうに抱えている、それは何?」質の悪い酒を氷も入れずに飲んでいる太乙に、そう訊ねたのだ。一瞬ぎょっとした太乙は、傍に立ってにこにこと見下ろす青年をしばらく胡散臭げに見上げていたが「座りなよ」と向かいの席を指さした。
「私の仕事道具で、食い扶持を稼いでくれる相棒さ」
「相棒?」
からくり時計について説明すると、おもしろいねと普賢は言い、そうでもないよと太乙は答えた。
「役に立ってるかどうかなんてわからない仕事だよ」
「時を刻む道具は、だれにだって不可欠だし、それに」
言いながら普賢は太乙の手からグラスを奪って一口呷る。混ぜ物の多い、安い酒をこくりと飲み込んで、普賢はにっこりと笑顔を向けた。
「そのからくり、僕も見てみたいな」
酔った勢いだったかもしれないし、純粋な好奇心からだったかもしれない。これ以上のお荷物はカンベンしてよと渋る太乙の、足元の鞄に伸びる腕を捩じり上げて、普賢は得意げに見下ろしたものだった。
「こういう輩からあなたを守ってあげる。それならどうかな」
たしかに仕事で使う道具には高価なものが多く、行く先々でそれを目当てに狙われて危険な目に遭うことが増えている。どんどん治安が悪くなっててホント困るよ、とひと言こぼしたのを、普賢はしっかり耳にしていたのだ。
そういうわけで、普賢は太乙(と彼が持つ道具)を強盗や山賊から守る用心棒として同行し、かわりに太乙は普賢に寝床と食事を与える。利害が一致したと二人とも思っていたし、実際、太乙は普賢を連れ歩くようになってから、いくぶんか気楽に旅ができるようになった。普賢は仕事の邪魔をしないし、疲れたと弱音を吐かない。寝床について不平を漏らすこそはあっても、眠れずに翌朝動けないということはなかったから、旅は順調に進んでいった。はずだった。
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