無窓居室
2023-05-23 07:43:09
6411文字
Public
 

Dress

ひだり様に差し上げた『ドレス』の没稿をお許しを得て掲載します。
当時、自分の構成力が本当に底辺だったことを再認識しましたが、👹のお父さんを会話に出せたところだけは気に入っています。

 ホテルの貸衣装店のフィッティングルームで、アカネは所在なさげに佇んでいた。四方の壁に所狭しと並べられた色とりどりのドレス達は、コルセットやパニエが抜かれた状態であっても圧倒するようなボリュームでプレッシャーを掛けてくる。スタッフから渡された事典のように分厚いカタログに載っている、オプションやアクセサリーの数々は更に把握不可能だ。
 
 一緒に衣装を選びに入ったバニラちゃんは早々に「これがいいです!」とお気に入りの一着を決めて、部屋を出て行ってしまった。苺ミルクのような淡いピンク色は確かによく似合っていたけれど……。考えていても仕方がないので、アカネは意を決して多様な赤い生地が並んだ一角から良さそうな、というよりはなるべく着るに抵抗のないドレスを手に取った。

 更衣のために仕切られた一人分のスペースへ飛び込み、素早く着替えを済ませてしまう。普段着のジャージと似た赤を選んだのは少しでもいつもと同じ自分で居たいという、消極的な理由だったが、しっくりと来る色ではあるように思った。しかし何か物足りない気もする。

 仕切りから出てフィッティングルームの全身鏡に姿を写してみた。誰かに意見を求めたいが、ここは貸切にしているらしくスタッフも人払いされている。むやみに声を掛けられないのは助かるものの、これでは人からどう見えるか分からない。となると……



 頭の中に黒い男の姿がよぎる。よりによって、なんでアイツなんか!でもブラックにどう見えるかが一番知りたい。ブラックチャンネルの祝賀企画のために衣装合わせなんて面倒くさい事に付き合っているのだから、責任を取らせなくては。それに一応、主役が気に入るようにしてやりたいという気持ちも少しはある。決して変な理由じゃない。ライバルに笑われるのは我慢できないだけ。褒めてなんてもらいたい訳じゃ……



「どうです?ここの品揃えは」

「ひゃいいいぃぃいいッ!?」



 男の姿を追い払おうと、鏡の前で赤くなったり青くなったりしていたところに当の本人から声を掛けられて、アカネはその場に飛び上がった。



「ななな!!何しに女性用のフィッティングルームに入って来てんだ!この変態!!!」

「貸切なんだから構わないでしょう、更衣スペースに乗り込んだ訳でもあるまいし。そんな悪魔でも見たような顔しないで下さいよ」

「いや悪魔だろ!」



 予定調和的なボケとツッコミを一通りやりとりしてから本題に入る。もう慣れたものだ。



「時間がかかってるので何か手間取ってらっしゃるのかと。もしオレちゃんが選んだ衣装店に不備でもあったなら埋め合わせのお手伝いをさせて下さい。そもそもオレちゃんのチャンネルのためにお呼びした訳ですからね。責任上ってやつです」



 言ってやろうと思っていた内容をあらかたブラックの方から言われて、アカネも二の句が継げない。おかげで肩肘張らずにドレス姿を見せられるようにはなった。小さくため息を吐いて鏡から相手へ向き直る。



「不備なんかないよ、アタシが着ても変じゃなさそうなやつも見つかったし。でも、何だか……



 アカネの選んだドレスはシボの細かいジョーゼット生地を重ねた無地のストレートラインドレスだった。よそ行き用のワンピースとの中間と言っていいそれはアカネの自然体な魅力をよく引き立ててはいたが、ガーデンパーティーやレストランでの食事会ならともかく夜のパーティーには簡素に過ぎた。宴会場を意識したフィッティングルームの照明の下でも少し浮いて見える。



「なるほど……ちょっと任せてもらえます?」



 皆まで聞かずに理解したらしいブラックは、素早くカタログをめくりスマホで店の受付に連絡を入れた。すぐに外で控えていたらしいスタッフが注文された品を持ってやって来る。ドレスと共色のオーガンジー生地でできたリボンだった。カットワークのレースがふんだんにあしらわれている。



「こんな派手なリボン、アタシ似合わないよ」

「髪を結ぶんじゃありません。じっとしてて下さい」



 急にウエストに手を添えられたアカネが固まっているうちに、ブラックは幅広のリボンをアンダーバスト辺りに巻いて後ろで結えてしまった。豪華なレースでの切り返しができたことでドレスにはエンパイア風の気品が加わり、アカネのスレンダーな体型に合わせて真っ直ぐ落ちていた裾にはわずかな膨らみが生まれる。リボン一本で随分と変わってしまった印象にアカネが言葉を失っていると、ブラックは今度は首筋へ触れてきた。



「後はジュエリーですか。このドレス、いやこのドレスを着たアカネさんには金が合うと思いますよ。輝きが明るくて、暖かくて、太陽の光によく似た──でも、どこかに魔性がある。そういう金がいいですね。オレちゃんが用立てましょう。アテがあるので」



 楽しそうに呟くブラックのスーツの襟にも金のパイピングと装飾が施されている。本来あまり趣味が良いとは言えないデザインを着こなしていることにアカネは密かに感心した。パーティー会場で並べば自分は悪魔の片割れに見えるだろうか、などと考えかけてすぐやめる。空調が効き過ぎているのか、頬がやたらに熱かった。



「どうでしょう、お気に召しました?」

「えっ、ああ……うん!すごく!!ありがとな、パーティー楽しもうぜ!」



 相手が離れたのでやっと我に返ったアカネは、わざと快活そうにガッツポーズを作った。ブラックはその様子を満足げに眺めている。



「そのラインのドレスは古代ギリシアの衣服をモチーフにしたと言われているそうです。つまり地中海地方の伝承への憧れを想起させるんですね、鬼さんも島国の伝説上の生き物ですから、どこか似たところがあるのかも知れません。はるか西の島の女神や妖精や……魔女のイメージに」



 まるで後見人か介添人のような、無害な表情を崩さないまま、ブラックの手が照明の調節ダイヤルに触れた。絞られていく明かりの中で鏡に映る自分を見たアカネは目を見張った。
 暗がりの中で赤いドレスは逢魔時の海のような不吉な美しさを湛え、長い髪は甘い毒酒が溢れるように首へ流れ落ちていた。ここに飾られる金はまるで波間の闇に投げ出された、陽の光の断末魔のように見えるだろう。鮮血の色をした目を見開いた顔はたしかに美しい。とても、自分とは思えないほどに──。



「パーティーでアナタを見初めた男は、その晩に世にも甘美な絶望を味わうでしょうね。何、ちょっとした虫除けですよ。悪魔の連れ、地獄の長の娘に万が一の事がないように。その他大勢には身の程を知っておいてもらいましょう」



 ブラックが照明を戻す。鏡の中にはまるで魔法のように、少しの陰惨さも見えない少女が胸を押さえていた。



「はしゃぎ過ぎだな、お前こそ羽目を外すなよ」

 

なんとか言い返したアカネに、明るく笑い声を残してブラックがフィッティングルームを出ていく。一層激しく動悸を打つ胸から手を離して、アカネはウエストの上のリボンを撫でた。