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黄昏に交わる
夜明グレゴールと子方ヒースクリフの短いお話です。
カプ要素なし。幸せな話ではありません。
1
2
事務所の戸締りを終え、最後に鍵が掛かっていることを確かめる。
ぽつぽつと雨が降り始めた黄昏時。街路に灯がともり始め、往来を急ぐ人々は肩をすぼめて足早に行き交っていく。やがて人影もまばらになり、雨音だけが静かに石畳へ染み込んでいった。
グレゴールはひとつ肩を鳴らし、帰路につこうと踵を返す。そのとき、不自然な影が視界の端を掠めた。
雨宿りを探す者なら珍しくもない。だが、その影は微動だにしなかった。グレゴールは足を止める。じっと目を凝らして見た建物の脇、小さな路地に蹲る人の姿があった。
男のようだ。それも、親指の人間だ。その人は格式高い制服を身につけたまま地べたに座り込み、あろうことか薄汚れた麻袋を抱えていた。
「何をしている」
ぴく、と男の肩が震えた。
「迷子か? それとも追い出されたのか? その格好じゃ誰も寄り付かないぞ」
返事はない。抱え込んだ大荷物に額を寄せたまま俯いている。指に属する人間が乞食のような成りをして日陰に佇んでいる。見る者が見れば笑いものだろう。そうでなくても不気味に映るに違いない。
「死ぬならよそでくたばってくれないか。死体があっちゃ客が寄り付かない。
……
聞いているのか?」
埒が明かない。仕方なく男の前まで歩み寄る。取り上げられると思ったのか、一歩近づく度に麻袋を抱く腕に力がこもった。
男の前へしゃがみ込む。手を伸ばした瞬間、びくりと肩を震わせた。敵意が無いと分かったのか、おずおずとこちらを見上げてくる。
頬に触れ、顎を持ち上げさせる。焦点こそ定まっていないが、生気は残っているようだった。
親指で唇をなぞって歯列に触れる。開けなさいと言えば素直に舌を覗かせた。口内を一通り見て、グレゴールは呆れたように問いかける。
「そう時間は経っていないな。お前さん、いったい何をしでかしたんだ」
「
……
」
やはり、何も言わない。これでは手の施しようがなかった。
声をかけてしまったが最後、捨て置くわけにもいかない。厄介ごとに首を突っ込んでしまったと嘆いたが、既に取り返しはつかないだろう。
「悪いが、そこにいられちゃ困るんだ。宛てがないのなら
――
」
そこまで言いかけて、ふと視線が麻袋の口元で止まる。乱雑に縛られた口から、雨粒を受けて鈍く光る黄金色の金具が覗いていた。
覗き見なくとも正体がわかる。武器の柄頭だ。問題はその意匠だ。煌びやかなそれが妙に記憶へ焼き付いている。だが、肝心なところだけが霞んで思い出せない。
「いや、待て。その武器は
……
」
気付けば口が勝手に動いていた。男は咄嗟に麻袋の口を抱え込む。
石畳を叩く雨の音が次第に大きくなる。路地はたちまち薄い雨幕に閉ざされ、人通りも途絶えた。
このまま立ち話を続けるような天気ではない。グレゴールは溜め息をつき、男に背を向けた。
「来なさい。酷い雨になるだろうから」
事務所を開け、玄関の灯りをつける。扉を開けると乾いた空気が流れ出た。
ふと、ひとつの足音を最後に、背後から男の気配が消える。グレゴールの本能が懐刀を抜かせた。
金属と金属がぶつかる甲高い音が響く。弾くように剣を振ると、男は素早く後方へ退いた。
男は金色の刀を二本、抜き身の状態でこちらに差し向けたらしい。二振りの刀身を十字に構えている。独特な構えだと思った。
「悪いが、儂には通用しないぞ」
グレゴールは牽制するように得物を振り上げた。男は片方の刀で受け、もう片方を滑らせるように差し込む。鋒を傾けて斜めに斬り付けると、軌道を読んだのか、体でひらりとかわしてみせた。よく訓練されている。
だが。
「うぐ
……
ッ!」
グレゴールは男の鳩尾を蹴り上げる。反撃のためこちら側へ駆け出した男の剣を受け流し、刀身で首を殴りつけた。
「一対一の戦闘にも集中できないようじゃ、持ち腐れだ」
男の身体が濡れた石畳へ崩れ落ちる。転がった二振りの刀は雨を浴びながら静かに光を失っていった。
「さて、どこで見たものか
……
」
グレゴールはそのうちの一本を拾い上げ、雨を拭うように親指で柄を撫でる。古い記憶が喉元まで込み上げるのに、その正体だけが思い出せなかった。
足元に転がったもう一方の影に目を向ける。その男は体格の割に年若い印象を受けた。
グレゴールはまたひとつ溜息を吐いた。そして、雨に打たれる青年の体を担ぎ上げる。思った以上に軽い。ろくに食っていないのだろう。
ソファーへ寝かせると首筋を確かめる。打ち身程度だ。命に別状はない。二振りの刀だけは手の届かない場所へ移し、湯を沸かしながら様子を見ることにした。
数刻と経たないうちに青年は目を覚ました。起き上がり、周囲をぐるりと見渡している。ふ、とこぼれた笑い声を耳が拾ったのか、彼は動揺した表情をこちらへ向けた。
「探し物はそれか?」
グレゴールはソファーのすぐそばに置いた刀を指さして言う。
青年は刀を一瞥すると、小さく息を吐いた。しかしばつが悪くなったのか、やがて気まずそうに視線をこちらへ向け、すぐに逸らした。
「分かっているとは思うが、儂を殺そうなどと思うなよ、若造」
殺意があったことなど責めるつもりはない。ただ、この場でそれを続ければどうなるかだけは理解させておく必要があった。何より、気まずいままでは話しづらいだろう。だからこそ分かりやすい釘を刺してやる。
「
……
はい」
返ってきたのは存外素直な返事だった。反省したというより、抵抗するだけの気力が残っていないようにも見える。少なくとも、この場で刃を向けるつもりはないようだ。
「だが、悪くない剣筋だった。なにか型があるんだろう」
そう判断するのに、あの一太刀だけで十分だった。基礎を骨の髄まで叩き込まれた者の剣だ。独学で身につく代物ではない。自然と興味が口をついて出た。
「
……
パレルモ」
「うん?」
耳馴染みのない言葉に、思わず聞き返す。
「そう、呼ばれていました。僕が修めたものは
……
」
彼の言葉はそこで途切れた。続きを探すように口を開くものの、結局何も出てこない。
「師範がいるんだろう。どうにも初めて見た気がしないんだよな」
あれほど印象的な型であるにもかかわらず、妙に引っ掛かるものがあった。不思議と一度も見たことがないとは思えない。
「どこで
……
これを見たんですか」
それまで抑揚の乏しかった青年の声が初めて揺れた。探るというより、答えを乞うような口ぶりだ。
「さてな。親指の人間と仕事をした記憶はないから、まあ、戦争だろうな」
グレゴールはあえて言い淀むことなくさらりと言い放った。青年は曖昧に視線を伏せる。戦争という言葉の重みに対し、実感が伴わないのだろう。澄ましたふうを装っているが、存外分かりやすい。
「
……
いや、若いのには馴染みがないか。うちのひよっこも同じ顔をするよ。だからそんな顔をするな」
諭してやると図星を突かれたように狼狽える。思わず苦笑がこぼれた。
「儂も弟子を取っているんだ。うちにもひとりいるんだよ。お前さんと同じくらいの若造が」
年寄りの世間話だとでも思ったのか、青年は口を挟まない。ただ興味を惹いたのか、視線だけはこちらへ向けていた。
「まだまだ青いが、ゆっくり教えてやればいいさ。そう思っているんだが
……
ああ、悪いな。こっちの話だ」
「
……
」
どうやら、少し喋り過ぎたらしい。少なくとも見ず知らずの相手にする話ではなかっただろう。青年は黙って聞いていたが、その横顔にはどこか羨むような色が差している。
雑談で誤魔化しても仕方がない。グレゴールは話を元へ戻した。
「それで、お前さん。これからどうするんだ?」
青年は口を閉ざしたままだった。答えられないのではなく、答えそのものを持っていないのだろう。それを分かっているからこそ、グレゴールは彼の自由意志に問いかけている。
「師範の元に戻れない理由があるのか? そうでなくとも、組織に席のひとつはあるんだろう」
「
……
分かりません。僕がこの制服を着ている理由も、僕の所属も
……
」
青年は困ったように眉を寄せた。誤魔化している様子はない。ただ、本当に答えようがないとでもいうような顔で、その事実にすら困惑しているようだった。
「要領を得ないな。自分のことがわからないのか?」
青年は答えなかった。否定しようとして口を開き、何も出てこないまま閉じる。思い出せないというより、思い出すための足掛かりそのものを失っているようだった。
やがて諦めたように息を吐く。
「どうだっていい。どうせ、ろくでなしですから」
自嘲とも諦めともつかない声で男は吐き捨てた。それが疑いようのない事実であるかのような物言いに、グレゴールは眉をひそめる。
「ろくでなしか。その中身は盗品か? 何が入ってる?」
「武器と
……
酒、とか
……
」
訂正は飛んでこなかった。盗品なのは間違いないようだ。荷物の中身を数えるように口にする様子も、どこか他人事だった。
「ほお、酒か。好きなのか?」
「
……
いえ。好きではありません。ご所望でしたら
……
」
青年は一瞬だけ目を丸くした。断られるとは思っていなかったらしい。
「
……
そうですか」
それ以上勧めることもなく、青年は静かに口を閉じた。
室内には湯の沸く音だけが静かに響く。気まずさとも違う、奇妙に穏やかな沈黙だった。
「雨宿りくらいなら好きに使ってもらって構わない。儂は席を外すから」
「
……
えっ」
信じられないものを見るように青年は目を瞬かせた。武器も荷物も返されたうえ、一人にされるとは思ってもいなかったのだろう。
「何か?」
「いや、何も
……
」
青年はそれきり何も言わなかった。グレゴールも深く追及はせず、静かにその場を後にする。引き留める声はない。ならば、それ以上問いただす理由もない。今夜くらいは好きに考えさせてやればいいだろう。グレゴールは部屋の灯りだけ残し、静かに扉を閉めた。
◆
目を覚ますと青年の姿はなかった。貸した毛布は丁寧に畳まれている。だが、彼の姿など初めから無かったように、麻袋といっしょにいなくなっていた。
グレゴールはぐるりと室内を見渡す。昨夜と変わらぬ静けさの中、やはりと言うべきか、引き出しが僅かに開いていた。
「
……
やられたな」
そう呟いて中を確かめる。案の定、中身の配置は記憶のそれと異なっていた。
なるほど、ろくでなしか。グレゴールの指が自身の顎に触れる。恩を仇で返す人間には相応の言葉のように思えた。
だが、意外にも無くなっていたのは葉巻の、しかもたったの一本だった。若気の至りで買ったもので、正直なところ持ち腐れていた。インテリアとして置くには申し分ない銘柄のものではあったが、ただそれだけだ。金目の物を盗むのであれば、めぼしいものは他にもあっただろうに。
胸の奥に小さな棘でも刺さったような違和感がある。理屈では説明できない何かだ。
思い出されるのは血と炎と、忌々しい煙の臭い。回顧するたびに霧が掛かり、その記憶は指の隙間から零れ落ちていく。妙な胸騒ぎだけが理由もなく残り続けた。
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