長月ユウ
2026-07-12 00:03:23
4569文字
Public 庶莉
 

鳥籠の娘・前編

※ORIGINSの曹操軍ifルート軸なので、赤壁では曹操軍が勝利しています。
徐庶が西涼で莉杏と再会する話。

「まさか、またこの地へ来ることになるとは思わなかったよ……
劉備軍にいた頃と同じくらい忘れがたく、苦い思い出のある西涼は、当時と変わらず冷たく荒々しい風が吹き荒んでいた。
「僕にとっては、あなたとここに戻ってこられたのは幸運とも言えますが……行きましょう徐庶殿。僕が許昌の状況報告をしている間、妻の手を借りて莉杏様に一目でも会ってあげてください」
隣に立つ兵卒に促され、徐庶は風で捲れそうになる連帽を押さえながら歩き出した。


徐庶が再び西涼の地を踏むことになるきっかけは、許昌でこの兵卒と偶然再会した所から始まる。
天下の趨勢をかけた赤壁の戦いにて、連合軍は地形と天候を利用した大規模な火計を仕掛けることを想定していた郭嘉や、かつての同門の士が仕掛けた連環の計を見抜いた徐庶、そして暁天の瞳で戦況を見極めた紫鸞の力を持ってしても、曹操軍は圧勝することができなかった。
曹操はしばらく戦を仕掛けてこないであろう孫劉連合軍への警戒を怠ることはせず、戦後処理が終わるとすぐに失われた戦力を補う為、領土から広く兵の募集をかけた。
……その数多の兵士のうちの一人に、見覚えのある男がいたのだ。
彼の記憶にも残っていたのだろう。ある日調練を終えた彼は、徐庶の顔を見るなり驚愕し、周囲を警戒しながら人気のない廊下へと徐庶を引っ張っていった。

「あ、あなたはあの時の単福殿ですか!? 曹操軍の軍師になっていたのですね!」
半ば興奮気味に話す兵卒に対し、
「ええと、すまない。その名前は放浪していたときに使っていた偽名で……俺の本当の名は、徐庶と言うんだ」
食い気味に話してくる彼に対してしどろもどろになりながら、徐庶は改めて兵卒に名を明かした。
「そうだったんですね。では改めて……徐庶殿、僕のことを覚えてますか?」
「君は……確か西涼で……
その地名を口にした途端、荒涼とした大地を飛ぶように翔ける、赤い髪の少女の面影が鮮やかに蘇った。
「はい! お久しぶりです。まさか、ここであなた様に再会するとは思ってもみませんでした。元気そうで何よりです」
徐庶が自分のことを覚えていてくれたことに、彼はぱあっと顔を輝かせて喜んだ。
忘れもしない。彼は、心の底に閉まっていた想い人――莉杏の父親の部下だ。

放浪の旅で訪れた西涼の気風に馴染めずにいた徐庶を初めに気にかけてくれたのは、同じく客将として漢中から訪れていた莉杏の父親だった。
彼も共に連れてきていた娘と同じく誰にでも分け隔てなく接し、決断力と判断力に優れた将だったのをよく覚えている。
莉杏の父親と同じように、彼の部下もまた、徐庶と歳が近かった為か何かと声をかけてくれていたのだ。

「君の方こそ。あの後、主君と共に漢中に戻ったんじゃなかったのかい?」
「ええ。そうなのですが……
もしかしたら、莉杏も許昌にいるかもしれないという徐庶の期待を打ち砕くように、兵卒が表情を曇らせる。

「赤壁での戦の最中に、馬騰たち西涼軍閥が我々漢中豪族を襲撃したんです」

「な……っ!?」
頭を殴られたような衝撃に、徐庶は愕然とした。
……真っ先に狙われたのは、主君一家でした。漢中の太守とはいえど涼州の民の血が少なからず流れているから、曹操様の暗殺計画に率先して味方になってくれると思い、話を持ちかけてきたんです。当然ながら主君は断り、他の者達と同じく曹操軍に与すると突っぱねました……面目を潰されたことが、相当気に食わなかったのでしょう」
顔を俯かせて話す兵卒の肩が、怒りと悲しみに打ち震えている。
「主君と奥方様は突然の襲撃に応戦する間もなく殺され、僕たちは捕虜として西涼に連行されました。主君に殉じることも考えましたが、同じく捕らえられた妻を遺すことは出来なくて……
兵卒の話を遮り、徐庶は彼の肩を掴む。
「莉杏は……莉杏は無事なのか!? それに、曹操殿の暗殺計画なんて――
「莉杏様は生きています。……けれど今は、僕らには手の届きづらい所にいて……
徐庶は安堵するが、続けて語られる兵卒の話に再び愕然とした。

曹操暗殺計画に乗らなかった莉杏の両親は、馬騰の甥である馬岱の奇襲によって殺された。
しかし、莉杏はその事実を知らず、彼が保護するという形で馬騰を筆頭とする馬一族の目に触れないように、邸の離れへと匿われてしまった。
初めのうちは莉杏は行動こそ制限されているものの、それ以外のことで不便を強いられることはなかったため、特に気に留めることはなかった。
が、それからしばらくすると、莉杏は暗殺などの後ろ暗い仕事に加担させられるようになっていったのだ。
二人で夜闇に消え、戻る頃には返り血に塗れている事や、「馬岱様の力になれるのが嬉しい」と口にしているのに、日に日に莉杏から活力が消えていくことに危機感を抱いている。
……と、軟禁状態にある莉杏の身の回りの世話役として任された、兵卒の妻から聞かされたという。

「馬鹿な……莉杏と馬岱殿は、そんな事をするような間柄ではなかったはずだ」
少なくとも、徐庶の記憶の中にいる二人は誰もが認めるほどに明るく、仲も良かった。闇討ちなどという言葉とは、およそ遠い場所にいるものと思っていた。
馬岱に関しては読めない部分もあるが、仮に彼が裏の顔を持っているとしても、少なくとも友達以上の関係であろう親しい異性にそんな事をさせるだろうか。
「信じられないかもしれませんが、事実なんです」
疑いの眼差しを向ける徐庶に対して真っ直ぐに見返す兵卒の目に、嘘はないように見える。
「僕は、曹操軍の兵の募集に目をつけた馬騰から潜入を命じられた斥候の一員としてここに来ました。ですが、僕の目的は暗殺のための駒になることではなく、主君の仇を取り、莉杏様と妻を西涼から逃がすことです」
どうか、僕に手を貸してくださいと深く頭を下げる彼に、徐庶は二つ返事で承諾した。


そこから徐庶は、迅速に行動した。
兵卒と共に曹操に謁見し、あえて彼の口から赤壁の戦いの裏で起きていた、曹操暗殺計画を巡る西涼軍閥と漢中豪族の戦の顛末を語らせた上で、
「西涼軍閥による暗殺計画の真偽を確かめるために、俺を客将として西涼軍へ潜入する許可をいただけないでしょうか」
と曹操に上奏し、赤壁での戦果も手伝って無事に許可を得ることができた。


「劉備への忠義を止めることはしねーけど、軍師らしい仕事はちゃんとしとけよ? 自分の力だけじゃどうにもできない問題にぶち当たった時に、困るのは他でもないお前だぞ」
と、曹操軍に降ったばかりの徐庶に対して助言をしてくれた石韜に、この時ほど感謝したことはなかった。
そんな彼と、西涼に発つ少し前に今までの出来事を話したら、
「な、俺の言ったとおりだろ? 帰ってきたら土産話と、飯奢れよ!」
などという、いつもの軽口が返ってきたのだが。


****


「ここで妻と待ち合わせています。少し待てば来ると思いますが……
彼の言う通り、貯蔵庫に続く廊下で待機していると、しばらくして物陰から一人の女が現れる。
見た目からして女官だろうか。彼女は兵卒の姿を見るやいなや、こちらへ向かって小走りで駆けてきた。
「おかえりなさい、あなた……! 無事で良かったわ」
「大袈裟だよ、戦に出ていたわけじゃないのに……徐庶殿、彼女が僕の妻です」
妻と紹介された女官は、恭しく頭を下げる。
「はじめまして徐庶様。主人から話は伺っております」
徐庶も軽く頭を下げると、
「徐庶殿を、莉杏様の元へ」
兵卒が妻である女官に小声で言い、持ち場に戻るため足早にその場から立ち去った。
「莉杏は……
そんな彼を見送りながら徐庶が問うと、
「その……なんと申し上げればいいのか……。私が話すよりも、実際にお会いするのが一番わかりやすいと思います。私についてきてください」
女官は憂いを帯びた表情で言い淀み、徐庶を導いた。

「この離れにいます」
女官が指差す先には人気のない離れの小屋。
「馬岱様は外出しております。莉杏様に外へ出るよう促しますね」
女官が小屋へ向かってから少しすると、小屋の扉がわずかに開き赤い髪の女が現れる。
自分の事を覚えていてくれているだろうか、もし覚えていなかったらどうしたら……など期待と不安の間を行き来していたが、久方ぶりに見るその姿に徐庶は言葉を失った。

男を籠絡しやすくするためか肌の露出が多く、身体の線や胸の膨らみを強調した蠱惑的な緑色の衣服を纏う女は、意思があるのかうかがい知ることが難しいほどの虚ろな表情をしていた。
翡翠のように煌めく緑色の瞳は輝きを失い、その代わりに退廃的な美を得たその姿は、生きた人形に等しいともいえよう。
戦場では両親と共に武器を振るいながらも、平時は明朗快活で誰にでも分け隔てなく接していた心優しい彼女……莉杏の往時の面影は、どこにもなかった。

「私に会いたいと言ったのは、あなた……?」
感情のない小さな声に、胸が締め付けられる。
「いきなりすまない……俺は徐庶、字は元直だ。少し前に、客将として西涼軍に来たんだ」
莉杏の虚ろな瞳が、徐庶を映す。
「もしかして……単福殿……?」
かつて、放浪の旅を続けていた時に名乗っていた己の偽名が、薄く開いた唇からこぼれた。
「俺を覚えていてくれたのか……! なんというか、とても嬉しいよ」
想定外の反応に驚きと喜びを隠せない徐庶の頬が緩む。
「あの頃は、理由あって偽名を使っていたんだ。今は本当の名で、曹操軍の軍師として働いている」
それに反して、莉杏の表情は暗いままだ。
「単福ど……徐庶殿、どうしてここに来てしまったの……?」
「ええと、話せば長くなるけど……一つは、西涼軍が企てているという曹操暗殺計画の真偽について調べに来た。もう一つは、君が漢中での戦火から逃れ、西涼で生きていると聞いたから……どうしても顔を見たくなって、会いに来たんだ」
莉杏の目に、ほんの一瞬光が差す。が、すぐに消え失せた。
……私に、関わらないで……!」
「何故……?」
歩を進めると、莉杏はそれに合わせて後ずさる。
「私のことは忘れて、早くここから逃げて……私に会いに来たなんて知られたら、徐庶殿が殺されてしまう……!」
そう言い捨てると、莉杏は小屋の中へ戻っていった。

(拒絶されるだろうと思っていたけど、現実になるとやはりきついな……)
莉杏や女官の言う通り、馬岱がいない僅かな時間を狙ってここに踏み入れたのだ。彼が戻ってくれば、全ての計画が頓挫してしまう。
(莉杏は本心から身を呈して馬岱に尽くしているのか……? 彼は莉杏をあんな姿に貶めてでも、自分の物にした事に満足しているのか?)
あの衣服は、女官が口にするのを躊躇っていた「後ろ暗い仕事」に加担させるために仕立てられたのだろう。それに見合うこともやらされているのも、想像に難くない。
(自由に羽ばたく権利も、眩しいほどの輝きを奪われても……それでも君は彼を想い続けるのか? そんな酷いことは俺にはできないし、耐えられない……!)
何もできない歯がゆさに拳を握りしめ、徐庶は足早にその場を去った。



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