nice apple.
何か関係あるんじゃございません?
丸喜先生が常に持ってるのはリンゴジュースで、マルキパレスのオタカラ近辺の樹木に生えている赤い木の実はリンゴのように見えているのって絶対に無意味じゃないと思うんですけど、これってどうなの!?(審判コープ解放)
リンゴってアダムとイブがヘビにそそのかされて食べてしまったエデンの園にある禁断の果実、知恵の実ですよね。
これを食べる事でアダムとイブは恥を覚えるから裸じゃいられなくなる的な感じだった気がするんですけども。あとこのそそのかしヘビ(そそのかしヘビ?)の正体?は一説によるとサマエルなんでしたよね。シドウサマエルマサヨシの時に調べたので多分合ってると思います。言うてこの件でサマエルは関係ないからここは別にいいや。
ところで原作シナリオで明智はこの実が成っている樹木が生い茂るフロアを「楽園とでも言いたいのか」みたいな風に言うんですよね。楽園に実る赤い実、これって絶対リンゴじゃないですかヤダー!ってわけであれはリンゴです(断言)
なので、これは"丸喜先生とリンゴは切っても切れない関係にあるんじゃろ?"っていう考察?こじつけ?解釈?のメモです
ペルソナから見ていきましょう
丸喜の初期ペルソナはアザトースで進化するとアダムカドモンすね
当方クトゥルフ神話TRPGはちょっとだけやっていたんですがいかんせん初心者なのでナイアルラトホテップにしかエンカしたことがなく、また発狂経験もそこまでないため、アザトースって言われてもクトゥルフ神話に出て来るよね的なふんわり知識しかなかったんですな
調べてみたらアザトースは「宇宙の原初であり万物の王」で「この王の思考により世界が創造された」らしいす
丸喜の能力が「曲解」で、それによって認知改変された世界を創るっていうのはここからきてるな~と思った次第
でもこことリンゴは関係なさそう
じゃあアダムカドモンは?
こちらは神の最初の創造なんだと。神人とか原初のヒトっぽい事が書かれている
…まるきち、原初好きだな。あれか。"創造する者"としての位置付けをするために神であったり神から創られた原始的な存在がペルソナとして宛がわれているのかな。
あと地上の人間はアダムカドモンを真似て創られているらしい。原初オブ原初じゃね?
アダムカドモンはアダムとイブのアダムっちと関係はないらしい
ほなリンゴとペルソナは関係ないって事でいいんですよね。いいんだと思うんです。なんだかはっきりしませんね。そこんとこどうなの!?(コープ審判:ランク2)
リンゴ側の視点に立つ
リンゴ側の視点ってなんだ???
前提として、エデン(楽園)の禁断の実をリンゴとして、リンゴが知恵の象徴であるとしよう。
マルキパレスの「楽園」に居る認知モブたちはみんな同じ表情(モデル描画の関係上しゃーないというメタ事情は置いとくとして)≒苦痛のない表情をしているように見えたんだけど、これは丸喜にとっての理想の世界を体現した場所って事だよな(とおりすがりのマサラタウンのモブ「認知の力ってすげー!」)
で、このモブたちは丸喜の認知改変によりリンゴを"食べなかった事になった"アダムとイブ達なんじゃないかと思うわけです
怪盗団の視点で見れば丸喜によってリンゴを"奪われてしまった"アダムとイブ達ですね
要するにあのパレスのリンゴちゃんは丸喜主観でジャッジされた大衆の"不幸"の詰め合わせパック的なアレなんじゃね?っつーわけね
それで大衆は丸喜先生主観によってジャッジされた艱難辛苦を取り上げられてアダムとイブに逆再生した結果、明智が「楽園」と吐き捨てたあのエリアに居たんじゃないかなと
てかあれ認知存在だから丸喜先生がそういう認知でもって大衆を見るようになったって事か
そんなもん調べなくても雰囲気でわかるわいと思われそうな浅い考察(照)(恥)
マルキ・リンゴジュース爆飲み・タクト先生
そういう経緯があるなら丸喜先生ってリンゴジュースを常に飲んでるのって何か意味があるのかな
丸喜先生といえばリンゴ!を意識させたいなら白衣にリンゴのクリップをつけるとかにしとけばよかったと思うんだけど、それをあえてリンゴジュースにしたのはリンゴっていう形そのものをプレイヤーに意識させないためだったのかな
丸喜先生は苦しみや痛みや悲しみからは「向き合う必要はない」「逃げてもいい」「忘れてもいい」っていうスタンスで、留美に対しては「僕だけが苦しむよ」って感じだったから自己犠牲の意識は強そう
加えて丸喜先生のカウンセラーっていう職業的な意識として、大衆の痛みや苦しみを受け止める≒飲み込んでいたのかな?
でもその行為の根源にある感情っておそらく純然たる善意ってよりかは管理する側の思考に近いのかもしれない
→ゆえに初期がアザトース
つかアダムカドモンとアザトースなら存在的に初期アダムカドモンで覚醒アザトースが適してるような気がするから、「我は汝」した時に初期の丸喜は「自分の研究が進めば留美だけじゃなく誰も彼もを救ってやれる」という驕りがほんのわずかにあったのかもしれない、神たる存在になれる的な
それが究極進化してアダムカドモンという神が創った人って階層が1つ落っこちたのは、怪盗団に鼻っ柱を折られてちょっと我に返った結果だったのかなとか、神の代弁者である的な(それでもだいぶ意識は高い)
もしもとたらればの話をしよう
丸喜先生の手のひらコロコロワールドなら(最大多数の最大幸福に近いのかな)低リスクで低リターンな幸せを得られますよってずっと言ってたけど、丸喜先生の死後はこのシステムが世界にどう組み込まれていくのかもわからないし、そもそも丸喜先生はどんだけこのシステムを維持できるのかって話でもあるし、脆弱性っつか懸念事項に全く目を向けないのが気になりまくりだよね
(ゲームのシナリオとシステム的にそれに言及する必要がなかったから描写も設定もセリフもなかったのかもしれないけども)
しかもそういう思想の果てって、例えばヒトが生まれてから死ぬまで100年の寿命があるとしたら、怪我や病気、苦痛を味わう事なくきっちり100年生きて100年と1日目になったら死ぬみたいなシステム化された世界だと思うんだよな
だってシステム的にどこかで人生区切って殺して生者デトックス、またの名をところてん、先入れ先出し法にしておかないと世界は生者であふれてしまうわけだし
丸喜先生の曲解の力で実際に死者が蘇っているから寿命の操作はできてしまうんだろう
そうするとさ、今の生者の死が別の生者の不幸になってしまうと丸喜先生はそれを救わなきゃいけないから、あらゆる生者が「お兄ちゃんどいて!そいつ殺せない!」状態になっちゃう。世界は崩壊の一途だと思うのよね
そうなるとやはり寿命の概念はめちゃ大事になってくると思うのだ
でも生者の数を考えれば丸喜先生がいちいち寿命カスタマイズなんて出来ないから、いずれは世界中の人々が一律化された寿命を生きてまた命を得て還ってくるみたいな世界になるんじゃないかと思うわけです。ジャンル変わってんだわ。
でも世界は丸喜先生によって管理されているから大衆に恐怖する権利≒苦痛を味わう行為は許されてないんだよね、そこは幸せな世界だからそういう感情があってはいけないし、大衆の知恵はリンゴに逆戻りしちゃってるからね。ディストピアすぎんよ~
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