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※Mare・・・マーレ。ルチェルナで一番メジャーなSNSの名称。
ノクス期が来ました、と
Mareに流れてきたのは、朝の通勤準備中のことだった。
モーディスの店で半年ぶりに再会してから、もう二週間以上が経っている。
あの夜はノクス期の終わりかけで、それからすぐにソル期に入った。
月の自転は遅く、太陽の光が届き続けるソル期
――昼の時期が約二週間、そのあと、光の届かないノクス期
――夜の時期がまた約二週間続く。今はその二週間のソル期が明けて、次のノクス期がやってきた、ということだ。
つまり、ここで言う「朝」と言うのは、正確には<ルチェルナ標準時>の朝だ。
ドームの内側では人工照明が白い昼光を作り出していて、僕の部屋の窓からは見慣れた中層の街並みが見える。気分のいい朝で、快適で、清潔だ。ソル期に比べると少しだけ外気温は低く設定されているが、それでも不快感はない。
屋内ではこれと言った変化は少ないが、ドームの外側は二週間ごとに様変わりする。外では今日から約二週間、本物の夜が続くからだ。
ルチェルナには二つの空と時間が存在している。
ドーム内の人工的な三十時間サイクルと、屋外区画の月本来の昼夜。ドームの内側にいる限り、ソル期とノクス期の移り変わりはほぼほぼ関係ない話だが、屋外区画に出れば否応なく体で感じることになる。僕のように「外出」する人間にとっては、期の移り変わりは重要な情報だ。
Mareを閉じると、上着を一枚余分に持って自宅を出た。
職場
——遺産空白調査局、通称ラクナ機関
——へ顔を出すと、すぐに通達が来た。
《ノクス期間中、屋外調査業務は原則停止。真に必要な場合を除き、内勤に切り替えるように》
いつものように例外申請を読み込み、日付と期間を変えてアグライアに申請をする。僕みたいに、現地調査をメインで担当している職員は、例外申請の提出すら免除してもらいたいものだが、数年が経っても慣習は変わらない。多分、本当に内勤に切り替えてしまう職員もいるからだろう。
例外申請を終えると、回って来た案件をチェックする。新規案件が三件あり、どれも一般市民からの依頼だった。
ラクナ機関は元老院直下の重要案件だけではなく、市民からの捜索依頼や、遺物調査の申し込みも受け付けている。と言っても、受け付けたすべてが現場に回されるわけではない。
受付時の一次審査で「調査に値するか」「予算と人員に見合うか」がふるいにかけられ、通ったものだけが担当に割り振られる。落ちたものは申請内容を修正してもらって再申請してもらうか、あるいは民間での調査を依頼するしかない(民間の調査は高額なうえに精度がいいとは言えない)。
今日の三件は、行方不明になった親族の消息確認が二件、ドーム外の地下倉庫の出所不明の遺物の鑑定依頼が一件だった。すぐに取り掛かれそうなものは遺物の鑑定依頼かな、と考えていると、端末に例外申請「承認」の通知が来た。人探しより鑑定の方が着手できることが多いので、今日は現地調査を行うこととし、人探しについては内勤の職員に再振り分けを依頼しておく。
「先生の件は
……、まだ未承認か」
アナイクス先生の件は、まだ大したことに着手できていない。そもそも地球行きの許可がまだ下りていないので、資料を当たろうにも色々と権限が足りない。許可が下りていれば、先生の足取りを月側の記録から辿ることができるのだが。
例えば、十年前の退職届、当時の研究室の資料、《Echo》の通信ログ
――許可が下りた時にゼロから探し始めるのではなく、少しでも手がかりを絞っておきたかった。合間を見て、記録請求の申請書を書いてはいるが、提出をしても第一承認者のアグライアの時点で止まってしまう。地球行きの許可を待てと言うことらしい。
現地調査に行くか、とアグライアに案件をまとめて外出許可申請を送ると、十分ほどしてコールがあった。
『調査に行くのは構いませんが、ノクス期の屋外単独行動は慎むよう何度も言いましたね? サポートの申請を忘れているようでしたので、私のほうで追記しておきました。マッチングするまで待機するように』
「忘れてたわけじゃないけど、ソル期なら一人でできる軽度の内容だろ?」
『ファイノン、新人ではないのですから、今更聞き分けのないことを言わないでください。もし事故があれば、規則違反だの、承認の基準が甘いだの詰められるのは私です』
アグライアはそう告げると一方的に通信を切り、「待機するように」とわざわざ《Echo》でも念を押して来た。
》KaLos618: warn(subject="単独行動", period="ノクス期"), note("十度目")
》KaLos618: order(action="待機継続")
》NeiKos496: acknowledge(status="OK")
返事をしなければ例外申請の承認取り消しが来るのは分かっていたので、上司に言うには簡素すぎるが返信をしておく。
待機命令が出てしまっては仕方がない。サポート人材とマッチングするまでの間、他のタスクを進めることにした。
今手元にあるのは先月、パルス区の外縁で回収した遺物を記録と照合する作業だった。ある程度の照合は
ルナクスで行えるが、地球の旧時代のものについては一部しかデータベースに登録されていない、と言うより、詳細不明のラベルが張られているものが多い。なにかそういうものがあるらしい、というかなり雑なふりわけがされている中から、鑑定品に近いものを探して、照合する。仕事の大半は、こういう地味な作業だった。調査記録も、遺物そのものの詳細を調べることより、どこから来てどういう経路で遺産局に辿り着いたかを調べることの方が時間がかかる。ルチェルナ建設当初のデータ管理が雑だったせいで仕事があるわけだが、少しだけうんざりする瞬間もあった。
ルナクスの抽出する結果と実物を見比べてこれでもないあれでもない
……、と仕事を進めているうちに、気づけば昼になっていた。
ようやく記録と遺物が合致し、後続部署へ処理を依頼していると、タイミング良く、サポートとマッチングした通達が端末に入った。
「仕事だ、君も一緒に行くよ」
デスクのわきを見下ろすと、昼寝に飽き、さっきから椅子の傍をうろうろしていた灰色のキメラ
――ビーグルヤシをつついた。
キメラは月で一般的に使われている使役動物で、月の環境に合わせて作られた生体だ。小型犬ほどのサイズから大型まで様々な種類がいるが、ラクナ機関では小型が採用されている。
僕のように現地調査を頻繁にする職員には、機材運搬や調査補助をするためのキメラが一匹ずつ割り当てられていた。
*
屋外に出ると、空気が変わっていた。
月は地球と比べてそもそもが寒いが、ソル期とは別の冷たさがある。
乾いていて、静かで、どこか音が吸い込まれて行くような感覚だ。ドーム内では植物も畜産も行われているのに、ノクス期に外に出ると、まるでここは生命が暮らしていけないような気分になる。もちろんそんなことはなくて、大気自体は地球ともうそれほど変わらない状態になって三百年が経つのだが。
調査対象が発見された地下倉庫はイムリウム区の外縁、ドームの壁面に沿って続く古い区画だった。
埋まっていた倉庫は、建設初期に使われた構造物の残骸が建物ごと廃棄されたと言う記録があり、倉庫として現在利用されているわけではなかった。土地開発を考えていた管理者が地層調査中に倉庫が埋まっていることを発見し、ラクナ機関に本格的な調査を依頼してきたと言う流れだ。
有害物質は検出されていないとの報告は受けていたが、慎重に地層をスキャンしなおす必要がある。
ビーグルヤシが運んできた照明を宙空に投げると、半径三メートルほどが昼になった。明るくなった地面を見ながら、今日の相棒が口を開く。
「このあたりは、建国期の埋設配管跡だと思います」
サポートとしてマッチングしたのは、開発局のキャストリスさんだった。開発局は区画整備とインフラを担当していて、ラクナ機関とも度々仕事をすることが多い。
彼女は学術院時代、同じアナイクス先生のゼミにいた同期で、アグライアの知人でもあるらしい。ルチェルナはどうもこういった縁が頻繁に手繰り寄せられることが多く、キャストリスさんと仕事をするのももう何度目かわからない。月生まれの一部は僕たち地球生まれを嫌がる人もいるが、彼女はそういった偏見がないし、なにより学生時代に同期だったこともあって、僕としても仕事がやりやすい。
キャストリスさんは土を薄く削っては端末で層をスキャンし、数値と記録を入念にチェックしている。
「有害物質は特に検出されませんでした。このまま掘り起こしても問題ないと思われます」
端末の画面をこちらに向けながら、彼女が言う。数値と記録を目で追い、「ええと」と声を上げると、「ここです」と彼女が汚染物質の項目を指さす。確かに、人体に有害なものは検出されていない。
「確かに問題ないみたいだ。記録は僕がまとめて提出するから、後で送っておいてくれ」
「わかりました。
……あの」
発掘調査の依頼文を頭の中で考えていると、遠慮がちにキャストリスさんが声を上げた。
「先生の案件、ファイノン様が持っていらっしゃるとお聞きしました」
「もしかしてアグライアに聞いたのかい?」
「はい。先生の最後の教え子なので、意見聴取で元老院に召還されるかもしれないと。
……上の方々の思惑はわかりませんが、先生が地球に降りたのであれば、見つかりたくないんじゃないかと考えています」
キャストリスさんの言葉は僕になにかを訴えかけるかのようだった。言わんとすることはわかるな、と小さくため息をつく。
「
……正直なことを言えば、僕もう思ってる。そもそも、戻ってきてくれって頼んで戻ってくるような人だったら地球にはいかないだろ? 先生は月生まれだからさ」
僕の言葉に、はい、とキャストリスさんは小さく頷き、手許の端末を操作した。調査結果が送付された通知が僕の端末に入る。
「まあでも、仕事は仕事だから、地球行きの許可が下りてから考えるよ」
キャストリスさんは端末を見下ろしたまましばらく何か考えるような顔をしていたが、言葉にはしなかった。
調査結果と発掘依頼をアグライアに提出した後、「少しこの辺りを見たいのですが、付き合っていただけませんか」とキャストリスさんに言われ、現地調査の名目で彼女の散歩に付き合うことにした。彼女は月生まれなので、本来ならばノクス期であろうとなかろうと、外で仕事をすることは殆どない。ドーム外の業務は基本的に地球生まれが担うことが多いからだ。
「屋外区画整備について、いろいろと市民の皆様から声をいただいているのですが、私一人では『外出』が難しく
……。勿論数値上の資料は確認していますが、自分の目で見ておきたいのです」
そう口にしたキャストリスさんと調査に利用した機材を片付けて、あたりを見て回ることにした。僕にとっては散歩だったが、彼女にとっては仕事なので、そばで紫色のキメラがヘッドランプをつけて地面や建物を照らしている。
彼女が調査をしている間、ビーグルヤシの毛並みを手で整えながら空を見上げていた(ここで僕たちが仕事をしてしまうと、ノクス期の申請外業務だと言う警告がアグライアに飛ぶ可能性があるので、彼女を手伝うことができない)。
真っ暗な空は宇宙と変わらない。ソル期の時期は太陽光が回り込むせいで空が白く滲むが、ノクス期の空はそれがない。暗い空には星も地球もはっきりと見えていた。地球は青白い光を放っているように見え、神秘的な光景だ。
すぐ近くで、ヘッドライトをつけた作業員が数人、ドームの外壁に並んだ太陽光パネルの点検をしていた。ノクス期は発電ができないので、この時期に集中してメンテナンスを行う。暗闇の中で黙々と作業している背中が、街灯の光に浮かんでいた。
もう一度青い地球を見た。
僕の生まれた場所が、あそこにある。だけど、今は立ち寄ることができない地域だ。海の底に沈んでしまったから。その事実を考えるたびに、なんとも言えない気分になる。失われた故郷。月に来る際に別れた両親とは、それっきりだった。
僕に撫でられていたビーグルヤシが小さく声を上げ、ハッとする。
「ごめんごめん、何でもないよ」
キメラは人間の機微に敏感で、飼い主のストレス反応を察知する能力が高いらしい。僕の指をペロペロと舐めているビーグルヤシのあごの下をくすぐると、満足そうな声が落ちた。
「ファイノン様、ありがとうございます。いいデータが取れました」
「それはよかった」
現地調査を引き上げ、そのまま直帰することにした。僕とキャストリスさんのキメラは帰還を言い渡されると、二匹で仲良く機材を引いて先にドームへ戻って行く。
「僕は直帰する予定だけど、キャストリスさんは?」
「私は帰って今日の調査をまとめる必要がありますので、お気遣いなく。でも、もしよろしければ今度お食事に行きませんか。
――と言うより、連れて行っていただきたいお店があって」
なんとなくその店がどこか知っている気がしたが、わからなかったふりをして頷いた。
足早にドーム内へと帰還するキャストリスさんの背を見送り、さて、と息を吐く。
ルチェルナ標準時では夜の時間帯になっていた。
ノクス期にしても今夜はあまりに寒い夜で、余分に持ってきた上着をもう一枚着込んでも、じわじわと体温が奪われる感覚がある。
なにか温かいものが食べたい。そう考えた瞬間、手が勝手にメッセージを送っていた。
》NeiKos496: visit("Nosts", time="Tonight", reason="寒い")
》PoleMos600: confirm(request=True)
僕がちょっと感情を込めたところで、モーディスの返答はいつだって簡素だ。
*
ノストスの扉を開けると、温かい空気が全身に当たった。美味しそうなにおいもあわさり、ほっと肩から力が抜ける。
カウンターには先客が二人いた。一人は屋外区画の住人らしく、防寒着を脱がずに座っている。もう一人はドーム内から来たのか、薄手のコートで肩をすくめながらスープを飲んでいた。
モーディスは先日来た時と変わらず、カウンターの向こうでエプロンを付け、鍋をかき混ぜていた。
顔を上げたモーディスと視線が合い、やあ、と声を上げた僕に、モーディスは一瞬だけ眉を寄せた。見間違いかと思うほど短い間だけ。
「ノクス期に外に行ったのか」
「見ての通り。寒くて手が痺れてるよ」
「防寒が甘い」
客にいきなり嫌味を言うなよ、と思いつつ空いているカウンター席に座ると、湯気の立つお茶がカウンターに置かれた。
「スープを出してやる」
「お気遣いどうも」
「予報は見なかったのか。今夜は普段よりずっと冷える」
「うっかりしてたんだよ、気温まで見なかった。
……まあほら、僕はテランだから。月生まれよりは、多少寒さに慣れてる」
カップを両手で包んで暖を取っていると、料理を準備していたモーディスの手が止まる。視線は合わなかったが、不愉快そうな表情をしているのが見えた。
「そんなことを言うものではない」
「
……え」
「お前が入国試験を通ったのは随分と昔の事だろう。生まれがどうであろうとルチェルナ市民だ。それに、テランが特別寒さに強いと言うデータはない」
モーディスの言葉は、まるで僕を叱りつけるかのような、はっきりとした言葉だった。
「まだそんな余計なことを考えているのか」
呆れた様子のモーディスの声と言葉に、反論が浮かばず黙ってしまう。
モーディスからこういった言葉を聞くのは久しぶりで、かなり動揺していた。同僚時代ならいざしらず、としばらく黙っていると、モーディスは僕の言葉なんて期待していないかのように、そのまま鍋をかき混ぜに行ってしまった。
なんとなく店内に気まずそうな空気が流れ、先客二人が支払いをして店を出て行ってしまう。この雰囲気でモーディスと二人きりにしないでくれ、と思わず口にしそうだった。
ルナリア
——月生まれの市民
——がテランに対して「生まれは関係ない」という言い方をすることは、ほとんどない。
テランは試験を突破するか許可を取って這い上がってきた移民で、簡単に言えば、ルナリアの多くは僕たちを下に見ている。僕たちも、それを当然の序列として受け入れていた。例え僕たちへの考えを口に出さなくても、態度に出てしまう人が多い。それが普通だ。
モーディスは生粋のルナリアで、しかも御曹司だって言うのに、そういう差別や偏見を持っていない男だった。ラクナ機関にいた頃から、ずっとそうだった。
モーディスがそういう奴だと分かってからは、隣にいると気が楽だった。だから、組織を辞めて欲しくなかったし、帰って来てほしいとも思っていた。
……いる。今も。
「スープだ」
僕の気まずさなど全く気にしていない顔で、モーディスがカウンターに料理を並べ始めている。
気まずさは温かな湯気と美味しそうな匂い、それから空腹で瞬く間に霧散し、胃がしくしくと食事をしろと訴えかけてくるのがわかった。
今夜のメニューはレンズ豆のスープと、ピタパンと、オリーブのマリネだった。スープは香辛料がかなり強く、体の芯から温まる味がした。
「この間はあまりわからなかったけど、もしかしてノクス期とソル期では味付けを変えてる?」
「少し変える。が、今夜は特に香辛料を強めにした。皆、体が冷えているだろうからな」
へえ、と曖昧な返事をしながら、辛みの強いスープが食道を通り、体の内側からぽかぽかと熱を発してくるのを感じていた。モーディスは自分の作りたいものを出す、なんて言っていたけれど、食べる人のことをきちんと考えている。こういったモーディスの分かりづらい優しさが、時々深く突き刺さることがあった。例えば今夜のように。
「感想はないのか」
「勿論美味しい。
……君の食事がまずかった記憶はないけどね」
僕の答えに、モーディスがふん、と鼻を鳴らす。満更でもなさそうだった。
食事の後、二杯目、三杯目のお茶をねだってぼんやり居座っている間、数人の客が訪れて、さっさと食事を平らげてまた店を出て行った。
しっかりとした防寒着の客が帰り際に「ノクス期も元気でな」とモーディスに言う。モーディスが頷き、「お前もな」と口にする。ノクス期が来るたびに、おまじないのように口にされることの多い言葉だった。
再び、店にモーディスと二人きりになる。モーディスは一度店の表に出て戻ってくると、無言で片づけを始めていたが、帰れ、とはまだ言わない。
「そういえば」
お茶を飲んで十分にあったまった後、ふと思い出した。
「君のキメラ
——ハニーフルーツスープは元気にしてるのかい? この間は会わなかったけど、君、局を辞める時に引き取ってただろ」
僕の言葉に、モーディスの視線が天井へ向く。
「二階で寝ている。もうかなりの老体だからな、特に仕事はさせていない」
モーディスの表情が少し柔らかくなり、端正な横顔からまるで急に光を放ったように感じた。勿論目の錯覚だ。多分。ルナリアの一部は体が発光することがある、なんて噂はあるけれど、うわさに過ぎない。
金色の瞳が細められ、昔を思い出すように優しく緩む。モーディスが組織にいた頃も、彼のキメラは良く眠っていた。真顔でキメラを膝に置いたまま仕事をしているモーディスを他所の部署の人が見て、意外性にぎょっとしていることもあったっけな
……。
「営業中は店に入れないことにしている」
「なるほど、それでこの間は会えなかったのか。そう言えば、ノクス期ってソルの間より客は減るのかい」
「少しな。ドーム内の人間は外出を嫌がるだろう。だからその分減る」
モーディスは視線を戻すと、僕に背を向けて洗い物を始めた。料理人と言うより警護か格闘家だと言われた方が納得するような背中に、エプロンの紐がかかっているのはまだ見慣れない。不思議だ、と思いながらぼんやり眺めている間、モーディスは僕の視線に文句を言わない。カウンターの向こうで背中を向けて、淡々と手を動かしている。その背中の傍に、屋外側の窓があった。真っ暗で、だけど星がちかちかと輝いている。
「ノクス期の方が好きな客もいる」不意に、モーディスが口を開いた。「静かだからな」
「
……君は?」
「どちらでもいい。お前の言う通り、舐めた経営をしている店だ。食材が無駄にならなければ客足はあまり関係がない」
モーディスが振り返り、にやりと口角を上げて笑う。
「もしかして意外とムカついたとか?」
「ハ、」
言ってろ、と言うように、モーディスが鼻を鳴らす。
洗い物を終えたモーディスは時計を見やり、「そろそろ最終バスが来る。帰れ」とドアの方へ視線を向けた。
そんな時間だっけ? と思いながら時刻表を確認する。モーディスの言う通りだった。
上着をしっかり着こんでドアを開けると、肌に突き刺さるような冷気が入ってきた。
「また来るよ。多分近いうちに」
「構わんが、連絡してから来い。特にノクス期はな。仕込みの量を変えている」
お前が来た時には完売している可能性がある、と続けたモーディスに、「それって、連絡したら僕の分はとっておいてくれるってことか?」と聞きそうになった。きっとそういうことだろうと思ったが、それを素直に口にすることはできなかった。
言えばモーディスは無表情で肯定するか、はたまた嫌そうに否定するかのどちらかだろうと思ったからだ。今夜は、そのどちらも見たくない気分だった。
*
境界区画の窓の向こうには、夜が広がっていた。
ソル期の時期には意識しなかった星の数が、今夜ははっきりと見えた。
地球が青白く光っている。あの光は地球が太陽の光を反射しているもので、地球そのものが光っているわけではない。知っていても、見るたびに目を奪われる。
コートの襟を立てて、バス停に向かった。
足元の街灯が、アスファルトに小さな丸を作っていた。バス停までを示す光の丸にそって、足を進める。
その途中で、ふと振り返った。
閉店の札がかけられた、モーディスの店の窓から光が漏れていた。それから、カーテンのかけられた二階の自宅の窓からも。
真っ暗なノクス期の間も、灯りはここにあるらしい。
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