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ながひさありか
2026-07-03 04:42:51
10562文字
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STR-Phaidei
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夜明けの先にいる #1.タベルナ・ノストス
月暮らしSFです。月や地球の「遺産」の管理・調査をする組織に所属しているファイノンと、その組織を急に辞めて小さなギリシャ料理の食堂を開いているモーディスの話。
独自設定がわんさか出ます。ちょっと書き方を模索しているので、内容がごっそり変わる可能性もあります。
1
2
モーディスから《
Echo
個人メッセージ
》が来たのは、仕事帰りの夜だった。
≫PoleMos600: status("OPEN", location="境界区画", name="Taverna Nostos")
画面を見て、しばらく固まった。意味がわからなかったからじゃない。はっきりと意味は理解できていた。
半年ほど前に組織を辞めた元同僚
――
モーディスが、境界区画で飲食店を開いたと言う話は噂で聞いていた。それをすぐに確かめられなかったのは、なんとなく会いに行くのが気まずかったからだ。連絡をするなら僕から先に、と思っていたのに、気づけばずるずると半年も経っている。
*
勤め先
——
月面行政機関・遺産空白調査局、通称「ラクナ機関」の後輩が、「あのクレムノス家の御曹司が、境界区画で食堂を開いたって知ってました?」と、僕に言ってきたのが数か月前のことだった。
その頃にはドーム内外に噂が広まっていた。曰く、「出世を棒にふるって父親に勘当された後、なにをしているのかと思えば、店を開いたらしい」「愛想はあまりない店主だが料理がうまい、何かと融通が利く」とか。
僕がその話を聞いたとき、どうやら表情に出てしまっていたらしい。後輩は不思議そうな顔をした。組織にいたのは知ってましたけど、もしかして知り合いですか? と。モーディスが組織を抜けた際、家の人から圧力がかかって、勤務記録が一部消されていた。当時、モーディスと働いたことのある人間は僕を含め、やんわりとした箝口令が敷かれて、元同僚だとか、部下だったとか上司だったとかそういう話は外でしないように、と言われていた。だから辞めた後に入居した後輩が、僕とモーディスが元同僚だということを知らなくても無理はない。
クレムノスの御曹司を知らないほうが珍しいよ、と苦笑したふりで誤魔化しながら、「知り合い」、という言葉は正確じゃない、と考えていた。
同じ組織にいて、同僚だった時期がある。
月生まれ
ルナリア
のモーディスにとって都合がいいから、と
地球生まれ
テラン
の僕は度々仕事でペアを組まされて、深夜まで一緒に仕事をしたことも多かった。戦友、みたいなものだと僕は思っていた。ライバルで、戦友。尊敬していたし、どっちが仕事を早く・上手くこなせるかと競っていた時期もあった。
それから、以前は職員用の住居棟で隣同士に住んでいた。だから時々同じ時間にワークアウトをして、休日を一緒に過ごしたこともあった。
それだけ、と言えばそれだけだ。でも、戦友と呼べる人間は僕にとってはモーディスだけで、モーディスにとっても多分そうだった、と思う。
だから、彼が組織を辞めると聞いたとき、最初は引き留めようとした。僕じゃ引き留められないだろうと分かってはいたが、それでも、モーディスには組織に残っていて欲しかったからだ。
辞める前に、彼は言った。
『お前のことは信頼している。だからこそ言うが、ここには戻らん』
その言葉を、僕はまだうまく飲み込めていない。
今日は一日、案件の下調べで動いていた。
上司のアグライアに提出する報告書の下書きを、頭の片隅でずっと考えていた。アグライアはいつも言葉遣いに厳しい。メッセージであれば《Echo》で自動的に言葉は適切なものに変換されるのに、正式書類だけは《Echo》が禁止されている。アグライアはいつも「由緒正しい家柄らしい言葉遣いにしてください」と僕の書いたものにダメ出しをする。月生まれではない僕にとって、
月人
ルナリア
の上層の言葉遣いを完璧に真似るのはまだ難しいことだった。
モーディスと一緒に働いていたころは、あいつにダメ出しをしてもらっていたけれど、今は自分で考えるしかない。あいつだったらどんな単語を選んだだろう、と考えてはいるけれど、まだ甘い。
思考が逸れた、と息を吐く。今回の案件について、もう一度考え直そう。
今回、僕が調査する「遺産」はかつての師であるアナイクス先生だった。先生は月にいた頃、月の環境エネルギーの研究者だったけれど、十年ほど前に「ここにいてもこれ以上の成果はありません」と宣言して仕事を辞め、地球へと降りて行ってしまった。生きているのであれば、今も地球のどこかにはいるのだろう。
《Echo》で何度か
連絡
ping
をしてみたけれど、先生から反応が返って来たことはなかった。
僕の任務は言葉で表すのは簡単だ。先生を見つけて、月へ連れ帰る。それだけ。だけど、その任務が今日一日、ずっと頭の中で引っかかっていた。
先生は自分で地球に降りたはずだ。しかも彼は
地球生まれ
テラン
じゃあない。それなのに、自分からわざわざ地球へと降りた。「戻ってきて欲しい」と素直に頼んだって帰ってこない人だと言うことは、教え子だった僕が一番わかっている。それなのに僕に任務が回って来たのは、僕が地球生まれで、かつての先生の教え子だからだ。月生まれの人々は基本的に地球での仕事をしたがらない。汚れ仕事と言うか、下層の仕事だと思っている。差別意識もなく。
別にそういう扱いには慣れているので今更思う所はそれほどないけれど、そんな月人の上層部が
――
ラクナ機関より上位となると、月面都市には元老院しかないわけだが
――
、わざわざ地球に降りた先生を探しに行くと言うのに違和感があった。それほど切羽詰まった何かの事情があるんだろうけれど、僕のところまで本当の話は降りてきていない。
――
まだ。まだだと思いたいたかった。
ルチェルナ学術院
大学
時代、アナイクス先生の研究室に入り浸っていたころのことを、ふと思い出した。厳しい人だったけれど、見放されたことは一度もなかった。あの人が今、月に戻りたくないと思っている理由を、僕はまだ何も知らない。
僕はこの任務を受けるべきなのか? それとも、もっと詳細をアグライアに聞くべきか? そう、誰かに相談したかった。だけど、残念ながら、相談する相手が今はいない。
そんなことを考えていたら、気づいたら、境界区画行きのバスに乗っていた。
境界区画行きの乗り合いバスの終点は、中層の商業区画・イムリウム区の中ほどだ。普段はその手前の住居エリアで降りるが、今日は境界区画に用があった。
降りた客は僕を含めて三人だった。僕以外の二人はすぐに路地へ消え、姿が見えなくなる。きっとドーム外の自宅へ帰って行ったのだろう。
防寒着の襟を立てた彼らを見送りながら、僕は今、屋外が夜のサイクル
――
ノクス期に入って何日目だったかを数えた。十日、だったと思う。あと四日もすれば夜は終わる。そう思いながら空を見上げると、ドームの境界線の向こうに宇宙がそのままあった。星が多すぎるほどあって、その端のほうに青白い地球がぶら下がっている。
完璧に空調を制御されているドーム内と違って、境界区画の空気は、屋外の気温にやや左右される。薄着をしすぎたのか、少しだけ肌寒い。
ここはルチェルナ、月面に建設された唯一の都市国家だ。僕たちは
テラフォーミング
地球化
された月面で暮らしているが、都市は完璧に制御されたドーム内と、環境がやや厳しいドーム外に別れている。屋内はいつでも快適で、その代わりに外と違って空はない。
ドーム外では上を見上げれば宇宙がそのままあり、雨も降れば雪が降ることもあるが、屋内は晴れか、曇りか、それだけだった。
今の地球は環境汚染と自然災害で居住可能な区域が年々狭まっていて、地球に残された人々は月に移住したいと考えている。だけど、月に行くには厳格な審査が必要だ。その審査を通った人は「上がった」と言われる。僕は地球の生まれで、「上がってきた」側だ。
「
……
月から見ると、地球は青くて綺麗なんだけどな」
だけどこの青さは、殆どの大陸が海の底に沈んだことを示している。僕の故郷も、海の底に沈んでしまった。
コートのボタンをひとつ余分に留めて、空から顔を下ろし、歩き出した。
ドームの外壁に沿って、太陽光パネルが整然と並んでいた。この壁はルチェルナのエネルギーの大半を賄っている設備で、その設置とメンテナンスを担うのは屋外区画の住人がほとんどだ。
ノクス期の間は当然太陽が見えず、発電できないので、今時期は点検と補修の季節になる。向こうから作業着姿の男性が歩いて来るのが見え、僕を見ると軽く会釈する。身なりのせいか、管理者の視察だと思われたのかもしれない。全く関係ないが、変に気を遣われても申し訳ないので頷いておく。
ここ
――
境界区画は、名前の通りの場所だ。ドームの内側と外側、どちらにも完全には属していない。ドーム内、特に上層に住む人々
――
生粋のルナリアは、ここに仕事以外で立ち入るのを嫌がるような場所だ。道の片側にはドームの壁面が続いていて、もう片側には屋外の「空」が見えている。今は二週間の夜が続くノクス期で、道の半分は暗闇に近い。だから、境界区画はかなり薄暗く、肌寒い。
街灯の光がアスファルトに落ち、その先に小さな店が並んでいる。その薄暗い道を、どんどん歩く。
パネル修理屋、防寒具の雑貨屋、名前のない食堂。どこも似たような造りで、どこも似たような灯りをつけている。目的地は境界区画のかなり端の方にあった。
食事だけだ、と自分に言い聞かせた。
仕事の話はしない。頼らない。「もう組織を辞めた人間に相談をするのか」。モーディスが低く静かな声で僕に言うのが、ありありと思い浮かんだ。だから言わない。ただあいつの店に行って、冷やかして、あいつの作る料理を食べて、帰る。それだけのことだ。
段々と気が重くなり、足を引きずるようにしながら、それでも辿り着いてしまった。
木の扉に、手書きの看板がかかっている。タベルナ・ノストス。ギリシャ語だ。その下に、小さな月文字で「文化的な食事を出す店」と説明的すぎる説明文が書かれていた。
ノストスは「帰還」、という意味だ。ギリシャ語なんて、当然月では使われない。地球でも殆ど、使っている人はいない。もう廃れてしまった言葉だ。
そんな言葉を何故あいつが使うのかと言うと、どうやら、彼の先祖は地球にいた頃、ギリシャに住んでいたらしい。そんな話を昔僕に話してくれたのは、多分、僕がギリシャ出身だったからだろう。興味がある、とモーディスは僕に言った。資料で見たことはあるが、実際を知らない。そんな風に。月では使われない言語をわざわざ覚えているのが、いかにもモーディスらしいし、いかにも遺産空白調査局の局員らしい、と当時の僕は思った。
「帰還、か
……
」
看板をそっと指先でなぞり、小さくため息をつく。月面都市の境界区画で、どこへの帰還なのだろう、と。
すぐに扉を開けるつもりだったが、もたもたと看板の前で考え込んでいた。境界区画は、任務で地球へ向かう途中、何度かモーディスと通り過ぎた場所だった。
あの頃、仕事の合間にここで食事をしたことは何度もあったけれど、「いまいちだな」と僕たちは言い合っていた。何と言うか、中途半端な味か、あるいは衛生面で少し抵抗があるか。だけど、そういう雑多な空気がモーディスは意外と嫌いではなかったらしい。休日は境界区画の食事処を巡っていて、全メニュー制覇なんかをしようとしていたらしい。
生家が有名すぎる生粋の月人のモーディスが店に行くと、冷やかしだと思われて門前払いを食らうことが何度かあったので、新しい店を開拓する時は、いつも呼びつけられていた。それが嫌だったわけではなく、むしろちょっと特別扱いをされているような気がして嬉しかったけど、今になってもモーディスの真意はわからなかった。
「はぁ」
こんなことを長々と考えていても仕方がないか。そもそも今回は、モーディスから僕に連絡を寄越したんだから、店に訪れる正当な理由が僕にはある。
……
そんな言い訳を、頭の中で繰り返しつつ、扉を開ける。
扉を開けた瞬間、隙間から温かい空気が流れて来た。
カウンターに六席、それだけの小さな店だった。客はまだ誰もいない。店内BGMのかわりなのか、小さくラジオ放送が流れている。
カウンターの向こうはそのまま厨房になっていて、そこにモーディスが立っていた。金から朱色に流れる髪は相変わらず太陽光を蓄えたように照明に輝いていて、ノクス期の夜を明るく照らす光そのもののようだった。彼の明るい金色の瞳が、地球からみた月のように暖かくきれいに光っている。
長身の体は厨房には少し大きすぎるようで、動くたびに肩が棚をかすめそうになっていた。だけど、半年ぶりに見る姿は、記憶より少しだけ小さくなっているような気がした。モーディスに限ってあり得ないだろうけど。
エプロンをつけたモーディスは、客が来たって言うのに顔も声も上げず、ただ包丁を動かしている。だけど、僕が来たのはわかってるだろ、と感じていた。僕だと分かっているからこそ、手を止めないのだろうと思ったからだ。いい匂いが漂っている店内に、急激な空腹を覚えた。
店には窓が二つあった。
片方はドーム側に面していて、そこからは人工の月の光が差し込んでいた。ルチェルナ標準時でももう夜だ。だけど、ドームの内側は月の青白く明るい光に満ちている。もう片方は屋外側に面していて、そこからは宇宙が見えた。暗闇と星と、地球。同じ店の中に二つの夜が同時にある。
「座れ」
ぼんやり窓を見ていると、いらっしゃいませともなにも言わなかったモーディスが唐突に言った。半年ぶりだって言うのに、再会を祝う言葉も、照れもない。まるでずっとこんな風に、定期的に店に通っていたかのような気安さだった。
大人しくカウンターの端に座り、モーディス、と心の中で呼んだ。声に出して呼ぶには、何かが邪魔をした。
しばらくしてモーディスがようやく僕を一瞥し、また手許に視線を落とす。久しぶりだな、とも言わないし、驚きもしない。自分から僕に連絡をしてきたくせに、喜んでいる様子もない。何を考えているのかわからなかった。
「何が食べたい」
「え?」
「食事だ。食いに来たのでなければ帰れ」
「え、っと
……
食べに来たけど、メニューは?」
カウンターの上にメニューはなく、少しの調味料と紙ナプキンだけがあった。
「うちにメニューはない。俺が作りたいものを出す」
困惑する僕に、モーディスが「一杯目はサービスだ」と冷たい水をカウンターに置く。
「
……………
じゃあ、なんで聞いたんだ?」
「さあな」
短い沈黙が落ち、モーディスはもう会話に興味をなくしたのか、調理に戻ってしまった。
しばらく待って提供された「シェフの気まぐれメニュー」はスープと丸くて平たいパンと、小さな前菜の盛り合わせだった。
スープが来た時点では普通だと思った。でもパンを見て、少し首を傾げた。なんだか懐かしい形と香りがした。もしかすると、と前菜のハーブとにんにくのペーストをパンにつけて食べた瞬間、手が止まった。
——
懐かしい。こんな料理を食べたのは、子供のころ以来のはずだった。月に来てからは、一度も食べていない。ドーム内では完璧に栄養管理をされた食事がメインで、境界区画の食堂といえば中華か和食が多かった。こういうものを出す店を、僕は上でもここでも知らない。
「表には『文化的な食事を出す店』って書いてあったけど
……
、もしかしてギリシャ料理専門店?」
恐る恐る尋ねると、厨房で手を動かしたまま、そうだ、とモーディスが頷く。
「先祖がギリシャ出身だというのは話したことがあるな。レシピが家に残っていたので、それを再現している。スープはファソラーダ、ペーストはスコルダリア、パンはピタパン。実際に食べたことはないが、美味いとは思っている」
「食材は月産?」
「当然だ。だから、本物とは味がやや違うかもしれん」
「
……
君は本物を食べたことないだろうしね」
「お前は分かるか?」
モーディスの問いかけに、黙って少し考えた。月に来てもう十五年は経ってしまっていて、味の記憶は薄れてしまっている。それでも、ちょっと違うな、とは感じた。まずくはないし、勿論美味しい。だけど、ちょっと違う。その感覚を、多分モーディスは欲している気がした。
屋外側の窓を見た。真っ暗な夜と宇宙が見え、地球がある。あの青白い球体の中のどこかに、僕が生まれた場所がある。今はもう、立ち寄ることもできない区画だ。もう一口、ペーストをパンにつけた。
やっぱり、少しだけ違う味
――
かもしれない。でも僕には、十分すぎるほど懐かしかった。
「正直なことを言うなら、ちょっとだけ違う。美味しいし懐かしいし、何がどう違うのかはっきりとは言えないけどね」
モーディスは「そうか」と一言だけ口にし、少し考え込むように黙った。きっと、何が違うのかレシピを辿って考えているのだろう。
しばらく黙って食事を続け、皿が殆ど空っぽになる頃、水のお替りを頼んで、「どうしてここに店を出したんだ?」と、聞くつもりのなかった質問を口にした。
「場所が気に入った」
一瞬だけ、モーディスが窓の外を見たような気がした。だけど、それは気のせいかもしれない。
「本当に?」
「嘘を言う理由がない」
確かにモーディスは嘘を言わない人間だ。だから、この言葉に嘘はないだろう。納得はいかなかったが、それが事実だと言うことは受け入れるべきだった。
「
……
食堂を開くのは趣味にして、組織にいたほうがよかったとは思わない?」
モーディスがぴくりと肩を跳ねさせて、僕の顔に視線を向ける。
「まだそんなことを言っているのか?」
「言うだろ。だって君の家柄を考えたって、こんなところで料理人なんかせずに、組織に残って出世すべきだった」
「興味がない。と言うより、俺にはもう必要がない」
モーディスが離職する前にも、こんな話を散々していた。モーディスはややうんざりしたような顔で「仕込みがある」と僕に言うと、会話を拒絶して厨房の奥の方へ食材を取りに行ってしまった。こうなると頑ななモーディスと世間話をする気にもなれず、僕もカウンターに片肘をついてぼんやりしていた。
気づけば、二時間近くも経っていた。
スープは二杯目をもらっていて、パンもディップソースも追加した。いつの間にか他の客も入ってきて、モーディスは彼らにも同じように短い言葉で対応していた。上層の人間も、屋外区画から来たらしい防寒着の労働者も、扱いに差はなかった。ただ「座れ」と言い、ただ料理を出した。本当に客の好みなんて聞かずに。ただ、短いやりとりに、彼らのこれまでの信頼、のようなものが見えた。僕とは少しずつメニューが違う食事を横目に眺めて、なんだかおもしろくない気分だった。
腹が満たされると、これ以上ここにいる理由はないな、と諦念のような感情が浮かんだ。僕を呼びつけたのはモーディスだ、と僕は感じているけれど、モーディスには別に用なんかなくて、純粋に店を開いたことを気付いていないのか? と言ってきただけのように今は感じていた。
いつの間にか店内には誰もいなくなっていて、僕だけが残されていた。
右腕を持ち上げ、スマートウォッチの画面を三回タップする。
「いくら?」
「千ルクス」
カウンター越しにそう口にしたモーディスに、「安すぎるだろ」と思わず声が漏れた。
境界区画はドーム内よりもむしろ少し割高なことが多いので、二千ルクスは取られるだろうと思っていた。
「割引だ」
モーディスはカウンターの向こうで口角を吊り上げて笑いながら、僕の端末に請求書を送っている。
「割引?」
「お前の舌を参考にする。レシピの再現のためだ、今後も暇があれば来い。格安で食事を出してやる。代わりに感想を言え」
「
…………………………
」
モーディスの言葉に戸惑い、支払いをもたもたと済ませながら、なんだそれ、と考えていた。彼の表情は少し楽しそうで、なんだかワクワクしているようにも見えた。同僚だった頃、時々趣味の料理の話や、読んだ本の感想を教えてくれた時と同じような表情だった。
「
……
店を開いたなら、もっと早く教えてくれればよかったのに」
「お前ならすぐに気づくだろうと思っていた」
モーディスは表情を消し、面白くなさそうに鼻を鳴らす。調理場の掃除を始めてしまった横顔から感情を読み取ろうとしたけれど、さっぱりわからない。
「店はいつ開けてるんだい?」
「週に四日だ。月火、金土。それ以外はレシピ研究に忙しい」
「
……
金持ちの道楽みたいな経営だ。商売を舐めてる」
「遺産を食い潰して何が悪い?」
モーディスは組織を辞める際、実家と揉めて現在は勘当状態だ。だけど、彼の母親が彼に生前贈与をしたとかで、使い切れないくらいの資産があるのを風の噂で知っていた。どうやらそれは噂ではなく、本当のことだったらしい。
本人の現在の自認はどうあれ、結局彼は「上層」の人間だ。僕の様に上がって来た庶民とは、金銭感覚や生活に対しての価値観にかなりの差がある。と言っても、モーディスの「この感じ」を嫌味に感じたことは、僕にはない。
「別に悪くないけど、そう言うところ、君ってやっぱり『上』の人間だなって感じがするよ」
モーディスは何も言わなかった。図星だったのか、それとも僕の感想なんて興味がなかったのか、判断はつかない。
「
……
じゃあまた、店を開けてる時に来るよ。僕が来た時に食材がないなんて言い訳するなよ」
「食材がなくなれば閉店だ。来る前に連絡しろ」
「
……
連絡していいの?」
そう尋ねた瞬間、モーディスの表情が一瞬、心底不愉快そうなそれに変わった。金色の視線がまるで針の様に僕の顔に刺さったかのような、鋭いものだった。お前は何を言っている? そう言われた気がし、心臓がどきりと震える。
「連絡なしで来る方が迷惑だ」
はぁ
……
、と大袈裟なため息が漏らされる。モーディスの心底嫌そうな表情には、もう、先ほどまでの鋭さはない。
「
……
半年も連絡しなかったこと、もしかして怒ってる?」
モーディスはしばし黙ったかと思うと、腕を組む。
「いいや」
本心から気にしていない顔だった。それに安堵するのと同時に、面白くないな、とまた思った。
「じゃあ何も気にしてない?」
「気にしてどうする。組織が激務なのは身に染みている」
「
……
まあ確かに、週休三日の君よりは断然忙しいよ」
*
店を出ると、外は相変わらず肌寒かった。空には星と地球。乗り合いバスの時刻まであと十分あった。
コートの襟を立て、右腕のスマートウォッチを一度見た。《Echo》を立ち上げ、連絡先からモーディスを探す。
ルチェルナでの個人間通信は《Echo》が標準で、思考するとコード文法に変換されてメッセージが届く。送信者がテランでも、ルナリアでも、全く同じ言葉遣いと形式になると言うわけだ。書面での厳格な言葉遣いは存在せず、純粋に言葉でやりとりすることが可能だ。生まれ持った階級差が、少なくとも通信の上では消える。
≫NeiKos496: ping("PoleMos600")
返信はすぐ来た。
≫PoleMos600: confirm(received=True)
僕の連絡は届いている。それだけ。無駄のなさすぎる、完璧な返事だった。
バスを待つ間、店の灯りを眺めながら、さっきまで座っていた店内の様子を思い出していた。
ドーム側の窓からは人工の光が漏れていて、屋外側の窓からは宇宙の暗闇があった。その両方が同じ建物の中にあって、中ではモーディスが調理を続けている。
食事だけで、仕事の話はしなかった。モーディスを頼らなかった。それは守れた。
だけど、「暇があったら来い」と言われて、約束をしてしまった。
料理の感想を聞くのに、組織は関係ない。仕事の相談のために、縁を繋いだわけじゃない。元同僚で、良く知っている、気の置けない関係だ。お互い、そのはずだ。半年も連絡をしなかったのは事実だけれど。
バスが到着し、ステップを踏む。
懐かしいにおいのした店を去り、自宅へと向かった。
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