どそ
2026-06-21 19:05:13
6281文字
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ガランサスの堆積

botw後の二人がラネール山に行く話 明順応(https://privatter.me/page/6a32cdc9abbe1 )と非常にうっすら繋がっているがほぼこれ単体

「荷物、持ちますよ」
 隣を歩くゼルダが、そう言ってくるのに首を振る。
「もうかなり持っていただいてますから、それで充分ですよ」
「軽いものばかりです。自分で使う分だけでも持たせてください」
 なおも食い下がる彼女の背には、布や衣服が詰め込まれたそれなりの大きさの荷が揺れている。始めは一人で全部持つつもりでいたが、彼女が「あなた一人に持たせる訳にはいきません」と主張して譲らなかったので、しかたなく持ってもらっていた。
「駄目です。ちゃんと今のうちは体力を温存しておいて欲しいんです。だから、気持ちだけ有難く受け取っておきますね」
 前方をちらりと見遣って言うと、彼女は渋々というふうに頷いた。岩に囲まれた参道の先、連なった門のような柱の向こうに、聳え立つ雪山が見えてきている。
 
 厄災を封印したあと、ゼルダには少しの間カカリコ村で休んでもらっていた。途中からはハテノの家に場所を移したが、あまり無理をさせないよう気を付けていたのは同じだ。
 百年もの間厄災を抑え続けていたことの消耗は計り知れない。それでも彼女はかなり元気そうだった。村の中を歩き回り、高台の研究所に出掛けてはプルアと色々と話をしている。近くの野原にはちょくちょく出掛けていたし、カカリコ村にも何度か足を伸ばしていた。
 それで彼女の行きたいところを訊いてみたとき、彼女は少し考えて、ぽつりと「ラネール山に」と答えた。
「他にも沢山あるんですが、まずはそこに行きたいです」
 いきなり雪山は体を悪くしないか、とは思ったが、彼女たっての望みとあれば拒否する訳にはいかなかった。準備を万全にし、暖が取れる服を荷に詰め込んでここまで来た。
 彼女にとっては二度目の場所だ。昔、自分も彼女と一緒にその山を上って、そして降りてきた。その道中のことはまだ思い出せていない。山を降りてからのことだけが記憶としてあった。

「あまり知る人は少ないですが、ラネール山は古くは霊峰とも呼ばれて、あの世に近い場所ともされていたそうです」
 少し坂になっている道を上りながら、ゼルダが言う。
「今は誰ともすれ違いませんが、昔はこの辺りもそれなりに人が通っていたそうですよ」
 頷きながら話を聞く。そういえば旅をしている画家の男がそんなことを言っていたような気がする。
「山に参拝する人もずっと多かったそうです。それで広場やこういう通路の脇で、商いをしている人もかなり居たのだとか。食べ物を売る人や、天幕を張って休む場所を提供する人……市が開かれることもあって、かなり賑わっていた」
 目を向けると、確かに道の右手側に崩れているが開けている場所がある。なるほどと思いつつ彼女の方に顔を戻した。
「ただ参拝客は年々減っていたそうです。それに大厄災が近付くにつれて参道に魔物が多く出没するようになったので、開かれていた市はもちろん店も畳む者が多くなっていったそうで……そのうち完全に人の姿が無くなってしまったのだと。カカリコ村のバナンナさんに聞きました」 
 遠出をしなかった分、彼女はよく人から話を聞いていた。相手は主にはインパやプルアだったが、時々は村の住民と話をすることもあった。護衛として付いてきていたので、たいていは俺も彼女の近くで一緒に耳を傾けていた。
 今のこの国の状況。日々の暮らし。彼女が城で厄災を抑え続けていた百年の間に起こったこと。それらを知っておきたいのだとゼルダは言った。
 厄災の影響は、あの数日を通して数多くの人や家が焼かれたことに留まらなかった。魔物の群れが村を襲い、光線が地を焼いた。穀物どころか食糧になるような植物さえ見当たらない。飢餓によって、また栄養不足に起因する疫病によって、さらに生き残った人々の数は減った。おそらくはそれらに伴う混乱の中で命を落とした者も居たかもしれない。
 そんな話を彼女はただ真摯に聞いた。微かに痛みを堪えるような表情をしつつも、けっして目を逸らすことなくじっと受け止める。ずっと昔の苦しみに寄り添って、触れて、それら全てを一人で背負おうとするように小さく頷く。
(あなたが、あなた一人がそこまで背負う必要なんて無いのに)
 少しだけでも、他の何か、誰かのせいにだってできる。過去のことなのだと割り切ることだってできる。けれど彼女はそれを良しとしないのだ。
 沈黙した骨の一つ一つに花を手向ける。遥か昔に堆積した死と悲鳴をできうる限り掬い上げようとする。近付き直視しようとするほど痛みが増すことを分かっていながら、彼女はそれをやめようとしない。そういえば、何度言ってもかたくなに首を振るのは、百年前からずっとそうだった。
 
 参道の東口に来たところで、ゼルダがふと振り返って北の方を見た。城のある方角だ。ここからでは岩に遮られて何一つ見えない。どこかで小鳥が囀り、ばさばさと飛び立っていく羽音が聴こえた。
 軽く息をつき、また山に向かって歩き出す彼女に従って足を進めた。警戒していたが、前に倒してから赤い月が昇っていないのもあって魔物の姿は無かった。白樺の木々と野の花が風にさわさわと揺れているばかりだ。
――真っ白な布に身を包んで、清めの泉に身を浸してから上っていくんです」
 岩に座ってもらい、靴に鉄かんじきを取り付けているときに、彼女が呟いた。
「はい」
「俗なる汚れ……卑しい私欲を水で濯ぎ、雪の冷たさで、魂を清らかなものに澄ませていく。女神に声が届くほどに」
 清らか、という言葉に引っ掛かりを覚えながらも頷いた。言葉が続く。
「罪を悔い赦しを得ようと欲する者、女神の手で願いの成就を欲する者。特に強く願う者は、無垢な姿で、細かく定まった手順を踏んで進んでいく必要があるんです。小さい頃、そう教わりました」
「それを目的としない者は?」
「特には定められていない、と」
 かんじきの帯をしっかりと締め終わり、彼女の足をそっと地面に降ろした。次いで自分の靴に同じものを取り付ける。
「出立する前にも同じことを仰ってましたよ」
「ええ、分かってます。ちょっと今言ってみたくなっただけです」
 彼女が息を吐くようにふっと笑い、立ち上がった。荷物の中から厚手の外套を取り出して手渡すと、彼女はそれに腕を通して前をしっかりと閉じる。他の地域では少しずつ暑気が強まりつつあるようだが、雪山の厳しさは時期によってそう大差は無い。なるべく肌を出さないよう、体温が奪われていかないように布を重ねて着込んだ。
 雪の積もる道を彼女と一緒に歩き出す。靴に付けた歯は凍った雪の上でも滑りにくくするのが主な目的で、積もった雪に足を取られるのを防いではくれない。雪の上での歩行に慣れていない彼女の様子を見ながら、歩調を合わせて隣を歩く。特に急ぐ必要は無い。
 さほど積もっていないところは下の石畳が露出していた。それが靴の歯に圧されて軽い音を立てる。石段に変わった地面を蹴り、傾斜の厳しくなった斜面を登っていく。二人とも無言だった。氷の粒を含んだ風が強く吹いていたから、黙ってさらに彼女の近くに寄った。
 雪が降る。石段と土を白く覆っていく。誰が言ったか、土の中で眠るものたちに毛布を掛けるように積もるのだ。

***

 厄災が封印されて間もなくして、古代の遺物はその全てが乾いた泥のように崩れていった。
 塔も、祠も、機械仕掛けの兵も、一様にがらがらと細かい欠片に分かれて地面に落ちる。いつだったか、彼女とカカリコ村に向かう途中、ハテノ砦でロベリーの姿を見かけた。なにしてるのと声を掛けると「拾えないかと思って探しに来た」と彼は答えて、やはり残っとらんか、と息を吐いた。
 大厄災のとき、骸さえ拾えなかった、拾われなかった者も多いのだと聞いた。
(英傑の皆のものも、小さな骨くらい拾えたらよかったな)
 命を落としたのが神獣の中だというなら、もしかしたらそのどこかには残っていたかもしれない。百年という長い年月の中で塵になってしまっただろうか。
 神獣たちは、ほかの遺物が崩れるよりも早く姿を消していた。それを族長たちからの手紙で知った。
 火口に入って溶岩に沈んでいった。湖に溶けていった。ある雪の日に翼を広げてどこかへ飛び去っていった。
『俺たちゴロン族は岩から生まれるんだよ』
 ダルケルが言っていた。いつだったか、ミファーが『今日も水が綺麗』と嬉しそうに呟いた。
『私たち、生まれてから老いるまでずっと水と一緒なの。たぶんその前も、その後も』
「もう主というのか、繰り手が居ないのに動くのが不思議なものだ」
 ルージュは手紙でそう書いていた。彼女の街近くに居た神獣は砂漠に降りてきた。座って首を降ろしてから、崩れて流砂の中に消えていったのだという。

「ウルボザが、私に話してくれたことがあるんです」
 神獣についての手紙に目を落としながら、ゼルダが独り言のように呟いた。
「砂漠では風と砂が地上の全てを攫って朽ちさせてしまう。けれど、砂が流れ落ちていく先には……砂漠の下に落ちたものだけは、けして朽ちずにずっと残っていくんだと」
 いくらかの砂と共に、生きているものの足の下に埋まっている。堆積したものたちが誰にも知られずにどこかで眠っている。
 知らずにその上を歩いたかもしれないし、これから歩くのかもしれないと思う。

***

 山道にはそれなりに傾斜があって、ゼルダの息が上がってきたのに気付いたら少し岩陰で休息を取った。魔物は流石に以前よりも減っていたが、氷の魔物は時々こちらに寄ってきたからそれも倒す。彼女に山の側を歩いてもらいながら、周囲に魔物の気配が無いか意識を研ぎ澄ませつつ進んだ。
 彼女がいっそう首巻きの中に顔を埋めたのは、だいぶ上に来て周りの木々も少なくなってきた辺りだった。ここまで来ると風を遮るものがほとんど無い。
「寒いでしょう。もっと布を足しますか」
 言うと、彼女はこちらをじっと見た。少しの間ののちに小さくこくりと頷く。
 あなたはそのままで、と言い、彼女の背から荷物を下ろして布や服をいくらか取り出した。羽が織り込まれた布を彼女の首に巻きながら、ふと、ずっと昔にも同じ問いを口にしたのだろうか、と思った。彼女がいくらかほっとしたように白い息を吐く。
 そこからもしばらく歩いて、道を上り切った先に、ようやく泉が見えた。
 天に向かって収束するような形の氷柱に囲まれて、雪と同化するようにして女神像が佇んでいる。
 彼女と二人、水が流れる横を通って台座を歩く。女神像に近い台座の端まで来たとき、彼女の袖を軽く掴んだ。彼女が振り向いて笑う。
「入りはしないですよ。そう約束しましたし、……もう終わりましたから」
「あなたならやりかねないから心配なんです」
「大丈夫です。ただ、ちょっとだけ、水に触ってもいいですか」
 彼女がそう聞いてくるので、そのくらいなら、と頷く。
「滑りやすいですから、水に落ちないように気を付けてくださいね」
 はい、と答えながら、彼女が跪くように水の側に座った。左手の手袋を脱いで指先を水に近づけて、水面に触れる。たぶん、息を呑んで見ていたのだと思う。流れる水の音が遠ざかり、降っている雪の一片一片がはっきりと目に捉えられた。
 静かにゆっくりと、透き通った水の中に手を半ばまで入れる。泉に入るため、足を水に差し入れるときのように。
 水に浸かった手のそばに雪が何片か舞い落ち、水面に溶けた。
……姫様」
 待ち切れずに呼ぶと「大丈夫です」と声とともに手が水から上げられる。ぽたぽたと水滴を垂らす手を布で包み込んだ。白さを増したように思える肌を布の上からさすり、自分の手袋を口で噛んで脱いだ。自分の手でじかに彼女の手を覆う。
「手袋付けます、付けますから。ちょっと触っただけじゃないですか」
 彼女が苦笑して手を握り返す。確かにそこまで冷たくなってはいない。たぶん、百年で俺は相当堪え性が無くなったのだろう。

 彼女が胸の前で手を組み、頭を垂れる。目を瞑って祈りを捧げる。
 その少し後ろで同じように手を組みながら、ただ女神像を見ていた。
……祈りって、どこまでがそう言うんだろうか)
 よく知っている祈りは、例えば目の前の彼女や、祠に居た導師たちが行っていたものだ。自分の何を捧げても、全ての人々や国のような大いなるものを救ってほしいと、女神や何かに声を届けること。あるいは普通に暮らす人々が像に毎朝行うように、誰かの幸せを叶えるように頼むようなものなのだと思う。
 女神の声を聴くことができる。聴けるからこそ、何を思うべきなのかよくわからなかった。たぶん思われているほどにそれらが全てを救える訳ではないのだろうとも思っている。
 だからきっと、おそらくは、自分の祈りは他のひとのそれとは違うんだろう。改まったものでも、私欲の濯ぎ落された透き通ったものでもない。
(これからもできる限りでいいから、頼んだ)
 祈りといえるのかわからないそれを、強く思う。答えは帰ってこない。
 頭上を見上げた薄墨色の空を、天と地の間に横たわる空間を埋めるように雪が降る。その二つの境を曖昧にするように降るのだと思った。彼岸と重なるところと言われる山の、頂上にいま自分たちは居る。
 ――全ての魂は女神の元に還るのだったか。
(それと、そちらにいるひとたちにも、よろしく)
 伝えて顔を上げる。女神像はただ静かに微笑んでいるだけだ。
 前を見ると、ちょうどこちらを向いた彼女が頷き、立ち上がった。


 帰り路も、行きと同じようにして降りていった。
 下りでいくらか余裕が生まれたのか、彼女は布をしっかりと被りつつも、雪の中の植物や鳥を興味深そうに見て何言か声を上げた。
「たぶんマシロバトですよ、ほら、今飛んでいった鳥です」
 ふと左に視線を向けると、白く霞んだ水平線が見えた。さほど遠くないところに海が広がっている。そういえばこの場所は国の端にも近いのだった。
 あの日、泉から帰る途中、彼女はどこに視線を向けながら道を下っていったのだろう。その時のことを少しでも覚えていれば、何か彼女に掛けられる言葉も増えていただろうか。そう思いつつ彼女を見ると、思っていることを見透かしたように微笑まれた。大丈夫ですよ、というように頷かれる。
 一つ、一つ、転ばないように、滑らないように石段を下りていく。
 不意に彼女が、あ、と声を溢して道の端へと顔を向けた。夕日が差し込んでいる方に歩いていく。彼女が足を滑らせないよう半歩前に位置取りながら進むと、視界が開けた場所に出た。
 近くの山の稜線の向こうには遠くの山々の影が見える。小さいが城も辛うじて見つけられた。森や川が息づいている。人々が暮らす村や里も、今見えている中にある。
 視界の端で、彼女も自分と同じものを見ているのが分かった。
 夕日に彩られた睫毛の下で、ふと、翠の瞳が遠くに向けられたのを見た。澄んだ強い眼差しがまっすぐに先へと伸びている。照らすように、掬うように。
 彼女が気付いたようにこちらを見て、ふっと目元を緩ませた。彼女に向けて手を差し出しながら口を開く。
「帰りましょう」
 言うと、彼女は僅かに目を丸くした。遅れて気が抜けたように柔らかく笑い、手を伸ばす。
 背中の荷に比べれば遥かに軽い、けれどたしかな重みが手に乗った。