キョウビ
2026-06-20 01:08:45
4766文字
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古い血の奇襲

炎天下の中変な人に絡まれる話。
店主さんの名前と方向性がやんわりと定まったような、定まらなかったような。

……暑い」
 仁織は喉から搾り出すように言った。住宅街に面した道路に照りつける日光は今日が猛暑日だということを嫌でも思い出させる。長い黒髪は炎天下の日差しと相性がいいとはお世辞にも言えず、触れば火傷しそうなくらいの熱を持っていた。右手には骨が不自然に曲がった傘。……何故こんないい天気の日に限って日傘が壊れてしまったのだろうか。日光を浴びただけで死ぬなんてことこそないが、それとは別に現代には命を脅かすような危険が存在しているようだ。熱中症というものはつくづく恐ろしい。
 コンビニでアイスでも買って帰ろうか、いや途中で溶けてしまうか、と考えをぐるぐると巡らせていると、前方の曲がり角から一人の女性がコツコツと靴を鳴らしながら現れるのが見えた。
「あらら?」
 彼女の方も仁織を認識したのか、足音を止めてまじまじと見つめた。黒い目、肩より上の高さで横一文字にばっさりと切った茶髪、短い丈の紺色のワンピース、年齢は十八、九といったところだろうか。
「こんにちわ、お兄さん」
……こんにちは」
 笑顔で手を振る彼女とは対照的に、仁織は怪訝そうな表情で見つめた。
「すまないが何の用だろうか」
「そうだなぁ……私はまゆり、和崎まゆり。貴方に少し尋ねたいことがあって」
 コツリ、コツリとまゆりは近づく。
「お兄さんは、人間?」
……初対面に対して急にその質問はどうなんだ?──聞かれるまでもなく、俺はごく一般的な人間だよ」
「あははぁ、どこまで本気なのか」
 より警戒心を増す仁織に対し、やはりまゆりはへらりとしている。そしてとうとうまゆりと仁織との距離は人一人分にも満たないほどになってしまった。
「暑いよねぇ、今日。お日様もてりてりで焼けちゃいそう」
 と、次の瞬間見上げるまゆりの表情から笑みが消えた。
「口開けろ」
「えっ」
 まゆりの豹変ぶりに仁織はただ驚き、声を発した。彼女の目は現代社会ではなかなか見ることのない、明らかな敵意を映し出している目だったからだ。そして彼女はその瞬間を見逃さなかった。
「そい」
 まゆりは左腕を振り、そのまま仁織のわずかに開いた口に──その指を勢い良く突っ込んだ。
「──!?」
 異物の入り込む恐怖、抵抗。混乱した思考のまま、仁織は反射的にまゆりを突き飛ばした。まゆりは後方にふらっとよろめく。仁織はごほごほと咳き込んだ。
……噛んだりとかはしてこないんだ、意外」
 彼女はそういうと、すうっと両手を上げた。カッターナイフが握られていた。そしてカッターの刃を添えたもう片方の指からは、たらりと血が垂れていた。
「他人の負傷した指を口に突っ込まれたときって、何で訴えるのが正解なんだろうな」
「裁判は人間限定でしょ。……それよりお兄さん、体調はどう?」
「──よく見えるか?」
「全然」
 まゆりの言うとおり、仁織の呼吸は不規則に、不自然になっていた。そして、まゆりを睨みつけるその目は、いつもの比でないほどぎらぎらと赤く光っていた。
「何故俺の正体が分かった?」
「あにゃ?ただの勘だよ。違っても怒られるだけだし。それに、私の勘は大体当たる」
「それは怖いな」
 言っている間にも、視界がちかちかと明滅しているような気がした。
「変だなぁ。人の生き血に飢えてる奴なら大抵はすぐに本性現すんだけど、お兄さんはずいぶん我慢強いんだね」
「俺が何年そうやって生きてると思ってる」
「一年ぐらい?」
「残念、二百年だ」
「嘘、馬鹿にしないでちゃんと教えてよ」
「あー、そうか……事故含めたら五年」
「わあ、私の聞いてた最高記録が軽く抜かれた」
 まゆりは会話の最中、持ち運んでいたと思われる水で血を流し、指に絆創膏を巻いていた。
「お兄さん、名前なんていうの?」
「工藤仁織。──というかそれ、危ないから本当にやめといた方がいいぞ。衛生面的にも、身の安全的にも」
 仁織がそう言うと、まゆりはきょとんとした。
「自分の心配じゃなくて、同族の心配じゃなくて、私の心配をするのか。これはただ単に間違えないように、あるいは正当防衛を成立させるためにしてるわけで……
「同族とかよく分からないことを言うんだな。最初から言ってるが俺は人間だ」
「はあ。ここまできてそれはそれは白々しいがすぎるんじゃないかな……まぁ本人がそう言うんなら、今回は見逃してあげる」
 特別だからね、とまゆりは仁織を指差した。
「でも、誰かに危害を加えるようなことがあったら我が家の家訓に則り容赦はしない。私がこの街にいる間はせめて大人しくして」
「言われずとも。それと、完全に俺が被害者であることを無視していることには目を瞑ってやる」
 仁織が笑うと、まゆりはひぃぃと肩を震わせた。そのままくるっと振り返ると、小走りで駆け出した。
「じゃあね仁織さん、今度会ったときはカフェラテでも奢ってもらおう!」
 手を小さく振りながら、まゆりは曲がり角の先へと消えていった。
「何で俺が奢ることになってるんだーー」
 まゆりの背中に仁織は叫んだ。やがて彼女が見えなくなると、仁織はほっと息をついた。
「無茶苦茶に意味の分からない人だったな……。なんか全然俺のことバレてたし。また会う機会なんてない方がい……
 ぐらりと立ちくらみ、仁織は塀に手をついた。陽の光は全身をじりじりと焼くように熱く、視界がぐらぐらと揺れている。
「あー……限界か……
 仁織はそう呟くと、片手で日差しを遮りながらもう片方を塀伝いに日陰に潜り込み、そのままへたり込んだ。
「あいつ……無責任がすぎないか……
 朦朧とする意識で、仁織はスマホに表示された通話ボタンに触れた。
「コーヒー奢るならあっちだろ多分……
 もはや自分が何を言っているかもよく分からなくなってきた。

「ほーい。……どうした仁織。…………おい仁織!電話かけてきておいて放置するのはピンポンダッシュと一緒だ!なんか言え!」

 
────
 

「店長、店の奥ちょっと借りるぞ」
「電話に出たかと思ったら急に出て行ったからびっくりしたよ。いいけど流歌、何に使うのってうわぁ」
 欠伸をしながら店先へ出た安心院泉樹あじむ いずきは目を丸くした。目の前にはぐったりと苦悶の表情を浮かべる仁織と、彼に肩を貸しここまで歩いてきた流歌の姿があった。
「どうしたんだよこれ」
「分からない。急に電話かかってきて、行ってみればこの様子だったから」
 流歌はよいしょよいしょと奥の部屋へ行き、畳の上で仁織を下ろした。冷蔵庫からポカリのペットボトルを取り出し、頬にぴっと押し当てた。つめたっ、と仁織が肩をびくつかせる。
「重かった」
「──すまん」
「店長、ごめんだけど仁織のこと診てやってくれない?ただの熱中症ならまだいいけど、そうじゃなかったら……
「はいはい、任せときなさい」
 不安げに仁織を見下ろす流歌に、泉樹はこくと頷いた。泉樹もその場に座り、胡座を組んだ。
「それでも飲んで身体冷やしながら答えてな。悪化しかねない」
「有り難く頂きます」
 仁織は額に当てていたそれのキャップを開け、ごくりと一口。いつもより少し甘く感じられた。
「で、誰に会った」
「誰、とは……
「だーかーらー、お前がその状態になった原因にあたる人間が誰かって」
 泉樹は仁織の目を指差した。数段濃くなった、赤色の目。
「──和崎まゆりという女性だ」
「そいつに何をされた?」
「彼女は自分で指を切り、血が流れたのを、その、こう……
 少し気まずいんだ、と言葉を濁し、仁織は自分の指を口元にすっと当てた。それを見て泉樹はあからさまに顔をしかめた。
「それは、気まずいな……
……あのときは気分が悪すぎてあまり気にしていなかったが、落ち着いたのか今にきてだいぶ応えている」
「変な人だな」
 流歌が呆れたように言った。変、で片付けていいものなのだろうかと疑問にも思うけれど。
「でも実際のところ、そんなにダバダバ飲んだ訳ではねぇんだろ?」
 と泉樹が聞く。
「ああ、すぐに離れたから多くてもせいぜい二、三ミリとかだと思う」
 仁織は答えた。感覚はほぼ無いに等しかったため、もっと少なかった可能性だってある。
「その程度であればお前の変化が俺らの目に見えるほど戻ることはないはずだよな。大体は吸血衝動が短期残るぐらいで」
 仁織は頷いた。
「和崎まゆりは『我が家の家訓に則って』と言っていた。もしかしたら……
「もしかしたら?」
「ハンターの家系の人間かもしれねぇってことだよな。日本だと鬼狩りって言ったほうが良かったっけか」
「ああ〜実際にいるんだ現代に」
 泉樹の言葉に流歌はパチパチと数度瞬きをした。
「流石に現代だと末裔って言ったほうが正しい奴らの方が多いだろうけどな」
「呼び名は何でもいいと思うが……おそらくそうだと思う。あと、それなら俺のこの状態にも説明はつく」
「ハンターの人の血はそうじゃない人間とは違うってこと?」
 流歌の疑問に仁織はそうだなと少し考えるようにして話した。
「厳密に言うと人間側に違いがあるんじゃなくて、吸血鬼側の反応に差があるんだよ。長命とはいえども、世代を経てもなお同じように自分達を討ち取ろうとする人間達は、彼らにとって十分に脅威たり得た。だから吸血鬼という種族は変化した。俺たちの肉体は、彼らの血を闘争のシグナルとして認識する」
 仁織はため息をつき、一呼吸して続ける。
「おかげで吸血鬼がハンターの血を摂取すると、普通の人間の血の何倍もの効果が現れる。身体能力とか、餓えを回復させるとか。極限まで高められた生存本能のようなものだ。……俺からしたら嫌で嫌で仕方がないが」
「あーだからか。血を断って久しい仁織の身体はそれでびっくりしちゃったってことだね」
「そういうこと。──ところで泉樹さん、これっていつぐらいまで続きますか?」
 仁織の問いに泉樹はそうだなぁと腕を組んだ。
「摂取した量自体は少なかったはずだ。先方もお前のそれが長く続くことは本意ではないと思う。だからそうだな──長くて五日ってとこか」
「まだそのぐらいなら……ひとまずその間は自宅で大人しくしておくことにします」
「仁織はほんと難儀だなー。五年ぐらい前だっけ、『頼まれて他人の腕に止まった蚊を叩いたらめっちゃ血ついた』って物凄く焦りながらここまで来たことあったよね」
 懐かしい、と流歌は言った。
「なんでそんな恥ずかしいことをぱっと思い出してくるんだよ……
 仁織は額に手を当てた。流歌は更に面白く感じたのか、その場でけらけらと笑い転げた。
「まあ何かあったらここか、夜ならバーの方に来てくれたらいいよ。流歌か俺、どっちかはいるだろうし」
 そう仁織に言う泉樹を、流歌はじっと見た。
「──すごく今更だけど、店長ってほんとは何者なんだ?」
「俺か?そうだな、俺は──」
 泉樹はにやっと笑った。
「知ってることが少し多いだけの、ただの人間さんだよ」