ただ、その止まない声が心地よいと思った
故に
拒む必要が無かった
酷く頭が痛い。
血管を内側から突き破らんばかりの痛みは時折目眩まで引き起こし、横にしている体を叩き起こさんとする。
枕の近くに投げ出していた端末を最小限の動きで掴み取り、原因を探る。
手のひらサイズの画面の中に水滴マークがずらりと表示された。
とうとう降り出したか。
分厚い鉄の壁の向こうはどうやら雨。どうりで、常に微かに聞こえている情報取扱用の機材のモーター音に普段とは違う音が混じっているはずだ。
大して妨げにならないその音は、しかし隔てられているにもかかわらず響かせるものがある。
最新の設備を揃えたアーキバス基地内の自室であっても、旧世代型強化人間が受ける天候の影響を完全に切り離すことはできなかった。
対応策が無いわけではない。軽減用の薬は存在する。所持もしている。服用もした。
だが効き目は、現状が指し示している。作用時間もとうに過ぎている。
モニターを睨むことを続けても止めても痛みは治まらず、気を紛らわす為にと酒や娯楽に逃げる気力は無く、寝てやり過ごそうと部屋の明かりを消した。
寝付けない。
ベッドに身を投げ出して、意識が落ちないまま秒針はおそらく百二十周以上はしただろう。その間に微睡みは痛みに押し出され続けていた。
横になるのがつらい。だが、抱えている任務に手を付けるには思考力も注意力も欠けすぎている。無闇に取り掛かるわけにはいかない。
それでも意識を逸らしたいと指先と目は端末の中の文字を追う。
光の中に浮かび上がるのは、新着の任務の件名の数々。指定の情報を上げろだの、特定の内容の調査をしろだの。
挙句にはオバケの噂話を追求してくれという巫山戯ているのかと思うようなものまである。普段ならうんざりするとため息の一つ吐いただろうが、それすらも起きない。
手から端末を滑らせ枕の横に落とす。朝にやればいい。
瞼を下ろし闇に包んでも眠りは訪れそうもなく。
諦めて天井に頭を向ける。足を床に着ける。
無造作に投げて置いていた上着を掴み上げ、袖を腕に潜らせながら、着替えもせずにベッドに倒れ込んでいたのだと自覚した。手袋すら脱いでいなかったか。
煩わしさで霞みかける思考の中で、のそりのそりと歩を進め、部屋を出る。
静かな場所に
いたい
そうして向かった、灯りの無い格納庫の一角。
腰掛ける先は、今は使われていない天井に程近い壁際の二段構成の足場。
届く非常誘導灯の白い明かりでほんのりと灰色に映る上段は、下段に足を乗せるのにちょうどよい高さを持っている。
反対に格納庫の床から見上げれば、天井と近似の色のように映る下段によって目を凝らして漸く見つかる。その上で機体の整備装置や機械を繋ぐ数々の配線で死角になる。バレンフラワーは優秀な目隠し役だ。
この場所は都合の良い隠れ場所の一つとなっていた。
機体のコックピットとは違い、空気の循環口も近く、吐いた紫煙もそこから逃げて行く。
上着に入れっぱなしにしていた煙草の箱から一本を取り出し、肺に煙を満たす。
規則的に響いてくる換気装置のモーター音に耳を傾ける。
此処でも微かに水跳ねの音が入り込んでいる、外は大層な雨の量なのだろう。
深く、長く、白い煙を吐き出す。
痛みと靄が晴れるのを静かに待ちながら。
だが、静寂というのはあっさりと破られるものだ。
二本目を取り出そうとした手を止め、抜きかけを指で押し戻しポケットに箱を捩じ込む。
息を潜め、聞き取った音の先に意識を向ける。
格納庫の扉がロックに接触を受けたことを告げた。解除を許し、廊下の光を取り込んでいる。
一人の人間の影が室内の暗がりに溶け込んだ。
此処は下からだと見えにくいだけで、見えないわけではない。反射的に下段に乗せていた脚を上げ、壁に寄った。
通常なら誰も来ない時間帯だ。 バレンフラワーに携わる者の行動パターンも警備の巡回ルートも把握している。
誰が何の目的でやって来たのか、複数の想定だけを並べる。現段階では絞り込みもままならない。
身を潜める分、聴覚を主体に使うことになる。靴が床を打ち鳴らす、その一つで距離と方向を判断する。
生憎、酷い頭痛に加え、モーター音や雨の音がノイズとなって聴き取りの精度は下がっている。その気になれば、足音のリズムと反響の聞き分けで誰であるかの特定まで出来るのだが。
耳を澄まして把握したのは、相手の足取りが機体や整備パネルとは違う位置に移動していること。物を取りに来た或いは返しに来たにしては不可解な動きをしている。
音の向かうであろう先に視線をやれば、床から天井に向けて伸びる複数の配管やら水平に沿った溝やらがある『何の変哲も無い』格納庫の壁。
送られてきていた任務に『オバケ』の調査が有ったと記憶している。基地内でちらほらと話題に上がり出している不審な音と関係しているかは定かではないが、どちらかもしくは両方の原因はこの侵入者の事かもしれない。
なにせ、其奴はこともあろうに金属を踏む音を立て始めたのだから。
登っている。
この格納庫には、機体のコアまで行くための階段が幾つか設置されている。壁をぐるりと巡るように通路もある。移動式の昇降足場だって壁の近くに置かれている。
だが聞こえてきたのは、階段を打ち鳴らす足音ではなかった。カメラに映ることを避けるためだろう。
随分と器用なことをする。
非常灯の小さな明かりを避ければ手元すら覚束ない闇の中で、安全とは言えない道を選んだ。暗視に長けた何かを持っている。
登ってくるスピードも意外に速い。慣れている、もしくは計算済みのと見た方が良い。
なるほど、目的地は此処か。
最初に足音の向かう先が今居る足場のすぐ近くである時点で、嫌な位置取りをする奴だ、と眉間に皺を寄せていた。
機体に向かう可能性も考慮していたが、バレンフラワーへの警戒は下げられる。
金属の軋む音。ゴム製ケーブルの撓る音。わずかな息遣い。
近付いてくる。
瞬きの間で視界に捉えた廊下側からの光で浮かび上がっていた人影の大きさ、この運動能力の高さ、そして、漸く聴き取れた吐く息の音でその侵入者が誰なのか予想がついた。
それでも、登ってくるのを待つ。抑え気味の息を完全に止めて。
牙を見せてきた場合を想定し、武器に成り得る物と離脱経路も確保する。
もう音は間近だ。
相手はどう出るか。
目を細め、口を閉ざし、最後の音を聞いた。
「やぁ、オキーフ」
そう呼びかけるかのように、人間の右手が足場の下からにゅっと伸びてきて、ひらひらと振られる。
敵意は無い、との意思表示だろう。
少し間を置いて、その手は足場を掴み、ひょこっと頭から肩までを突き出した。
「こんな所に居たのか」
いつもより控えた声量で話しかけて来たのは、下から伸ばした手の主であるラスティ。
非常誘導灯の明かりでぼんやりと浮かぶ、人懐っこい笑顔。想定した人間の登場だ。
はぁ、とオキーフは息を吐き出した。
肩を僅かに下げて、肺に酸素の取り込みを再開する。
同時に頭痛も戻ってきて瞼が下がり眉間の皺を深めてしまう。
明らかに顰めっ面になっている人の顔を見た程度でラスティが引き下がるはずもなく。
「すまないが、手を貸してくれないか?」
堂々とこちらに寄って来たいと示してくる。
彼の目を直視して、そして、きっぱりと言い切る。
「そこまで登って来たのならば自力で上がれるだろう」
見上げてくるラスティの、月と同じ色を持つ瞳がいつもより輝きを強く湛えている。
今日は『満月』の日でもあった。
ラスティがルビコンⅢの月とされている星の満ち欠けに時折左右されることをオキーフも知っている。
休まる場所を求めていたのだろう。自室に転がり込んで来ては人のベッドで身を丸めておとなしく寝ていることが屡々あった。
下手に此方を狙ってこないと見越して、勝手に入って来いと促す。
手助けを断られたラスティが軽く笑い声を上げ、弾みを付けて体を登らせる。
成人男性二人が並んで座るには少々狭い。 座る位置を浅く取る。これだけの幅があれば暴れない限りはお互い落下もしないはずだ。
背が、僅かに重くなる。
「休憩には、もってこいの場所だな」
周囲を眺め終えたのだろう、座ってから一呼吸置いてラスティの明るく振る舞う声が届いた。
「此処に辿り着いた奴は、お前が初めてだ」
追跡力の高いこの男が此処を嗅ぎつけてくるのは時間の問題だとは思っていたが、お互い本調子でない時に来るとは、少々意外だった。
雑音に紛れた吐息の音に微かな異音も混じっている。随分と無茶な経路を使ったものだ。
倦怠感に抗う為に過度な動きを選んだ
…というのが妥当か。背を撫で髪を梳いても呻くだけで目を硬く瞑ってるパターンもあるのだから、此奴も難儀なモノを抱えているものだ。
「そうか」と相槌を打つだけの方が楽ではあった。
それでも、頭痛を増長させるような声ではないし、手足以外であっても動かさせられる方が今は良いだろう。
「それは光栄だな。記念に、フィーカを共にしても?」
ラスティの言葉は、足場の角付近に置いていたフィーカのカップを示している。
「何も、口にできる物を持っていなくてね」
此処にどうやって来たのか、別ルートに対しての探り。
確かに、ラスティの使った経路ではカップを持ってくるのは不可能ではないが容易でもない。
率直に教えるつもりは無い。頭痛は未だ思考を圧迫している。喋ること自体が億劫になる程に。
だが、この会話でじゃれついてくる狼はそもそもが好奇心旺盛だ。その上で今の動きたがりを放っておけば身を乗り出しかねない。
上着のポケットから取り出した煙草の箱を向ける。一本を飛び出させて。
「これで大人しくしろ。諸共落下したくなければな」
足場は狭い、並んで座るのはできそうにない。顔を向け合うのも難しい場所。
顔を向けずとも、重なりからの揺れが笑ったのだと見せてくる。
背後から聞こえる、紙が流れるように擦れ、金属が打ち合い回り、長く穏やかに息を吐く、音。
雨の響きと機械達によるカモフラージュの中で。
薄暗く限られた足場の上、角を境に背を向け合う。
伝わるのは預けられた重み。二人分の息づかい。
紫煙が光りを拾って白く白く、宙に登り逃げていく。
言葉は無く、ただ静かに睫毛を伏せる。
グレースケールのひと時に浸る。
一人で
いたかった
はずだった
ぽつりぽつりと雫が打ち付け音を立て始めるように声を紡ぎ出すラスティ。
「貴方は、今基地内で噂になっている、オバケの話を知っているか?」
返答はしない。必要としていないのは此奴の方だ。
「何でも、妙な音が近づいてくるのに、原因となりそうな物は、どこにも見当たらないらしい」
聞いても答えても無いのに話を続けてくる。まだ気を紛らわせたいのだろう。
「かく言う私も、一度その音を聞いたことがあってね
……」
ラジオのように流れてくる言葉の数々。尽きぬ話題の独り言。抑えた速さで騙るように語る。
その声が、酷く心地良い。
時折、けらけらとした振動を背に受ける。
「
……貴方の『これ/煙草』は、味も香りも良いな」
一拍置いて、話題が切り替わった。
「取り寄せ品だったな、安くはないだろう?今度、私の取っておきを用意しよう」
毎度吸っている傍でわざとらしく物欲しそうにしていたのは、どこのどいつだったか。
時々くれてやっていたのも、どこのどいつだったやら。
「安心してくれ、星外の、規格をクリアしたものだ。前の
……この星の物は不評だったからな」
そうやって、まとまらない思考に過去の記憶を引っ張り込んではどうでも良い事を考えさせてくる。
痛みでもわもわとした綿のようになっている意識が、満月の瞳を携える人間の声という糸車に掛けられ糸のように収束していく。
自然と聴き入ってしまっている。指に挟んだ火を忘れそうになる程度に。
「煙を
……」
一つ間を置いて、ラスティが声のトーンを微かに変えて。
「このルビコンから遠い星にある祈りの一つに、煙を炊くものが有るらしい」
少し上に向けてまた別の話題を持ち出した。
「なんでもそれは、祈りを届けたい相手の食事になるそうだ」
何を思い浮かべているのか、想像することは止めておいた。
「私は、食べるなら『これ/貴方の煙草』が良い」
想いを振り払うかの如く明るめな声音で告げられた言葉。冗談にしては随分と本気に聞こえる。
よく食べるこの男の事だ、存外、冗談ではないのかもしれない。
……本気かもしれない。
「贅沢だろう?」
伝聞から伝聞からを重ねて歪曲した内容をしっかりと聞き入って、長めに息を止めてしまっていた。
なんともお前らしい考え方だと可笑しくて。
クッと一つ喉を鳴らし、そんな思いごと、紫煙を吐き出した。
「あぁ、贅沢だ」
こうやって笑えることに対しても。
二本の煙が、薄く、細く、そして途切れるまでの間。
「食感が良いと評判の、エッグワッフルの店があるんだ、今度共に行かないか?」
「考えておく」
「タキガワハーモニクスが、パルスシールドの改修を行うそうだ。なんでも、EN負荷を抑えられるらしい」
「検証の候補日は出せるな?」
ラスティが話し、オキーフは言葉を返して、時折静寂を味わって。もう少しだけと火を点けて。
いたい
そう思った感覚はどこへやら
薬よりも余程効くじゃないか
数本目の紫煙は途切れ、響いていた雨も止んでいた。
雨宿りの時間は終わりだ。
今ならば少しは眠れそうだ、仕事は起きてから対処しよう。
軽く前に身を傾けると、預けられていた背の重みがそれを察して離れていった。
空のカップを手に持ち、ゆっくりと立ち上がる。
「また、此処に来ても?」
良いか?とまでは言い切らず、ラスティが返事を待つ。
「好きなようにしろ」
それだけで充分伝わると知っている。
「オキーフ」
ラスティの呼びかけに一歩進めた足を止める。
「オバケという奴は、自分がオバケなのだと、気付いていないことが大抵らしい」
言葉の意味をもう一度確かめるように、ゆるりと振り向けば、ラスティが笑顔を見せている。
「ごちそうさま」
彼奴は吸い差しを掲げた。
「あぁ」
とだけ返した。
ラスティがあの場所に現れたことによって。
痛みは消えた。
オバケも消えた。
灰皿には多弁花の吸殻、カップには冷めきったフィーカ。
あのひと時のことが幻だったかのように忙しない日常に戻った。
一人、モニターに目を凝らす。
あの時、気付いた。
ラスティが伝えたかったことを。
だが応えなかった。
踏み込む必要がなかった。
故に、俺だけがあの場を先にした。
うんざりする、と声を零して。
もう一本、紫煙を上らせた。
エンド
「ならば『俺』付けてやる。それで腹何分目だ?」
↓ラスティ視点(後編)
https://privatter.me/page/6a315752cb744
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