清春
2026-06-14 22:55:18
11849文字
Public ORcinus
 

食べ物とバルマラ(アレエリ)シリーズ

1~焼きマシュマロを食べるアレエリの話
2~パンケーキをルビとファルに作ってもらい食べるアレエリの話



綿雲を食む

「パンケーキ、おいしそう」
 ぼそりと呟かれた言葉がきっかけだった。
 バルバリッチャ専用の事務室にて、マラコーダが書類整理を手伝っていた時に起きたことだ。
 ただの独り言か。マラコーダが座るソファーの目の前にあるローテーブルへ乱雑に置かれたチラシ類の中に、新装開店したカフェのチラシが混じっていたのか。はたまた報告書内にそのような記述があったのか。
 確か今マラコーダに任せていたのは、スカルミリオーネの報告書だ。特記事項欄に「巡回した時に昼食をカフェでとった。パンケーキおいしい」などと書いていたのだろう。
 しかし、あのマラコーダが食べたいものを明確に指定していたことに、驚きを隠せずにいた。
……パンケーキ)
 バルバリッチャが片眉を持ち上げて、考える。なんの気なしに放たれた言葉が、やけにこびりついた。珍しいな、と口からこぼれそうになるくらいだ。
 パンケーキが脳の片隅に残ったまま休憩時間になる。書類整理で疲れ果てているマラコーダを引きずるように連れて、コーヒーをいれるために給湯室へ入った。
 そこには既に先客がいて、どうやらルビカンテとファルファレルロが何やら棚を見ているところだ。
「休憩か」
「そうなんですよ〜でもお昼持ってくるの忘れちゃって。室長も忘れちゃってたみたいで」
「うっかりしてて……それで、何かあったかと思って来たんだ」
 バルバリッチャが声をかけるなり、ルビカンテとファルファレルロは軽く頭を下げて気さくに返事をする。
「何かあるか? 簡単なものならあるかもしれねえけど……
「パンケーキって、作れる?」
 バルバリッチャが言い終わるよりも先に、マラコーダが前のめりになって、ルビカンテとファルファレルロを見つめて聞いた。
 まさかマラコーダから食の話が出ると思わなかったのか、二人は目を丸くさせている。
「パンケーキ? まあ材料があれば……なんすかボス。パンケーキ食べたいんすか?」
「うん」
 こくりと頷くマラコーダの目が、いつもと比べていくらか輝いた。ルビカンテはふ〜んと生返事なのか曖昧な声を漏らすが、その目が冷蔵庫の中を見ているファルファレルロの方へ向く。
……室長〜、材料ありそうです?」
「今見てるが……さすがにないな」
 棚から目を離したファルファレルロは首を横に振った。
「ですよね〜。じゃ、あたし近くのスーパーまでひとっ走りしてきます。副官、領収書貰ってくるんで経費で落としてくださいね」
「それは構わねえけど……なんでわざわざ」
「ボスが珍しく食べたい物、言ったんで」
 真っ直ぐで、清濁といった混じり気のない言葉。ルビカンテの金色の瞳が瞬いて、軽い足取りで給湯室を出て行き、ファルファレルロが「気をつけてな」と言葉をかける様子を、バルバリッチャはただあんぐりと見つめていた。
 確かに、その通りだ。マラコーダから食べたいものを言うことは滅多にない。二十年以上一緒にいるバルバリッチャですら、そんなことは数えるくらいしかなかった。全て食にこだわりがなく、いつも誰かと一緒に食べられるならそれでいいと、受け身の体勢でいる。
……よく見てるし、覚えてるんだな)
 口ではマラコーダのことを「なんすかこの報告書。日付違います。しっかりしてください」「なんすかその服。首元よれよれなボスなんて格好つきませんよ。あたしがボスの座奪っていいんすか?」などと敬っている様子が微塵も見られないが、彼女なりに思いやる場面がある光景が見れて、どこか不思議な心地だ。
 買い物から戻るまでの間、必要な調理器具の用意をして待っていた。幸いにも調理器具なら大して使わないせいかほぼ新品の状態で、必要な物は揃っている。そうこうしていると、パッパと買い物を終わらせたルビカンテがすぐに戻ってきた。
 領収書をバルバリッチャへ渡しつつ「トッピングあった方が絶対いいんで色々買ってきました」と言って、あれこれ袋から出す。何かトッピングがあった方がいいことは同意のため、領収書を受け取り胸ポケットにそのまま入れた。
 給湯室の流し台に卵、牛乳、パンケーキミックス。そしてホイップクリーム、フルーツ、バターに蜂蜜が並んでいく。豪華なパンケーキになりそうな品揃えだ。
「んじゃ、ボスのために美味しいふわふわパンケーキでも作りますか」
「私は先にトッピングを用意しているよ。ルビカンテはパンケーキを頼む」
「は〜い」
 こうして、以前子ども食堂の手伝いをした際に使用していたエプロンを、いつの間にか着用したルビカンテとファルファレルロの二人が、手際よくパンケーキを作り始めた。
 卵を割る音が聞こえたと思えば、泡立て器でカチャカチャかき混ぜる音にすぐ切り替わる。手際の良さは見なくてもわかった。
 二人に任せることにしたバルバリッチャはそのまま椅子に掛ける。そのままマラコーダに目を向けると、とことこ歩いてルビカンテが作っているところへ近づいていた。
「ルビ、何してるの?」
「もー、危ないっすよ。ボスはあっち行って副官とお喋りしててください」
「わかった……
 マラコーダはわかりやすく、しょもりと肩を落としてルビカンテから離れる。そして椅子に腰掛け、テーブルに肘を着いて頬杖をするバルバリッチャの目の前に座って、口を開いた。
「ルビに怒られた」
「邪魔したからだろ」
 嘘偽りない真実を告げると、マラコーダは少しの間口を噤んでから仕切り直しする。
……バル、この間、私が担当した人面犬の噂なんだけど、話していい?」
……報告書待ちしてるやつな」
「正体が、夜な夜な全裸で這いつくばって、犬の鳴き声の真似をしていたおじさんで、それリビコッコも一緒に対応したんだけど、鳴き声の再現性が低いって指導するに至って……あ、もちろん留置所でだよ?」
「報告書を読むのが既に嫌すぎる」
 誰も留置所かそうじゃないかを気にしていない、とは言わなかった。マフィアの抗争の抑止力から変質者の対応にとりかかるマレブランケのなんでも屋っぷりに嘆息し、取り留めのない話を適当に広げていると、パンケーキは完成した。
「ほい、出来ましたよー」
 ルビカンテは軽い調子で、大皿の上に何枚も重ねられたパンケーキをテーブルに置く。薄いパンケーキではなく、ふわっと厚みがあるもので思わず目を奪われた。
「店みたいな出来だな」
「うれし〜ふっくら焼く方法があるんですよ〜」
 バルバリッチャの感心した声に、ルビカンテが歯を見せてはにかむ。
「室長が気づいたら焼く手前の準備までしてくれてあたしほぼ混ぜて焼いただけっすわ」
 そう言いながら大皿より少し小さめの平皿を四枚置いて、パンケーキを一枚ずつテンポよく乗せていく。それでも、もう一巡できるほど大皿に乗っていた。
「ルビカンテの手際がいいから早く終わったんだ」
 ファルファレルロはトッピング類をテーブルに置いていく。ホイップクリームは既に立てられているため袋に詰められている既製品の状態、均一に切り分けられたフルーツ、ちょうど良い大きさで少し薄い四角に切り分けられたバター、蜂蜜の入った容器が並んだ。
「ボスはどうします? あたしがトッピングしてあげますよ」
「えーと、バターと蜂蜜がいいな。あとでホイップクリームとフルーツも乗せたい」
「なら控えめにしときますね〜」
 ルビカンテは慣れた手つきで要望通りのバターを置き、蜂蜜を垂らす中でファルファレルロがバルバリッチャの方へ視線を向けて微笑む。
「バルバリッチャはどうする?」
「悪い、じゃあバターと蜂蜜で」
 トッピングまで二人に至れり尽くせりなマラコーダとバルバリッチャの元には、ふかふかで温かいパンケーキにバターが寝そべり、蜂蜜がとろりとかかった物が用意された。
 四人全員が椅子に掛け、いただきますと告げて、食べ始めた。
 マラコーダはノコギリを扱うかのようなナイフ使いで危なっかしい様子を横目に、バルバリッチャはパンケーキを眺める。
 温かく、分厚くて、柔らかいパンケーキにバターと蜂蜜が染みていた。しっとりしたパンケーキに、ナイフで一口分切り分けてから口に運ぶ。
 素朴な味わいだが、元が甘すぎない生地のためにバターの風味や蜂蜜の甘みがよく合う。なにより————
「ふかふかのふわふわ。おいしいね」
 バルバリッチャが思ったこととほとんど変わらないことを口にした、ご満悦そうに両頬を膨らませるマラコーダが小さく笑った。
……パンケーキとか久々に食ったな」
 なんとなく、同じことを言う気にはなれずに別のことを口にする。バルバリッチャの呟きに対してホイップクリームとフルーツと蜂蜜をふんだんに盛り合わせたパンケーキを食べるルビカンテが頷く。
「西じゃパンケーキよりコルネットの方がよく目にしますもんね。あたしも久々」
「たまにはこういうのもいいな」
 バターとフルーツを盛ったファルファレルロも、うんうんと頷きながらパンケーキを堪能していた。
 普段、なかなかこういう場面はない。今はいない人、外勤に出ていていない職員も労るために、たまにはこういった事をしてもいいのかもしれない。バルバリッチャから仄かに笑みがこぼれる。
「そういや、なんでパンケーキ食べたいなんて急に言い出したんです?」
 するとルビカンテがパンケーキを頬張りながら、ホイップクリームとフルーツを追加トッピングするマラコーダに声をかけた。
 彼女の問いもごもっともで、食の好みがなく、何か食べたいということがほとんどないマラコーダが珍しく声を上げたのだ。気になって当然だろう。
「スカルの報告書にパンケーキおいしかったってあって……
 口の中の物を飲み込んだマラコーダはおもむろに話し始める。バルバリッチャの予想通り、やはりスカルミリオーネだった。
「他の報告書にも、ふわふわしてて綿みたい、とか。ふかふかであたたかい布団を噛んでるみたい、とか」
「食レポが絶妙に美味しくなさそうだな」
 バルバリッチャは冷ややかな視線を送る。
「そう? ふかふかでふわふわっていいなって私は思ったよ」
 だが、マラコーダにとってはそうじゃないようで、きょとんとした顔で柔らかく微笑む。
 マラコーダとスカルミリオーネのセンスは似ているのかもしれない……そう思うと、少し面白くない。ヤケになったバルバリッチャは大きめにパンケーキを切り分け、バターと蜂蜜をたっぷり絡めて口の中へ放り込んだ。
「バルと一緒に食べたいなって思ったから、今日はルビとファルも巻き込んじゃった」
……っは、オレ?」
 思いがけない発言を聞いて、バルバリッチャは口に含めたパンケーキを大して噛まずに飲み込みそうになる。が、なんとか堪え、喉に詰まらせず飲み込んだ。
 目が合うと小さく微笑み、はっとした顔でルビカンテとファルファレルロへ視線を向けた。
「ルビとファルも巻き込んだだけじゃなくて、もちろん一緒に食べたいと思ってたよ」
「いいっすよ、気遣わなくて。あたしは経費でトッピングもりもりパンケーキ食べれて幸せっすから」
「私もこんなに贅沢なの初めて食べたよ。ありがとう、マラコーダ」
 ツンとした表情のルビカンテと、父性溢れた笑みを浮かべるファルファレルロがマラコーダにお礼を告げた。
 ホッと胸を撫で下ろすマラコーダが「二人とも、今日はありがとうね」と呟く。いい職員に恵まれたものだと思いながら眺めていると、またバルバリッチャへと視線が移った。
 先程の言葉を思い出し、少しドキリとする。
「バル、甘いもの好き?」
……まあ、嫌いじゃねえけど」
「よかった。いっぱい食べていいよ。あ、ホイップクリームいる?」
……貰う」
 表情を柔らかくさせているマラコーダからホイップクリームの入った袋を受け取り、バルバリッチャは控えめに絞る。昔を思い出す扱いがムズ痒く、誤魔化すためにまたパンケーキを口に放り込んだ。
「やっぱ疲れてる時は甘いものが染みる〜」
「まだ午後の仕事があるから頑張ろう」
「そーでした……はぁ〜頑張ろ。あ、焼きすぎた分、ドラちゃんとカルくんにもおすそ分けしてきます?」
「そうしようか」
 二人がパンケーキを堪能しつつ、会話を繰り広げている。耳を傾けるバルバリッチャだが、目はしっかりマラコーダを観察していた。
 柔らかい頬にクリームをつけて咀嚼しているマラコーダと目が合う。溜め息を吐いてからポケットをまさぐって、ハンカチを探した。
「なに?」
……ついてる、ガキかよ」
 頬についたクリームは、取り出したハンカチで拭い取る。するとマラコーダは照れ臭そうにはにかんだ。
「恥ずかしいところ見せちゃったね、ありがとう」
……
 いつもなら、今更こんなことで恥ずかしがるほどじゃない、不格好な姿ならいつでも見てる、などと毒を吐いているところだ。しかし、どうもこうも口が上手く動かず、ハンカチをそのまま握りしめて顔を逸らすことしかできない。
 すると、視線の先にいたルビカンテと目が合う。猫のような目を弓なりにして、口角を上げて、何も言わずにパンケーキを放り込んでいる。逸らす先を間違えたと、バルバリッチャは心底後悔した。