2026-06-11 14:30:01
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劇団CATMINT「蛇苺」感想

劇団CATMINT「蛇苺」を観劇した感想です。



蛇苺 感想(2026年6月10日観劇)




良かった。かなり好きだった。
序盤の「うーんなんかちょっとな......」と思って引っかかっていたところが、ちゃんと意識的に演出として「引っかかる」用に作られていたことが終盤鮮やかに明らかになり、この作品の描きたかったものがグッと胸に迫ってくる、いい観劇になりました。


最初、ちょっとうーんと思ったのは、警察官があまりにも法律に無頓着過ぎてwwwえーーこのシリアス舞台で違法捜査というか、刑事訴訟法に対してその認識なのかと思う箇所が多く(私が法律関係の仕事なので)
コンプラというか、まぁ一面ではコンプラなんだけどそうなのか……法的に正当な方法じゃないと裁判で使えないんだからさぁ〜とか思いつつ。
ただまぁフィクションだからね、仕方ない!と受け流していた。その中で序盤に出てきた川端は、あ、この人、法律わかってるな、って喋り方をする。ここから先は警察官という公務員にはできないですよね?というラインをわかっている。
(※私自身は、6月10日のゲスト、鷲尾さんをお目当てにチケットを取っているので、ここに注目しすぎてしまうのは、そういう理由も大きいのですがw)


というか、作品を通じて「犯罪者」の側の方が法律をわかっている。(気がする)(私も別に実務には詳しくないんだけど、思考回路としての法というか)
実際のところも、「悪い人」の方が法律をわかっているというのはよくあることとはいえ、妙に「悪い人」の解像度が高いというか。

逆に刑事の方が、チャンスあれば違法捜査も〜を匂わせたり、監視カメラを隠したり、法律よりも「被害者のため」とか「出世」とか「信頼」とかエモーショナルなことを言い続けていて、まぁそういう「刑事モノ」なのか〜……と割と冷めた感じで観劇してて。
で、あぁ、このお母さん、姫乃、寧々、が当時のメンバーなんだね、実は、ということが段々わかってきて、あぁこういうオチってこと!?と思って、わりと終盤まで、あ〜はいはい……みたいなテンションで観劇。物語が結局ただの「謎解き」に終わってしまうのなら、観劇ではなく謎解きゲームをやればいいので、二つの事件の絡まり合い方については納得しつつも、あーはい、みたいなテンションでは見ていて。


これがひっくり返されて、「ンンンーーーーー好きです、好きですねーーー!!!」になったのがエンドロールの映像の後から。
ちょっとずつ引っかかっていた誰が仕掛け人なんだ?そもそも組織に育てられたお姫様がそんなイノセントなことあるか?をぜーーーーーーんぶ回収するトクリュウ「蛇苺」の存在。
序盤に「なんかこの人、刑事より法律わかってるし、思考が法的だなぁ。警察のあしらい方含めて」と思っていた川端含めてのグル。もちろん弁護士がそこにはいる。わざとらしく中盤で刑事訴訟法を読み上げたのもさもありなん。
と、いうか中盤でわざわざ中国語(?)の台詞があり、あれもステレオタイプな『中国人』の描き方だし、なんていうか......えぇ......と思っていたし、女性弁護士もあからさまにセクシーな描き方だし、なんなんだこの悪趣味感は、と思っていたところ、最後の最後で姫乃サイドの人間と明らかになって膝を打ちました。
最後のシーンでは、弁護士の人、すごくナチュラルに話していて、あぁあの「セクシー悪徳弁護士」はあくまでも仮の姿であり、あの悪趣味な感じはナチュラル偏見とかではなく、「演出」だったんだなぁと。
法律がわかっている人間は、「法律(と、それに従わなくてはいけない警察官)ができないこと」を知っているものだから。


さらに一番心にグッと来たのは、最後に明かされる福井刑事こそが、ひなのちゃんを目撃しており、そして保護できるタイミングで意図的に「今のママ」に逃した事実。福井刑事は「あの時、警察官として正しいことをしていれば」と漏らしていて、おそらくそこでの「正しいこと」は「被害者」であるひなのちゃんを保護し、誘拐犯である「加害者」を検挙すること。
でも、それをしなかった。

「警察官らしく」しなかったことで、ひなのちゃんは「救われた」訳で、はっきり言うとそこには「法」が解決できない問題があり、そして単純な二項対立的な「被害者/加害者」の構図で何かを責めても無意味な問題がある。
それがまさに「蛇苺」の象徴するところである、どうしようもなく裕福な家庭に産まれて身代金も払える白川ねねの家と、ひなのの家の事情。無邪気にママのケーキを食べにきて!と誘う者と、「甘いものは好きじゃ無いの」と返すしかない者、そして蛇苺を食べるしかない者の分断。
誘拐されそうなときに、助けに行くくらいには確かに存在していた友情があり、その後も交換ノートを大事にするくらいには忘れられない「親友」である真実。でも同時に、ママのケーキを食べに行くことを断るくらいのプライドと、それ故の隣にいることの辛さもあっただろう。
そういう無念さ、苦しさと「友情」の味が「蛇苺」。


そして、姫乃は、寧々を「友達」としてアフターヌーンティーに誘うエンディング。しかし、寧々の側は上司に報告して「かかりました」と言う。
ここで、白川刑事は間違いなく「警察官らしい」ことをしている。刑事として、「犯罪者」を捕まえる。この未来はわからない。わからないから、最後に交換ノートが浮かび上がる。とはいえ、少なくとも上司に報告し、「警察官らしさ」の方を取る。


最後まで見ると、序盤に刑事たちが盛んに刑事訴訟法なんて知らねーよ!みたいなテンションでいたこと、わかりやすい「被害者/加害者」の構図で「正義」を語っている様子がハイライトされた脚本と演出も頷ける。
あの刑事たちの中で、あえていえばそういう「刑事らしさ」とは距離を取っていた福井刑事が、まさに「警察官らしくない」行為により、ひなのを救っていた。
だから、物語を通じて随所随所で、主人公の寧々は「警察官らしくならなきゃ」とかそういうクサい台詞を言っていた。あれは、彼女の若さや未熟さを示す台詞かと思っていたけど、おそらく「法」みたいなものとは別のところにある「警察の論理」と主人公の距離を随所随所で示していたのかもしれない。

一方、犯罪集団としての「蛇苺」の側は、法律に詳しく、だからこそ、法では解決できないこと、わかりやすい「被害/加害」の構図ではないことを理解している。(序盤の川端による「刑事さんは俺たちの世界のことをなんにもわかっちゃいない」は、単に警察官をおちょくる台詞かと思ったけど実はラストに通じてた?とも思う)
それがまさに姫乃にとっての「蛇苺」だから。
何が被害で何が加害か。何が「助ける」なのか。その矛盾の真ん中に咲いている無味の苺、蛇苺。


そして、最後の白川ねねが、ひめのからの電話を上司に告げるのは、ひめののアシストによる「成果」を経て、むしろ「警察官らしく」なることの予兆。
皮肉な、「蛇苺」らしい結末。
残酷な分断。美しい「友情」が解決できない彼岸。

ただ、こうやって「警察の論理」と「蛇苺の論理」を対立させて考えてみると、意外と朝永も乱暴に見えて、情報屋みたいなのを泳がせているっぽいし、わざわざ重要な場面でコメディかのような間の取り方で「信頼」って白川の質問に答えていたのは、もしかしたら「警察官らしさ」みたいな論理とは少しズレているのかもしれない。(とはいえ、部下との会話で、自分も出世に興味がないわけではないことをにおわせていたから、だからあの人は警察の人間なんだろうなぁ)
ま、福井刑事以外にも、細かく見ていくと警察の側にも、グラデーションがあるというか......。



いや〜〜唸りました〜〜最後まで観て、ンンン〜好きですね〜〜好きな演劇ですね〜〜!!!!!と大満足の観劇になりました。

それこそ、こういう微妙な、理性や法、あるいはわかりやすい「ハッピーエンド」で描ききれないものを描くのに向いている媒体が演劇だと思うから、まさにそういう題材だった。それに、実のところ序盤ちょっと退屈していたんだけど、最終盤で回収されて、あぁ〜観て良かったー!!になる体験ってやっぱり身体が拘束されている劇場だからこそ可能だし。

個人的に「良い作品」って、感情と理性を引き裂くものだと思ってて。
まさに、法だとか、警察の仕事、犯罪とその被害のような理性をぐーーーーっと引き裂いて、感情の淡いにダイレクトに響く作品でとても良かった。
姫乃と寧々の、友情にも、シスターフッドにも、あるいは刑事&元犯罪者のバディもの、とかの「わかりやすい物語」に回収されない、そこから溢れるものがぐーーっと迫ってくる作品でした。



あとはもうシンプルに私の趣味ですが、秋葉さんのああいう発声、ああいうトーンのお芝居好きだなぁ~と思いましたし、平松さんが可愛すぎて本当に可愛かったです。「お人形さんみたい」って言葉は彼女のためにあるだろって感じ。お姫様みたいに育てられたを裏付けるような可愛らしさと、とはいえ実は組織のボスでしたという結末に相応しい落ち着いたトーンと示すべき情報を選別して開示する思慮深さ。そういうのが滲み出てて良き可愛らしさでした。