清春
2026-06-09 20:50:54
2385文字
Public ORcinus
 

ORcinus [ダンテの手記~ quaderni di Dante

もうひとりの主人公 ダンテの話


1冊目

 線路をガタガタ移動する、鉄の箱をまじまじと見つめながら、ダンテは白い息を吐いた。
 時は冬の頃。寒空の下、というわけでもない駅のホームだが、当然寒い。
 少し伸びた髪がひんやりしていて、顔の冷気に晒された部分は人肌がほんのり残ってる冷たさを保っていた。
 このままボーッとしていてはよくない、と。厚手の上着の下に来ているジャケットの内ポケットに入れていた手帳を取り出して、共に挟めていた小ぶりのペンを握る。
 書きやすさにとにかくこだわって選んだ紙はペン先を滑らせやすい。あっという間に文字が紡がれていった。
 ダンテは出版社に勤める物書きだ。書くことも読むことも仕事として行い、それらを心から愛している。知り合いのツテもあってなんとか好きなことで生きていられることに感謝する日々を送っていた。
「お兄さん、そろそろ列車来るよ」
 そんな物書きに没頭する中、唐突に声をかけられてダンテは面を上げた。
 すぐ側に壮年の車掌が顔を覗いていることに気がついて心臓が跳ねる。小心者の気質があるダンテには十分と言っていいほどの驚きだ。
 ベンチに座って俯き、一心不乱に手帳へひたすらペンを走らせ続ける男がいれば気にかけて声をかけるのも道理だろう。車掌のことを少しだけ哀れんでしまった。気味の悪い男に声をかけさせてしまった、というダンテの自虐がこめられてしまったためである。
 当の男はへらっと口元に笑みだけ浮かべ、その場をやり過ごそうと手帳を閉じて立ち上がる。
「すみません。乗ります……えーと」
「お兄さん、どこまで?」
 しかし、誤魔化そうとすれば頭が上手く働かない。辺りを視線で見回す仕草からどの列車だったのか忘れてしまったことを察された。
 気恥しさから少し赤らんだ頬を人差し指で掻く。
「ディオマーレです」


 列車内は穏やかな時間が流れて、がたがた揺れると心地よくて眠気を誘われた。
 眠気に飲まれる前に、昼食用で購入していたパニーノをもそもそとかじり始める。ペーパーに包まれているため多少食べにくいが、ダンテは器用に頬張った。
「チャオ、ダンテ」
 陽気な声で名前を呼ばれ、思わず顔を上げた。出発は一人、乗車した際も一人、気安く声をかける知人は一人しか思い浮かばず――――
「ウェル」
 一見少女のように見間違う愛らしい顔立ちに反して、背がダンテよりも高く、すらりとした体格の男だ。長い茶髪をなびかせて登場すると、なんとも様になって映画のワンシーンにすら見えた。
「ボクを置いていくとは酷いな」
「置いていったつもりはないよ……寝坊した君が悪い」
「走ったら追いついたんだから寝坊ではないよ。全く、ダンテは時間に追われすぎだ」
「君は時間に追われなさすぎだ」
 はあ、と溜め息がこぼれる。
 不服そうな表情を浮かべるウェル、もといウェルギリウス。彼こそダンテが好きなことで仕事できている恩人、友人……とにかく、ダンテにとって恩義のある人物だ。
 明るく快活で、性格面を見れば親しみやすいウェルは第一印象が良い。しかし、接していけば明るみに出る部分、特に言動に難アリだった。
 まず時間にルーズ。今回の旅もウェルが同行することは元々決まっていたはずが、待ち合わせ時間になっても現れず、ダンテは先に行こうとした。結果として何とかなっているものの、どうにかならなかった場合どうするのか。
 そして自由人。好奇心を抑えきれず、旺盛な様を隠すことなく突き進む猪突猛進な自由人など止められるわけが無い。何度ダンテが相手方に頭を下げに行ったことか、数え始めたらキリがないのだ。
 ダンテの気苦労など露知らず、ウェルはダンテの向かいの席に掛けてくつろぎ始めたが、少年のように目をキラキラ輝かせ始める。前方から車内販売する乗務員の女性の声が聞こえたからだろう。
「ダンテ、車内販売は何を買う? ボクはひとまずお菓子にしようかな」
「俺はいい。これあるし」
 そう言ってぱくり、かぶりつく。まだほんのりあたたかいパニーニは残り僅かだ。
 乗務員の女性にお金を支払ってチョコ菓子を貰うウェルは甘いマスクに微笑を浮かべた。わかりやすく頬を染める女性は何度か頭を下げて進んでいく。
「にしても、ディオマーレね……海沿いで流通が盛ん、そして治安が悪い街……として有名だが、何が目当てなんだ?」
 真面目かつ、おどけたような口調で告げる。ついてきたあたり、何か聞いているものかと思いきやそうではないらしい。
「ウェルは聞いていないのか」
「ああ。ボクはダンテが行くなら保護者としてついて行くと二つ返事をしただけだから」
「保護者って、君と俺は歳もそんなに変わらないだろう……
 相変わらずの様子に、ダンテは肩を落とす。むしろ面倒を見ているのは自分ではないか、と思いつつも口を噤む。
「マレブランケの取材だよ」
「あー……
 全てを察したようで、ウェルは背もたれへ。
 出版社にはとある課題が掲げられていることを思い出しているのだろう。
〈マレブランケの内情を明らかに!〉
 上層部が特に躍起だった。