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はる
2026-06-08 21:21:32
6251文字
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そんな前日譚
ブルスカで呟いていた、具合悪いのを🌸くんには隠すけど🏹には素直に頼る⛰️の話。
pixivで上げてる世界の果てで三人暮らしの世界線の🏹🌸⛰️。一話目として書いた「楽園で眠る」に繋がるもっと前の時間軸のつもり。
六月の風はすでに初夏の匂いを漂わせ始めていた。
つい先日梅雨入りしたと聞いていたが、青く晴れ渡った空から降り注ぐ強い日差しはレンガ張りの道に三つの影を落としている。行き交う恋人たちや家族連れで賑わう舗道を少し冷たい風が吹き抜け、桜は大きく息を吸う。ふと、踏み出す足の左右が三人とも同じであることに気付いて、こっそりと笑みを零した。
その日は、久しぶりの三人での外出だった。
「何から見る?」
頭の後ろで手を組んだ棪堂がふらふらと歩きながら焚石の顔を覗き込む。休日のアウトレットモールはどこもかしこも混んでいて、人混みが嫌いな焚石は僅かにであるが眉を不快気に顰めていた。
「靴」
「じゃーあっちかな。桜もそれでいいか?」
三人のヒエラルキーにおいてトップである焚石の決定に対し、ここで嫌だと言っても意味がないことは分かっている。特に異論もない桜は素直に頷いたついでに棪堂の横顔をちらりと見上げた。
一瞬、本当に僅かにであるが、棪堂の表情が歪んだ。何かを堪えるように眉根を寄せ、こくりと小さく喉を動かしたのが見えた。しかし、すぐにそんな違和感のある表情も消え去って、いつもの緩んだ笑みを口元に浮かべたものへと変わる。
桜はその変化の一部始終を目にして、首を傾げた。
「棪堂」
「ん~?」
口角は上がったまま、棪堂が桜を見下ろす。不健康そうな青白い肌はいつものことであるが、今日は格段と血の気が失せているように見えて、思わず足を止める。
「お前具合悪いか?」
訝しむようにそう問いかければ、棪堂が僅かに目を見開いた後、破顔した。しかし、その笑みが無理に口元を引き上げて作ったもののように思えて、違和感が膨らんでいく。
「そんなことねえよ? いきなりどうした、桜」
「本当か? でも、顔色わりぃし
……
」
一歩足を踏み出してその顔を覗き込むと、ひくりと目元が引き攣るように痙攣する。目の下には薄らと隈が浮かんでいた。
「っ、昨日、楽しみすぎて寝らんなかったからかもな。ほら、三人で出かけんのも久しぶりじゃねえか」
棪堂が自然な素振りで桜から顔を逸らし、前を歩く焚石を見る。弾んだワントーン高い声は桜を安心させるようでいて、どこか誤魔化すような響きにも聞こえた。「バレちまった」と笑う姿はわざとらしく、桜は素直にその言葉を信じることはできなかった。
ここのところタイミングが合わなかったせいで、三人で同じ時間を過ごせずにいたが、今日ようやく予定が合い、この日を誰よりも楽しみにしていたのは棪堂だった。それは桜だって十分分かっている。
そして、そのために棪堂がここ数週間仕事でも私生活でもかなりの無茶をして時間を作っていたことも、桜は分かっていた。
棪堂はいつもそうだ。桜や焚石のことを優先して、自分のことをおざなりにする。それが心配でもあり、少し嫌でもあり、桜はいつだって歯痒さを感じていた。
だが、楽しみにしていた棪堂の顔を見ていたからこそ、今ここで「家に帰ろう」と引き留めるのは躊躇われた。
「
……
調子悪くなったら言えよ」
「心配してくれんの? ひひっ、やっさしーねぇ、桜クンは」
「おい、誤魔化すなって」
「へーきだっての、ほら、焚石行っちまうぞ」
棪堂がへらりと笑った後、前を行く焚石を追いかけるように歩みを速める。その背中を見つめた後、桜は小さく溜息を吐いた。
きっとあの調子だと棪堂は隠し続けようとするだろう。ならば自分が気付いて止めてやればいい。そう決意し、二人の背中を追いかける。
身体にまとわりつく冷たい空気とじりじりと焼け付くような日差しの温度差が妙に気持ち悪く感じられた。
■
焚石の買い物に付き合う棪堂はいつも通りだった。いつも通り楽しそうに笑い、はしゃいでいる。
しかし、棪堂を注視していた桜は段々とその笑みの間に挟まる違和感が大きくなっていくのを見逃さなかった。
そもそも棪堂が桜からの視線に気が付かないというのも普段なら有り得ないことだ。視線に敏感で、他人からの見られ方を熟知している棪堂は桜から視線が送られていることに気が付くと満面の笑みを返したり、調子に乗ってウインクの一つでも投げてきたりする。でも今日はそれがなかった。
選んだ服を持って試着室に入っていった焚石を見送った棪堂がソファに腰掛けながらゆっくりと息を吐き出すのを見て、桜はついに居ても立ってもいられず口を開いた。
「なあ、やっぱお前体調わりぃだろ」
「ぇえ? いや、だから平気だっての」
「~~っ、この店出たらどっかで休むぞ。時間ならまだあるし
……
」
食い下がる桜に対し、困ったように眉を下げた棪堂の顔はさっきよりも青褪めている。きっとこんな顔色の棪堂を見たら焚石も休憩しようと言っても納得してくれるはずだ。いいや、案外棪堂に対し過敏な反応をする焚石なら帰ると言って有無も言わせず引きずっていくかもしれない。少し棪堂が可哀そうではあるがそれでもよかった。
「大丈夫だって。桜」
しかし、棪堂に念を押すようにそう言われてしまえば、桜はそれ以上言葉を重ねることはできなかった。
棪堂は桜に心配されることを求めていない。そんなプライドのようなものを感じ取ってしまい、桜は口を噤む。
桜が年下だからだろうか。棪堂が素直に弱音を吐ける相手に自分はなれていない。その事実を突き付けられたような気がして、喉の奥がきゅっと狭くなる。
最近薄れていた、焚石と棪堂の完成された世界へ割り込むように足を踏み入れてしまったことへの罪悪感が顔を出した。
「えんど、」
何を言えばいいか分からないまま名前を呼ぼうとした桜を遮るように、焚石が試着室から出てくる。棪堂がぱっと表情を明るくして立ち上がり、大袈裟なほど褒め称えるのを焚石は満更でもなさそうな顔で受け止めている。
すぐ近くにいるはずの二人がやけに遠くに感じられた。
支払いを済ませた棪堂が当然のように紙袋を肩にかける。店を出て歩きながら「次はどこに行く」と楽し気に問いかけてくるのに対し、焚石が迷うように棪堂の顔を見る。あれこれと候補を上げる姿を見ながら桜は己の無力さに唇を噛んだ。
その時だった。不意に棪堂の言葉が途切れ、ゆらりと長身が揺らぐ。重力に引っ張られるように棪堂の身体が大きく傾いた。
「危なっ
――
」
咄嗟に伸ばした桜の手は宙を切った。焚石の腕が棪堂を引き寄せ、自分よりも大きなその身体をしっかりと受け止める。
「
……
っ、あ、」
先ほどまでの様子が嘘のように棪堂は浅い呼吸を繰り返しながら目を硬く瞑る。焚石が棪堂の腰を抱き寄せたまま、小さく呆れたような溜息を吐き、耳元に口を寄せた。
「
……
」
焚石が棪堂に何と言ったのか桜には聞こえなかった。しかし直後の棪堂の反応に、桜は届かなかった空っぽの手を強く握りしめることとなった。
「
……
ごめん、たきーし」
さっきまで頑なに桜の心配を受け流してきた棪堂が、まるで糸が切れたようにぐったりと焚石の肩に凭れ掛かる。力の抜けた手で柔く焚石の服の裾に縋った。桜には見せることのない無防備で弱々しい、甘える姿だった。
焚石には敵わない。それは桜だけでなく棪堂もそうであった。だから一瞬でその虚勢を剥いだのだ。
近くのベンチに棪堂を引きずるようにして腰を下ろした焚石がふう、と息を吐く。
「おい、」
そして桜を見た。苛立ったような表情にぎくりと桜の身体は硬直する。だが、焚石から棪堂の財布が投げられると、慌ててそれを受け止めるためにもたつく足を動かした。
どういうことかと視線を戻した時にはすでに焚石はこちらを見ていなかった。自分の肩に乗る棪堂の頭に手を置き、その顔を覗き込んでいる。
そこには壁があった。桜が踏み込むことを阻む、分厚く、絶対的な壁が。
「水」
「
……
ああ、わかった」
後ろ髪を引かれながらも桜はその場から駆けだした。
棪堂のことが心配で、だけどそれと同じくらい、喉の奥に苦い感情がせり上がってくるのを感じながら桜は走った。
手にした棪堂の財布はカードばかりが入っていて大して重量もないはずなのに、やけに重たく感じられた。掌の汗をシャツの裾で拭いながら数メートル先にあった自動販売機の前で立ち尽くす。震える指で小銭を入れ、ボタンを押し、大きな音を立てて落ちてきたペットボトルを拾い上げる。
びっしりと容器の周りに結露が浮かぶほどのその冷たさが、焦燥感でひりつく桜の手に痛いほどに染みた。
戻りたくない、と一瞬でも考えてしまった。そんな自分が酷く醜く思えた。
今すぐ戻って、このペットボトルを渡し、「大丈夫か」と声をかけてあの白くなった頬に熱を分け与えてやりたい。桜はそうすべきである。
だけどそれ以上に、あの二人の間に流れる、桜が入り込むことの許されていない空気に拒絶されることが怖かった。
ぽつりとペットボトルから水滴が落ちる。早く、戻らないと。
桜は自動販売機に背を向けると、行きとは変わって重たい足取りで歩き始めた。
人混みを抜け、先ほどの場所へと戻る。非常階段の近くに設置された日も当たらない暗いベンチに座る二人の周囲は、まるでそこだけ世界が切り取られているかのように静まり返っていた。
深く腰掛けた焚石の肩に棪堂が頭を預け、眉を顰めている。普段ならそういった触れ合いを嫌っているはずの焚石は大人しく身体を貸して、凭れ掛かってきている棪堂の腰に腕を回し、もう片方の手で額に張り付いた前髪をそっと掻き上げていた。
その手つきは驚くほどに優しかった。無表情ながらも慈愛に満ちた眼差しが棪堂に向けられている様子は桜の胸を容赦なく抉っていく。
また少し、喉の奥が締め付けられるような心地だった。
「
……
買ってきた」
絞り出した自分の声は硬かった。動揺を浮かべてしまったことに気付き、奥歯を噛みしめる。
差し出したペットボトルに焚石はまず目を向け、それから棪堂の肩を揺さぶる。気怠そうに瞼を持ち上げた棪堂の潤んだ瞳が桜を捉え、申し訳なさそうに細められた。
「
……
さくら、わりぃ、」
「喋ってないで飲め」
棪堂の謝罪を遮って、焚石が苛立ったようにペットボトルを奪い取り、棪堂へと押し付ける。しかしすぐに蓋が空いていないことに気付いたのか舌打ちをすると、器用に片手でキャップを開け、今度は口元に押し付けた。
棪堂が力の入っていない手でペットボトルを握るのを下から支えながら水を飲ませる。雑ではあるが献身的な姿は、普段の二人の関係と真逆のようだった。
桜は何もできずに見ているだけだった。冷たさを失った手にじとりと再び汗が滲み出てくる。
「ん
……
あんがと、たきいし」
数回喉が動いた後、棪堂が項垂れるのを焚石が再び自分の肩に引き寄せる。
「具合が悪いなら言え」
「
……
だァって、せっかくのデートだったじゃねえか
……
」
「家でもいいだろ」
「でも焚石が夏服欲しいつってたし
……
」
自分のせいにしてくる棪堂に苛立ったのか、焚石が棪堂のことを鋭い目で見下ろす。視線を受けて肩を竦めた棪堂は薄らと目を細めたまま桜を見た。
「結局桜にかっこわりぃとこ見られちまった」
「っ
……
」
ぐう、と喉の奥が苦しくなった。言葉がつっかえたように喉に詰まる。
たった、それだけのことで。そう思ってしまった。
格好悪いところを見せたくないから桜に頼ってくれないのかとその胸倉を掴んで問いただしてやりたかった。でもきっと、それは今じゃない。言いたいことは山ほどあって、でもそのどれもがこの場にふさわしくないように思えた。
焚石が呆れたようにわざとらしい溜息をつく。棪堂がその意図を読み取ったのか「面倒で悪かったな」と気まずい表情を浮かべた。
どうしてかその言葉に胸のつっかえが取れたような気がした。ああ、本当に。面倒くさいヤツだ。
桜は焚石にはなれない。それはこれまでも、これからも変わることのない、厳然たる事実だ。けれど、棪堂が桜に対して格好つけたいと思ってくれたことは、桜の存在を肯定してくれているようにも感じられた。
「
……
車、呼んでくる」
返事はないが、焚石は桜のことを一瞥した。それだけで十分だった。
タクシー乗り場は休日の観光客を待ち詫びて車がずらりと列をなしていた。そのうちの先頭車両に声をかけ、焚石たちを呼びに戻ろうと振り返ると、二人がこちらに向かってくる姿が見えた。少し休んで落ち着いたのか、棪堂もゆっくりとした足取りで歩いている。
後部座席に二人が乗り込んだのを見て、桜が助手席に座ろうとすると、後ろから棪堂が「桜」と呼び止めた。
「こっち、座って」
緩やかにシートが撫でられる。桜は僅かに逡巡した後、棪堂の隣に身体を滑り込ませた。
狭い車内に三人並んで座ると、肩だけでなく腕から脚までもが触れ合う。中央に座る棪堂は一番大きな身体を窮屈そうに縮ませながらも嬉しそうな顔をしていた。
右側に座る焚石の肩に頭を預けたまま、左側に座る桜の指先に触れる。桜は、その冷たい手を手繰り寄せ、体温を分け与えるように握り締めた。
「
……
オレは、別にお前が格好悪くてもお前のこと嫌いになったりしねぇ」
目を見て言うのは気恥ずかしくて、窓の外に視線を逸らしながらそう呟く。後頭部に視線が突き刺さるのを感じて、頬に熱が集まった。
「
……
おっとこ前~」
ピュウ、と揶揄うような口笛が静かな車内に響いて、顔全体が熱くなる。
「
……
っでも! お前がオレに格好わりぃとこ見せたくねえならその前に焚石に頼るとかそうならねえようにうまいことどうにかするとか、そうしろよ!
……
棪堂ならそういうこと出来んだろ」
本当は頼ってほしい。でも頼ってもらえないまま棪堂に無理をさせ続けてしまうなら、それよりも早くほかの誰か
――
焚石を頼ってほしい。それが桜の妥協点だ。
ちらりと横目で様子を窺うと、棪堂は驚いたように目を見張り、それから降参だとでも言うように緩やかな笑みを浮かべた。今日見た表情の中で、一番綺麗な笑顔だった。
奥で桜たちのやりとりを見ていた焚石は、区切りがついたと判断したのか顔を窓の外へと向ける。
「桜に頼まれたら、そうするしかねぇよなぁ」
棪堂が繋いでいた手の力を強くする。
冷たかった肌にゆっくりと温もりが広がっているのを感じながら桜は棪堂の横顔を見つめた。
今はそれでもいい。桜からの頼み事としての形で棪堂が少しでも自分のことを大事にしてくれるのなら。この無責任な願いが棪堂の無茶を止めるストッパーになるなら、今はそれで十分だ。
そして、いつか棪堂が素直に頼ってくれるようになったら。
桜の心の中で沸々と沸き上がる熱を感じとったのか、焚石が勢いよくこちらを向く。ばちり、と交わった視線が鋭くなり、しかしすぐにその目は棪堂の方へと逸らされた。
――
その時は、焚石よりも早く、自分だけで棪堂を受け止めてやりたい。
ふにゃふにゃと締まりのない顔で棪堂が微睡み始める。繋いだ手の熱を感じながら、桜は遠い未来でいつか訪れるその日を想像した。
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