果南(カナン)
2026-06-07 06:42:35
1224文字
Public CP無し
 

雨の薔薇

弓彦(CP無し)の小話です。「#RTの早い5人に落書き投げつける見た人も強制でやる」タグで、Blueskyにて投げていたもの③です。吉岡ゆきさん、ありがとうございました! (初出:2026/05/28)



 しとしとと雨に濡れる薔薇を、天堂弓彦は見つめていた。
 自身の居宅を兼ねた教会の、庭の一画。弓彦はそこを町内の有志に開放していた。公園の花壇や街路のちょっとした植え込みなどを、綺麗に整えたがる面々は何処にでもいる。季節の花を植え、道ゆく人々の心を和ませる彼らの行動に他意は無く、弓彦の眼で見ても善なるものとして判じられた。
 ゆえに彼らの内にいる信者から、教会の庭にも花を植えて世話をしたい、と請われた時、弓彦は慈愛に満ちた微笑みでもって応え、快諾した。そうして今、彼らの植えた幾種類もの薔薇が、見事な花を咲かせているのだった。
「ふ……
 ひとつだけの眼を細めて、弓彦は手を伸ばす。紅く塗られた爪で薔薇の花びらに触れ、つっと指先をすべらせた。
 夜半から降り続く雨で、薔薇の花も葉もしっとりと濡れそぼっている。しかし、弓彦は特に気にする様子もなく、ゆっくりと薔薇の花を撫でていた。もとより彼は、傘も差していない。いつもと同じ黒いカソックも、しなやかで長い白髪も、細かい雨粒に打たれるがままに水気を含んでいた。
 それでも、神たる男の美は微塵も揺らがない。
 軽く身を屈め、弓彦は薔薇の花に顔を近づけた。白い髪が肩からこぼれ、緑の冴える葉に入り混じる。
 よく開いた薔薇の甘い匂いが、ふわりと立ち昇った。
 高貴で、芳しく、堂々とした香り。薔薇にしかあり得ない甘さと優しさを備えながら、しっかりとした芯も持ち合わせている。
 大輪の花に顔を寄せたままで、弓彦は心ゆくまで薔薇の香りを味わった。
 これほどに美しい花を、手間暇かけて育て上げる者たちがいる。見返りを求めず、心の赴くままに、ただ花が咲くことと、それを眺める人の子たちの笑顔のみを歓びとして。
 どうしてこの世界は、そのような善なる心のみで満ちないのだろうか。
 常に、罰すべき咎人で溢れているのだろうか。
……愚問だな。私としたことが」
 軽く頭を振って、弓彦は立ち上がった。薔薇の香りが、すっと遠のいていく。
 迷える人の子の心は、常に矛盾で満たされている。欲するものがあるのに知ろうとはせず、知れば善悪の狭間を見失って突き進みかねない。己が意志ひとつで正しく前へと歩んでいくのは、本当に難しいことなのだ。
 だからこそ、道を示す者が要る。
 行く手を照らす光となる、神たるものが。
「まずは、この美を知らしめるか。人の子の、善なる心を」
 呟いて弓彦は、ポケットから花卉用の鋏を取り出した。カバーを開け、慣れた手つきで大きな把手を握る。
 パチン、と音を立てて、美しく咲いた薔薇の花を切り取った。
 丁寧に棘を払いながら、雨の水滴を湛える薔薇の花を切っていく。手元に五本を得たところで、満足そうに笑い、鋏を収めた。
 優雅に咲き誇る、上品なピンク色のバラを抱えて、弓彦は空を見上げる。まだ雨は降り続いていたが、灰色の雲の隙間から明るい光がこぼれ始めていた。