めやぬら
2026-06-06 23:37:50
6221文字
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ニキひい。
梅シロップの材料買う二人と、出来上がった時の二人。
あの船のことがあまりよく分かってません。学校とか…どうしてるんでしょうか。学園生活は無きものとして扱われるんですかね。


 空に浮かぶ船から離れ、懐かしの寮の部屋。前の居住者たちの荷物は移しきれておらず、そこかしこにまだ生活の名残がある広い部屋で、一彩は一人、探し物をしていた。

 棚に置かれた雑貨の後ろ、いつの間にか埋もれていたはずのそれなりに大きな瓶。梅雨前には青々とした梅の実とうすぼけた氷砂糖が積み重なっていたが、きっと今ごろ氷砂糖が溶けきって梅が沈んでいる頃合いである。
 もうそろそろ飲み頃だという時期に色々と重なってしまって、少し漬けすぎてしまったかもしれない。様子を見がてら今の部屋に持っていこうと思いたったのだ。
 きっとニキは悪気がなくても忘れてしまっているだろうし、悪くなっていたら飲めなくなっているだろう。そんな少しさみしい想像もしながら、保管していた棚の雑貨を根こそぎ出して、覗き込んだ。
 だがそこには何もなかった。ぽっかりと空いていて、瓶だけどこかに持ち去られてしまったようだ。
 まさかひなたが盗むとは思えないし、他に誰かが持っていくとも思えない。

(もしかして、椎名さんが持って行ったのかな)

 すっかりニキの記憶からは無くなっていると思い込んでいたが、食べ物に関しては完全無欠になる恋人。目の前のことに囚われていた一彩とは違い、抜け目なくきちんと管理していたのかもしれない。
 入れ違ってしまったのなら仕方ない。早まったというか、遅かったというか、ニキに言ったところで忙しいだろうと思って連絡もせず勝手に来てしまったのが悪い。

 無いものは無いのだからと部屋を後にし、廊下を歩く。誰もいない寮は静まり返り、照明だって必要最低限よりも少ない数が点けられているだけだ。前は自動的に稼働していた冷房も黙り込んで、蒸し暑さが寮中を席巻していた。部屋では冷房を効かせていたものだから、廊下を少し行くだけで、じっとりした暑さに汗が滲んでくる。背筋に流れる汗も、聴覚の底でわんわん鳴く蝉も、行き届いた宙の船では排斥されかかっている居心地の悪さが、この地上にすべて押し込められているみたいだ。

 そして階段を降りたところで、ダイニングの電気がついているのに気づき、他にも誰かいるのかと覗き込むと、なにやらキッチンの中に人影が見えた。 

「椎名さん?」
「んぃ?あれ、弟さん!どしたんすか、こんなところで」
「梅シロップを引き取りに……
「えっ、梅?!」
「ウム。ほら、梅雨前に椎名さんと漬けたものだよ。完成間近で僕たちは部屋を出ただろう?バタバタしていたし、上まで持って行けてなかったからね。椎名さんも忘れてたかもしれないから、僕が様子を見ようと……
「ぬぇ〜!ごめん弟さん!」

 やたら驚かれたから本当に忘れていたのかと説明すれば、ニキはきゅっと顔を顰めた後、ぱん!と手を合わせた。なんの柏手だと面食らう一彩を前に、キッチンカウンターの奥から大声が響く。

「それ、いまここで煮詰めてるっす!」
……え?どういうこと?」
「僕も、弟さんは忘れてるんじゃないかって思ってて……昨日見てみたらちょっと漬けすぎだったから、火通して寒天にしようと思って……

 ニキの申し訳なさそうな白状を聞きながら、キッチンに回り込んだ一彩が見たのは、コトコト火にかけられている薄翠の透明な液体。
 困ったように眉を下げたニキの目の前には、空のバットと粉寒天のパッケージ。それと、いくつかの調味料と思しき瓶。
 近寄ると梅の芳しさを含んだ甘い香りも漂ってきて、初夏のじめつきの中の清かさが思い出される。

「勝手にごめん……言ってなかったっすよね」
「それは僕もだよ、だからお互い様だ。気にしないで。それより、ゼリーにするんだね」
「ゼリーじゃなくって寒天っすよ。見た目も涼しそうだし、冷やして食べたら美味しいんすよ〜。サイダーとかに入れたら夏にピッタリなんで、出来上がったら一緒に食べようと思って」
「誰と?」
「誰って、そんなの弟さんとに決まってるじゃないすか〜」
「ぼ、僕と?」

 からからと笑うニキは鍋を軽くかき混ぜる。煮立つほどまでいかない温度でふつふつしているシロップの表面には、細かな泡が沸いている。

「フルーツポンチとかサイダーとかにして持っていこっかなって考えてたんすよね。……それにほら、最近会えなかったから」

 バットを引き寄せつつ火を止めたニキは、粉寒天のパッケージを開け、湯気が立つ鍋の上で逆さにした。さらさらと流れ落ちた白い粉をおたまでぐるぐる溶かし込んで、お菓子作りをしているとは思えないような手軽さと適当さだ。

「僕も弟さんも、予定合わなかったしね。忙しそうなの聞いてたし、配信も結構してたでしょ?あっ、一昨日のやつも見たっすよ〜!あれ、なんかの撮影終わりでそのまま出たんすか?」
「あぁ、ウム、そうだよ。撮影が少し押してしまって、髪は直せなかったんだ」

 一昨日の配信、というのは、ALKALOID全員で行ったものだ。その前の撮影現場で少しアクシデントがあってギリギリ遅刻してしまったから、髪のセットがそのままになってしまい、メンバーからは呆れられて観ている人からは怒濤のコメントが寄せられ、少し困惑したのを覚えている。

「観られていたのか、少し恥ずかしいな」
「なんでっすか、かっこいいっていっぱい褒められてたじゃん」
「そうだけど……遅刻して随分見苦しい様も見せたと思うし……椎名さんに見られてるなんて思ってなかったんだよ。急いでいたとはいえ、やっぱりちゃんと整えればよかったな」
「気にするほどじゃなかったって。それにあの配信見て梅シロップのこと思い出したんすもん」
「どうして?特にそんな話題はなかったと思うけど……
「いやぁ、配信の時の髪が梅雨の時と似てるなーって思ったら、そういえば梅シロップ作ったなって」

 寒天を溶かした梅シロップをバットに注いで表面にできた細かな気泡をスプーンで取り除きながらも、ニキの口は止まらない。一彩は相槌を返しながらその作業を目で追う。

「撮影ん時は綺麗にしてもらってたと思うんすけど、急いで来てたからボサボサだったじゃないすか」
「む……あまり言わないでほしいよ。人前に出るには相応しくないと、藍良にも叱られてしまったんだから」
「なはは、ごめんごめん。でも、それ見て思い出しちゃったんすよ。これ作る時は梅雨前だったから髪ふわふわだったなとか、湿気のこと気にしてたなとか、出来上がったら何作ろうかとか……話したなって」
「そう、だったかな」
「うん」

 梅作業をしたことは一彩だって覚えている。なんの話をしたか、どんな風にしたか、取り留めのない会話の中に混じるニキの指南と、手の中にあったころんと丸い梅の手触り。自分の向かいで器用で乾いた指先が丁寧に梅を拭っていたことだって、目新しい体験に色づいた記憶として残っている。
 それはニキもなのだろう。
 よし、と寒天の液を澄ませたニキは、作業台を片付けて一彩を手招いた。なんだろうかと近寄れば、差し出されたのは小さな豆皿。淡い黄色の液体が艶やかに注がれており、受け取ってすこし鼻を近づけると、砂糖の甘さと梅の香のなじんだ香りが仄かに薫った。

「火にかける前に避けてたんすよ。腐ったりはしてないから、味見してみて」
「う、うむ」

 薄い皿を傾け、シロップの原液を口に含む。とろんとした舌触りと砂糖の甘さは喉を焼くようだけれど、ぎゅっと濃縮された酸味が喉を滑る。

「とても甘い」
「そりゃそうでしょ、溶けた砂糖なんすよ」
「でも美味しいね。こんなに梅の風味が強いのか……
「これが出来上がったら弟さんのとこに押しかけようと思ってたんすよ?ま、その前に弟さんが来ちゃったんすけどね〜」
「そ、そうなの?」
「うん。多分部屋に長居もできないし、飲み切るの難しいかもしれないから、加工したんすよ」

 確かに、今のお互いの部屋で二人きりになるのは難しい。とはいえ、理由をつければ会えはするし、場所を変えれば二人だけになることもできる。この梅シロップは、その理由になるはずだったようだ。

「このあとなんか予定あるんすか?」
「ううん、特には」
「なら折角なんで、固まるまでしばらく僕に付き合ってほしいっす。ここなら誰にも邪魔されないし!」
……ふふ、ウム、そうだね!そうだ、それなら前までの部屋で固まるのを待つかい?さっきまでエアコンをつけてたから暑くないよ。寒天は常温でも大丈夫?」
「うん、大丈夫っすよ!ついでに片付けとかしましょっか、まだ持って行けてない物とか結構あるんすよね〜」
「必要なものは持って行ったんじゃなかったっけ」
「料理道具とかは持ってったけど、服とか残ってんすよ。行き来するの面倒であんまり戻ってなかったし……
「それならいい機会だ、僕も手伝うよ。荷物持ちなら任せて!」

 明るい二人の声だけが寮の片隅で賑やかしい。秘密の逢瀬にはすこし不似合いだが、誰もいないのだ、気を払うことは何もない。
 陽の光は遠く蝉の音は近い懐かしの寮の部屋で、二人は日が暮れかけるまで話し込んでしまい、寒天は無事に固まって後程スターハウスのキッチンの冷蔵庫で冷やされたという。