湿気というのは結構分かりやすい。例えば砂糖が固まったり小麦粉の触り具合が違っていたり、割と食材の管理に関わってくるし、なにより恋人の髪がいつにも増してふよふよになる。
「うーん……」
部屋の鏡の前、いつもなら身嗜みを整えてすぐに立ち去るのに、今日は少し時間がかかっている。映る自分と睨めっこしている一彩は、制服に身を包んでいた。
「おとーとさーん、ひなたくんもう行っちゃったっすよー」
「今行くよ」
直すとしても寝癖ぐらいのものなのでこの部屋に櫛なんてもんは無い。手で髪を押さえて離して、を無意味に繰り返し浮かない顔している。
「何気になってんすか?」
「む……なんだかこう、いつもよりぼさぼさというか」
「そうすか?あんま変わんないっすよ」
「雨だからかな…」
「ほらほら、今日は早めに待ち合わせなんでしょ?遅れちゃいますよ」
何回やっても気に入らないみたいだったが、諦めたのかタイムリミットが近いからか、学生鞄を担いで慌ただしく出ていく。傷んでいるのではなくて単純に癖が強くついているだけなのだが、そのせいでいつもよりくるくるしている頭。ぱたぱた駆けていく相服の背中を見送りながら、跳ねる髪が綿飴みたいだなぁ、なんて思っていた。
湿気が増す夏場、特に梅雨時はなかなか気になるようで、一彩は鏡の前に立ってなんやらしている時間が増えた。休みの日遊びに行くときなんかは特に、どうにかしようと奮闘している。僕との買い物に行く前でさえ、難しい顔をして鏡の中の自分を睨みつけていた。
「そんな気になるんすか」
「くせ毛なのは昔からなんだけどね。やっぱりこの時期は少し煩わしいな」
「俺は羨ましいけどなぁ、その髪質」
ベッドに寝そべってのんきにのたまうひなたは、サラサラストレートに近いオレンジの明るい髪を一筋摘んで、へらっと笑う。一彩は鏡の中の自分を睨むのをやめて、困ったように眉を下げ同じようにへらりと笑った。
「いいことないよ」
「そんな言う?!でもほら、お風呂上がりとかさ、ギャップあっていいじゃん」
「ふむ……」
「俺、撮影とかで巻いてもらってもすぐ真っ直ぐになっちゃうし。ヘアピンとかもずれやすいんだよね〜」
「へぇ〜そうなんすねぇ。燐音くんもすぐ癖取れるって言ってたし、真っ直ぐな髪の人って皆そんななんすか?」
「うーん、俺とゆうたくんはそうだったけどヘアピンはずっとつけてたから慣れたし……創くんは真っ直ぐだけど、癖がついたらなかなか戻らないって言ってたよ」
「いろいろなんだね。でも僕は雨の日とか広がってしまうから、真っ直ぐな方がいいな。兄さんが羨ましい」
「椎名先輩はくせ毛だけど大丈夫なんですか?」
「んー、あんま気にしてないし括っちゃうから。ボサボサでも目立たないんすよね」
肩口に流している髪束を掴む。いっつも適当に扱っているからそう綺麗なもんじゃないけど、髪質も相まって癖はあんまり目立たない。結構好評というか、トレードマークになっているコレは案外気に入っている。
「僕は邪魔になんなかったらそれでいいかな。弟さん、準備できた?」
「うむ。ごめん、待たせてしまったね。それじゃあ行ってくるよ」
「行ってらっしゃーい。俺今日は外に食べにいくからー」
「了解っす〜」
雨が降らなくてもじめじめし始めた季節、ひなたに見送られながら傘を持って部屋を出た。
今日は僕の買い物に付き合ってもらうことになっていて、一彩はニキよりもずっと力持ちなので米を買おうとか、人手があるから野菜もいこうとか、そんなどうでもいいことを会話しながらついたスーパー。一年も住めばすっかり馴染みにもなってしまったそこは、少し値段は高いけれど一般的なものから少しだけ凝った調味料まで手に入るところだ。
見慣れたいつものスーパーの出入り口付近には、梅の季節になってきたからか、ホームメイドの梅酒を作るコーナーが作られていた。梅仕事をこれでもかと押して、大量に積まれた氷砂糖とホワイトリカー、そしてこの時期にしか出回らない青梅。ここぞとばかり売り出されるプラスチックの漬け容器に、都会二十年目の僕はもうそんな季節かぁと流し見ていた。
「あれは梅?砂糖水に漬けるの?」
だがまだ都会数年目の一彩は気が引かれたようで、入り口すぐの棚を指差した。
「梅酒作りの時期なんすよ」
「梅酒?」
「そ。梅を砂糖とお酒に漬けて、数ヶ月置いたら出来上がり」
「ふむ……」
「梅仕事っていって、結構やるお家も多いみたいっすよ。僕はやったことないんすけどね。時間かかるし飲めないし」
「数ヶ月は長いね、興味はあるけど……」
「興味あるんすか?」
「うむ。未成年も作っていいなら、兄さんにあげたいよ。これなら喜んでくれるかもしれない」
好奇心旺盛に、売り場あったレシピメモを手に取り、青梅を交互に見ている。漬け込むだけの梅酒は、手間はかかるが作り方自体は簡単だ。ただ、出来上がったものを試飲するには年齢が足りない上に、時間がかかって仕方ない。保存環境にさえ気をつければ年単位での保存もイケる代物だから待てばいいだけだけど、それまでに存在そのものを忘れそうだ。
「あ、じゃあ梅シロップは?殆どおんなじ作り方っすけどお酒使わないし、もうちょい早くできるっすよ」
梅酒のレシピの裏にチラッと見えたポップ体。お子様向けにと銘打たれたシロップの作り方も、梅酒と変わらないくらい簡単だ。
「本当?じゃあやってみたいよ!何を買えば良いのかな」
「梅と氷砂糖で良かったと思うけど、保存容器とかあったかな……裏に必要なもの書いてるんじゃない?」
「あ、ほんとだ」
それを見ながらカゴに梅と氷砂糖を入れる一彩は、出かける前の憂いもどこかに、とても楽しそうだ。確か前にピクルスを漬けた瓶があったはずだ。ふよふよと揺れる頭の影を微笑ましく思いながら、さていつ作ろうかと算段をつけた。
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