Rena Suzukey
2026-06-06 21:41:18
5162文字
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垂涎..Chapter95 - 番外之花生夫夫二三事01


【在りし日の断片①】


花咏は、殺してやりたい、と思った。
今にも倒れそうにふらつきながら玄関に立っている盛少游は、ひどく酔っているだけでなく、その身体からは隠しきれないほど濃厚なOmegaの匂いがした。
冷静に考えれば、会食に参加したAlphaが、酔っ払って、Omegaのパートナーを連れているなどよくあることだ。だが感情的には、愛するAlphaを手に入れようとする花咏にとって、長い間狙っていた大事なお宝に厚かましく近づく者などとうてい我慢できなかった。
探るような視線が盛少游の頭の天辺から下りていき、Alphaの少し開いた襟元から覗く、茨の茂みに咲く薔薇のような、かすかな赤い痕を捉えた。残念なのは、彼が植えたものではなかったことだ。
その瞬間、彼の心はますますピリついた。
花咏は奥歯を噛み締め、怒りがこみ上げてきたが、か弱いイメージを保つためにそれを呑み込み、氷のような目で盛少游を見つめて、こう告げた。
……盛さん、臭いです」
確かに盛少游の身体はひどく酒臭かった。だが、不快な匂いではなかった。体温で温められた酒精が、Enigmaの鋭敏な嗅覚と神経を刺激したのだ。
花咏はしばらくの間じっと彼を見つめていた。そしてついに我慢できずに、身をかがめてAlphaの軽く開いた唇に口付けた。
ひんやりとした蘭香が一気に濃くなった。──AlphaでもOmegaでも、誰もが皆発情してしまうほどに濃厚に。

【在りし日の断片②】


誰でも知っていることだが、ライダースーツは、ぴったりと身体にフィットするものだ。乗り手をできるだけ守れるよう、スーツはダチョウ革とチタン合金で作られており、耐摩耗性と耐引裂性に優れている。
ほとんどのライダースーツにはCE認証の保護具も付いていて、一見、装甲付き戦闘服のようだ。
花咏がライダースーツに着替えてロッカールームから出てきたとき、盛少游はそれと見てわかるほど、ぽかんとした。花咏はずっと昔から盛少游の好みを知り抜いていた。その髪色、服装、そして性格に至るまで、すべて盛少游の好みにぴったり合わせられていた。
周囲の感嘆の視線など、花咏にとっては日常茶飯事だ。花咏はまったく意に介さないようで、ヘルメットを抱えて、静かに歩き出した。彼の生涯において、数え切れぬほど多くの者が、彼をほれぼれと見つめたが、彼はそれらすべてを無視してきた。
彼はただ、盛少游その人だけに振り返り、にっこりと微笑み、そっと言った。

「盛さん、着替えました」

【在りし日の断片③】


発情期と求偶症は、ここ数年、花咏を最大に悩ませる問題だった。

Enigmaにも、Alphaと同じような発情期がある。しかも通常期と特殊期に分かれているのだ。通常期のそれは二、三ヶ月に一度訪れるものだが、特殊期のそれは、非常に適合度が高く、激しく愛する相手によってのみ誘発されるもので、この特殊期の間は相手の受胎率も高くなる。
花咏にこの特殊な発情期が最初に訪れたのは、ちょうど二十歳の誕生日のことだった。
彼の誕生日はずっと何の面白みもないものだった。当時、北超ホールディングスの老当主はまだくたばってはおらず、十三番目の非嫡出子である花咏には、何の愛情も何の価値も抱いてはいなかった。
花咏は実母に会ったことがなく、養母も早々に亡くなった。抗争の真っ只中、老当主に生身の盾にされ何発もの銃弾を受けるというむごたらしい死に様だったらしい。
花咏は彼女の最後を見届けることもなく、ただ祭壇に置かれた遺灰の入った骨壺を目にしただけだった。
花咏は大して悲しみもしなかった。彼はもともと感情の薄い人間で、養母とはいえ、実はただの使用人に過ぎなかった。幼い頃、養母は幼すぎて理解できまいと思ったのか、人前とそれ以外ではまったく彼の扱いを変えた。花咏はしょっちゅう飢えと寒さに苦しみ、六、七歳ごろにようやく少し暮らしやすくなった。
だが花咏は早熟で、二、三歳頃のことも鮮明に憶えていた。他に大した取り柄もないが、強いていえば根に持つことだけは大の得意だった。
唯一の友人と呼べる仲である沈文琅は、よく彼を冷淡だと評した。しかし花咏はそうは思わなかった。彼にとっては、なぜ人がそこまでゴミに愛想を振りまけるのか理解できなかったのだ。
父も叔父も兄弟姉妹も皆、狡猾で愚かで、上にはへつらい下には横暴、弱者は虐め強者には尻尾を振る──実に卑劣だった。血の繋がりがあってさえこうなのだから、他人などなおさらだ。
成長するにつれ、花咏は多くの人々と出会った。口では甘い言葉を囁きながら腹には剣を隠し、言葉と行動が一致してない者などたくさんいた。ただ、盛少游ただ一人だけが、まるで澄み切った青空に天高くかかる太陽のように、温かく、明るく輝いていたのだ。恋だの愛だの歯牙にもかけなかった花咏は、初めて星になりたい、と思った。──あのAlphaの傍にいられるのなら、そんな高みでの風や寒さにも耐えられるだろう。
二十歳の誕生日、北超ホールディングスで次期後継者として最も有力な花咏の四番目の兄は、花咏の飲み物になにやらよからぬものを加えた。
四兄はA級Alphaだった。彼は花咏を意図的に狙ったわけでなく、むしろ野心満々の兄弟姉妹たちへの見せしめにするつもりだったのだ。
しかし不運にもその「見せしめ」の標的となったのは花咏だった。
親愛なる次兄殿の顔に軽蔑が浮かび、その目に物見高い輝きが浮かんでいたことに気づかなかったわけではないが、花咏は何事もなかったかのように細工された飲み物を飲み干した。Enigmaの強力な浄化能力を持つ彼には、何も恐れるものなどない。しかし花咏のこの特殊な分化はずっと秘密にされてきた。彼は幼い頃から心を開かず、抜け目なく計算高かった。だからこそ、父親や養母でさえ知らなかったのだ。この驚くほど美しくも脆弱な子どもが、この星で十億分の一という、並外れた幸運を持っていることを。
複雑な家庭環境で育った花咏にとって、自分の能力を隠し、機をみるまで動かないことは、造作もないことだった。
だから、発情期が近づいていた花咏は、飲んだ後に、少しめまいがして、体に力が入らず、熱っぽくは感じたものの、ふらふらと目眩を起こして動けないふりをして、四兄の前でゆっくりと倒れ込んだ。あの馬鹿は今でも、花咏はOmegaに分化したと固く信じている。
身分は卑しいが、極上の美貌を持つOmegaの私生児ほど、Alphaの玩具としてふさわしいものはないだろう。
“次期後継者”として自信たっぷりの四兄は、ぐったりしている花咏を護衛に担がせた。花咏は軽く揺さぶられて目を開け、そこが裏庭の庭師用の小屋であることに気がついた。花咏は土の匂いが充満した狭い部屋が一番嫌いだった。その冷たく昏い目がたちまち深みを帯びた。
十八歳を迎えてから、花咏のフェロモンはますます普通のAlphaフェロモンとはかけ離れ、その濃度、揮発性、影響力のいずれにおいてもはるかに凌駕するようになった。
強すぎるフェロモンが溢れ出すため、花咏は四十五分ごとにフェロモン抑制パッチを交換しなければならなかった。そして今、前回の交換からちょうど三十分が経過したところだった。
うなじに貼られたフェロモンパッチは、冷冽な蘭香を徐々に抑えられなくなっていた。護衛により乱暴にベッドに投げ出された瞬間、花咏はうなじに手を伸ばし、すでにぼろぼろだったフェロモン抑制パッチが反射的な怒りで完全に機能しなくなるのを防いだ。
狭い室内には六、七人の野次馬がひしめき合っていた。Omegaの三兄と兄弟たちの中でも数少ないBetaである七妹は壁を背に座っていた。
背が高くがっしりした護衛が二人ずつ彼らの傍に立ち、半ば強制的に押し留めて、四兄が序列最下位かつ無力な十三弟を餌食にするのを見届けさせていた。
ベッドに投げ出された花咏だったが、実のところ全く動じてはいなかった。
彼の感情はいつも振れ幅が少ない。だからベッドに投げ出されたとはいえ、彼はそのまま無表情でマットレスに手をついて起き上がった。彼の手首はとても細かった。ベッドに押し付けられた拍子に浮き出た手首の骨は息を呑むほど美しく、少し力のあるAlphaなら誰でもほんの少し強く握っただけで、この細く華奢な手首など簡単に折れてしまうのではと心配になるほどだった。
誕生日を迎えていた花咏は、珍しくきちんとした正装をしていた。真っ白な礼服は彼の雪のように白い肌をさらに際立たせ、体温の上昇で赤く染まった唇は、純白の雪の上に咲く艶やかな紅梅のようだった。
発情期が近いせいで、花咏はこの数日、熱っぽさと苛立ちを感じていたものの、発情期の初期症状である、焦燥と怒りっぽさはうまく抑え込んでいた。
花咏は、その削げたように薄い胸の内にとてつもない嵐を押し込め、広大な天下を掌中に収めることができるような男だった。こんなちょっとした余興など、まったく取るに足りないものであり、心が動くことも、ましてや怒る価値などなおさらなかった。
花咏はじっと静観していた。しかしそれも、四兄が彼の大切にしていたポスターを人前に持ち出してくるまでだった。
「小十三、こいつがお前が想いを寄せてるAlphaか?」
四兄はせせら笑い、花咏が棚の奥深くにしまっておいたポスターや写真を一枚ずつ引っ張り出しては、彼の足元に投げつけた。
「いやはや思ってもみなかった。あっという間じゃないか。うちの小十三がもうこんなに大きくなったなんてなぁ。もういっぱしに恋もする大人だな」
盛少游の顔が彼の目の前に大きく迫り、見えない手が欲望のバルブをひねる。花咏は体温がさらに上昇するのを感じた。彼は実際に熱を感じ始め、心の奥底から何か奇妙な熱が湧き上がり、鋼鉄のように冷たく硬い心臓が、どくどくと脈打った。
四兄は、そのポスターや写真たちを実に手荒に扱った。その乱暴な扱いに、それまで無表情だった花咏は眉をひそめた。見下ろすAlphaに向かい花咏は手を伸ばし、淡々と口にした。
「返せ」
「返せ?」
四兄はその三文字の言葉を繰り返し、再び笑った。場を盛り上げようと、彼の手下たちも負けじとけたたましく笑い出し、その瞬間、部屋は爆笑に包まれた。
花咏の表情は落ち着いていたが、冷淡でまるで能面のように無表情だった。彼は全く面白くなかった。この場にいる下劣な連中ときたら、ランクが低いだけでなく、ユーモアのレベルすら低いのかと思っただけだった。彼は伸ばした華奢な手のひらを、さらに差し出した。こと盛少游に関していえば、彼の忍耐力はもはや限界だった。
「ポスターを返せ」
──この愚か者が、とっとと盛さんのポスターを返してくれさえすればいいんだ。
そうすれば花咏だって神様に免じて怒りを堪え、爆発させずにおいてやってもいい。
「いいぜ!」
結局、愚か者は愚か者のままだった。頭の回転は早くないが、意外にもその行動は素早かった。
四兄は手を上げて盛少游の横顔が載ったポスターをズタズタに引き裂いた。紙くずが雪のように舞い散る。彼はニヤリと笑って花咏に言った。
「ほら、返すぞ」
花咏は顔を上げた。その表情は相変わらず淡々としていたが、その目は完全に冷え切っていた。彼は鋭角的な顎を上げて四兄に小さく尋ねた。
「右手と左手、どっちを残したい?」
その夜は、北超ホールディングスにとって、激震の走る夜となった。
その晩何が起こったのかを知る者はほとんどいない。
ただ皆の知るところは、その日から花家には障害持ちの四若様が増えたということだけだった。
翌日、Xマークの付いたプライベートジェットが江沪のビジネス用空港ターミナルに着陸した。
その日、深夜まで接待に付き合っていた盛少游は、酔いも手伝いぐっすり眠った。
しかし、上下階の隣人たちからは、ずっと空室のはずの盛少游の隣の部屋の主が帰宅し、何があったのかは分からないが、一晩中ガタガタと騒ぎ立て、かなりの物を壊したという苦情が寄せられていた。
死んだように眠っていた盛少游は、何の物音も耳にしてはいなかった。
翌日目が覚めた彼は、身体が重だるく、ひどく疲れていると感じただけだった。右腕はまるで一晩中振っていたかのように鈍く痛み、ほとんど持ち上げることもできない。
それほど休めていないにも関わらず、盛少游は意外にも機嫌が良かった。
おそらく、使用人たちが新しい香を選んだからだろう。──まだ蘭の咲く季節ではなかったが、その夜、盛少游の寝室に漂ったひんやりとした蘭の香りは、とても爽やかで、清々しい気分にさせてくれたのだ。