みずあめ
2026-06-02 21:16:01
3260文字
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ゆづあい

学パロ。過去に書いたもの(https://privatter.me/page/6856baf34196a)と同じ設定、続きです。

心臓の音を感じながら吐いた息はかすかに震えていた。大きく深呼吸をしてから、意を決して目の前の扉をノックする。「はい」と聞こえた声にまた心臓が大きく跳ねた気がした。
「失礼します」
……城瀬か。わざわざ悪いな」
「いえ、全然、俺なんかでよければ」
「ここに座れ。いま書類を用意する」
「はい」
生徒会室の一番奥、窓を背にして座っていた皇坂先輩は、俺に座るよう指示すると席を立ち、書類をしまっているらしい壁際の棚から一つのファイルを取り出す。いつものように皇坂先輩のことを見ていた俺は、振り向いた皇坂先輩と目が合い、慌てて顔を逸らして何もない机の上を見つめた。
さすがに今のは、不自然すぎた。後悔をしても今さら顔を上げることすらできなくて、ただ体を強張らせる。
「これを。一番上が新しいものだ。貸し出した人のクラス名前と、貸出日、返却日を確認して、今あるものと照らし合わせてほしい。すでに返却されているのに記載が漏れているものがあれば今日の日付を書いてくれればいい。まだ返ってきてないものは催促をするから別で名前を書き留めておいてくれ。傘はこの傘立てに」
「は、はい。わかりました」
「数が多いから時間がかかるかもしれない。もし帰らなければいけない時間があるならあらかじめ聞いておく」
「いえ、大丈夫です。特に予定もないので、最後まで終わらせます」
「そうか。それじゃあ、頼む」
「はい」
目を合わせられないまま皇坂先輩の指示を聞き、書類と傘立てを見比べる。確かに量は多いけれどやることはシンプルだ。
皇坂先輩が元の場所に戻って作業を再開した気配を感じて俺も目の前の仕事に意識を向けた。優秀だと言われたい、とまでは言わないけれど、せめて使えないとは思われないように。先輩の役に立ちたいという思いは多分に下心を含んでいた。

校内にチャイムが鳴り、「城瀬」と声をかけられてパッと顔を上げる。皇坂先輩と目が合って反射的に目を逸らしそうになり、グッと堪えて「はい?」と返事をした。
「今、どのくらい終わった?」
「あ、はい、もうあと少しです。遅くてすみません」
「もう終わる?」
「え? はい…………えっと、もしかして何かやり方を間違えてますか……?」
訝しげな顔をして席を立った皇坂先輩が俺のところまでやってきて、書類を確認し、傘立てを見てハッと動きを止める。俺は一瞬で冷や汗をかき、緊張がバレてしまいそうな声で「すみません」と謝罪の言葉を口にした。
「謝る必要はない」
「え」
……悪い。顔が怖いとよく言われるんだが、怒っているわけではない」
「あ……いえ、俺も、話も聞かずにすみません。それじゃあ何か問題があるわけではないですか……?」
「問題ない。仕事が早いから驚いただけだ。しかも、わざわざ傘を番号順に並べてくれたのか」
「その方が見やすいかと思って。余計なことをしてすみません」
「どうして謝る? ぐちゃぐちゃになっていて分かりにくいとは思っていたが、整理を後回しにしていた。だから、助かった。先生方が優秀だと言っていた意味がよく分かった」
……あ、ありがとう、ございます」
「礼を言うのはこっちだろ。ありがとう」
……!」
はじめて、皇坂先輩の笑みを見た、こんな間近で。お礼を言われたというのになんの言葉も出てこなくて、俺はただゆっくり頷きだけを返した。口を開いたってきっと意味をなさない呻き声が溢れるだけだ。
「中断させて悪かった。残りも頼む」
「は、はい」
……ところで、城瀬」
「はい?」
「お前は生徒会に興味はないか?」
「え?」
作業を再開させていた手を止めて顔を上げた。席に戻った皇坂先輩はペンを置いたままで俺の方を見ている。俺は言われた言葉を頭の中で繰り返し、もう一度「え……?」と小さく溢した。
「字が綺麗で気が利き、丁寧な仕事をしてくれる。生徒会に誘うには十分な理由だろう」
……! お、俺が、ですか?」
「何か入れない理由があるなら聞こう」
「理由、というか、俺なんかが役に立つとは」
「現在進行形で役に立っているが」
「そんな、誰でもできることでしょう……?」
「誰でもできることではないからお前を誘っている。他には?」
……
「部活やバイト、家の都合もあるだろうから、今すぐにとは言わない。だがもし今日みたいに手を貸してくれるなら、とても助かる」
……生徒会は、ちょっと、考えさせてほしいです。でもただ手伝うだけなら、俺でよければ、いつでも」
……ありがとう」
柔らかい表情を浮かべた皇坂先輩に、心臓が飛び出していきそうになる。顔が怖いだなんて、とんでもない。こんなにかっこよくて綺麗な人は他にいないのに。
「今日はもう何も予定はないんだったな?」
「はい。まだ他にも手伝えることがありますか?」
「いや、そうじゃなく。電車通学だよな? 駅まで一緒に帰れるか?」
「え!?」
……今日の礼に、駅前で何か奢る。迷惑か?」
「そ、え、いえ、でも、あ、」
……ふ、ふふ。急に壊れたな」
……!」
「笑って悪い。考えておいてくれ。俺もこれだけ終わらせたい」
皇坂先輩は口元を隠して笑うとポンと手元のファイルを叩いた。二人きりだということを作業に集中することで意識しないようにしていたのに、帰り道では気を紛らわせるようなものが何もないじゃないか。先輩がペンを走らせる音も、紙を捲る音も、小さな呼吸音も、さっきまで気にせずにいられたのに急にそれらが俺の思考を支配して集中が続かなくなる。
あと少しがなかなか進まず、なんとか全てを終えた頃にはすっかり疲れて、俺ははぁと大きく息を吐いた。
「終わったか」
「! はい!」
「あと五分だけ待っててくれ。すぐ終わらせる」
「はい、いえ、どうぞ、ごゆっくり」
「ふ」
……教室に忘れ物をしたので、一度席を外してもいいですか?」
「ああ。帰るなよ」
……すぐに戻ります」
書類から顔を上げないまま集中している様子の皇坂先輩に背を向けて静かに生徒会を出る。普段通りの足取りで廊下を進み、階段を半分下りた踊り場で、俺はガクッと膝を折ってしゃがみ込んだ。ポケットからスマホを取り出し、時間を確認してから連絡先から友人の名前を探し出す。
『もしもし、由鶴?』
「たすけて恋くん!」
『は? なに?』
「このあと先輩と一緒に帰ることになっちゃった! どうしよう!」
……へー、よかったじゃん』
皇坂先輩と同じ生徒会役員であり俺が今日皇坂先輩を手伝うことになるキッカケを作ったクラスメイトは、顔を見なくてもニヤニヤしているのが分かる声でそう言った。よくないよ!と訴えると笑い声が返ってくる。こっちは心臓がバクバクで、頭は真っ白だというのに。
『やるね、逢先輩』
「なにが!?」
『由鶴をこんなに混乱させられるの、あの人だけなんだろうな、って。楽しそうでなによりだわ』
「恋くんにはこれが楽しそうに聞こえるの……
『楽しいでしょ。好きな人と一緒に帰るの。高校生の夢じゃない?』
……
『楽しんできなよ。また明日話聞くし』
……うん」
『大丈夫、由鶴のこと嫌いになるヤツなんてまずいないし、大抵の人は好きになるから』
「ふふ、ありがと」
『や、冗談じゃなく……まあいいか。逢先輩も由鶴のこと好きになるんじゃない?』
「さすがに言い過ぎかも」
『いやいや、さすがに』
「ふふ、もう。……ありがと、がんばる。ごめんね、もしかして真央と一緒だったかな?」
……じゃあ、また明日!』
にこやかな挨拶を最後に電話は切れた。俺は空気まで鮮やかな夕焼けに染まったような校舎の中を見つめ、一人で「よしっ」と声に出す。何を頑張るのかはよく分からないけど、とにかく、頑張る。せめて皇坂先輩に悪い印象を持たれないように。
隣を歩くことを考えるだけで顔が熱くなったけれど、これは夕焼けのせいにしよう。もうずっと早いままの鼓動にはきっと気が付かれないはずだ。