めやぬら
2026-05-31 23:46:16
6097文字
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こども

不定期週刊燐一
夢の中で、子供の頃の一彩に会う燐音の話。
きっとこうしたかったんじゃないかな、こうしてほしかったんじゃないかな、という妄想。現実では、燐音は過去のことについて謝らないと思います。

 本当に酷い夢だ。それが明晰夢ならなおさら。

 気が付けば故郷にあった荒屋にいた。記憶の奥底のどっから出してきたんだと思うような木造の粗末な小屋で、確か適当な山仕事の道具や一時的な薪置き場とかで利用していたのだったか。
 なんとも不可思議な状況にもっといい夢見ろよと自分でも愕然とするが、どうやらただ閉じ込められたわけではないようだ。部屋の隅にうずくまる影がある。

………

 静かに、部屋の隅に背中を預けて膝を抱え、板の隙間から床に伸びる光の筋を眺めている子供。
 くるくると跳ねた赤い髪が壁に押し付けられ、橙の耳飾りは柔らかい耳朶で重そうに揺れている。明らかに小さい頃の一彩は、裸足のつま先を撫でる陽の光から逃げるように足先を重ね合わせ、物憂げに床を眺めていた。
 その膝を抱える手も頬も少し汚れている。裸足の足元は枝や土がついていて、その辺をそのまま歩いてきたような姿で、何かがあったんだろうな、と察するのは十分だった。

 確か明晰夢は、夢だと分かっていても、自分の思うように変えられることはないんだったか。

 どうやれば目覚めるのか、何をすべきなのかもわからない。とりあえず情報を集めようと、子供に話しかけた。

「あー……一彩、か?」

 ぼんやりと床板の隙間を見つめている一彩に問い掛ければ、弾かれたようにこちらを見上げる。そして、怯えたように目を見開いて、もっと隅に縮こまってしまった。

……だれ、どうして僕の名前しってるの」

 どうやら意思疎通は可能なようだが、この一彩の中で俺は知らない人のようだ。警戒を露わにしているが、まるで怖くない。愛らしい小動物が毛を逆立てたって、なんの脅威にもならないのだ。
 けれど、あまり混乱させても意味はないだろう。そうしたら目覚められるわけでもないだろうし、一彩のせいで悪夢に変わってしまったら、起きた後もしばらく引きずってしまいそうだ。覚えていたらの話だが。

「えーっと……俺はなんていうか、一彩とは親戚っていうか」
「しんせき……?あなたみたいな人、ぼくは知らないよ」
「お前の、えー、お母さんの弟だよ」
「嘘だ、お母さんは兄弟いないって聞いたことあるもん」

 自分の夢とはいえなかなか手強い。どう誤魔化したものかと色々考え、どうせ夢ならもういいか、と思考を放棄した。

……本当は、お兄さん未来から来たんだ」
……

 間違いではなかろう。夢の中です、なんていうよりもこの一彩には筋を通した方が罪悪感などない気がして、そう言った。だが、一彩は燐音をじとりと睨む。流石に怪しまれたのだろう。果たしてこの一彩は、どれほど燐音自身の意図で編まれ、どこから燐音の手を離れてしまうのか。分からない以上、普通に接してやる以外選択肢はない。

「嘘だって思うよな。でも本当なんだ、信じてほしい」
……なんで、ぼくの名前知ってたの。答えてくれたら信じてあげる」
……信じられないと思うけど、俺はお前の兄さんなんだよ。天城燐音、俺の名前」
「兄さん……?え、でも、兄さんは今……
「お前の兄さんそのものじゃなくて未来……から来たんだって。だから一彩の名前も知ってるし、ここのことも分かるんだよ。ここって山の物置小屋だろ?」
……

 信憑性のある事実も交えて姑息な説明をしてみたが、弟は難しそうな顔をして黙ってしまった。やっぱりこの説明は無理筋か?もしこのあと、一彩が悪夢らしく怪物にでも変身したらどうしようか。どうしたものかと頭を悩ませていると、一彩が少しだけこちらに寄って来た。わずかだが警戒を解いてくれたようだ。

「みらいからきた兄さん……ということ?」
「そう、そういうこと。こんなすぐに理解できて、お前は賢いなぁ」
……
「信じらんねぇ?」
「う、ううん!信じる……兄さんなんだものね、信じるよ」

 目の前の現実をうまく飲み下せなくても、兄だという自己申告だけを根拠に、一旦は信じることにしたらしい。容易く騙せることに危機感を感じるものの、すこしほっとした。そもそも自分の夢の中なのだし一々動揺するのもおかしな話だが、幼い頃の一彩に怯えられるのは少々堪えるものがある。

「どうしてこんなところにいるの?」
「俺も分かんねェんだよな……お前はどうしてここにいるんだ?なんか汚れてっし」
「兄さんを探してたんだ。あっ、未来から来た兄さんじゃないよ、僕の……
「はは、分かってるよ。それで?」
「山の中に行ったんじゃないかと思って探しに来たんだけど、草履が脱げて、どこかに行っちゃった」

 山の中に入るには軽装で来てしまったらしい。脱げやすい草履は枝や草につまづきやすいので山中には向かないが、まだよく分かっていなかったのかもしれない。よくわからないくらいの歳の頃なのだろう。

「しばらく探したんだけど見つからなくて、ここで休んでたの」
「休んでた、ねェ……無くしたの、この近く?」
「うむ。あなたはいつからここに居たの?ぼくが来たときは誰も居なかったのに」
「あー……うーん、秘密ってことで。一彩ちゃん、俺が草履取ってきてやろっか」
「えっ……でもあなただってどこにあるか分からないんじゃ……それに、兄さんにそんなことさせるわけには」
「いいからいいから、心当たりはあるから」
……
「さっき信じてくれただろ?それのお礼っていうか……な?」

 と、いうことにしておく。何でもかんでも従われたらそれはそれで楽だが、完全に兄と同一視されるのはなんというか、自分がこういう状況を望んでいたように思えて、できれば避けたい。裸足のまま探させるわけにはいかないし、この荒屋の周りがどうなっているのか把握もしたい。自分の想像力と記憶の正確さを試したいという浅はかな気持ちも、無いではなかった。

「草履って鼻緒が赤のやつだよな」
「う、うん。このあいだ挿げ替えたんだ、紅の染め」
「よし分かった、ちょっとだけ待ってろよ」

 紅花染の赤い鼻緒。一彩はその草履をとても気に入っていて、足に合わなくなるまで長い間履いていた時期があった。あれは確か七つか八つかそのくらいだ。合わなくなってからは新しい草履を設えて履いていたこともあったが、一彩の草履といえばあの目を引く赤い鼻緒のものだった。

 そして何度か、今と同じように山に取られてしまった赤い草履を探してやったことがある。派手に転んだ一彩が、意図せず背の高い茂みの上へ飛ばしてしまったのだ。あの頃は燐音も背が低く、見つけるまでに時間がかかったものだが。

 狭い小屋からでて、記憶の中の故郷につきものの、汎用的な日差しと森の光景のそれっぽいところを探す。がさがさと適当に分け入った薮の中、そこまで遠くない場所。そして思い出の光景ととてもよく似た場所で、草履は見つかった。上背のある藪に一つ、その近くの木の根にもう一つ。どう転んだらこんなことになるのかいまだに謎だが、訳のわからないところから出てくるのが失せ物というものだ。

 あっさりと外に出られたのをいいことに、辺りを見回してみる。風もなく、葉の揺らぎもない山の風景は、どこまでもどこまでも続いているようだ。近景がコピーペーストされたような遠景、地面も傾斜はあるようだが、それも見た目ほど信用できるものじゃないだろう。山は同じような景色ばかり続くが、それでも変化が全くないわけじゃない。そういう意味で、変わらない景色が広がり続けるここは明らかに現実感に欠けている。
 今のところは明晰夢。燐音の記憶を参照しているものであることは、このご都合主義的な草履の発見からも察しがつく。
 今は自分も自身の意のままに行動できているが、何がどうなるのかは分からない。これから突拍子もない展開になっていくのか、稀に見る寝覚めの悪い夢になるのか。さてさて八卦。出たとこ勝負で楽しもうと、幼き一彩が待つ小屋へと戻った。