燈 ともしび
2026-05-31 20:57:10
3772文字
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ぎゆさね【こい、ねがう/こい、こがれる】

キ学軸。ゆっくりと愛を育む。

【こい、ねがう】

 手のひらにのる、小さな金属。
 溝が多いのは複製出来ないから紛失にはくれぐれも気をつけてください、と入居初日に何度も念押しされたのを覚えている。それとよく似ている。でも同じではない。
 だって、うちのマスターキーは通勤鞄の中に入っているし、スペアキーは鍵のかかる引き出しに入れてある。だからこれはうちの家の鍵ではないのだ。
 なら、これはどこの鍵か。ご丁寧に鮭のキーホルダーがぶら下がっている、鍵。
……冨岡の、家の鍵。
『不死川、これを』
 ある日そう言って冨岡が俺にくれたものだった。

 冨岡と俺は一年前から付き合い始めた。その、いわゆる恋人ってやつ、として。
 飲み会帰り、酔って潰れた俺を家まで送って貰ったのをきっかけに仲良くなり、それまで誤解していたことが解消されていくにつれ俺は冨岡に惹かれていった。
 今まで女性としか付き合ったことがなかったので驚いたし躊躇いもあった。それでも恋は落ちてしまえばどうしようもない。玉砕覚悟で告白をすると冨岡は優しく笑って抱きしめてくれた。嬉しい、と。
『嬉しい、不死川。俺もずっと好きだった』と。
 二人同じ思いを抱えて、そしてそれが叶った瞬間だった。俺はとても幸せだった。
 それからも幸せはずっと続いた。好きになる前は冨岡の言動に対する誤解もあり毎日のように喧嘩していたのに、今では軽い言い合いになることすらなくなった。冨岡の言葉の真意を正しく俺が受け止められるようになったこともあるが、それよりも冨岡が俺に接する時に蕩けるような優しい顔をするからかもしれない。
 愛おしい。大好き。
 そんな顔をして好きな人に見つめられたら喧嘩なんてするだけ時間の無駄だと分かる。それと冨岡は俺にずっと優しく、そして言葉を惜しまずに愛情を伝えてくれる。これでは幸せが加速するだけだった。だから順調だったのだ、俺たちの恋は。
 この鍵を渡されるまでは。

 冨岡も俺も同性を好きになるのは初めて。もちろんそっち方面の知識なんてない。
 それでも良かった。視線を合わせ会話をすること、夕食を共にして笑い合うこと。二人で何かをするだけで幸せで満たされていた。
 ただ、そう思っていたのは俺だけだったらしい。
 ある休みの日、一緒に買い物に出掛けた帰り道。珍しく真剣な顔をした冨岡は俺に言った。
『不死川に触れたい』って。
 触れたい、でも不死川が望んでいないことは出来ない、したくないと。
 触れたい、という欲が『手を繋ぐ』とか『ハグする』というような友達でも出来るようなレベルのものではないことを、その瞳の奥に宿る熱が伝えてきた。俺はなんて返せば良いのか分からなくて黙ってしまって、でも冨岡はポケットから鍵を取り出すと俺の手のひらに落とした。
『これは、俺の家の鍵だ』
 知ってる。冨岡の家に行ったことは何度かある。キーホルダーまで鮭かよって笑ったのも。
『今年のクリスマスは平日だからお互い仕事で帰り時間が合わないかもしれない。だから』
 俺はそれを聞いてああそうかと思った。単純に。平日だけど冨岡の家で待ち合わせしてクリスマスパーティーみたいなのをしたいのかと。直前の冨岡の熱を見たのに、そう思った。はっきり言ってバカだった。
『不死川、これは俺の賭けだ』
『え……
『この鍵を使うのは──』

 握りしめていた手のひらの鍵をドアに差し込む。当たり前だが金属音がして解錠される。少し躊躇ったあと、ドアを引けば冨岡の部屋は簡単に開いた。
 玄関内の灯りはついている。中に人が、冨岡がいる気配もする。当たり前だ。だって今日は俺の方が後に学園を出たのだから。靴を脱いで上がれば後ろでドアが自動的に施錠された音がした。
 そのまま廊下を歩いてリビングに繋がるドアを開く。すると冨岡が立っている。しばらく黙って見つめ合う。そこにおかえりもいらっしゃいもただいまもお邪魔しますもない。いつも見せてくれる優しい微笑みも、ない。

「これが……不死川の答えだと思って良いか?」
 冨岡は静かにそれだけを言った。
 だから俺も黙ったまま近寄った。近寄って、そして。
「てめえの欲しいもの、くれてやる」
 冨岡の背中に両腕を回して抱きついた。抱きついて、そして。
「だから俺の欲しいものも、寄越せ」
 と、その耳に囁く。
 冨岡はまるで壊れものを扱うかのようにそっと俺を抱きしめた。そして
「不死川、抱くぞ」
 と言った。
 本当に良いんだな、と今更な念押しをされたから
「ばーか。とっくにその気しかねえんだわ」
 と大笑いしてやった。
 俺のサンタは欲張りで、頑固で、そしてとても愛おしい。