豆炭々炬燵
6784文字
Public あかね噺
 

【魁朱】水鏡

――水面に映るは己の姿であって己自身にあらず
魁生☀️兄さんと朱音🪭が相互理解を深める話(他意はない。


 人混みを遡上するごとに見え隠れする朱音の装いに魁生の涼やかな目元が丸い黒縁メガネ越しにスッと眇められた。
 当てつけか、はたまた着る機会があまりなくたまたま着てきたのか。燦々に照り付ける太陽から剥き出しの肩を薄く隠す裾の短い淡いシャツ。その下に揺らめくドレスは見紛うことなき一生師匠が指定したドレスコードのある店に入店するため朱音自身が選んだドレスだ。大ぶりの花が散りばめられ華やかで大人びた印象がものの見事、多少時と場所にも左右されるがコーデ次第でこうも彼女色に染まるのかと柔和な笑顔の下で独り言ちる。

 「待ちました?」
 「全然、今来たとこ」

 これから向かう先を軽く指差しつつ歩き出せば朱音が魁生を心底安堵した顔で息を吐いた。
 頭の天辺から爪先まで一目見て分かる上等なジャケットと首元のボタンを外したストライプ柄シャツ、黒のズボンをそつなく着こなし、規則正しく敷き詰められた石畳の上を歩く足元に視線を落とせば艶やかな黒が歩くたび潤いを帯びた光を放っている。

 「魁生兄さんオシャレしてくれてて良かった~」
 「と、言うと?」
 「このドレス、理由はどうであれもう一度着たいなあって。ずっとクローゼットに入れっぱなしもなんだし……。もし、私だけ気合入り過ぎて浮いちゃたらどうしようって思ってたんですよ」
 「君のお眼鏡にかなってなにより。僕もまたそのドレスを着こなす君とデートできて嬉しいよ」
 「・・・あ゛?」

 こいつ今デートって言ったか?と、顔にでかでか書かれている朱音からわざとらしく魁生が話題を逸らす。

 「折角のお天気だけど、このままじゃ二人揃ってゆでだこになっちゃうし涼しい所に行こうか」
 「涼しい所ってどこっすか」

 正直まだ話は終わってない、が、暑さに参り気味な人々を横目で見やる。冷房の恩恵が切れた途端、めでたくあちら側の仲間入りを果たす未来が熱風となって二人を追い越していく。
 日本の夏特有の蒸し暑さがじっとり肌に纏わり付く不快感が多少和らぐなら……、不承不承苛立ちを抑えるも唇を尖らせた朱音が訊ねた。
 ジト目の上目遣い。当初より薄まった彼女の警戒心が嬉しくて心なしか前のめりになる姿勢を正す。疑り深い紫苑の瞳に映り込む魁生の顔はさぞ喜色満面だったであろう。含みある豊かな声色で「あかねちゃんがすっごく喜ぶとこ」茶目っ気たっぷりに囁くと、苦虫を嚙み潰したような顔で睨まれ――

 「うっわー! この子かわいいー、ずっと付いてくる!」

 理路整然と並べられた四角い水槽の中を泳ぎ回る金魚を目を輝かせて見入る朱音に魁生の顔が綻びに綻んだ。期待通りというか何というか。ここまで喜んでもらえるとは連れて来た甲斐があったというもの。
 薄暗く空調の利いた室内。所狭しに置かれた水槽ひとつひとつを照らす照明の光を受け、小さくも鮮やかな体を透明なガラス越しに見せつける金魚たちに朱音の目は釘付け。赤、白、黒、黄、色とりどり金魚が泳ぐ水槽の前を行ったり来たり。好奇心に目を輝かせ「ひれの長さや大きさ、そもそもの体型とかお祭りの金魚すくいで見るやつと全然違う。種類もこんなに沢山いるなんて知らなかった」顰めた声でしみじみ観察する朱音と目線の高さを合わせるべく腰をかがめた。

 「僕、金魚飼っててね。たまにこうして観賞魚を扱ってるお店巡りしてるんだ」
 「金魚飼ってるんですか!?」
 「意外?」
 「意外つーか、ちょっとまた親近感」

 表情豊かにコロコロ変わる様は本当に見ていて飽きない。
 魁生の言葉にバッと振り返る驚嘆に満ちた顔が、そうそうと共感に染まりはにかんでいた顔が、ゆるりと目の前で元気よく泳ぐ金魚越しに遠くをぼんやりと眺め、その瞳が水面の煌めきを受け何処か寂しげに睫毛に掛かる光景を魁生が静かに見つめた。

 「私も小学生のとき金魚すくいで掬った金魚飼ってたんですけど、……長生きさせてあげられなくて」
 「そっか」

 周囲には二人の他、家族連れもいて賑やかなはずなのに規則正しくエアーを送るポンプの駆動音と水泡が弾ける音がやけに耳に残る。
 感傷的な気配を誤魔化すように大仰な仕草で他の水槽を指差す朱音に魁生が何てことのないようにぽそり呟く。

 「今飼っている一番長生きな金魚、お祭りの金魚すくいの子なんだ」
 「え、すっご!」
 「昔は金魚鉢で飼ってたんだけど、大きい水槽に移し替えたらこれがまた大きく育ってね」

 見る?と、自分のスマホを朱音の方へ傾ける。
 魁生のスマホ待ち受け画面に映し出される金魚すくいで見かける金魚の約10倍以上ある大きな朱色の魚に朱音の目が面白いくらいギョッと瞠った。水面でエサを求める金魚のように口をぱくぱくさせ何度も画面に映った金魚と目の前にいる小さな金魚を指差す光景に魁生は何度も頷く。

 「はへー。金魚ってこんなにデカくなるんですね」
 「特にこの子は小さい時から僕の落語の稽古に付き合ってくれたからか、僕が座る仕草をするとスーッと近付いてきてこれがもう可愛いのなんのって」
 「めちゃくちゃ懐いてるじゃないですかっ」
 「他の子も見るかい?」
 「見ます見ますっ。あっ、この子コロコロまん丸で可愛い!」
 「ピンポン玉みたいなフォルムがいいよね。他に上から見ると蝶みたいな優雅な尾ビレを持つ子もいるよー」
 「この子めっちゃ綺麗!」



 ――
 ――――
 ――――――

 丁度人が疎らになったタイミングで入店できた恩恵から広々としたボックス席に通されるや、ここに来る僅かな距離で暑さにやられ溶けかけた朱音の口から漏れる「涼しい~」に魁生が「酷暑だねえ」と頷きつつ向かい席に腰を下ろした。
 あの後、魁生が飼育している金魚もといウチの子自慢から「今度は君の番」と、暗に朱音の事を知りたがる魁生に何の疑いもせず朱音は二つ返事を返した。
 流れるような動きでスマホを取り出すなりピン止めしていた行ってみたい喫茶店リストから然程遠くない所を選んだ。が、多寡が数分されど数分太陽が一番高い時間帯に外を歩くのは些か自殺行為なのを身を持って味わう羽目になった。

 「あ~、お水がおいしい~」

 お冷を一気に飲み干しようやく一息吐き、二人揃って年季の入った手書きのメニュー表を覗き込む。
 目移り必須な豊富なランチメニュー。手堅くいくか、それとも冒険をするか。決めあぐねる朱音の表情は真剣そのもの。最終的に二品にまで絞れたらしく眉間に皺を寄せ熟考する幼さが際立つ朱音に魁生が声を掛けた。

 「僕、これ頼もっかな」

 魁生の指先がテーブルに広げられたメニュー表をコツコツ叩く。
 朱音がメニュー表に落としていた視線を上げれば、頬杖をつき微笑む兄弟子と目と目が合った。念を押すように長い指先が差す先にあるのは朱音が悩んでいたメニューのうちのひとつ。ある種選択肢が無くなった事で「じゃあ、私はこれで」迷わずもうひとつのメニューを頼む朱音の耳にスッと涼やかで甘く願いがってもない提案が入り込んだ。

 「いいねえ、そっちと頼むか悩んでたんだ。良かったらシェアしない?」
 「……いいんですか?」
 「もちろん。さっきも言ったでしょ? ――今度は僕が君の事を知る番」

 素直に喜べないのは此方を試すような目で見られているからか。かと言って有難い申し出を断る道理があるわけもなく、極力意識してすげなく了承したところで隠し事をしないだけで本心を言わないまるで気紛れ猫のような魁生の表情を変えるまでには至らない。

 「へえ? 小さい頃志ぐま師匠に喫茶店に連れて行ってもらってたのが切っ掛けでカフェ巡りしてるんだ」
 「レコード集めも師匠の影響受けまくりで」
 「道理で……

 言い澱む魁生の目が朱音にも分かるほど何を言いたかったのか分かってしまえば世話ない。
 取り皿に分けたナポリタンにタバスコを数滴垂らし品よく食べる様まで絵になるなこの人、と朱音は内心呟きつつ心持ちケチャップソースに気を付けながらナポリタンを頬張った。
 ふと、一生師匠に呼び出され振舞われた高級料理を思い出す。状況が状況のお陰で料理の味は殆ど記憶に残っておらず、ただぼんやり「おいしかった、かも?」程度の印象しかない。
 その抜け落ちた記憶の破片をかき集め補うかのようにシェアしたナポリタンとパンケーキを大いに味わい胃に収めた。好ましいレトロな喫茶店内の雰囲気も相俟って匂い、味、食感から伝わる美味しさを何倍にも跳ね上げる。

 「あかねちゃん、この前と違って美味しそうに食べるね」
 「それ、そっくりそのまま返しますよ魁生兄さん」

 一度すっとぼけた後肯定する魁生につられ朱音も首肯した。
 スマートな所作で紙ナプキンを渡す魁生に「そのうち気が張り詰めていようが料理の味が分かるようになる」なんて言われても、朱音は眉間に少しだけ皺を寄せ口元のソースを拭うしか出来ない。気恥ずかしくて拭き取った紙ナプキンをテーブル端に寄せる間も温かみを含む眼差しを送ってくる若藤が朱音の胸をむず痒くさせ、引き込まれそうなくらい澄んだ瞳孔に自身の腕を摩った。

 「あの時聞けなかったけど、そのドレスを選んだ理由聞かせてもらっても?」

 さりげなさを装う口調の裏側、優雅に枝垂れた藤のような魁生の本音が一瞬見えた気がした。

 「――ひかるが着ていたワンピースの柄が可愛くて、コレ似てるないいなって選んだだけです」
 「あかねちゃんとほぼ同期の、一剣師匠直々に声掛けて弟子入りした子だね」
 「(でも、本当は……、)」

 「本当は僕が選んだ服じゃなく、自分で選んだ服を着たかった。なぜなら――、っとこれ以上は野暮か」

 見計らったように口に出さなかった心の声に被せてくる魁生の物言いは容易く朱音の唇を真一文字に噤ませる。

 「図星?」
 「……相変わらずカマ掛けるの好きですね」

 せめてもの情け、あるいは揶揄う材料を残しておきたいのか。最後まで言わない魁生を睨みつけメロンソーダを半分近く一気に啜る朱音に対し、「いつ時かみたいにファイティングポーズを取らないだけマシ」そう向かい席座る彼女を視界に収めたまま、目当ての物を懐から取り出すなり、大きな口を開けてパンケーキを頬張る朱音の意識が向くよう目の前で魁生がひらひら揺らした。

 「それじゃあ、お詫びにこのあと映画観に行かない?」
 「いっっっーーーーーー……きます」
 「決まりね」

 猜疑に彩られた目を向けたまま、エサを食べたくば見たかった映画を見たくば近付く他ないと悟り渋々歩み寄ってくる猫と朱音がダブって見えた魁生の腹筋が今日一力が入ったのは言うまでもない。
 来る一生會のため相互理解を深めるべく朱音を誘ったのは紛れもない魁生の本心であり、仕事とはいえ都合をつけ誘いを受けた朱音も少なからず魁生を知りたいと思っての事。互いの距離感、間合いを測り何処まで踏み込んでいいか、駆け引きにも満たないお遊戯染みた腹の探り合い。
 ひたむきな言葉に対して可能な限り真摯に返していき、着々と今まで見せていなかった見た事の無かった一面を無意識のうちに見せていく相手に悪い気になる者はいないだろう。
 会計を済ませ映画館に向かう道すがら他愛のない話に盛り上がり、映画館に着く頃には大分緊張が解れた態度を見せる朱音に魁生の心に喜びが灯る。どれだけ嬉しいかと言えば、真剣に映画に見入っている朱音の頬が濡れる瞬間を横目で凝視してしまうほど。

 「……ざっす」

 さも、たまたま見たら気付いた体でハンカチを差し出す魁生から朱音は何も疑わず受け取り視線を銀幕に戻した。
 その一連の流れさえ興味深く魁生が観察しているともつゆ知らず。

 「(ジャケット羽織ってきてよかった)」

 上映前魁生が気を利かせ「劇場内冷えるかもだし、ブランケットレンタルする?」朱音に勧めるも「大丈夫っすよ」なんてシアター内の空調を侮った発言をしたが最後、時間が経つにつれ二の腕を擦る動作が増えたのは当然であり、徐に魁生がジャケットを朱音に貸す流れは様式美に近い。
 体格差の違いから羽織っているジャケットはぶかぶか。余り袖から伸びる手が肌触りの良いハンカチを胸元近くで硬く握りしめ続け、時折り潤む視界を拭う朱音は結局エンドロールが流れるまでずっとすすり泣いていた。

 「ハンカチ洗って返します」
 「いいっていいって、それは君に……

 途中まで出かかった言葉を飲み込んだ魁生の口角が上がる。

 「なら次のデートで返してもらおっかな」
 「はいっ。ちゃんとアイロン掛け――魁生兄さん? 今、なんて言いました?」
 「あっ、そうそう。今日のお礼に君に渡したい物があって」

 いけしゃあしゃあ、あからさまに話を逸らした上でリアクションを楽しんでいる魁生に詰め寄った所で暖簾に腕押し。現に妹弟子が傍で威嚇しようが唸ろうがお構いなしで、目当ての物を見つけるなりパッと花が咲くような笑顔で目くじらを立てかけている朱音の目の前に差し出してくる始末。
 一目見て分かる高級な細長い木箱。訝しげに魁生と木箱を交互に見つめる朱音に魁生は勿体ぶる事無く、上等な桐箱の蓋を開け中の代物を斜陽の下に晒した。

 「……きれい」

 夕陽を受け煌めく簪が朱音の目を奪う。
 潤いを帯びた金色の輝きがスッと伸び、丸く区切られた水紋の中で赤と黒の二匹の金魚が優雅に泳ぐ簪に思わず感嘆の声が漏れた。先ほどまで手が出そうだった雰囲気とは打って変わり、穏やかな表情で見下ろす朱音に一言断りを入れ彼女の夜の帳を割れ物を扱うような手付きで纏め上げ簪を差した。

 「うん、思った通り似合ってる」
 「そう、ですか?」

 鏡で確認できないもどかしさを上回る気恥ずかしい気持ちで簪が差してある付近に手を添えはにかむ。
 丸い水紋から垂れ下がる黄金の穂が風に吹かれシャラシャラと鳴る度、光の粒が二人の間で瞬いた。その様子を一人満足げに頷き朱音の耳元に顔を寄せ「それ、何か特別な時に付けてくれると嬉しいな。例えば――僕と一緒の時とか」含みある物言いを残すだけ残した魁生が桐箱を朱音に渡して踵を返したのはいいものの、肝心の朱音と言えば……

 「魁生兄さんとの二人会とかでしてけばいいって事か」

 全然響いてすらなかったという。