「かけおち?」
カバキは右隣りに座るトガシの驚く顔が見れたので、満足して頷いた。
珍しく酒がだいぶ回ったので心地が良く、口が軽くなっていた。他に誰もいない、という事を分かっているのもある。
クサシノの陸上選手を集めた内輪の飲み会であった。日本陸上直前に契約が切れたトガシも呼ばれていたので、珍しいと思って普段あまりこういった場に来ないカバキも来ることにした。あの日の話も、怪我のことも色々話したかったからだ。最初は10人くらいいたと思うが、一人、二人と減りはじめ、気がついたら居酒屋の個室に残ったのはトガシと自分の二人きりだった。あまり最後までいないタイプのトガシが残ったのも珍しくて、酒が進むままに色々な話をしているうちに、恋愛の話になった。「カバキくんってモテそうだよね」という話から、一人しか付き合ったことがないという話になり、地元の親友以外しらないその相手の事を話してしまった。
「その家庭教師だったっていう大学生の人と、カバキくんが?」
コロナで競技会どころかインターハイまで全部なくなり塞いでいた時に、大学に行く可能性が出てきたということで、両親が慌てて家庭教師をつけた。その相手がカバキが唯一付き合った女性だった。
トガシの声に頷いて、カバキはチューハイを一口飲む。
「そです。初めてだったっていうのもありますけど、ホントに本気だったんですよ。でも相手女子大生だし、年上だし。絶対許さないって言われて。駆け落ち寸前までいきました。早朝の駅で待ち合わせてたんですけど、相手の親にばれちゃって」
「へー、すごいね、情熱的」
「好きだったんですよ
……ほんとに。陸上も何もかもどうでもよくなって。このままこの人とどこか遠くにいって幸せになる!って本気で思ったんですよ。高2の俺は」
「へぇ
……カバキくんが
……」
「ガキだったんですよ」
「まだ21なのに、その台詞はどうなの」
思わずカバキも笑ってしまう。でも本当にガキだったのだから仕方ない。
「なんで別れたの?」
「お互いの親に色々言われて高校卒業まで待てって。でも相手が就職で、東京に行ったと思ったらそのうち連絡が取れなくなって
……っていう。ありがちなやつです」
「
……それでこっちに本社があるクサシノに来たの?」
「それはまた別です。結局俺もまた走り始めたら陸上の方が大事になったし、その頃には完全に終わってたんで。たぶん、向こうも東京で良い相手が出来たんでしょうね」
「
……それは、つらかったんじゃない?」
「俺はつらかったですよ。もう死のうかとは
……さすがに思いませんでしたけど」
でも記録は伸びましたね、と言うとトガシが笑う。
「そういうところ、カバキくんぽい」
そう言ってトガシはビールを飲んだ。頬が薄く染まったトガシの横顔は、男のカバキからみても魅力的だと思う。
「
……トガシさんの話も聞かせてくださいよ。トガシさんはめっちゃモテるでしょ」
「全然だよ、ほんとに」
「嘘ですね。この間本社にきてたとき、ご飯に誘われてましたよね?」
「え~、見られてたの?」
日陸直前に契約が切れたトガシだったが、事務手続きがあったとかでクサシノ本社に来ていたところをたまたまカバキは見た。挨拶をしようとしたところに、出くわしてしまったのだ。
「あっさり断ってましたよね。けっこうキレイな人だった気がしましたけど。ちゃんと恋人がいるからですか?」
そういう話を聞いたこともないが、見えないところで結構遊んでいるのだろうか。
「実はねぇ
……」
トガシはグラスを弄びながら少し逡巡したあと、ふわりと笑った。
「かけおち、なんてすごい話をしてくれたカバキくんだから、言っちゃおうかな。俺ねぇ、誰とも付き合ったことないの」
少し照れたような笑顔を向けるトガシに、カバキは驚いて目を大きくさせた。
「
……全部遊びだったとか、ワンナイトだった、とかってことですか
……?」
「あはは、違う違う。俺、童貞」
手を振るトガシに、カバキは疑いの目を向けてしまう。
「
……トガシさんが?」
トガシがふふっと笑って目を細めた。
「そうだよ。あと5年で魔法使い」
「まじすか
……?」
トガシは右肘をついて手の甲に顎を乗せ、カバキに視線を向けてくる。そんな仕草だって十分魅力的に見えるのに、とカバキはまだ半信半疑だ。
「え、なんで
……? あ、実はゲイでそっちの経験がないとか?」
「言うねぇ、カバキくん。残念だけど前も後ろも使ったことありません」
「うそでしょ」
「ほんと」
「え
……なんでです? いや、まじで、普通に告白されたり、誘われたりするでしょ、トガシさんなら
……」
「そうやって言われるから、めんどくさくてさ
……適当にごまかしてるんだよね」
手の平に顔を乗せて頬杖をつくと、トガシは遠い目をする。
「興味ないんだよね
……全然」
「どういう意味です?」
カバキが首をかしげると、トガシは「うーん」と少し考えてからカバキに視線を向けた。
「
……他人に対して、そういう気持ちがわかないんだよね。相手が女だろうが男だろうが。キスしたいとか、やりたいとかそういう気持ちが一切。こういうのなんていうの? アセクシャルっていうんだっけ?」
「は~、そういう
……」
カバキは素直に驚いた。たしかにトガシは他人に興味がないタイプだと思っていたが、まさかアセクシャルで誰とも性的経験がないとは思わなかった。
「俺、周りにそういう人いなかったんで、単純な興味で聞くんですけど、全然全く思わないんです? ヌードとか見ても興奮しないんですか?」
「カバキくんもそういうの興奮する?」
「まぁ、それなりに
……というか。中学くらいだと勝手に反応しません?」
「中学のときはメンタルやられてたからな
……0.01秒でも勝たなきゃっていうので筋トレばっかしてたし
……」
「服の隙間から見える胸元とかは?」
「別に
……見ないし、何とも思わないかな」
「エロ動画みたことないんですか?」
「
……一応あるけど」
「
……勃たなかったんですか?」
「なんか気持ち悪くて見てられなかったんだよね
……」
「気持ち悪い
……なるほど」
俄然、興味がわく。カバキはずいっとトガシの顔の至近距離まで自分の顔を近づけた。あと少しでキスできそうな距離まで詰める。自分で近づいたにもかかわらずカバキはこのままキスしてもきっと嫌じゃないな、と思って自分で驚いた。
「こうしても全然ドキドキしないってことですか? ま、俺は男ですけど」
話すと息がトガシの肌にかかる距離で囁く。トガシの瞳に自分が映るのをカバキは見た。
「ならないね。どんだけ美人にすり寄られても、困ったなぁくらい」
「へぇ
……」
顔色一つ変わらないトガシをしばらくそのまま見つめたあと、カバキはゆっくりと顔を戻して、グラスに口をつける。カバキは早く鳴った心臓を気づかれないようにおさめようとした。
「これが結構面倒でさ
……シーズン中はシーズンだから、でごまかせるんだけど、シーズンオフだとけっこう誘われたり聞かれたりするから大変で
……」
「まぁ、でしょうね
……」
トガシは外面がいいところがあるので、人当たりがいい。一見すると話しかけやすいし、声をかけられることも間違いなく多かっただろう。社交性もある程度あるし、周りをよく見ているので気づかいが出来るし、端から見ていると優しそうに見える。競技選手は魅力的に見えるのは前提として、なかでもトガシは顔が良いほうなのだ。放っておくわけがない。
トガシがそういう人だとは思わなかった。だからあまり飲み会にも来ないし、来ても早めに帰るのだと納得する。
「じゃあ、なんで今日は来たんです?」
「契約切れたのに声かけてくれて嬉しかったし
……まぁ、たまにはね
……と思って」
「なんで帰らなかったんです?」
「めずらしくカバキくんがいるなぁ、ちょっと話したいなぁ、帰らないなぁ
……と思ってたらいつの間にか二人きりになっちゃったね」
「どういう意味ですか
……トガシさん、そうやって泣かせた人たくさんいますよね?」
「いないよ。興味ないもん」
相手は興味があるでしょうに、と内心で呟いてカバキは呆れる。
「好みの顔、とかそういうのもないんですか? ときめいたり、とか。好きな人ってかわいく見えたりカッコよく見えたりしますよね?」
「カバキくんのすました顔でそんなこと言われると、新鮮」
「一般論ですよ」
カバキが言うと、トガシは「うーん」と目線をあげて考える。
「しいていえば、カバキくんの顔は結構好き」
「は?」
へらっと笑った顔でトガシが人差し指をカバキに向けてくる。
「さっきここまで至近距離でせまられても嫌じゃなかったよ。俺、あそこまで迫られたらさすがに体背けるよ」
カバキは一瞬どきりとする。こうして無意識に落とした相手が多数いるのではないかと疑いたくなる。いや、間違いなくいる。
こんなに他人に興味がない人を、振り向かせられたら結構すごいのでは、なんてカバキは軽く思ってしまった。
「ねぇ、トガシさん」
「なに?」
「ちょっと試しに聞きたいんですけど、匂いが嫌じゃないって結構重要なんですよ。匂いが好きって相手に好意を持てるかどうかって指針になるんです。俺、今日シャワー浴びる時間なくて汗だくのまま着替えてきたので、結構汗臭いと思うんですよね。ちょっとここ匂いかいでくれません?」
カバキは右耳の後ろを指さして、トガシに示す。トガシは素直にカバキの首筋に顔を寄せてきた。トガシの顔が真横にある。鼻が触れそうなほどの距離に近づいて、空気が吸われて耳元の匂いを嗅がれる。
「全然、汗臭くないよ。っていうか、なんかいい匂いするね、カバキくん」
顔を戻したトガシが素直に言う。「え、俺もかいで」とトガシが少しシャツを指で下げて、左側の首筋を見せてくる。
「俺もシャワー浴びれなかったんだよね」
そう言われて、カバキはトガシの首筋に顔を寄せて息をすう。トガシの匂いがつよい。けれど、もっと嗅ぎたいと思った。
「くさい?」
「いや
……なんかもっと嗅ぎたい匂いでした」
「そなの? じゃあ、俺たち相性がいいのかな?」
何の興味もなさそうにトガシが笑う。カバキはあまり深く考えずに、トガシに体を寄せた。正直、なぜこんなことを言ってしまうのか自分でも不思議だった。
「ね、トガシさん。もしかして、アセクシャルだって思いこんでるだけかもですよ」
「どういう意味?」
「俺の顔、好きなんですよね? ためしに付き合ってみます?」
カバキがそういうと、トガシはさすがに戸惑った視線を向けてくる。
「え~、カバキくん、そっちもいけるってこと?」
「わかんないです。俺も一人しか付き合ったことないし。ただ、トガシさんの匂い嫌じゃなかったんで。ちょっと興味沸いたっていうか」
トガシは唸り声をあげながら視線をさまよわせる。
「でも、やっぱり興味でないから、時間の無駄かもよ
……?」
「どうせ、恋人とかいないなら、大してかわらないでしょ。俺もいないですし。まぁ、暇つぶしだと思って」
「暇つぶしで、男と付き合えるの?」
「男に興味あるわけじゃないですよ。トガシさんに、興味持ったんです」
もうシーズンオフですし、と言うと、トガシが「うーん」と首を撫でる。
「暇つぶし
……カバキくん、面白がってる?」
「ちょっと」
正直にカバキが言うと、トガシは目をつむって暫く唸ったあと、目を開いた。
「
……いいよ。こんなこと話したのも言われたのも初めてだから、試してもいいかも。でも、ほんとに俺興味ないから、何も変わらないかもよ」
「じゃあ、変わったら俺の勝ちってことで」
「
……え、勝負なの、これ
……?」
トガシは困惑した顔で首の後ろを撫でる。
「では、今日からよろしくおねがいします」
カバキが右手を出すと、少し逡巡したあとトガシが握り返してきて、二人の関係が先輩後輩から変わった。トガシの手はおもったよりさらりとして筋張った綺麗な手だった。
②へ→
https://privatter.me/page/6a1eb837ab5d0
ーーーーーーーーーーーーーーーー
この居酒屋の店員になって伝票を渡すタイミングをうかがう振りしてじっと盗み見したい。
次回 はつこい。「戯心」
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.