燈 ともしび
2026-05-26 21:39:44
5718文字
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ぎゆさね【手紙】

キ学軸。愛おしさを綴る



 なんの変哲もない白い封筒。それなのについ拾い上げてしまったのは何か感じるものがあったからなのか。

「ずっとお慕いしています」
「せめてこの気持ちが届きますように」
 俺宛ての手紙に書かれていたのは恋心だった。はっきり言ってラブレターを貰ったのは初めてで、どうしたら良いのかと悩む。
 この差出人は俺のことが好き……なんだろう。でも名前を書いていないということは自分が誰かを明かすつもりは無いのか。
 もう一度、折られていた便箋を開く。これが俺宛てと分かったので読むのに罪悪感は感じなくなり、家に持ち帰ってきたのだ。
 便箋に書かれているのは硬筆のお手本のような、癖のない、綺麗に整った文字。だからこそこの手紙が悪戯とは思えない。
「好きだって、俺が知ったらそれで満足……かァ」
 差出主は好きになったら全部欲しくならないのだろうか。恋しい相手の心も身体も全て。自分のものにしたいと思わないのだろうか。
「分かんねェ……
 いま分かっていることはこれが俺宛ての恋文ということ。差出人は字が綺麗だということ。あと、生徒が立ち入り出来ない場所に落ちていたということ。まァそれは教師の許可があれは入れなくもないのだが。例えば部活の用事で顧問に会いに行くとかそんな時はテスト期間外なら特例で入れた気がしたし。
 しばし悩んで、便箋を元通り折りたたむと封筒にしまう。
 こんな時、数学は良い。答えが必ずある。解き方さえ分かれば綺麗な答えが出るのだ。それがとても気持ちが良い。俺はとことん数学教師に向いている人間だと思う。
 でも人の心は他人には分からないし、簡単に答えが出ない。だから苦手なのだ。好きの嫌いのという感情が。俺は恋愛には本当に向いていない。誰かを好きになれるとも思わない。
 封筒は自宅机の引き出しにしまった。場所が変われど解決方法が変わらない自分に笑いそうになる。とりあえず、置いておく。今はそれしか出来なかった。


 その後も控室を何度か使用したが、相変わらず伊黒ぐらいしか会わない。手紙は伊黒の筆跡ではないし、そもそも伊黒には甘露寺という溺愛している恋人がいるのだから俺に懸想している可能性なんてある訳がない。
 やっぱり悪戯なのか。すっかりそう思うようになっていた。むしろそうであって欲しい。それならそれでこちらもスッキリ出来る。

 ミニテストの採点を終えて伸びをした。今日は土曜日で授業はないが、採点を早めに終わらせて週明けには今後の対策が出来るよう準備するつもりで半日だけ出勤することにしたのだ。
 数学教師用の控室は二階にあるので今の時期の昼間は日差しが室内に入って来てとても暖かい。そんな中にいると思わず眠くなる。
 もう少し、ミニテストの結果で足りていないところを分析してやりたい。力があるのに対策が苦手な生徒が多いのは勿体無いと思っているのでそこをカバーしてやりたい。
 眠気覚ましにコーヒーでも買ってくることにした。あと一踏ん張り。外の自販機に好きなメーカーの缶コーヒーが入っているのは知っている。加糖はよく見るが、無糖はあまり見かけないのだ。今は無糖が飲みたい。ポケットに小銭入れだけを突っ込んで外に出る。
 外に出れば足元に広がる菜の花の鮮やかな黄色が眩しい。菜の花は食っても美味いんだよなァ。パスタとか。明日久しぶりに作るか。ここのところ忙しくて外食ばかりしてたし。
 少し離れた自販機まで歩くと、意外な先客がいた。
 青いジャージ上下と雑に結ばれた長い髪の毛の後ろ姿。振り向かなくても誰か分かる。
「冨岡ァ?」
 ここで会うのは初めてだった。冨岡は大抵、体育館かグランドか顧問をしている剣道場にしか居ない。あとたまーに職員室。テスト期間ですらほとんど見かけたことがないのに、珍しいなと思った。
 俺が名前を呼ぶと、冨岡はゆっくりこちらを振り返る。相変わらず表情筋が動かない奴だ。スンとしている。
 それでも飲みの場は嫌いではないようで、誘われた飲み会には顔を出すから一緒に飲んだこともある。あまり話す方ではないが、綺麗な置き物とでも思っとけと宇髄が言うので近頃では俺も気にしなくなっていた。
「珍しいな。テメエがいるの」
 思わず話しかければ
「用があって」
 なんて言うからとりあえず目当ての缶コーヒーを買い、近くのベンチに座る。冨岡はもう手に緑茶のペットボトルを持っていたので、少しズレてベンチ半分を譲ると会釈して隣に座ってきた。
 流れで並んで座ってしまったが冨岡とは共通の話題がほとんどない。今は休憩のつもりで出て来たので仕事の話もあまりしたくない。そうなると黙って座っているしかない。まあ、俺は冨岡がこういうやつだと知っているので気まずくはないのだが。

「不死川」
「あん?」
 珍しく冨岡から話しかけてくる。明日は雨でも降るんじゃねェか?
「不死川は……よくここに来るんだろう」
「おう。数学は理解が大切だからなァ。ミニテストで各自の苦手を分析して克服させてやりたくて」
「そうか」
 したくなかった仕事の話になったが、この流れだから仕方ない。話しかけてきたのは冨岡だし。
「冨岡は今日はどうしたァ? ここに来るの珍しいんじゃねェか?」
 話題を返したが、冨岡は突然目に見えて慌て出した。
「溢れるぞ」
 手に開けたペットボトルを持ったまま変な挙動を取るから、中身が溢れそうになっていたのを教えてやる。
「いや、うん……ありがとう」
「どういたしまして」
 不自然過ぎるだろ、冨岡ァ。なんかちょっと面白い。
「不死川は」
「うん」
 呼びかけてきたのに冨岡は手に持っていたペットボトルを開けて飲み始める。ひとくち、ふたくち。黙って飲んで。俺もそれを黙って見ている。
「この辺で、その手紙……を、拾ったり、したか?」
「したぜ」
 即答だ。事実だし。なのに冨岡のほうが慌て出す。
「俺のことを慕ってるってよ」
 俺の名前は書いてあった。でも差出人の名前は無かった。落ち着いて考えてみると不公平だよな。俺の名前を書くなら自分の名前も書きやがれってんだ。
「そ、その手紙って」
「持ってる。でも卑怯者には応えてやれねぇなァ」
 冨岡の顔色はすっかり青ざめている。ちょっと見てると心配になるが情けはかけない。フェアにいこうぜ。好きの嫌いのも、まずは対等に話し合いからだろ。
「冨岡」
……うん」
 これ、側から見てたら加害者が俺で被害者が冨岡に見えんだろうなァ。逆なんだけど。
「卑怯者が俺は嫌いだ。欲しいもんがあるなら正々堂々と言え。あとまずは名乗れ。話はそれからだ」
 下を向いていた冨岡の顎を手で掬い上げて目線を合わせる。話をする時は目を見て話せ。そうしたら、真心は伝わるかもしれないだろうと。

「不死川が……好きなんだ」
 冨岡が弱々しい声で呟く。これ、本当に俺が加害者だな。思うけどやめない。
「で?」
「お、れは気持ちが、伝わればそれで」
「それで? 満足か?」
 頷きかけて、でも頭の動きを止める。
「満足じゃない。だから、でも手紙を書いて、不死川がここら辺を通るのを分かっていて置いた」
「うん」
 まァ、そうだよな。でないと俺以外の奴が拾う可能性もあるもんな。
「人を好きになるのが初めてで、どうすれば良いのか分からなかった」
 せっかく顔を上げさせてやったのにまた下を向くからその頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。すげえボサボサ。色男も台無しだなァ、オイ。

「なら、今度は名前を書いて持ってこい」
「え……
「俺も好きの嫌いのなんて分かんねェけど、ちゃんと名前を書いて正体を明かして、そうして届けようとした思いなら考えてやらなくもない」
 冨岡はボサボサになった自分の頭を触って呆然としてる。なんでたよ。当たり前のことしか言ってねぇぞ。

「なァ、冨岡」
……うん」
「手強いぞ、俺は。精々頑張れよ」
「うん」
 青白かった冨岡の顔に赤みがさしていたので、もう一度その頭をボサボサになるまでかき混ぜてからその場を離れた。俺だってなァ、色々考えて悩んだんだぞ、これでも。だから簡単に応えてなんかやらねえ。
 冨岡に背中を向けて歩き始めていると、
「不死川、好きだ!」
 なんて大声で叫ばれたから
「それを手紙で書けって言ってんだよ、ばか!」
 と叫び返した。ちょっと笑ってしまったからイマイチ迫力が無かったが、まァ仕方ない。