燈 ともしび
2026-05-26 21:39:44
5718文字
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ぎゆさね【手紙】

キ学軸。愛おしさを綴る

 何気なく拾ったものがその後の人生を変えてしまうようなものだったら、どうしたらいいと思う?
 捨てる? それとも。


 キメツ学園には各教科の教師用控室が用意されている。基本的に生徒は立ち入り禁止なので試験前等に使われることが多いが、一般校舎から遠いために不便さからか普段はあまり使われることがない。
 俺も以前はほとんど使っていなかったのだけれど、成績低下防止を兼ねたミニテストを作るようになってからは頻繁に出入りするようになった。職員室で作るよりも静かで集中出来るし、何より生徒に見られる心配もない。人混みやうるさい場所が苦手な伊黒以外とはあまり会うこともなかったが、それも心地良さの一因になっていた。学校という職場では、ほぼ一人になれる空間というのは意外と貴重だったのだ。

 その日も試験前対策用にミニテストを作っていたのだけれど、ここ数日の疲れからか集中力がすぐに途切れてしまうし目も使い過ぎて痛む。軽くストレッチをしてみたりもしたが、ここは思い切って気分転換をしたほうが良い気がして外の空気を吸うために部屋を出ることにした。
 キメツ学園は学園長の趣味で庭の草木がとても綺麗なのだが、この教師専用棟の周囲もちょっとした公園のように整備されていて目にも心にも優しい。もう少ししたら桜も咲く。朝晩はまだ冷えるが日中は暖かさが強まる。以前歩いてみたらあまりの気持ち良さにハマってしまって、それ以来何度か一人で散歩をしている。上着なしでも少し散歩するくらいならちょうど良かった。
 数字を見るのも、数式を解くのも好きだ。数学教師は我ながら天職だと思う。でも春はやることが多くて少し疲れてしまった。この庭を歩いているとそんな気持ちに植物の優しさが沁みる。

 そんな時だった。
 何気なく歩いていた庭の真ん中に一通の白い洋封筒が落ちていたのだ。なんで? と気になって近寄って。裏向きに落ちているから表側は見えない。でもきちんと封がされているのは分かった。
 心を決めて拾い上げても表側には何も書かれていない。宛名も、落とし主につながるようなものはなにも。
 持ち上げて陽に透かしてみる。するとうっすらだけれど中に何かの文字のようなものが見えた。
 手紙だった。宛名のない。そして誰が書いたのかも分からない、手紙。
 正直、拾わなければ良かったと思った。今の俺にはこの手紙は重過ぎる気がした。手紙は思いそのもの。良いことも悪いことも悲しいことも幸せなことも気持ちが詰まったもの。
 けれど、好奇心から拾い上げてしまったのは自分だ。責任は取らなければいけない。
 でも、どうしようか。考えても良い答えが出ないまま封筒を控室まで持ち帰る。なんとなく、このまま置いておくのはダメな気がしたから。

 謎の手紙は数学教師控室の空いている薄い引き出しに一旦仕舞うことにした。もし誰かがこの手紙を探していたのなら返すために。
 引き出しを閉じて考える。なぜこの手紙の持ち主は宛名も差出人も書かなかったのだろうかと。考えても答えは出そうになかったが。


 忘れてはいないが、開ける気にはならず結局手紙を引き出しに入れたまま二週間経ってしまった。差出人らしき人影も見かけていない。そもそもここは生徒は立ち入り禁止だし、普段は伊黒と俺くらいしか会わない。でもこの手紙は伊黒のではない気がした。理由なんてないけど、多分そう思った。では誰のかと考えても分からないけれども。
 お陰でそろそろ試験問題を考えなければいけないから集中して仕事をするためにここに来ているのに、ちっとも集中出来ていない。
 引き出しを開ける。当たり前だが手紙はそこにまだある。けれど元々の封が甘かったのか、前回よりも糊付けが解けできている気がした。触れば封が開きそうだ。

 どうする。
 もちろん他人宛の手紙を開けることはしてはいけない。でも、そもそもこの手紙には宛名がない。だから誰が当事者でだれが当事者ではないのか分からない。ならば開けても問題ないのでは? そんな気持ちが湧き上がる。
 元より白黒はっきり付けたいタイプなのだ、俺は。今の状態は気持ち悪くて仕方ない。
 手紙を見つめる。封は本当にすぐ開きそうだった。こくりと息を飲み込んで、そっと封を押し上げた。そうすれは簡単に手紙は開封された。
 白い封筒の中には折りたたまれた便箋。窓際で引っ張り出してまた陽に透かす。やっぱり文字が透けて見えた。
 便箋を開く。そこには手書きらしき文字列。
 びっちり書いてある訳ではなく、数行だけ。

「ずっとお慕いしています」
「せめてこの気持ちが届きますように」

 それは恋文だった。
 便箋のどこにも宛名も差出人も書いていない。封筒同様に開けてもやはり誰宛のものなのかは分からなかった。
 悪戯か? と思ったがすぐに否定する。
 これは、違う。だって丁寧に書かれた文字がそれを否定する。恋しい相手に気持ちを伝えたくて書かれた文字だ。必死の、思いが込められた文字だ。
 開けなければ良かったと二回目の後悔をした。軽い封筒、軽い便箋なのにとても重い。
 とりあえず封筒に戻そうと折りたたもうとした時、二枚目にも何か書かれていることに気付いた。
 一枚目の便箋を捲る。
 そこに書かれていたのは恋しい思いではなかった。二枚目の便箋の下の方。
 そこに書かれていたのは宛名。封筒に書かれていなかった、宛名。

「不死川実弥様」

 宛名は、俺だった。