【始祖の声と昏い影】一章-1

一ページ目必読
※Ibパロ



 二人は慎重に歩き、廊下から扉の向こうを探る。
 カラフルに彩られた扉からは、楽しそうな鼻歌が。細かな蔦が絡んだ扉からは、花の甘い香りが。黄色い魚が描かれた扉からは、微かな鐘の音が。赤い印の刻まれた真っ青な扉からは、何の音も香りもしない。

 廊下の先には、これまたシンプルな扉が一枚。木製のそれは、こちら側から南京錠で閉められている。


 ……こういう場合は、まず人の気配を頼るのが定石だろう。上機嫌な鼻歌を伝えてくる、カラフルな色彩に塗れた扉を開いた。勿論、十分に注意しながら。

 まず視界を埋めたのは、様々な絵画だ。赤、青、黄、緑、他にも沢山の極彩色。次に気付いたのはキャンパスと向き合う、そして心からの愉快を歌う一人の男。気配を察した男が振り返り、その双眸を驚きで僅かに見開く。


「キミたちは……外の子供だね?」

「えっと、はい」


 首を傾げる男から、悪意や敵意は得られなかった。少なくともリリアーネはそう思い、おずおずと返答する。シグルスは未だ警戒心を露わにしていたが、男は気にする素振りもない。


「ここは何処ですか」

「ここ? ここは《美術館》だよ」

「美術館」

「そう。
 ……ああ、もしかして迷子だった? なら薔薇を渡しておくね」


 納得したように頷いた男は、パレットと筆を手近な机に置きキャンパスに手を突き刺す。否、その手はキャンパスを貫いておらず、水面を叩いたように絵の中へと入っていた。

 驚愕する二人をよそに、男は絵画の中を平然と漁る。そして「お」と声を漏らして、手をゆっくりと引き抜いた。その手に握られていたのは、透明な二輪の薔薇。ガラス細工のように艷やかなそれらを、男は二人へ差し出した。


「これはキミたちにとって大切な物品になる。無くさないようにね」


 未だ警戒するシグルスには押し付けるように、混乱が大きいリリアーネには自然に渡す。これは何かと問いかける直前、二人の指先から薔薇に色が滲んだ。少年の薔薇は藍に、少女の薔薇は銀に染まり切る。それを見た男はにこりと一つ優しく微笑みを浮かべ、再びキャンパスへ向き合おうとした。


……あの、色々と説明してください。オレたちここから帰りたいんです」


 光を反射して輝く薔薇を眺めるリリアーネを背に、シグルスは男へ問いかける。不思議そうな素振りをした男が、困ったように唸りながら答えた。


「説明、かぁ…… うーん、オレはただの作家だから、大したことはできないな。そういう事は警察や園主に聞いたほうがいい」

「他にも人がいるんですか?」

「『ヒト』というと語弊があるけど、まぁ、概ね合ってるかな。警察は青い扉、園主は花の扉の部屋にいるよ」

「扉はあと一つあった気がしますが」

「ああ、魚の部屋かな? そこにもヒトはいるから、話を聞きたいなら行ってみるといい。皆、特に危険な存在じゃないし」


 丁寧に応答する男を見て、少年は僅かに気を抜かれる。嘘か真はともかく、彼は自分たちに真摯な対応をしてくれていた。その事への感謝は伝えねばならないだろう。少年少女は目を合わせ、二人でぺこりと頭を下げた。


「分かりました。ありがとうございます」

「ありがとう、ございます」

「ん、気を付けてね〜」


 ひらひらと手を振った男は、どうやら今度は見送るつもりらしい。キャンパスに背を向けたまま、立ち去る二人を眺めていた。だがふと、また唐突に声を溢す。


「あ、そうだ」

「?」


 思いついた、あるいは思い出したような声色に、シグルスとリリアーネは揃って振り返った。その時にはすでに、男が何かを差し出している。

 その手には赤い、もっと言えば王冠の装飾が施された手帳が握られていた。鍵が付いている形式らしく、此処で開くことはできないだろう。南京錠はハートの形をしているものの、それからは可愛らしさよりも美しさを感じた。


「これ、王様の忘れ物なんだよね。外に行くなら、ついでに渡しといておくれよ」

「王様?」

「うん。ここの管理者みたいなヒトだから、王様って呼ばれてるんだ。一番外に近い場所にいるから、外に向かうなら会うことになると思う」


 手帳を渡した男は、「ごめんね、よろしく」と一言残す。少年がそれを受け取り、断る理由もなく了承の意を示した。その背から少女が顔を覗かせれば、男はまた手を軽く振る。敵意も害意もない表情は、此処の異質さをかき消していた。

 二人はまた、扉に向かう。今度こそは引き止められず、少年少女は部屋を出た。扉を閉める直前、また男の鼻歌が聴こえてくる。楽しそうな、されど仄暗い音。留まる理由も無くなった二人が、その歌の真意を問うことはなかった。