留守田
2026-05-12 22:21:26
4282文字
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摘んだ花の話

あるいは愛し合うはずのなかった二人の、愛の話。
※倫理観が大分あやしい。オリジナルのスポーンが居ます。三角関係でなおかつ肉体関係まで持ったことを仄めかす描写があります。

拙作である「私の話」がベースになってはいますが、読んでいなくても大丈夫(なはず)です。

 アスタリオンは目の前で跪く、ヒューマンの女を見下ろす。
 女はアスタリオンの作った、六人目のスポーンだ。名をベスティラと言い、流血の果てにアスタリオンの伴侶が初めて連れてきた“獲物”でもあった。
 歳は二十といくつかを数えたぐらいだろうか。花の盛りであった女の肌は少し青褪めたものの、引き換えに得た人ならざるものの美しさが彼女をより蠱惑的に見せている。
 己の眼にも美しく可憐に映るのは、彼女の美しさからだろうか。それとも、事あるごとに彼女のことも褒めそやす伴侶の言葉を毎日聞いているからだろうか?
「ベスティラ。お前は……

 いやらしい女だ。ヴァンパイア二人に純潔を散らされ、穴という穴を犯し尽くされた果てに俺の牙を受け入れた。
 酷い女だ。目の前でお前の想い人を犯してやったというのに、気持ちいいのねと微笑んでいた。
 愚かな女だ。想い人が既に別の者と結ばれていて、ヴァンパイアと化していたというのに、彼を庇った。
 貪欲な女だ。俺達だけでなく、使用人だったという男さえ欲しがった。取り上げて殺してやっても良かったが、口の上手い俺の伴侶に「彼女の財産を取り上げるのなら、正当な理由がなければ」と言われ──俺は、面倒になって取り上げるのをやめた。
 今は男に新しい名を与え、地下墓地の傍へ囲っている。ヴァリスの悪癖が移ったかのようだ。
 それから、勤勉な女だ。夜毎、墓地で死霊術の本を読んでいる上に、サーイの死霊術を紐解いた俺にまで教えを請う。生前は貴族の娘だったというのに、今では死体と向き合っている姿の方が板についていた。
 今や死んだ家畜のための葬儀すら執り行っている。酷い話だ。
 だが、あれは俺達がそうした。

 ……気味の悪い女だ。
 生前から想っていたヴァリスだけではない。この俺にまで懐いている。
 お前の首筋に牙を突き立て、血を啜り、人であることを終わらせたのは、他でもないこの俺だ。
 それなのにお前は、俺達を見上げて笑う。まるで幸福そうに。
 親に愛されている娘のように。

……ご主人様、どうかなさいました?」
 女の赤く染まった瞳がアスタリオンを捉える。
 名を呼ばれたにも関わらず、命令されるでもなければ何かを問われることもない。彼女なりに主人の意図を測ろうとしているのか、いつになく真剣な顔でアスタリオンの表情を窺っていた。
 何も言わない顔を覗き込み続け、やがて何か合点が行ったのか、ぱちんと握り拳で手のひらを叩いた。
「ああ、旦那様の“内緒話”がうるさいとか? ふふ、旦那様も気になさるなら、ご主人様にも訊いてみればいいのに。私にばっかり相談してきて……
……は?」
 アスタリオンの口から思わず間抜けな声が漏れた。
 ヴァリスが?
 こいつに?
 俺のことで?
「昨日もですよ。“アスタリオンは、私から流れる感情を煩わしいと思っているんじゃないか”って」
 アスタリオンはベスティラの言葉に瞬きを返し、それから一瞬だけ唇を尖らせる。
……くだらないな」
 本人がどれだけ真剣に悩んでいようと、アスタリオンにとって伴侶の感情の発露が煩わしくなった事はない。
 むしろ絆魂の繋がりライフリンクから流れるそのひとつひとつから無上の愛を感じ、味わうことさえ出来る。若干……いや、それなりに大袈裟なきらいはあるが、側に置いていて退屈はしないだろうと、むしろ好ましく思っていた。
「あいつは俺が花婿に創り変えた重さを、まだ理解していないようだ」
 ため息混じりにアスタリオンが言えば、ベスティラは仕方なさそうに笑う。
「なら、そんな所も愛していると伝えればいいのに」
 ベスティラの表情が綻ぶ。言われなくとも、アスタリオンの脳裏には真剣というより、むしろ必死で自分に好かれようと悩むヴァリスの姿を思い浮かべることが出来た。
 凛々しい眉を左右対称に曲げ眉間に情けない皺を寄せ、口元は小さく窄み、それで、どうしたらいいだろう、などと時折呟いては部屋の中を歩き回ったり、机に向かって唸ったりするのだ。
……悩みはくだらないが、そうやって囚われていれば扱いやすい」
 俺に愛を捧げ続けるように、余計な事へ気を遣う暇もなくなっていればいい。そうアスタリオンが思っていると、今度はベスティラが唇を尖らせた。
「もう、どうしてご主人様は旦那様に意地悪ばかりなさるの?」
「意地悪?」
「だってそうでしょう? 旦那様、ご主人様に嫌われるかもしれないって本気で悩んでいるんですよ」
 少し怒っているらしいベスティラは、ぷくぷくと頬を膨らませる。その表情はアスタリオンにとっても、なんだか可愛らしく見えた。
「馬鹿馬鹿しい。俺が今更あいつを手放すものか」
 言ってから、アスタリオンは小さく舌打ちした。
 これではまるで、俺が愛情を告げたようなものではないか。
 勿論、愛してはいる。愛しているが、その想いを誰かに打ち明けることさえ、アスタリオンにとっては煩わしく思えた。
 あの飢えた怪物を愛するのは自分だけでいいという傲慢さの表れでもあったが、本人にその自覚はない。
「もう……旦那様、今頃また悩んでいるかもしれませんよ?」
 呆れたように息を吐くベスティラを、アスタリオンはしばらく黙って見下ろした。
 そして不意に、笑みが消える。
 そもそも、主人に対してこの態度は何だ? 俺がその気なら、永遠に苦痛を与え続ける事さえ出来るというのに。
……ベスティラ」
「はい?」
「お前は、俺が憎くないのか?」
 アスタリオンはそう問いかけて、次の瞬間にはしくじったと感じた。
 不敬を咎めるつもりが、無駄な問いかけをした。憎まれていようが、そうでなかろうが、俺には関係ないはずなのに。
 問いかけに女は俯き、己の膝の上で指を重ねた。
……憎かったわ、アスタリオン」
 その声色の低さに、やはり憎まれているかとアスタリオンは納得しかけ、過去形である事に気付いて内心首を傾げた。
 “憎かった”? なら、今は憎くないのか?
「怖かったし、恨めしかった。貴方に抱かれているヴァリス様を見た時なんて、本当に」
 けれど、と。
 彼女は小さく笑う。
「私は、あの人の芸人の顔しか見た事がなかったの。演奏会の時も、地下牢で拷問されていた時もそうだった。温かい笑顔は素敵だし、必要なら寄り添ってもくれたけれど、どこか壁があって……
 逆に、アスタリオンは芸人ではない顔──冒険者か、恋人の──しか見た事がない。彼女の言葉から、アスタリオンは想像する。
 勤勉で、高潔で、熱心で、どこまでも遠い、人を喜ばせる以外の欲がない男を。そのために、己の何もかもを燃やす男を。
「でも、ご主人様に抱かれているヴァリス様は……壁もなく、とても、とても幸せそうで、それが嬉しくて、悔しくて……
……
 当然だ、俺がそうなるようにしたのだから。アスタリオンはそう思わないでもなかったが、少し違う気もした。
 ……本人なら、愛あってこその服従とでも言うのだろう。
「ヴァリス様は、私を自分の感じている幸せに引き摺り込んだ。愛しい人が二人居てもいいって、そんな理由なんでしょうね」
 俯くベスティラに、アスタリオンは歩み寄る。
 そして焦茶色の髪に優しく触れ、頭を撫でてやった。
……厄介な男を好いたな、ベスティラ」
 本心からの言葉だった。あの男は碌な恋愛経験がないくせに、他人の心を絡め取るのは上手いのだからタチが悪い。
「私はあなたを憎むべきだった、憎みたかったのかもしれない。でも……ご主人様のことを話すあの幸せそうな顔を見ていると、なんだか……馬鹿馬鹿しくなって」
「ああ」
 女の顔は、今にも土砂降りの雨が降ってきそうな曇り空だった。
「その顔が……私のことを話す顔とも同じで。だったら、それでいいのかもって思えてしまったの……
 ぽつり、ぽつり、と静かな雨が女の手を濡らす。
 アスタリオンはもう一度、焦茶色の髪を崩さぬように撫でた。
……お前も大概、馬鹿な女だな」
 そして、なんとも困った女だ。憎むか恨むかが出来ていれば、今ここで泣く事もなかっただろうに。
「だからご主人様、私はご主人様のことを……そうね、そこまでは恨んでいませんわ。少なくとも寝首を掻こうとか、杭を打とうなどとは思いませんもの。ただ……
「ただ?」
 アスタリオンが続きを促すと、ベスティラは指先で濡れた頬を拭ってから口を開く。
……墓地で致すのは構いませんが、どうかお静かに。私は〈静寂サイレント〉を使えないので……混ざりたくなってしまって」
 ……アスタリオンの視線が泳ぎ、四角を描いて一周する。
 宮殿の地下に作った地下墓地には、地上にはないアスタリオンの伴侶の墓がある。それはアスタリオンが彼を征服した証でもあるので、その墓の前でまぐわう事もしばしばあった。
 が、舞台の上と遜色なく響く声で喘ぐので、墓守が詰める部屋まで届いてしまうのだろう。いまの今までは存分に響かせてやれと思っていたが、相手が己の眷族と言えど、面と向かって指摘されると頬がむず痒い。
「フン、好き物め。お前には魔術師ウィザードの死霊術ではなく、僧侶クレリックの死霊術を学ばせるべきだったかも知れないな」
「あら……確かに」
 アスタリオンは誤魔化し紛れに冗談を言ったつもりだったが、ベスティラは純粋に納得したのか、はた、と気付いたような表情をする。
 まさか本当に僧侶クレリックを志されては堪らない。アスタリオンは片手で空を払った。
「だが、いい。お前は俺とヴァリスの、ヴァンパイア・アセンダントの娘だ。神に傅くのは俺が許さない。どうせなら、混ざりに来るぐらいの図太さを見せてみろ」
 勢い余って「娘」という言葉を使ったことにアスタリオンは気付いたが、言い直すことはしなかった。己の眷族は例え末端の者であろうと誇りを持つべきで、この一言で命令を聞くようになるのなら良しとしたからだ。
……ふふ。ご主人様って、本当にずるい」
「何がだ?」
「そうやって時々、とても優しいことを仰るから。旦那様が貴方をあんなに愛している理由が、少し分かる気がします」
 娘の頬はまだ濡れたままだったが、その表情はいつになく晴れやかで、野の小さな花のごとく咲いていた。
 するりと身体を寄せられ、アスタリオンは抱きしめられる。
 その優しい両腕を、アスタリオンは振り解くことも突き放すこともしなかった。