遊悟
2026-05-04 12:29:58
3657文字
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明けと宵の明星が交わる時

出会いはこんな感じだろうか、という


―――天使さん」
「怖い怖い。そんな顔すんなって」
 なぜ死刑囚を放免するのかと陽が睨みをきかせれば、夜宵は軽く肩をすくめてみせる。
「あの男は死刑囚でしょう!? 俺でも知ってます!」
「まあ、それなら話は早いな」
 ついてこいと言いながら、夜宵は気だるげに歩き出す。
「アイツが元人殺しなのを知ってる、と」
「はい。たまたま怪異犯罪に巻き込まれたために、その件の調査中だった捜査官に見つかって、捕まって、最終的に死刑判決を受けたと」
 警視庁の超常現象関連特別対策室には、膨大な量の事件データが存在する。その量は、人ひとりの頭にたたき込めるものではない。
 それは、陽とて例外ではなく、彼が知らない事件も存在する。
 それでも「夜宵と一緒に歩いていた、眼鏡の男」にまつわるデータを憶えていたのは、その特異性からだった。
「せっかく被害者を怪異から守り抜いたのに、その中身が連続殺人犯だっ……
 連続殺人犯。その単語を口にした瞬間、陽の脳裏を別の人物の姿が過った。
 長く艶めく射干玉の髪。蜂蜜を煮詰めたような甘い瞳。薄い唇に刻まれているのは、一見優しく、それでいて底知れぬ笑みの……
 一瞬、呼吸を忘れて。それでもすぐ、陽は首を横に振り、浮かんだ幻影を振り払った。
……重犯罪者だったため、死刑の判決が下った、と。
 担当した捜査官は、さぞ空しい思いをしただろうと思って」
 だから、憶えているんです。陽がそう口にすれば、夜宵は曖昧に笑いながら資料室のドアを開けた。
 そうして、慣れた様子で書庫から一冊のファイルを持ってきた。
 一見なんてことはない資料。しかし、その実、固く閉ざされた―――認識阻害と封の術式が施された、極秘のファイル。
 夜宵が左の手をかざすと、まるで生体認証でも働いたかのように、その術式が解かれてページが自動的に開いていく。
「これは……?」
 夜宵が無言で差し出してきたファイルを受け取り、陽はその中身にザッと目を走らせる。
 それは、「神崎・翠」という連続殺人犯が、刑死したという書類。
 そして、「五百住・遊悟」という男が、警視庁の超常現象関連特別対策室に配属された時の関連書類。
 そのふたつに貼られた写真は、どちらも同じ顔をしていた。
 黒縁の眼鏡をかけ、左の目の下に印象的な泣きぼくろのある……
 だいぶん印象は変わってしまったが、その瞳と泣きぼくろが、先ほどの男と同一人物であることを如実に語っていた。
……捜査官?」
「そ。元死刑囚、現捜査官」
 口先では「タバコ吸っていいか?」と陽に尋ねつつも、夜宵は既にポケットからシガレットケースを引っ張り出していた。
……知りませんでした」
「そりゃそうだろ。俺だって、最初は知らんかった」
 あいつ自分からは語らないし。
 紙煙草を口の端にくわえながら、夜宵はぼやく。
―――√能力者は殺してもしなない。
 何度刑に処しても、蘇ってくる。
 殺してもしなないから、教育を施して、捜査官として雇った」
 毒をもって毒を制すってヤツだな、と半ば投げやりに言いながら、夜宵は煙草に火をつけた。
「上層部は何を考えてるんでしょう……
 陽の白い指先が、書類の文字をなぞる。この判断を下した上層部の意図を掴もうとしているかのように。
「さぁな。俺だって知りたいわ、そんなん」
 疲労と愚痴を煙に溶かし、夜宵は肺から吐き出した。
「それでも、捜査官になってから一度も反旗を翻す素振りはない」
 ああ、いや、と夜宵は眉を顰めた。
「そうじゃないな。……反旗を翻すほど、賢くない」
 単純なんだよ、アイツ。まるで、ガキみたいに。
 至極面倒くさそうに夜宵は頭を掻く。
「一度「良いヤツ」認定くらうと、滅茶苦茶懐いてくる」
……何人も殺めてきた、人殺しなのに?」
「何人も殺めてきた、人殺しなのに」
 陽の問いかけに、夜宵はオウム返しのように答える。
「ちょーっと甘いモンくれてやったら、やたら懐かれてな……ビビるぞ? お前はガキか、はたまた、生まれたてのヒヨコか、ってくらい」
……振り払えばいいのでは?」
「お前がそれを言う?」
 夜宵は苦笑めいた笑みを唇の端に刻む。
「言っただろ? 賢くない、簡単に懐くって」
「はい」
 いま聞きましたが、それが何か?
 陽が首を傾げると、夜宵は目を伏せた。
―――もし、簒奪者に懐いちまったら、どうなる?」
 伏せられた紫の瞳に、暗い影が落ちる。
「人殺しだっただけあって、アイツの善悪の判断はガバガバだ。
 もし、殺人犯と意気投合しちまったら―――とんでもなく厄介な敵が生まれるぞ?」
 お前ならよく分かるだろ、と夜宵は付け足した。
……ああ」
 そこまで説明されて、ようやく本質が見えた。
 つまるところ、「あの男」にでも誑かされたら。意気投合されたら。手駒にされたら。
 なるほど、それは厄介かも知れない、と思った。
「殺人犯同士がつるまれたら、たしかに厄介ですね……
 自分にとっての「あの男」の―――月代・皐月という殺人犯のように。
 きっと夜宵は、その脳裏に実の弟を―――天使・陽羽を思い浮かべているのだろう。
 彼らのような存在の手駒になったら。
 それは確かに、厄介かもしれない。
……ひとりでも手一杯なのに、これ以上は御免被りたいですね」
「だろ?」
 敵勢力が―――簒奪者が増強されるくらいなら、手の内で飼い殺すほうが何倍もマシだろう。
「敵に惹かれる前に、こっちに懐かせて置いた方が楽だってこった。……さて」
 夜宵はポケット灰皿を引っ張り出すと、煙草を押しつけて火を消した。
「その問題児がそろそろ痺れを切らす頃だろう。行くぞ」
 好きなモンを目の前にして、いつまでも「待て」ができるとは思えねぇからな。
 夜宵はファイルを閉じると、陽に戻しておいてくれと指示を出したのであった。