アレンが店に立つことができたのは、病院に行ってから二週間と少ししてからだった。その細い体のどこに入っているのかわからないほど大喰らいのアレンは、寝込んでいだ間ほとんど食事を口にできず、体重がごっそりと減ってしまったのだ。バーテンダーの仕事は立ち仕事であり肉体労働でもあったので、それに耐えうる体力を取り戻すのにそれだけ時間がかかってしまった。
「なんかもはや懐かしいです」
アレンは制服を着て鏡の前でリボンタイを整えながらつぶやいた。ラビは今日はおもてに立つ気はないらしく、いつものラフな格好のままだ。
「この二週間の俺の頑張りを褒めて欲しいさ」
ソファにだらりと寝転んだままラビがぼやく。
「いつもサボってるんだからいいじゃないですか、二週間くらい」
「ウルセ〜看病してやったんだから感謝しなさい」
「それはありがとうございました。でもお店のことは別です」
「厳しいさ…アレンさん厳しいさ…じじいより厳しい…」
うえーんと泣き真似をするラビの頭をよしよしと撫でてやって、アレンはもう一度姿見で格好を確認して気合いを入れるように頬をぱちん、と両手で叩いた。様子を見ていたラビはくわっとひとつあくびをした。
「てかさあ、アレン目当ての客多すぎん?」
「ラビがおもてに出なさすぎなんだから当たり前じゃないですか」
「あー……そういう意味じゃなくて、」
「どういう意味ですか?」
「つまり……うーん……まあいいや、頑張れ」
「……?」
小首を傾げながらもアレンは準備を整えてバックヤードから出ようとして、あっと声を上げてラビを振り返った。
「あの、そういえばあのひと来ました?」
「どのひと?」
「マリアンさん」
「あ、あのストーカー?あー…一回来たけど俺見て舌打ちしてすぐ帰った」
「おお……そうですか……」
なんとなく様子が想像できてしまいアレンは苦笑する。ラビはげえ、という顔を隠しもしなかった。
「なんで?気になるん?」
「いや、お礼言えてなかったなって」
「勝手に財布漁ったやつにお礼ねえ……」
「緊急事態でしたし……」
「……ふーん?」
「なんですか……えっ、僕変です?」
「変」
「うそぉ」
「……まあいいさ。うっかり名前呼ぶなよって釘は刺しといた」
「……それは、ありがとうございます…?」
「そこ疑問形にする必要ある?」
「いえなんでもないです!じゃ、開けてくるんで今日も裏方よろしくお願いします」
「おー。まあ無理はしなさんな」
「了解です。……一応僕病み上がりなんで皿洗いサボらないでくださいよ」
ラビが駄々をこねる前にアレンはおもてに出て、店内の点検をしてから外に通じる階段を上がった。扉の札をオープンに変え、小さな看板を出そうと外に出たところで視線を感じてきょろりとあたりを見回す。先程まで話題にしていた人物が通りの向こう側にいたのでアレンは腰を抜かしそうになった。
「うわっ」
声まで出た。あまり認識していなかったが、復帰初日に出くわすのは確かにストーカーっぽさがあった。アレンの姿を認めてこちらに向かってくるクロスに、曖昧な笑みを浮かべるしかない。毎日見張っていたのだろうか。それはかなり、なんというか、怖い人である。
「こ、こんばんは……」
「よお、良くなったのか、インフル」
「はい、おかげさまで……あの、ありがとうございました。病院運んでくれて。あと、帰りまで……」
「別に。知り合いだったらそのくらいやるだろ」
「……そうなんですか?」
「そらそうだろ。お前世間知らずだな」
「はあ……まあ、はい、えっと、開けるんでどうぞ」
「……ようやくお前の酒が飲める」
「え?」
「なんでもない」
アレンが扉を開けるとクロスはつかつかと店内に入って行ってしまった。アレンは慌てて後を追って、クロスが定位置に座るのと同じタイミングでカウンターの内側に入った。
「……いつものでいいですか?」
「……ああ」
少し間をおいて、クロスは短く首肯する。アレンはいつもより慎重にグラスと氷を用意するとウイスキーを注いだ。コースターを滑らせて、その上にグラスをそっと置く。なんだかこちらを見る視線が柔らかい気がするのはアレンの気のせいかもしれなかった。
クロスは黙ってグラスに口をつけて、今日はゆっくりと飲み始めた。機嫌が良さそうだ。アレンはクロスがしゃべらないのをいいことに、いつもの動きを確認しながらカウンターの中を動き回っていた。
「……あの赤い方はやかましくてかなわん」
ぼそりとつぶやかれた言葉に、アレンは顔を上げてクロスを見た。何を言ったのか理解するのに時間がかかった。店内をさっと見回して、まだクロス以外に客がいないのを念のため確かめてから向き直る。
「……彼はおしゃべりですから」
「お前はちょうどいいから気が楽だ」
「そうなんですか?」
「そうだな」
「ええと…ありがとうございます?」
「おう。……ちょっと痩せたか?」
「えっと……寝込んでた間あんまり食べられなくて」
これはセクハラギリギリなのではないだろうか、と思いながらも正直に言うと、クロスはふむ、と顎に手を当てた。アレンは次に来るセリフを察して、先ににこりと笑顔を作った。
「あの、お食事のお誘いはお断りします」
「なんも言ってねえだろ」
「失礼しました。おっしゃりそうな雰囲気だったので」
「……チッ」
舌打ちされた。が、それでやはり食事の誘いをかけようとしたのがわかってしまって、アレンは内心ため息をつく。ラビの言う通りなのかもしれない。距離の詰め方がちょっとおかしい気がする。が、アレンはこういった人付き合いの経験値が少なかったので、本当におかしいのかどうかもよくわからなかった。もしかしたら先程言われた通り、「世間知らず」なだけかもしれない。
病院でアレンを見ていた時のクロスの静かな目を思い出す。今も同じような目をしている。先行して誘いを断られて少し不機嫌そうになったけれど、すぐにまた静かになった。アレンは今まで気にしていなかったクロスの視線を意識してしまって、それが本当にアレンから全く外れないことに戸惑っていた。ちょうど別の客がやってきて、「あっ、久しぶりだね」と笑いながらカウンター席についた。アレンはそちらの客に笑いかけて「お久しぶりです。今日は何にいたしますか?」と声をかける。
「どうしたの?やめちゃったのかと思ったよ」
「ちょっとインフルエンザ拗らせまして」
「ああ、流行ってるからねえ。しばらくは出てこれないって赤い髪の子が言ってたからさあ、理由も教えてくれないし。また顔見れて嬉しいよ」
「ありがとうございます。それで、今日は……」
「やっぱりSNSとかやった方がいいんじゃない?きみ目当てに来てる人いっぱいいるしさ、会える日わかってた方が無駄足にならないし」
アレンは笑った顔のまま固まった。無駄足ってなんだよとか、ここはキャバクラじゃないんですけどとか、色々思うことはあったが言葉にはならなかった。相手は大事なお客様なのだ。下手なことを言って機嫌を悪くされても困る。ついでに来なくなるのも困る。この人はそこそこ酒飲みだからいつも多めに金を落としてくれるからだ。
「SNSは……苦手なので、それにお客様が増えると皆さんとお話しする時間も減ってしまいますし」
「そっかあ、ま、確かにきみとおしゃべりできなくなるのは嫌だからいいけどね」
なんか適当な強めのカクテルちょうだい、とその男はようやく注文して、アレンは「かしこまりました」とだけ返していつもよりアルコール度数の高いカクテルを作り始める。
視線がアレンを舐める。手が止まりそうになるのをなんとか堪えて、考えないようにしながら身に染みついた動きでカクテルを作って、男の前にコースターを滑らせる。グラスをそっと置くとき、男の手が触れた。平気なふりをするのが精一杯だった。この人こんな人だったっけ、と思いながらいつもより素早く手を引く。カウンターの下の見えない位置でアレンは右手で左手をぎゅっと握った。
「ねえ、写真撮っていい?」
「……撮影はご遠慮いただいております」
「いいじゃない、固いこと言わないでさ、久しぶりだし、あ、俺が宣伝しといてあげようか?フォロワー数けっこういるんだよ」
「申し訳ございません。撮影は、ご遠慮ください」
「そう?ふうん、欲がないねえ。そんなんで潰れない?潰れないように毎日飲みに来ようかな。きみにも会えるし」
久しぶりにアレンの顔を見てテンションが上がっているのか、男はぺらぺらと喋って、アレンの固い笑顔にも気がついていないようだった。二件目だな、とアレンは思った。店内は薄暗いので顔色を判別し難いが、この客がこれだけ饒舌に喋るのは既にアルコールが入っているせいだろう。この客の視線はどうも慣れない。どう切り上げようかと迷っていると、クロスが「おい」と声をかけた。アレンは目の前でまだ何か話をしている男に「すみません、失礼いたします」と会釈した。
「割って入るなよ」
男が半分ほど一気に飲んだグラスをたたきつけるようにカウンターに置いてクロスを睨みつけた。アレンの肩が僅かに跳ねた。
「あの、お客様、喧嘩は……」
「お前こそ馴れ馴れしいんだよ。この店にはこの店のルールがあるんだからそのくらい守れ酔っ払い」
「はあ?盗み聞きかよ。いい趣味してんな」
「てめえの声がデカすぎんだよ。静かに飲めねえのか」
二人の男が睨み合っている真ん中で、アレンは固まっていた。なんで復帰初日にこんな目にあわなきゃならないんだ、というのが正直な気分だった。最悪だ。最悪すぎる。ふとラビの言っていた言葉が蘇る。
てかさあ、アレン目当ての客多すぎん?
そういうことか、とアレンはようやく理解した。自分と話そうとしている客が多いということか。いやなんでだよ、とは思ったが、接客を丁寧にしてきた自負はあったので、それはつまりアレンの客単価を上げるという目論見は成功しているということだ。喧嘩されるとは思っていなかったが。
「お客様!」
目の前で一発触発の雰囲気を醸し出している二人に、アレンは大きめに声を出した。視線がこちらに向いたのをそれぞれの顔を確認してから、にこりと笑みを深くした。
「喧嘩なさるのならお外でお願い致します。このまま店内で続けるつもりでしたら出禁にさせていただきますがいかがいたしますか?」
先に両手を上げたのはクロスだった。冷ややかな顔を男に向けると手を下ろした。
「失礼。俺はもう一杯頼みたかっただけだ」
「……こいつは俺と喋ってだんだよ。邪魔するな」
「店員が一人なのにどうやって注文しろと?」
「……クソ野郎が」
男はまだ半分残ったグラスをアレンの方に押しやって、財布からいくらかの金をカウンターに叩きつけた。クロスは黙っていた。アレンは叩きつけられた金に視線を下ろした。
「また来るよ、今度はゆっくり話したいな」
どんな顔をして言っているのかは見なかった。見れなかった、の方が正しいかもしれない。男が席を立ったところで、アレンはようやく顔を上げた。
「お客様、大変申し訳ございませんが、お代が少し不足しているようです」
笑顔をはりつけたまま言い放ったアレンに、男は顔を赤くして、なにがしかごにょごにょ言うと、財布からお札を取り出してわざとくしゃりと握り潰してからカウンターに投げた。
「調子乗ってんじゃねえぞガキ」
二度と来るか、と吐き捨てた男に、アレンは表情を変えずに定型文をなるべくいつものように声に出した。
「ご来店ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
男は振り返りもせずどすどすと足音をたてて階段の一段目に足をかけ、一旦止まるとアレンに向かって中指を立ててからそのまま出ていった。アレンはドアベルの音がおさまるまで笑顔を崩さずに立っていて、音が消えてしばらくしてから短く息を吐いた。初日から散々である。くしゃくしゃのお札といくらかの小銭をカウンターから拾い上げて、レジにしまう。チップ分はない。あんなことを吐き捨てていったけれど、あの男はどうせまた来るだろう。酔ってたんだよごめんね、とか言いながら。常習犯なのでそのくらいはわかる。
「散々だな」
クロスがげんなりした声で言って、アレンも「本当に」とぼやいた。そして気がついて慌てて
「おかわりですよね?」
とクロスに向き直る。クロスは肩をすくめてみせた。
「いや、別にもう一杯欲しかったわけじゃねえよ」
まだ残ってる、と言ったクロスの手元のグラスには酒が4分の1くらい確かに残っていた。
「え。……え?」
「あの男の目つきがキモかっただけだ」
「えっと、……ええと、つまり……」
クロスは眉を上げただけでそれ以上何も言わなかった。カランと扉が開く音がして、新しい客が入って来た。「あれ、久しぶりだね。いつものよろしく」と言いつつその人は奥のテーブル席に座った。小説家をしているらしいその人物は机に薄型のノートパソコンを広げた。この人はコーヒーがわりに酒を飲むのが日課の人だ。酒の方がよほど頭が冴える、と言っていたが実際のところはアレンは何も知らない。「はい、ただいまお持ちいたします」と返事をして、エールを注ぐと机の邪魔にならない位置にコースターと一緒に置いた。
「なんか怒ってる人が外にいたけど」
「あ、多分先程いらっしゃった方ですね。ご迷惑おかけしました」
「看板に向けて罵詈雑言吐いてるから何事かと思ったけどそれだけだよ。変な人もいるんだねえ」
パソコンから目を離さずにその客は「ありがとね」と言ってエールに口をつけた。
「ごゆっくりおすごしください」
アレンはそう言ってまたカウンターの中に戻る。クロスがちらりとアレンを見て、グラスを軽く上げた。今度は本当におかわりだろう。すぐにグラスを受け取って追加のウイスキーを注ぐ。そういえばクロスはいつもそうやって注文していた。二週間も働いていなかったせいか、なんだか上手く動けていない気がする。いつもはどうやっていたっけ、と考え込む前に客がちらほらと入ってきて、アレンはとりあえず動くことにした。挨拶をする。注文を聞く。酒を作る。つまみを出す。話を聞く。相槌を打つ。会計する。定型文で送り出す。やっているうちに体の方が先にちゃんと動いてくれた。久々のカウンターの中はそこそこ忙しかったけれど、アレンはなんだか安心した。トラブルを起こしたのは最初の客だけで、他の客は久々にカウンターに立つアレンに驚いたり久しぶりだねと言うか、気にもしていないようだった。馴染みの客とは少し話をし、注文したそうな客がいれば断りを入れてそちらに向かう。話したそうな客には手が開けば相手をする。手が開かなければ困った顔で笑って「すみません」と言えばいい。そうやって動き回っていればすぐに時間はすぎて、時計は日付を跨いだ。終電の時間が過ぎれば残っているのはパソコンと睨めっこしている小説家らしい客とクロスだけになった。小説家らしい客はがばがばエールを飲んでいたし、クロスも間にワインやら何やら挟みつつもまたウイスキーに戻ってのんびり飲んでいる。この二人はザルなので酔いすぎに気をつけなくて良いから助かっていた。閉店時刻が近づいて、アレンは先に小説家らしい客のほうに声をかけた。
「そろそろ閉店のお時間です」
「あ、あー、ほんとだ。ごめんねえ居座っちゃって。わ、俺何杯のんだっけ?」
「今日は十一ですね。セーブしてます?」
「いやあ、健康診断にねえ、引っ掛かっちゃって。居座るならもっと頼めって感じだよねえ」
「いえそんな。健康の方が大事ですよ」
「だよねえ、ま、また来ます。はい、お代。おつりはとっといてね。ここ捗るんだよ。ありがとね」
「はい、お気をつけてお帰りくださいね」
「はい、はい、どうもね、それじゃまた」
男はパソコンを片付けてふらふらと手を振って席を立った。見送って、残りはクロスだけになる。アレンは小説家を自称している男のペンネームを知らないし、彼の書いた本も読んだことがない。自分から聞いたことはないし向こうも言わないからだ。なんとなくだが出版されたことはないんだろうなとは思っていた。読書家のラビも「あいつはエセだな」と言っていたので多分そうなのだろう。どうでもいいことを考えながらカウンターの内側に戻ってクロスの前に立った。
「閉店のお時間ですよ、"マリアンさん"」
にこやかに告げると、クロスは面白そうに口角を上げる。
「そうみたいだな、"アレン"」
「最後まで残るの珍しいですね。いつもは日付超えたらお帰りになるのに」
「待ってたんだよお前を」
「本当にストーカーみたいですよ。冗談でもやめてください」
「おっと失礼。なら言い方を変える。病み上がりがまたぶっ倒れないか心配だった、でいいか?」
「……そうですか。飲み過ぎのあなたの方が僕は心配ですけどね。お店としては大変助かりますが」
先ほどの小説家らしい客の健康診断の話を微かに思い出しつつアレンは言った。クロスは目を細めた。
「医者の不養生みたいな真似するわけねえだろ」
「はあ……え?医療関係のお仕事なんですか?」
仕事の愚痴は聞いていたものの、仕事の内容はクロスは一度も漏らしたことがなかった。思わず聞いてしまったアレンがすみません言わなくていいです、と言う前に、クロスはおかしそうに眉を上げた。
「医療機器関連だ。多分お前も見たことあると思うぞ。コムイんとこでも使ってるしな」
失敗した、とアレンは気付いた。客の事情には立ち入らないようにしていたのに、流れで思わず聞いてしまった。きちんと線引きすべきところを踏み越えた。返事が一拍遅れたアレンに畳み掛けるようにクロスはにこりと実に完璧に笑って言った。
「ところで、さっきのクソ客を追っ払ってやった礼に、今度一緒に食事でもいかがかな、"アレン・ウォーカー"さん?」
アレンはひくりと頬をひきつらせた。ラビの言葉がよみがえる。やっぱり自分は「変」なのかもしれない。もっと慎重になるべきだった。でももう遅い。退路は塞がれている。というより、ここまでされて断るという選択肢が浮かばなかった。断った後がどうなるかわからなくて怖すぎる。先日と先程はありがとうございましたとこのひとヤバいかもの板挟みになりながら、アレンはゆっくりと言った。
「そうですね、もし都合がつけば、ぜひ。"マリアンさん"」
「じゃ、都合がいい日に連絡してくれ」
お代と一緒にカウンターに置かれた紙には電話番号が書かれている。アレンはゆっくりとそれを手に取った。数えている間にクロスは席を立つ。チップにしては多すぎる額が置かれていることに気づいてさらに顔がひきつった。
「え、あ、あの、これ」
顔を上げた時にはクロスはすでに階段前にいた。アレンを見て目を細めて笑う。
「とっとけよ。じゃあまた。連絡待ってる」
クロスはアレンの返事も待たずにさっさと店を出て行った。アレンはまた思った。失敗した。完全に退路を断たれた。
「あー……」
あまりにも鮮やかな手口で、アレンはなんだかもはや面白くなってしまって、電話番号の書かれた紙切れを見た。走り書きにしてもかなり上手い字だった。
「連絡……連絡かあ……」
しなかったらどうなるのだろう。夜道で刺されたりするんだろうか。そんなことはしない人だろうとは思うが。ここで見えているだけがその人ではないことは重々承知しているけれども。アレンはとりあえずお金をチップとお代に分けてレジにしまった。手にした紙切れをどうするか迷って、捨ててしまうのはなんだか負けな気がして、結局ポケットに入れる。閉店の作業をしたらおそらくサボられているだろう皿洗いをしなくてはならない。まだやるべき仕事はたくさんある。アレンは目を閉じて小さく唸ってから深呼吸した。考えるのは仕事が全部終わってからだ。
「……よし」
目を開ける。悪い人ではないと思っていたけれど、意外と悪い大人だったとわかっただけ良かったことにしよう。後が怖いからとりあえず一度だけ食事をして、こういうことは今後一切しないで欲しいと伝えればいい。それで諦めなければ警察だ。幸いツテはある。あまり使いたくないツテだが。
復帰初日にしてはアクシデントが多すぎた気もするが、過ぎたことは考えても仕方ない。アレンは無心になって閉店の作業を始めた。
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