ぁ゛ぁ゛ぁ゛と、画面のなかでゾンビが壁を叩く度、びく、と、左手で握っているヤチヨの手が震える。5回目ともなれば見逃すのも厳しくて、流石の私も隣へと目を向けることにした。
開幕当初真横にいたはずのヤチヨは、いつの間にか半人分程後ろに下がっていて。勘のいい彼女の視線は、私から逃れるようにシンクロしてそろそろと逸れる。
「あの」
「違うよ?」
「……まだ何も聞いてないって。
ねえヤチヨ、……これ、怖い?」
「いえいえ?そんなまさか。
ツクヨミ随一のAI歌姫ヤッチョに、怖いものなんてありませんことよ〜?」
「本当に?」
「……本当だよ〜?」
「じゃあ今の間は?」
「通信ラグ!」
「よしんばそうだったとしていくらなんでも不自然でしょうが!」
「わ~んごまかせないよぅ!」
『いつか映画とか見れたら楽しいと思って!』というヤチヨの発案のもと、ツクヨミ内にしつらえられたプライベートのシアタールーム。クッションやらぬいぐるみやらが置かれた座敷にて、ヤチヨが見たい!と言った映画を、休講により早めに帰宅したがために見ることになった、……のまでは、まあ良かったのだけど。
ばん!と扉が開かれるSEに、泣き真似をしていた細い肩が露骨に跳ねた。……、私が向けるジト目に、気まずげにそろそろと俯くヤチヨにもう言い逃れはできないだろう。ため息を付くと、右手を軽く振って、操作ディスプレイを出す。
「……よーし、変えようか、映画」
「あ!待って、見たい!変えないで……?」
「ええ〜……?」
腕に縋って甘えた顔でこちらを見るヤチヨに、停止ボタンに触れる前に手を止め、何とも言えずに顔をしかめる。私には、別に、怯えるヤチヨをみてほくそ笑むといった悪い趣味はない――むしろ彼女を脅かす傷害なら先んじて撤去していきたいほどだ。彼女の今後が健やかであればあるほど私のQОLも上がるってもので。
とはいえ、本人が望むなら無理に切り上げることもないのはそう。でもなあ。全然、今も手、震えてるし。
「そんなに怖いのに見たいの?」
「だって、いま人気の映画なんでしょ?
なら彩葉と一緒に見たいし知りたい……」
もごもごと、可愛らしい事を言われてしまうと思わず言葉に詰まる。なら見せてあげたい、けど。それでも、いや、と何とか絞り出して。
「そーゆーのなら、他にもあるじゃん、怖くないのだって。なんでわざわざ……」
「……ここまで見て引いたら負けた気分だもん」
だもんて。なんてしょうもない理由だろうか。負けず嫌いという、レアかつ『らしい』一面に、ヤチヨフリークとして口元が緩みかける。いけない、それなりに真面目な会話のつもりなんですよ。
ここまでで分かったこととして、どうやら、説得は難しいらしかった。なんでそうも頑固なんだか、育ての親ってやつを見たいもんだねと冗談交じりに思いつつ。一つため息をついて、操作盤を閉じる。
「分かった。ヤチヨがそうまで言うなら、変えないけど。……でもなんか意外だな、あんまり怖いものとか無さそうに見えたから。かぐやの頃に怖かったものとか全部克服してそうなのに」
「んー、それはものによりけり、……かなあ」
ぼんやりと肩をすくめたヤチヨに、促すように視線を送れば。
「人間の怖さ的なやつとか、人魂〜とか。そういうのは正直慣れたんだけど、急にびっくりするやつ……ジャンプスケアっていうのかな。ああいうのはこう……」
口をつぐんだヤチヨは、ええと、ともごもご言葉を探して。
「いろいろ、思い出しちゃうから」
「………」
内訳の追及は憚られた――既にFUSHIによって共有済みなわけで。それはわからないものに対する恐怖ではなく、きっとトラウマを指すそれだ。私がめくるめくように見た様々を、等速で体験した彼女に刻まれた衝撃は計り知れないものだ。自然、握る手が強くなるのに、ヤチヨが困ったように笑う。
「彩葉、大丈夫だよ?」
「…………大丈夫ではないんでしょ」
「んーん、平気平気」
「………」
「あ、信じてなさそうですなあ」
平気っていう人の平気は平気じゃないってのは、実体験で知っている。だから、少し苛立ち気味にツッコミを入れようとすれば、案の定、壁の崩落音にうひゃう!と声を上げたヤチヨは私の腕を引っ張るようにして後ろに下がってしまう。いわんこっちゃない。
ずるずると、このままじゃ見終わるころには部屋の端っこだ。別にそうだっていいけど、私の気分的にはよくない。
どうするべきか、と、未だ繋いだままの手を見やった。彼女を今より不安にさせたくはなくて、後、動かないように固定したいなら……ええと。暫し眉間にシワをよせつつ、己の信仰心と葛藤を重ねて。
「……よし、ヤチヨ」
「わ、わー……CGやっぱ進化してるぅ……。ん?どうかした……?」
「分かった、最後まで一緒に見よっか」
覚悟を決め、落ち着いた私の声に、ヤチヨは不思議そうに首を傾げる。
「……もう見てるよ?」
「来て、こっち」
「……えっと」
なにせ今も隣にはいるのだ。視線だけで、もう来てるよ、と再度いいたげなヤチヨに。私は、ヤチヨから手を離すと、伸ばした足の間の床をぽんぽん叩く。目を丸くしたヤチヨが、じっと私の顔を見てくる。
「……」
「……」
恥ずかしくなってきた。
「い……嫌なら、いいけど……ね」
「あ、」
息を呑んだヤチヨが、嫌じゃない、と焦った様子で口にして。
「で、ではでは。……失礼、しま〜す?」
そろそろと。こちらを何度も不安げに見ながら、私の太ももの間に腰を下ろす。ほんの少しだけ空けた距離は、彼女なりの気遣いだろう。
……うん、こうすれば、ヤチヨの後退は防げるはず。……さっきよりさらに近くに彼女の存在がある、ということについては、深く考えない。
未だ私の力不足で、この場に互いに感じさせる体温も触感もないとはいえ、それでも、彼女がこれまでになく間近にあるのは事実で――だからこそ、冷静に、冷静に。これはヤチヨのためだ。決して私利私欲のためではありません、という弁明は誰向けなのか。苦笑する。
「……彩葉、見辛くない?」
不安そうなヤチヨの声に、無駄な思考を止めた私は、できる限り動揺を見せず応える。
「うん、大丈夫。肩口越しに見える」
「えー……そう、なんだ。えっと、」
ばんばん、と連続した発砲音。びく!と震えたヤチヨが、すぐに私にもたれるようになる。
「ぅあ、」
「……大丈夫だよ、居るから」
「―――」
狙い通り、彼女の後退を防げた。勇気付けるように囁けば、何故かヤチヨの肩が跳ねる。スクリーンのシーンはなんでもないような会話劇にも関わらず。「……ヤチヨ?」
「ぅ、な、なんでもない、デース……へへ……」
ごにょ、と、呟いたヤチヨは、よほど怖かったのか、すっかり狼狽していて――だからだろうか、随分、その背中が小さいように思えた。いつも明るくて、飄々とした彼女が、『女の子』であることは知っているけれど。状況がそう思わせるのか、いつもよりもヤチヨの内側が見えるような態度が勘違いさせるのか。
堪らず、安心させるように、両の手を伸ばした。抱き寄せたヤチヨは、体温も、鼓動もなくて、――でも、今、ここにいるのだから。びくり。爆発音に合わせて跳ねた体を、落ち着けられるよう抱きしめた。
「あの、いろは?彩葉、さん……?」
「うん、そうだよ。大丈夫、落ち着いて」
「落ち着きたいんだけど、うん、それはそうなんだけど、今が大丈夫ではないかな?今一番大丈夫じゃないってなってるっていうから」
「――私は、ちゃんとヤチヨのそばにいるから」
「あ、のね、彩葉。そうなんだけ――」
キャアア!突如現れたゾンビの群れに女優が悲鳴をあげ、ヤチヨの身体が震え、私がぽんぽんとあやすように肩を叩く。
「へーきだよ、ヤチヨ」
「……………だめ、しんじゃう……………………」
「死なない死なない」
何なら死にそうなのは私の方だって。過ぎたマネという言葉を拭いきれず、興奮以上に冷や汗が噴き出して止まらない私はさておいて、ヤチヨは何故か以降ぐったりとこちらにもたれかかっていた。
……やっぱり映画は変えたほうがいいと思うんだけど。
――それから、暫くたったあくる日。
ツクヨミを訪ねた私に、ニコニコのヤチヨが共有してきたurlはゴリゴリのラブロマンス物だった。私一人では絶対に見ないタイトルで、まあ、ヤチヨが見たいってんなら……付き合うけども。
「今、見るって言いました?」
「?うん。まあ、ヤチヨが見たいなら別に――」
シアタールームにて。何をそんなに丁寧に確認しているのか、と首を傾げる私に、ではでは!と、早速座り込んだヤチヨがポンポンと、自身の足の間の床を叩く。
「……え?」
困惑交じりの、動揺の声が出る。その仕草が何を意図しているものか、は――いや、分かる。
自分でやったことだし、というか忘れられないあんなの。
分かる、けど。――どっと噴き出す汗と熱くなる頬に、にまあ、とヤチヨが悪い笑みを浮かべる。
「いーろーはっ♪」
「いや!あの、待って、待った、別に私この手の映画に怖いとかないし、別に」
「ヤッチョと一緒に映画見てくれないの?」
「――見る、けど」
「じゃあ、一緒がいいな」
「――――」
「彩葉。
……おいで?」
まあ、その、抗えるはずもなく。
「……………、……なんで、こんな体勢で、こんな、映画を……」
「お客さん、なんだか凝ってらっしゃいますね〜。さては緊張してる?」
「しないでかっ……!?」
「あ、見て。ヒロインがチューしたよ。初々しいねえ」
「……………………」
「んふ。彩葉、動かなくてかわいい。大丈夫?」
「…………………大丈夫に、なりたいので、あの、せめて、………手を恋人つなぎにするのはやめてもらっていいで、しょうか」
「はーい!いやでーす」
「さいで……」
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