kanaco
2026-04-02 22:02:55
2206文字
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【十二信】緩やかな毒

《十二信》信一に片想いをしている、十二のおはなし。甘くて、苦くて、離れない。「落ちつく」って言うくせにさ。1ページ目は縦書きver、2ページ目は横書きverです。


 十二信 『緩やかな毒』 


 信一の柔らかい髪が首筋に触れて、十二はこそばゆさに小さく身じろいだ。
 
 遠慮を知らない、しな垂れるような背中への重み。
 
 押されて少しだけ前かがみになったが、グッと腹筋に力を入れて耐えると、その腹に2本の腕が回ってきた。それほど体温が高いヤツではないのに、ぴったりとくっつけば重なった肌から熱が生まれていく。

十二はなんだか落ち着かない気分になった。長年の恋心はとっくに拗らせているのだ。役得だと素直に喜びたいのに、戸惑いの方が勝ってしまうのを、十二は惜しく思った。
 
 信一は何も喋らない。大人しくしている十二を、後ろから抱きしめ続ける。信一はいつだって自由気ままで、好き勝手するのだ。十二の心の内など気にしやしない。

後頭部や耳の後ろを往復するように、鼻がくっついてくるのを感じた。
 
……吸われてる)
 
 まるで、子供のお気に入りのぬいぐるみ。
 安心のために存在している毛布。
 
 いつまでそうしているつもりなのか。止めなければ、このままウトウトと微睡み始めるのではないか、そう疑ってしまうほどの、静かな時間が流れていく。
 
「なぁ、それ楽しいのかよ?」
 
 遠慮がちに声をかける。
 ふはっと息の抜ける音が”うなじ”からした。
 
 また、くすぐったい。 
 信一の腕には、相変わらず力が入っていなかった。両腕はゆるく十二を囲うだけだ。振りほどかなくても逃げられるというのに、十二の体は魔法にかかったかのように動かない。

 これほど強い束縛を、十二は知らなかった。
 
……大丈夫か?」
 
 誰もいないのに、まるで秘密めいて囁くように聞く。信一のしっとりとした頬が、うなじにペタリとくっついた。
 
「大丈夫も何も、ないさ。……何でもない」
「俺、動けねぇけど」
「そうだな、ごめん」
……いいけど」
 
 十二は視線を下に向けた。顔も心無しかうつむく。信一の唇が、後ろ髪を滑る気配がした。

 また(吸われてる)と思う。好きなヤツとこんなに距離が近いのに、ドキドキすることさえ忘れている。むしろぼんやりとした意識が夢見心地になって、自分の輪郭が曖昧になっていくような気さえしていた。癒しとか、安心とかとも違う。切ないのに、温かくて、不毛なのに、しっくりくる。信一にとって自分は何なのか、もう何年も考えあぐねていた。
 
 「落ちつく」
 
 信一がポツリと言った。
 
「なに?」
「十二の匂いが。落ちつく」
……臭くね?」
「ははっ。人工的じゃない、纏ってるもんじゃない。
お前の匂いがする」
「分かんねぇ」
「ふふ、良い匂いってのとはちょっと違うかもしれねぇけど、俺に馴染んでる」
 
 十二は「ふぅん」と、気が篭っていない返事をした。
 

 (ずるい)

 
 十二の匂いが馴染むと言って心を安定させながら。
 違う人間の香りに心を焦がしているくせに。
 

 十二はそれを、前から知っていた。
 恋心を自覚した時には既に、だ。
 信一の視線を追うクセがついていた。
 誰に向かっているかなんて、明白で。
 
 先ほどから信一の匂いも、十二の鼻先をくすぐっている。ずっとだ。最近、よくつけている花のような甘い香水と、吸い始めたタバコの苦さが真っ先にやってくる。

 大人びて、振り向いて欲しがっている——そういう匂いだと十二は思った。信一自身の匂いは、うまく掴みきれなかった。纏っている甘ったるさも苦々しさも、どちらも信一そのものには違いない。それでも微かに漂う、知っている匂いを十二は探す。複雑な香りが合わされば、うっとりと浸りたくなってしまう。
 
 十二は気づかれないよう、ゆっくり薄くため息をつく。
 
 深く潜り込むような安らぎは、酔いしれたまま戻ってこれなくなりそうだった。いや、もうすでに溺れているのかも。だからずっと、一歩を踏み込めないのかもしれない。
 
 それでも諦めがつかないのは。
 この距離の近さがあるからで。
 

 それを与えるのは、結局は信一で。
 
 しばらく抱きしめて、気がすんだかのように信一が体を離した。心地よかった熱が遠のいていく。背中が急に温度を失い、虚しくなった。そのくせ、信一の匂いは鼻の奥どころか脳にまで行き届いて、十二の思考を乱し、血液さえ巡り巡って心臓すら離さない。
 

 ずるい。
 

 その気持ちは、やはり言葉にはならずに胸の中だけで消えてゆく。
 
 (お前がかっ攫ってくれと願うなら、そうするのに)
 
 信一がそう望むのであれば。
 十二は誰が相手だって怯まない。
 正攻法であろうが、奇策であろうが。
 
 (俺の手を握るっていうなら、本当に)
 そうやっていつだって注意深く、見つめている。
 その心の隙間が現れるのを。
 
 (失恋が怖くて……
 (……お前の幼馴染みなんてやっていられるか)
 
 甘味と苦味。
 緩やかな毒のように自分を犯していく香り。
 しかしその侵食は、お互い様なのだ。
 付け焼き刃で纏わせた、優雅で大人な香りなど。
 所詮はお飾りでしかない。
 
 信一は十二を抱きしめる。手放せやしない。
 
 いつかは自分の匂いが、信一をしとめる。気づかせる。
 
 そう、十二は思っているのだ。