小話倉庫(深上)
2026-03-15 02:38:49
7397文字
Public 悠アキ/haruwise
 

Stay with me(悠アキ/haruwise)

バレンタインの続き。ハッピーホワイトデー!悠アキ末永くお幸せに。
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 コン、と特徴的なノックの音が響く。アキラとリンはそれだけで、だれが店に来たのかを悟って顔を合わせ、苦笑する。他の客のようにドアノブを回して入ってくればいいものを、この日の彼は開けてもらうのを待っているらしい。やれやれと肩をすくめながら入り口の扉に近付き、チリリンとドアベルを鳴らして来訪者を出迎えるべく口を開く――よりも早く。
「ハッピーホワイトデー!」
 浮かれたような声とともに差し出された何かに、視界を占領された。目を瞬かせてその正体を探ると、それは純白の薔薇の花束だった。
「悠真……だよな?」
 戸惑いつつも花束の向こう側にいるはずの存在に声をかけると、その脇からひょこっと顔を出した相手は「そうだよ」と笑みを崩さずに答える。
「サプライズ成功?」
「それはまぁ、驚いたけれど」
「いやー、これ持ってくるの結構目立っちゃった」
 絶句して立ち尽くしてしまうアキラの後ろからリンが近付いてくる。妹は兄越しに入り口の様子を窺うと、うわ、と感嘆の声を上げた。
「すっごい花束……でもこの辺に花屋ってないよね? スロノス区かルミナスクエアくらいじゃない?」
「リンちゃん正解〜。これはH.A.N.D.の近くの商業施設にある花屋で買ってきたんだよ」
 この世界で花を調達するのは難しい。人気の花がホロウの中にしか群生していない、ということはよくある話だ。数多もの危険をかいくぐることもあり、そこかしこに花屋があるわけでもない。庶民価格で手が出しやすいルミナスクエアの「朝露」は稀な例だ。他の花屋も相場は高いだろうに、スロノス区のしかもエリート揃いのH.A.N.D.近くの商業施設となると、アキラたち一般市民では手も出せないような金額に違いない。それをサラッと持ってくる悠真にどう反応してよいものか悩んでいる間に「お邪魔しまーす」と軽い声が響き、お高い花束がずいっと迫ってきた。
「はい、アキラくん。これお返しね」
 押し付けられた花束を反射的に受け取る。パタン、と閉じられた扉と花束を交互に見つめながら難しい顔をしていたアキラは、ようやく彼の言葉と過去が結びついて頷いた。
「あぁ、バレンタインの」
 彼にホットチョコレートをあげたのは先月の話だ。職場から大量の贈り物を抱えてやってきた悠真に消費方法を提案し、こっそりと自分のチョコを混ぜて飲ませた。淡い想いは伝えず、胸にしまっておく――それで十分だと思っていたのに、彼に悟られて隠していた本音を引きずり出され、洗いざらい打ち明けて。今思い出しても顔が熱くなる。
「こっちはリンちゃんに」
「えっ、私もあるの? ……うわー、これはまたすごいやつ出してきたね」
 硬直を解いて二人の方を見る。リンの手に収まっているのは、アキラでも知っている高級洋菓子店の包みだ。リンはまじまじとそれを見つめて、居心地悪そうに苦笑した。
「わらしべ長者みたい。これはあまりにも一足飛びだけど」
「何それ? たとえ話?」
「1ディニーチョコが随分とご立派なものに化けたなぁって。三倍どころの話じゃないよ。本当にいいの? これこそ、お兄ちゃんにあげるべきじゃない?」
 悠真との微妙な関係を知っているリンが声を潜めてそう提案したが、悠真は動じた様子も見せずに邪気のない笑みを浮かべる。
「これはリンちゃんのために買って来たんだから、あんたに貰ってほしいんだって」
「そう? それならまあ……いっか。へへ、ありがとね、悠真!」
 リンの声に純粋な喜びが滲んだ。なんだかんだ言っても美味しいチョコレートは食べたいのだろう。
「コーヒー淹れてくるからさ、みんなで食べよ! 先に上に行っててよ」
 それでもやはりつり合いが取れないと思ったのか、リンはそう宣言するとチョコレートの箱を持って奥に引っ込んでしまった。残されたのは、大きな花束を抱えたアキラと、まだ荷物を持った悠真と、成り行きをじっと見守っていた店番のボンプだけ。
……ここに居ると邪魔になってしまうね。言われた通り、上に行こうか」
 18号に構い始めた悠真を促すと、彼は素直に「そうだね」とアキラの後ろに続いた。解放された18号は安堵したように一度だけ体を揺らした。
 自室に入ると、悠真は迷わずアキラの部屋のソファに腰を下ろし、荷物をどさりとテーブルの上に置いた。アキラもその斜め向かいに座ると、手にした花束をいくらか逡巡してから同じようにテーブルの上に置いた。
「まさか、花束を持って現れるとは思わなかったよ」
「お気に召さなかった?」
「あまりにも似合い過ぎてちょっと言葉を失った、かな」
「褒めてる? 貶してる? ほんとよくわかんないよね、あんた」
 上機嫌にそんなことを漏らす悠真に、それは君の方だろう、とアキラは心中でぼやく。アキラの想いは一か月前に伝えたが、それに対する悠真の答えはこうだった。
『一か月、待ってほしい。ちゃんと答えるから』
 隠してきたアキラの本音を暴いておきながら、彼はそれに対する答えを保留にしたのだ。というわけで現在彼とは、恋人でもなんでもなく、友人のままだ。釈然としない気持ちで彼の顔から目を逸らし、テーブルに置かれたものを見つめる。
「花束は分かったけれど……それは、なんだい?」
 リンに渡したチョコレートの箱とはまた違う包みと、手紙のようなもの。アキラの指摘に悠真は僅かに目を泳がせ、観念したように息を吐いた。
「あんたへのお返しを何にしたらいいか、ずっと悩んでてさ。課長たちに相談したんだよね」
「雅さんたちに……え、つまりそれは」
 彼女たちは、悠真へチョコレートを贈ったことを知られているということだ。もしあのホットチョコレートのくだりを全て知っているとしたら……知り合いに己の愚行を知られているかもしれない、という事実に羞恥が湧き、アキラは落ち着かない気持ちで膝の上に置いた手をこすり合わせた。そんなアキラに何かを察したのか、悠真は慌てて弁明を口にする。
「あ、言ってない言ってない。あんたにチョコレートを貰ったってことは」
「そ、そうか。それならいいけれど」
……いずれ言うかもしれないけど」
「ん?」
「あー、こっちの話」
 それで、と横道に逸れかけた話を悠真は元の軌道に載せる。
「お返しは何がいいか、みんなに聞いてみたんだよね。そしたら課長が『感謝を伝えるなら書状が相応しいだろう』って言ってたんだ。で、これ」
 す、と悠真の指が手紙を掴む。そのまま差し出されて、困惑しながらもアキラは受け取る。「アキラくんへ」とだけ書かれた宛名面をひっくり返すと、しっかりと封蝋が施されているのが見えた。そこに指を掛けようとすると、悠真が慌てたように言葉を挟む。
「今読まれたら恥ずかしいから、後で読んで」
「そうかい? 分かった」
 アキラとて、相手に書いた手紙を目の前で読まれるのは居た堪れないので気持ちは分かる。気にはなるものの彼の言葉に従って机の上に戻すと、今度は小箱を差し出された。
「蒼角ちゃんに聞いたら、まあ、予想通りというか」
「なるほど、お菓子か」
「さっすがアキラくん。当たり」
 これは開けてもいいということなので、包みを丁寧に破いて出て来た長方形の缶の蓋をそうっと開ける。色とりどりのキャンディーが現れて、アキラは思わず感嘆の声を漏らした。
「なんというか、これは……リンが喜びそうな色合いだな」
「あんたにあげるから意味があるんだってば。蒼角ちゃん、がっつり食べられない時に飴玉で気を紛らわしてるんだって。あんたも仕事の時とか、モニターの前でずっと動かないでしょ? 休憩のお供になればいいなって」
……そこまで考えてくれたのか。ありがとう、大事に食べるよ」
 仕事だけではなく、ゲームをしている時も、集中するとそこから一歩も動かなくなる。糖分を入れるのは集中の持続にも効きそうだ。アキラにとっては充分すぎるほど実用的なプレゼントに笑みを零すと「それから、それ」と悠真はアキラが置いた花束を指出した。
「それは副課長が……花をあげるのがいいんじゃないかって。どんな時でも花は見ているだけで癒されるからってさ。その流れで、六課のオフィスにも花を置きたいとか言い始めちゃってさ。結局その場で買いに行かされたんだよねぇ……
「柳さん、相当疲れているんだな……
「三徹とか言ってたっけ。よくそこまで働けるよねぇ……でも、そのついでにアキラくんにあげる花を買えたから、僕としては一石二鳥ってとこ」
 Vサインを作って得意げな表情を浮かべる悠真に、そうかい、と呆れつつ息を吐く。それは正式な業務だと言い張って、花を買った後しばらくサボったに違いない。サボり魔の彼は少しでも隙を見つけるとすぐに休憩と称して忽然と姿を消すのだ、と少し前に柳が嘆いていた。
「二人とも、お待たせ! コーヒー淹れて来たよ」
 両手が塞がったリンが、イアスの手を借りながら部屋に入ってきた。トレーをテーブルに置くと、ひょいひょいと湯気の立つカップを配り、最後に先ほど悠真に貰ったチョコレートの箱を中央に置くと、空いたソファに腰を下ろす。
「貰ったチョコレート、一つだけつまんじゃったんだけど、すっごく美味しかったよ! 二人とも、食べてみてよ」
「リンちゃん、僕はあんたにあげたんだから、あんたが全部食べていいんだよ?」
 困ったように眉を下げながら呟いた悠真に対し、リンは動じることなく悠真を真っ直ぐ見つめてきっぱりと答えを返した。
「貰ったものをどうするかは私の好きにしていいでしょ? 私はこれを、お兄ちゃんと悠真と一緒に食べたいって思ったんだから。だからこれは私の意思」
 優しさと芯の強さを共存させたかのような回答に、悠真はぽかんと小さく口を開いてから「あははっ!」と笑った。カップを手に取り、一口コーヒーを味わった後で、自分が買ってきた箱に手を伸ばす。恐らくそれは、リンを思って買ってきたビターではないチョコレートだ。だが躊躇なく口に含むと、しばらくもぐもぐと口を動かした後で「甘いね」と独りごちた。
 倣うように一つ手に取り口に放り込む。じわ、と染み込んできた甘みを堪能した後、コーヒーの苦味とともに喉の奥に流し込む。お礼に、とこれまた悠真から貰ったキャンディー缶を差し出すと、リンは想定した通りに目を輝かせて「どれ食べてもいいの?」とアキラに許可を取ってきた。
「構わないよ。リンが欲しいものを選んでくれ」
「やった! じゃあ、イチゴにしようかな」
「相変わらず妹に甘いねえ、あんたは」
 呆れたような言葉の割には、悠真の声は穏やかで、目元には笑みが浮かんでいる。ここに来てようやく、悠真の様子が妙だということに気が付いた。言葉数が少ないわけでもない。笑い方も普段通りだ。それなのにどことなく、落ち着かなげに両手の指を絡めたり、視線を彷徨わせたりしている。
「これってホワイトデーのお返しだよね? お返しって色々、なんか意味があるんじゃなかったっけ」
 最後のチョコレートを頬張り、隣に来たイアスを撫でながら、リンがスマホを操作し始める。アキラの場合、バレンタインのお返しはいつもクッキーにしているが、それに意味を考えたことなどなかった。そういうものなのか、と思いつつ改めて豪華な純白の花束に目を落とす。何処に飾ろうか。一本だけ自分の部屋に置いて、後は店に飾るのもいいかもしれない――などと考えていたらふと、視界の端で何かが光った気がした。
(なんだろう……水が零れて来たのかな)
 手を伸ばして、花束の中を探る。葉っぱの一つに引っかかるように、何か異物が紛れ込んでいる。薔薇の棘は花束にする際に抜かれているだろうが、それでも慎重にそうっと奥に手を伸ばすと、硬質の感触が指先に触れた。それは丸くて硬い、輪っかのような形状をしていた。
「あ、それ」
 若干慌てたような悠真の声を無視して、葉を折らないようにゆっくりと抜き取って光の下でまじまじと見る。
 ——指輪、だった。
 シンプルなシルバーリングだ。到底リンの指には収まりそうにはない大きさのそれに、開いた口が塞がらない。
「アキラくんに先に見つかっちゃった」
「これは……その、どういう?」
 アキラへの花束の中にあったということは、これもまた、プレゼントの一種だと考えた方が自然だ。だが、何故こんな風に隠すように紛れ込んでいたのか。混乱するアキラの耳に届いたのは、妹の何かを読み上げる声だった。
……キャンディーは『あなたのことが好き』で、白い薔薇は本数で意味が変わって……九本は、ええと……『永遠に一緒にいたい』……
 悠真、と顔を上げたリンが真顔で彼の名前を呼び、その顔を見据える。
「私、ここに居ていいの?」
「うん……リンちゃんにも、居て欲しい」
「分かった」
 部屋の中の空気ががらりと変わる。この緊張感は、一か月前のバレンタイン以来だ。だって悠真とは恋人でもなければ、キスなどもってのほかだし、手を繋いだことだって――
 そ、とその手を掬い取られて、アキラはびくりと身を震わせた。自分の体が思っていた以上に固まっていたことに気付くも、それどころではない。
 悠真は真っ直ぐにアキラを見つめると、一度深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
 それから静かに、はっきりと言葉を紡ぐ。
「アキラくん。僕と――結婚を前提に、お付き合いをして欲しい」
 見つめる金色の目は揺らがず、真っ直ぐに自分を見据えている。アキラは驚きに見開いた目で悠真を見返した。
……っ、君が言うそれは、本気の話かい?」
「そうだよ。冗談でこんなこと、言わないよ」
「君は……君の人生を、僕に預けてもいいと?」
「命の残りがどれくらいか、僕にはわからないけどさ。それでも、その人生にあんたが居て欲しい」
「そう……そう、か」
 じわ、と感情が溢れて来た。思い出すのはあの日——彼に乞われて「プロキシ」として依頼を受けた時のことだ。自分を損なってでも誰かを救おうとした彼が、どれだけ傷付いても誰かを助けようと伸ばされた手が、今こうして、自分の手を掴んでいる。
「あ、アキラくん!?」
 感情が決壊して、ぼろ、と両目から溢れてくる。はっとしてごしごしと拭うと、心配そうな眼差しを向けてくる金色と目が合った。彼の愛用するハチマキよりも色濃く、鮮やかに光を反射するその目を、綺麗だな、と思う。
……悠真」
「は、はい」
 柄にもなく緊張している彼に、ふ、と息を一つ零してからアキラは笑みを向ける。
「一つだけ、約束してくれないか」
「何でも言って。聞くよ」
「じゃあ……自分自身を大事にすることを、絶対に忘れないでくれ」
 すう、と息を吸い込む間が空いた。その後、はは、と掠れるような笑いが零れる。
「言ったでしょ。僕以上に自分のことを大事にしている人は、そうそういないよ」
「ああ。信じる。……あ、あと一つ。これは、お願いだけれど」
 指先で掴んだままのリングを、悠真に差し出す。
「これは君に着けてほしい」
 ——君が僕を、束縛して。
 悠真の目尻がじわりと赤くなったのが見えた。何かを堪えるように唇を引き結び、息を吐いてそのリングを手に取る。
 まるで一つの儀式を見ているかのようだった。悠真は無言のまま、アキラが差し出した左手の薬指に銀の指輪をゆっくりと嵌める。隙間なくぴったりと嵌まったそれを見て、感慨よりも先に疑問が湧く。
「僕、君に指輪の大きさなんて伝えたかな……?」
「そ、れはぁ……えっと、徹夜続きのあんたがソファで不用心に寝こけてるところでちょろっと」
「あ、あったねそんなこと。工房からなかなか出てこないから、何やってるんだろうって思ってた」
 ここに来てようやく口を挟んで来たリンにからかわれて、悠真は耳まで真っ赤にしている。その普段通りのやり取りにようやく緊張が解れて、体から力が抜ける。それから実感が湧いてくる。
(ああ――
 胸に満ちる感情は、幸せなどという優しいものではない。もちろんそれも隅の方にあるものの、「ようやく」という感情の方が強い。
 ようやく彼が、こちらを向いてくれた。
 ようやく――彼が、自分と生きることを受け入れてくれた。
 独占欲に等しいその感情を押し込める。いずれ訪れる終わりよりも、自分と生きることを選んでくれた。最期まで共にありたいと。
(それはこっちの台詞なんだよ、悠真)
 ずっと傍にいて欲しい――それは清らかな祈りでもあり、誰かを縛る呪いでもある。双方に向けられて初めて、幸福に変換される感情だ。
 万感の思いを込めて、リングをそっと撫でる。それを見た悠真がじりじりと寄ってきて「嬉しい?」と悪戯っぽく聞いてくる。
「ああ、嬉しいよ。だから悠真、今度は僕から君に、指輪を贈らせて欲しい。できれば同じものを」
「あー……同じのは、どうだろ。卒倒しない?」
 含みのある言い方に不穏が絡んで、アキラは覚悟を決めて頷いた。耳元で囁かれたその金額に、緊張の連続で衝撃に対する耐性を失っていた体がくらりと揺れ、視界がぶれる。
「お兄ちゃん!?」
 焦ったような妹の声と、あはは、と苦笑いをする悠真の前で、アキラはそのままソファに崩れ落ちたのだった。


 夜、誰も居ない自室で彼の残した手紙を読む。
 そこに書かれていたのはほぼ、昼間に聞いた言葉そのままだった。
 結婚してほしい、ずっと傍にいて欲しい――そんな手紙の最後に書かれていた文章を、アキラはそっと指で擦った。
『アキラくんに会えて、本当に良かった。どんなことがあっても、それだけは揺らがないよ』
 こちらの台詞だ、と息を吐く。今までも自分の人生をつまらないと思ったことなどないが、彼と出逢ってからその色合いががらりと変わってしまった。人生を塗り替えるほどの出会いなど、そうそうあるものではない。
 祈りと呪いをないまぜにして、薬指のリングをそっと撫でながらアキラは窓の外の暗闇を見つめる。煌々と輝く月が見守る中、手紙を丁寧に封筒の中に戻すと、アキラはそれを鍵のかかる引き出しの中に仕舞い込んだ。