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あんころ
2026-03-14 12:36:35
1933文字
Public
伊奈スレ
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ホワイトデーの置き手紙
ホワイトデーの話。
バレンタインっぽい何かだったものとつながっています→
https://privatter.me/page/6991d6f39aaae
「もうすぐホワイトデー! 皆さん、バレンタインのチョコのお返しはもう決まりましたか?」
伊奈帆がつけっぱなしにしていったテレビから流れる宣伝を見て、スレインは愕然とした。
囚人と監視員が暮らすためにあてがわれたアパートのリビングの床に、手に持っていたはずのホコリ取りが音を立てて落ちる。バレンタイン。チョコレート。お返し。
そういえば毎年冬の時期に、伊奈帆がチョコレートを持ってきていた気がする。収容施設から居所を移した今回だって、ほとんどきっかり一ヶ月前にチョコケーキを焼いてもらった。
バレンタインデーでは、好きな人やお世話になっている人にチョコレートを送る。テレビのリポーターはそういう前提の話をしている。
言われてみれば確かに、そういうイベントごともあったかもしれない。恋愛沙汰などほとんどなかった幼少期には縁がなく、火星に行ってからは言わずもがなですっかり忘れていた。けれど。もしかして。毎年冬に差し入れられていたアレはすべて、伊奈帆からスレインへの贈り物だったのだろうか。
以前であれば、そんな馬鹿なと笑い飛ばすか、わかった上で見てみぬふりもできただろう。けれど今は少々、いやかなり状況が異なっている。なにせ、先日スレインは伊奈帆から「そういう意味も込みで好き」であると告げられていた。もちろんこんな俗な言い方はされなかったが、要約するとそういうことらしかった。返事はさせてもらえなかったけれど。
であるならば、あの毎年のチョコレートは界塚伊奈帆なりの好意の証だったのかもしれない。あの男らしいのからしくないのか、気付かれないことを前提とした遠回しな愛情表現だった。
けれどスレインは知ってしまった。そして、バレンタインのチョコレートにはお返しが必要である。毎年積み重ねられたチョコレートの数々。界塚伊奈帆がくれたもの。それに見合う返礼。
家から一歩も出ることのできない身で、スレインは途方に暮れた。
夜。
帰宅すると、同居人はすでに自室にひきこもっていた。静かにドアをノックしてみても、出てくる気配はない。眠っているのか、そのフリか。どちらにせよ、界塚伊奈帆とは顔を合わせたくない、という意思表示だろうと受け取る。
この前伝えたことは齟齬なく伝わっていると思う。だからこそ、彼が強く拒絶を示してしまうのは想定外だった。イエスは貰えないにせよ、見てしまうことを許してほしかった。応える気はなくとも、ゆるされる立場にいると思ってしまった。
その結果、彼の窮屈で不便な人生によけいな影を落としてしまったのであれば、大失態だ。
見られていないのをいいことに、とぼとぼとリビングに向かう。
お腹は空かなくても何か食べなければ。
すっかり慣れた新居のキッチンで、冷蔵庫から適当なものを引っ張り出しては温めて、洗い物が面倒なので同じ皿に盛っていく。作った覚えのないタッパーの作りおきはスレインが残しておいたものだろう。一人用にしては多いことを確認して、明日の彼の分がなくならないように、ほんの少しだけ拝借する。
大皿を片手に机に向かう。と、いつもスレインが掃除をして整理整頓の行き届いている我が家の机に、珍しく普段はないものが置いてあった。皿をわきによけて、机の上の異物を観察する。
折りたたまれた紙と、その上には卓上カレンダーが重ねられている。カレンダーをどけて現れた紙の表面には、「へんじ」の三文字。ん、のカーブが一つ多いけれど、日本語もだいぶうまくなったそれ。間違いなく送り主はスレインで、たぶんこれは伊奈帆への手紙で、内容はこの前の伊奈帆の告白への返事だろう。
折りたたまれた内側に、スレインからの返事がある。
ばくん、と心臓が動悸のようなものを訴えている。恐怖と、これからのシミュレートをあれこれまわす脳みそと、ほんの僅かな期待がないまぜになる。
かさり、紙を開く軽い音がやけに大きく聞こえた。
――
好きにしていい。チョコまいとしありがとう
手紙の上に、まるで必要のない重しのように置かれているカレンダー。今日は三月の十四日。ホワイトデー。
毎年毎年、彼が知らないのをいいことに、自己満足のために送っていたチョコレート。バレンタインもホワイトデーも、その意味もきっとスレインは理解した。受け入れてほしいだなんて願っていない。そこまでの自信はない。なのに、「好きにしていい」、「ありがとう」?
「
……
スレイン!」
今すぐに、この曖昧極まりない「好きにしていい」の範囲を彼に問いたださなければならない。そして、それで、もし叶うのなら。許されるのなら、思い切り抱きつかせてほしい。
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