夜明 奈央
2026-03-10 05:21:51
3015文字
Public 中太SS
 

中太 バレンタイン2026

バレンタイン事情の続き
2026年2月14日初出

「バレンタイン当日、楽しみにしてるから。精々頑張って私の喜ぶブランドでも探したまえ」
 太宰がそう宣言したのは、バレンタインの約3週間前のことだった。なんとなく押し負けた気がしてならないが、チョコぐらいであいつの機嫌が良くなるなら可愛いものである。中也の秘蔵コレクションに手を出したり命の危険に晒したり、他のあれやこれやは冗談で済まされない全く可愛くないものばかりなのだ。
 しかしそう思っていたのも束の間、中也はすぐに現実を目の当たりにすることとなった。とりあえず軽くリサーチでも、と足を運んだバレンタインの催事場はどこもかしこも人、人、人。その人波に呑まれながら歩いていく先には「本日分完売」の文字。「えっ」と思っている間に気づけば人の流れに押し出され、通路に戻ってきていた。流石にこれではまずいともう1度今度は買う物を見定めるつもりで催事場に突撃するが、値段も種類も味も多種多様。興味のない中也にはちんぷんかんぷんだった。
 太宰が菓子の類を食べているのは何度か目撃したことがあるが、中也にとってはチョコ、飴、グミ程度の認識で、チョコの種類などと言われてもとんと見当がつかない。一応あちこちで試食ができるようだが、中也はチョコレートどころか甘い物全般があまり得意ではない。太宰の細かい好みも把握していない。つまり試食に意味はない。
 仕方なくその日は一時撤退を決めた。

 こういうのはやはり女性に尋ねるべきだろう。姐さん、に相談などしようものなら一発で相手が太宰だと見抜かれてしまう気がして、試しに樋口に訊いてみた。
「えっ中也さんって尻に敷かれるタイプだったんですか!? 意外です!」
 第一声を聞いて、人選を後悔した。銀はあまりそういったことに興味があるタイプに思えなかったので外したが、詳しくなくてもあちらの方が良かったかもしれない。
「うるせぇそういうんじゃねぇ訊かれたことだけ答えろ」
「すみませんっ!」
 なるべく感情を殺してひと息で言い切ると、樋口は直角に腰を折り曲げて謝罪した。勢いがつきすぎてなんだか莫迦にされている気がしてならない。が、顔を上げた樋口の表情は真剣なものへと一変していた。
「好みがわからないのでしたら、やはり有名どころのおすすめを狙うのが間違いないと思います。こことか」
 素早く自分の端末を操作し、いくつかのページを見せてくる。いずれもチョコレートの専門店のようで、耳慣れぬ異国語のような名前が並ぶ。こんなもの覚えられるわけがないと思っていたら、見透かしたかのように中也の端末に立て続けにSlackの通知が届く。確認すると先程見せられたページが共有されていた。中也が顔を上げると、にこりと笑みを返される。こんな時ばかり優秀である。
「しかし、好みが全くわからないというのは痛いですね。どうしてもわからないというならアソート系が無難だと思いますが……。もし食べられない物があれば最低限それは避けたいところです。例えば抹茶が苦手だとか、ナッツ類がアレルギーだとか」
「うーん」
 言われて記憶を辿るが、あまりピンとくるものはない。特別嫌っているものはないような気はするが、基本的に自分で買って食べているはずなのでそれが露見することもなさそうだった。いつも中也の作った料理を平然と食べているのでアレルギーの類はないはずだが、好き嫌いについてはいまいち自信が持てない。
「まだ当日まで少しお時間もありますので、可能なら少しリサーチ期間を取ってから購入するのも手かと思います。既に自分用に買っている物があるなら被らない方が良いでしょう」
「なるほど。参考にする」
「いえ、お力になれたなら幸いです。他にも何かあれば不肖樋口、微力ながらご相談に乗らせていただきます」
 樋口はそう言って話を締めくくった。瞳がきらりと光ったように見えたのは気の所為ではないかもしれない。余程得意分野だったのか、見たことがないくらいに生き生きしていた。最初は人選ミスを疑ったが、かなり有益な情報を得られたように思う。何より樋口の発言には引っ掛かるものがあった。
 太宰は既にいくつか自分で購入していたが、中也が廃棄してしまったために太宰の口には入っていない。当然太宰はあれらを食べたいと思っていたはずだ。それに太宰は「私の喜ぶブランドでも探したまえ」と言っていなかったか。太宰の好むブランドがどこかはわからないが、当然どこかお気に入りが存在しての発言だと考えてよい。
 太宰の口振りを考えればやりそうなことは多少予想がつく。持っているクレジットカードの明細を順番に確認していけばビンゴだった。先程樋口に教えてもらったものと同じブランド名が2つ。ここまでくればほとんど突き止めたも同然だ。
 決済金額と名称をオンラインストアと見比べ、おそらくこれだろうという物に辿り着くのはすぐだった。が、そこで中也は過ちに気づくことになる。太宰の買っていた商品は数量限定。既に売り切れ再販予定なし。何も言わずに勝手に中也の家に送りつけた太宰に非があるとはいえ、そりゃあ文句を言うはずである。せめて類似品でも残っていれば良かったが、限定品はサイズ違いも組み合わせ違いも軒並み売り切れ。残っているのは定番商品ばかり。太宰が納得するとは到底思えない。
 詰んだ。
 同じ物を買っても莫迦にされるのは目に見えているが、機嫌を損ねることだけは回避できると思っていたが、甘い考えだったようだ。樋口のアドバイスに従うならまだいくらか望みはあるが、及第点を取れるとは思えない。中也に残された道は、ただひとつだった。

◇ ◇ ◇

 バレンタイン当日。
 太宰がやってきたのは昼を過ぎてからだった。休みだからと午前中は寝て過ごしたのだろう。わざわざこの日を休みにするために仕事を調整し、朝から活動していた中也とは大違いである。その所為で部屋はどこもかしこも甘ったるい匂いが充満している。
「なんか甘い匂いがする?」
「おう、チョコケーキ作ったけど食うか?」
「は? 作った?」
 さっきまで眠そうにしていた太宰が目をぱちくりさせている。
「ああ、バレンタインにチョコ欲しかったんだろ?」
 中也が冷蔵庫からチョコレートケーキの載った皿を取り出す。太宰は興味を持ったようで、近づいてそれをまじまじと観察する。
 表面は割れてでこぼこしているが、粉砂糖でぱっと見は誤魔化せているはずだ。初心者向けのレシピだから失敗という程の失敗はしなかったが、それでも味や焼き加減の調節には苦労した。太宰が本当に食べたかったプロのものには及ばないだろうが、初めてにしては我ながら上出来だと思っている。
「大変だったんだぜ。何回も試作して。味はそこそこだと思うんだけど」
「莫っ迦じゃないの? 買えば良いのに」
「どれがいいかわかんなかったんだよ。しょうがねぇだろ」
「にしたって女児じゃないんだから」
 太宰は呆れたように笑っているが、これは本気で莫迦にしている時のものではなく、満更でもない時のそれだ。これは及第点を取れたと判断していい。
「これ、もちろん中也も食べるんだよね? こんなに大きいの1人で食べられないよ」
「そう言うと思ったから、あんまり甘くないようにしてある」
「自分の好みじゃん」
 太宰は満足そうに口角を上げる。

 この勝負、中也の勝ち。


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