クギ
2026-03-08 01:05:46
2497文字
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MP48新刊アンケート用サンプル

『其の救い主たるは(仮称)』(A5/ページ数未定/¥500前後予定※会場頒布価格)
テーマ:互助の男と自助の男。洛軍てそもそも物騒なやつだよなと、信一が再確認する話。

 十二月も半ばを迎え、月末に控える締め日の気配が、徐々に存在感を増してくる今日この頃。
 ここ、九龍城砦を縄張りとする幫会、龍城幫の若き金庫番である藍信一は、何件かの集金を終えたその足で、老人街を通りかかろうとしていた。
 信一が取り扱う金の種類は、大まかに分けて二種類ある。
 一つは、彼が本業として身を置く組織、龍城幫のシノギで上がってくる収入だ。ここには、家賃のほか、売上からの上納金、みかじめ料などが含まれている。
 もう一つは、城砦の大地主に委託され取りまとめている、店子からの家賃。こちらは、黒社会とは関わりのないカタギの金だ。
 どちらの金も、基本的には期日までに、向こうが支払いに来る決まりになっている。だが、中には今日のように、信一が直接足を運ばなければならない相手もいるのが実情だった。
 わざわざ出向かねばらないのは手間だが、そう煩わしいことばかりでもない、とは、当の信一の弁だ。
 彼が直接集金している者の中には、高齢の古なじみも多い。集金ついでに様子も見ることができるし、上手くいけばオマケも付いてくるからなと信一は笑う。
 この場合のオマケとは、お茶とか、お菓子とか、そういう他愛ない類いのものだ。今日だって、信一が最後に訪れた家では、蛋撻《エッグタルト》が出されていた。なじみの顔、美味い菓子とくれば、自然、世間話にも花が咲こうというもので。

 ──すっかり長居した。
 
 しまったなぁと自省しながら、相も変わらず人と物でごった返す老人街を、信一はゆったりとした足取りで進む。
 うっかりしていたのだ。このあと、四仔の診療所に寄る予定があったのに。これはもう、完全に遅刻である。今から急いだところで、どうせ約束の時間には間に合わないと、信一はすっかり開きなおりを見せていた。
 それにしてもと、信一は先ほどまでの、古なじみとの会話を思いかえした。まさか、あんな話題で盛りあがろうとは、想像もしていなかったからだ。

 ──あいつも有名になったもんだ。

 先ほどまで話題の主役になっていた、あいつ。その人物は、ある日突然やって来て、今やすっかり城砦に溶けこみ、ここで住人として暮らしている。最近は、よくつるんでもいるその男の顔を、信一が思い浮かべた、まさにその時だった。
 信一は、雑踏の切れ間に、件の男の後ろ姿を見た気がした。
 一瞬、見間違いかとも思ったが、そうではなかった。彼が歩みを進めたその先、陳峰記鮮果の店先で、その男はしゃがみ込んでいたのだ。後ろ姿であっても、一目瞭然。信一がくれてやり、今も男が身に着けているピンクのポロシャツは、実によく目立つ。
 男の目の前には、ぐずぐずと泣きべそをかく少年が立っていた。
 陳峰記鮮果の店先は、近所の子供たちの遊び場になっている。信一が見知ったこの少年も、よくここに集まってくる子供たちのうちの一人だった。
 信一は、未だ泣きやまぬ少年に近付くと、その頭をわしわしと撫でてやりながら、声を掛けた。
「よお、文仔。どうした?」
「うう〜……
「信一」
 少年の代わりに、男が信一を仰ぎ見る。
 男の傍らには、ガス缶が二本置かれていて、こちらに関しては信一もすぐに状況を察することができた。
「洛軍、配達中か」
 男──洛軍が、信一の言葉に頷く。
 信一は、ちらりと陳峰記鮮果の中をうかがった。いつも子供たちを見守っている店主の陳峰は、この事態を奥で静観していた。つまりは、そういうことだ。大ごとではない。
「お前が泣かした?」
 冗談めかして、信一は洛軍に尋ねた。さすがに彼自身、それはないとは分かっていたが。洛軍も、信一の意図するところは承知しているのだろう、彼の言葉を否定も肯定もしなかった。
「喧嘩で負けた」
「なるほどな」
 洛軍が告げた少年の涙の理由は、実にありふれたものだった。
 そりゃあ、店主も口出ししない筈だと納得した信一の横で、少年の泣き声がいっそう大きくなる。洛軍の一言に、治まりかけていた感情が刺激されたらしい。
「あーあー、泣くな泣くな」
 苦笑を浮かべ、少々乱暴に信一が少年の頭を撫でる。
 洛軍はといえば、泣きやまぬ──むしろ自身の発言で勢いが付いた──少年を前に、じっと動かない。ただ、その姿は物言いたげでもあって、声を掛けるタイミングをはかっているように、信一には感じられた。
 それならばと、彼は軽い気持ちで、洛軍へ助け舟を出してやった。
「ほら、文仔、洛哥がお前にアドバイスだって」
 急なことに、洛軍の視線が信一を捉えるも、そこに非難の色は見られない。むしろ、信一の真意を探るような、そんな感触が漂っていた。
 せっかくの子供への助言だろうに、何を遠慮することがある。これもまた、洛軍が城砦に溶けこみ、住人として生活していることの現れなのだ。信一としても、それは喜ばしいことであった。
 だから、信一は背を押すつもりで、洛軍に向かい、くい、と顎をしゃくってみせた。
「ぐず、う……アド、バイス?」
「ああ」
 ようやく、少年にも人の話を聞く余裕が戻ってきたらしい。すすり泣く隙間からこぼれた声に、洛軍が応じる。
「次は勝てるように、コツを教える」
「コツ……?」
「そうだ。やられっぱなしは悔しいだろう」
……うん」
 尋ねる洛軍に、少年が応える。彼の、真っ赤に泣き腫らした両眼の奥に、きらりと希望が光って見えた──ように、信一には感じられた。
「勝負は最初が肝心だ」
 対する洛軍の口調も、心なしかいつもよりも穏やかな気がする。
 心温まる交流じゃないか、などと、信一は呑気にことのなりゆきを見守っていたのだが。

「まずは、目を狙え」
 
 洛軍から突如飛び出しのは、物騒極まりない発言だった。噛んで含めるように伝える声音は優しく、それだけに落差が凄まじい。
 あ、これはダメだと、直感が信一に告げる。
 彼は即座に、食い気味に、心温まる交流を打ち切らせた。龍城第一刀ここにあり。呼び名に恥じぬ信一の瞬発力が、遺憾なく発揮された珍事であった。

(続く)