knott
12048文字
Public
 

めっちゃデカくなった番長とみんなたちと陽介

主花 主人公の名前 鳴上悠





  鮫川の河川敷。いつもならば学校帰りの学生や散歩をする老人たちが通り過ぎるだけの長閑な場所だ。だが今日に限ってはその景色の中に圧倒的な存在感を放つ異物が存在していた。

 鳴上悠である。

 鳴上は今、清涼な川の水面を見下ろすようにして河川敷の土手に腰を下ろしていた。揺らぐ魚影が床のシミのように小さく見える。ただ座っているだけならばそれは日常のひとコマに過ぎない。しかし、現在の彼を見上げて日常だと思う者はこの町には一人もいないだろう。
 
 鳴上の体は家屋を見下ろし、見上げるほどの木々を足元に置くほどに巨大化していた。

 その姿形は昨日までの鳴上と何ら変わるところはない。八十神高校の指定である学ランの質感も、開襟から覗く白いシャツの皺も、首元で揺れる千鳥格子の意匠も、銀色を帯びた特徴的な髪の毛の揺らぎも、すべてが彼自身のままである。ただ全体的なサイズが、変身した後、怪獣と対等な大きさになって戦うタイプの特撮ヒーローばりに大きくなっていた。具体的なサイズ感を言うと、鳴上が手のひらを差し出せば大人の人間がすっぽりと収まってしまうほどに大きくなっていた。暖かさを残した心地よい風をそよそよと浴びながら、鳴上は不条理な状況に身を任せ、凪いだようにぼうっとしていた。

 始まりは今朝のことだった。
 まず目が覚めた時、妙に天井が近いと感じた。見慣れたはずの天井の木目が鼻先を擦るほどの至近距離に迫っている。寝ぼけ眼を擦りながら身を起こした鳴上は、布団が子供用のタオルのように小さく感じられることにも首を傾げた。幸い今日は休日だったのだが、なんとなく気の締まる制服を着ておいた方がいい気がした。不思議なことに衣服もまた鳴上の身体に合わせて伸縮しているようだったが、事態の異常性はもはや覆い隠しようがなかった。

 視界の高さは明らかに常軌を逸していた。床に足をついた時、自分のつま先が遥か遠くに感じられた。さらに堂島家の廊下に出た瞬間、鳴上の頭頂部は天井の板をミシリと押し上げていた。

 そこからの記憶は慌ただしいものだった。鳴上が家から外へ出る頃にはすでに天井を破らんばかりの背丈に達しており、堂島家の玄関を物理的に破壊しそうになったため、できる限界まで屈んで這い出るしかなかった。外の空気を吸う頃にはさらに成長は加速した。電柱が膝下を過ぎ、二階建ての屋根が腰の高さまで沈む。妙にリアリティを伴った悪夢であってほしかったが、夢にしては庭で育てている野菜の種類や育ち具合、毎日見ている電柱の汚れ具合などのディティールが明瞭かつ正確すぎた。
 
……嘘だろ」
 
 これ以上町中にいれば歩くだけで家屋を踏み潰し、インフラを破壊してしまう。鳴上は八十稲羽を、そして八十稲羽で出会った仲間たちを心から愛していた。そんなものを破壊したくはない。鳴上はひとまず比較的開けており、かつ人通りの少ない鮫川の河川敷へと避難したのだ。学業と特捜隊としての活動をこなす傍ら足しげく愛屋に訪れ、勇気と寛容さを限界まで鍛えた故の判断力だ。

 原因は不明である。だが鳴上自身も、そして知らせを聞いて駆けつけた特捜隊の仲間たちも直感的に同じことを考えていた。「あのテレビの世界以外に考えられない」──と。シャドウの仕業かあるいは異空間の未知の歪みか。いずれにせよ科学や医学で説明のつく事態ではない。

 太陽が高く昇るにつれ、河原には代わる代わる見知った顔が訪れた。

「な……鳴上くんどうしちゃったのそれ!? どういう理屈!?」
「くふっ…… ふふっ……!」
「雪子! 今はツボに入ってる場合じゃないから!」

 息を切らして駆けつけてきた里中千枝と天城雪子は、見上げるような巨体となったリーダーの姿に言葉を失っていた。千枝は両手を腰に当て、首が痛くなるほど鳴上を見上げながら目を丸くし、雪子は常軌を逸したリーダーの姿に笑いが止まらなくなっていた。
 
「こんなんじゃ全国ニュースに出ちゃうじゃんか……
「こんなに大きかったらテレビにも入らないよ……!」
「だーかーら! あんまり笑いごとじゃないってば! ……でも映画館のスクリーンでも怪しいよね、これは」
「あははっ……!」

 爆笑する雪子につられて鳴上も苦笑するしかなかった。
 続いて現れた巽完二と白鐘直斗も唖然とした表情で悠を見上げた。

「先輩、こりゃあ……いくらなんでもデカすぎやしませんか? すげぇっスね」
「事態の究明を急ぐ必要がありますが……物理法則を完全に無視していますね。あの世界との因果関係は間違いないでしょうが……

 直斗はブツブツと呟きながら手帳にペンを走らせている。りせは「こんなに目立っちゃったら今度のマヨナカテレビに映っちゃう!」と、半泣きになりながら鳴上の巨大なローファーに縋り付き、ジュネスから抜け出してきたクマは「センセイがダイダラボッチになっちゃったクマー!」と河原を走り回っていた。

 少し後、堂島遼太郎はパトカーで駆けつけるなり、大騒ぎする群衆を遠ざけるための規制線を張りながら深く頭を抱えた。
 
「悠、お前……本当にどうなってんだ?」
「すみません」
「お前な……いくら育ち盛りだからって限度ってもんがあるだろ。ったくどう報告書書けってんだ……

 ふらりと様子を見に来た足立でさえその光景には目を剥いていた。目が合ったが、そっと逸らさられた。
 その後ろで菜々子だけは「わあ! お兄ちゃん、おっきい! お山みたい!」と、無邪気に歓声を上げて喜んでいたのが唯一の救いに感じた。

 やがて太陽が西の山際に沈み始め、鮫川の水面が燃えるような橙色になってきた頃。
 野次馬の数も減り、静寂が戻りつつある河原に一台の自転車がカラカラと乾いた音を立てて近づいてきた。
 花村陽介だった。
 自転車のハンドルにはジュネスのレジ袋がぶら下がっており、中に総菜や菓子類がパンパンに詰まっていることは想像に難くなかった。陽介は自転車を土手に止めると大きく息を吐きながら悠の足元へと歩み寄った。
 
……おーい、相棒! 生きてるかー!」

 陽介の声にも当然困惑の色がにじみ出ていた。鳴上はゆっくりと首を下に向ける。見下ろす先には豆粒のように小さくなった親友の姿があった。

「陽介」

 鳴上が名前を呼ぶと、その声の振動で陽介の茶色い髪が揺れた。

「手伝いでどうしても抜けられなくてさ。お前マジでどうなってんだよ……? 朝聞いた時は冗談かと思ったぜ」
「陽介、小さい」
「バカ、お前がでけーんだよ」

 陽介は呆れたように肩をすくめるが、その視線には深い心配の色が滲んでいた。
 
「腹減ってないか? 色々持ってきたんだけど……って、お前には小さすぎるか」

 陽介がレジ袋を持ち上げて苦笑する。

「ありがとう。気持ちだけで十分だよ。陽介が食べてくれ」

 鳴上が微笑むと陽介は少しだけ目を逸らした。
 しばらくの間、二人は言葉を交わすことなく川の流れと風の音を共有した。そのうち陽介は持ってきたスナック菓子を広げながら、夜はどうするのか、明日の学校はどうするのか、テレビの中の様子を見に行くべきか――などと陽介らしい現実的な情報共有兼雑談が始まった。陽介は大きくなった鳴上を気遣ってか言葉のひとつひとつを叫ぶように話す。そんなことをしてくれなくとも鳴上は陽介の言葉を聞き取ることができていたのだが、その陽介の気遣いが嬉しく、小さな体を必死に動かして全力で感情表現する陽介をもっと見ていたかったので何も言わずにいた。
 
「陽介」
「なんだ?」
「手、乗ってみるか」
「はぁ!?  なんでだよ!」
「そういえばまだ誰も乗せてないなと思って」
「そういえばまだ?? お前もしかして結構楽しんでる感じ?」

 鳴上の唐突な提案に陽介は目を丸くした。
 条件反射のようにツッコミを入れたものの、陽介の表情はどこか満更でもなさそうだった。

「いや……まあ、こんな経験、一生に一度あるかないかだしな……?」
「どうする」
……いいぜ、乗ってやるよ!」

 陽介が軽く息を吐きながらさぁ来いと言わんばかりに両腕を広げると鳴上は静かに右手を持ち上げた。

 それは想像を絶する光景だった。
 鳴上の手のひらが夕日を遮り、巨大な影となって陽介を覆い隠していく。指の一本一本が大木のように太く、皮膚の質感やシワまでもが陽介の眼前に圧倒的な凄みを伴って迫ってくる。低い風切り音を伴ってその巨大な手が近づいてくる、一種の神々しさまで感じる恐怖。陽介は思わず後ずさりしそうになったが、相手はシャドウではなく鳴上であることを思い出し、足を踏ん張った。
 その手は陽介の直前でぴったり止まった。鳴上は息を詰め、神経を極限まで研ぎ澄ましていた。ほんの数ミリ、力の加減を間違えれば、この巨大な手は陽介の身体を容易に潰してしまう。絶対に傷つけたくない。その強い意志が鳴上の動きをスローモーションのように鈍重にさせていた。
 そしてじりじりと気の遠くなるような時間をかけて、鳴上の手が地面に添えられた。
 
「あー…… これもう乗っていいやつ?」
「大丈夫だと……思う」

 その異常なまでの慎重さに陽介は頭から冷水を浴びたような気分になった。初めはその持て余すほどの大きさをした体のコントロールが難しくもたついているのだろうと思っていたが、鳴上はその不便さを抱えた上で自分を傷つけないためにここまで慎重になっていることに気が付いたからだ。
 
「お、おう……

 陽介は喉を鳴らし、悠の分厚い手のひらへと足を踏み入れた。靴底から伝わるのは地面のような硬さではなく、生温かく、確かな脈動を打つ人間の皮膚の感触だった。
 
「これ立ってるとまずいか? 座ってたほうがいい? てか今更だけど土足でいいの?」
……揺れるかもしれないし、座っておいた方が安全だと思う。靴はそのままでいい」 
 
 陽介が手のひらの中央に胡坐をかいて座り込むのを確認すると、鳴上は再び途方もない時間をかけて腕を持ち上げた。ふわりと重力が失われたような感覚のあと、陽介の視界が急激に高くなっていく。河原のススキが眼下に沈み、遠くの街並みが一望できる高さまで持ち上げられた。

 鳴上の目の高さまで来た時、陽介の心臓は早鐘のように打っていた。高いところが怖いからではない。目の前にそびえる相棒の巨大な顔の造作、その真っ直ぐな瞳が、逃げ場のないほどの至近距離で自分を見つめているからだ。
 
……どうだ?」

 鳴上が囁くように尋ねる。その吐息だけで陽介の身体は吹き飛びそうになるが、鳴上はもう片方の手でそっと風避けの壁を作っていた。
 
「ど、どうって……高いな。すげー景色いいぜ。てかお前睫毛なっげえ……
「睫毛?」
「い……いや、こんなに人の顔マジマジ見ることねーし? 率直な感想だよ! まあ今のはちょっとキモかったな……?」

 陽介は強がって笑ってみせたが、その声は微かに上擦り、身体は緊張でガチガチに強張っていた。しかし眼前にそびえる鳴上の真っ直ぐな瞳に見つめられているうちに、陽介の肩からふっと余計な力が抜けていくのが手のひらを通して鳴上にははっきりと伝わってきた。
 どれほど姿形が変貌しようと、目の前にいるのは他でもない大切な相棒──鳴上悠なのだ。どんな異常事態においても決して揺らがず、そして何があっても仲間たちを、自分という存在を裏切りはしないだろうという陽介の中にある絶対的な信頼感。それが本能的な恐怖を容易く凌駕していた。
 
……こんなにデカくなっても、お前はお前なんだな」
「まあ……

 陽介はふっと息をつき、鳴上の親指の腹に寄りかかるようにして座り直した。その無防備極まりない仕草に鳴上の胸の奥で何かが溶け出した。普段は軽口を叩きよく動き回る陽介が、今は今は自分の手のひらの上で、指先一つでどうにでもなってしまうほど小さく脆弱な存在として、自分の手のひらという極小の箱庭の中で安心しきっている。
 
……潰してしまいそうだ)
(大切に扱わなければ……

 鳴上は内心でそう呟き強く自戒する一方で、好奇心のタガが軋むのを止められなかった。気づけば、風避けにしていた左手の人差し指が、抗いがたい引力に引かれるように陽介へと伸びていた。
 巨大な指の腹が陽介の着ているシャツの上からその柔らかな腹部をそっとまさぐるように撫でた。絶対に苦しめないように、痛めつけないように、かつ陽介の柔らかみを確認するために。
 
「ひゃっ……!? ちょっ、おま、くすぐったい!」

 突然の接触に陽介は肩を跳ねさせ、頼りない声を漏らした。鳴上の指先からは陽介の腹部の感触とドクドクと脈打つ早い鼓動が直に伝わってくる。血が通っている。肉も詰まっている。当たり前のことだが、生きているのだ。
 
……柔らかいな」
「うっわ! 今のゾっとしたわ……変な言い方やめろよ」

 陽介は抗議の声を上げたが、その実本気で嫌がっている素振りは微塵もなかった。むしろ鳴上に触れられることを望んでいたかのようにその指先から逃れようとせず、鳴上を非難しつつも無邪気に笑い転げている。満更でもない、いや、むしろもっと構ってほしいという微かな欲求がその表情の端々に滲み出ている。
 
「俺で遊ぶな! 犬じゃねーっつの! だーっ、鳴上に殺される! プチってされる!」
「大袈裟。殺さない」

 鳴上はそのまま力の入れていない人差し指を腹から肩、肩から頭の方に移動させる。そのまま小動物の毛並みをなぞるように陽介の髪を撫でた。ハムスターか耳かきのフワフワの部分を触っているようだ。
 
「ぅ…………
…………

 鳴上の指が三、四往復くらいした頃だろうか。
 
「な、なあ、何? なんかおかしくね?」 
「何が」 
「いや……」  

 その後陽介はまた、鳴上の指が三、四往復するまで黙りこくっていた。頭の中で必死に何かと何かを天秤にかけている様子だった。 
 
「楽しいか? 男撫でんの」
「男っていうか……陽介は」
…………

 その後、陽介は鳴上の指が五、六往復するまで黙りこくっていた。いつの間にかうつ伏せになって脱力していた。地面という名の鳴上の手のひらに顔面を押し付けているのは表情を絶対に見られたくないからだろう。

「は……はは、いいぜ相棒、どうせ減るもんもねーしな」
  
 陽介は突如体を起こしたかと思えば、照れ隠しのように鼻の頭を掻くと、あろうことか決心したように仰向けに寝転がったのだ。無防備な喉元と腹を晒し、手足を投げ出すその様はまさに降伏した歩兵のそれだ。
 
「気が済むまでやれ! そんで元に戻ったらぶん殴る!」
「えっ……

 今度は鳴上が呆気に取られていた。鳴上が何かを考えている間の無言の時間は、散々尊厳を蹂躙された上で降伏までしたのに、とどめを刺してもらえないまま放置されているかのような極上の苦痛を陽介にもたらした。

「えっと、陽介は……その。撫でられたいってことか?」
「おい、それはないだろ、ぐっ……この……! この野郎……!」
「間違えてたら良くないだろ」
「この…… この……!」

 一生分の勇気を振り絞って大の字になった陽介だったが、不貞腐れて胎児のように丸まってしまった。なおこの後、鳴上が謝罪するように背中をさすっているとまた口を利いてくれるようになったらしい。