2026-03-01 22:35:42
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サラベルナールのサロメ、感想

2月28日昼公演、舞台『サラベルナールのサロメ』感想です。



舞台『サラベルナールのサロメ』2月28日昼公演のざっくり感想です。
箇条書き的につらつら書いてます。



物語がミュシャ目線に再構成されてて、結果、無数のキャンバスで構成された舞台セットがとても活きていた。

劇中劇サロメの扱いも、わかりやすく(ミュシャの台詞に入れ込む)ことでオスカーワイルドの人生と重ねられ、「既存の価値観に勝負を挑む」作品とされることで、サラが絶対にロンドンで上演したい!とこだわった理由が明確になってて大変流れがわかりやすい脚本で良かった。
昨年1月版は、このへんがもう少し曖昧だった気がする。(気のせいかもしれないけど。)
要するに、パリには劇場法のような既存の価値観的な文脈がないので、サロメを上演しても「オスカーワイルドのサロメ」の意味が薄れてしまい、それは「サラベルナールのサロメ」ではない、ということなのかなと。

(全然関係ないけど、今年のイタリアの冬季オリンピックの開会式と、パリオリンピックの開会式の映像を並べて、ほら!!!イタリアはお上品!!!!デブの同性愛者をキリスト教のモチーフで使って冒涜しながら馬鹿騒ぎしていたパリとは違う!みたいなツイートが流れてきたけど、それこそまさにパリ!だよなぁと。私はオリンピックの開会式もパリのあの、クィアな演出が好きで、オリンピック憲章に多様性を掲げるならあれくらいやって当然だと思ってたけども。このサラベルナールのサロメがどのくらい時代検証しているのか知らんけど、パリのアートにはそういう気風があるのかもしれない……とオリンピック直後だったので思いましたね。)

「サラベルナールはサロメ」は、結論としては上演されない訳で、徹底して「世に出なかった作品」の話であり、人々の記憶にも記録にも残らなかったもの。
だからこそ、序盤で画家のミュシャの仕事を絵にして「後世に残す」と強調するのが効いているし、朗読劇の時からシンプルな照明とはいえ、最後に舞台の真ん中に残ったサラベルナールのサロメの「ミュシャ風のイラスト」が照らされる演出がすごく好きで。
今回は、「残す」仕事を託されたはずのミュシャが「残せない」苦闘を抱えるシーンで終盤を迎え、記憶を辿るなかで、サロメ=オスカーワイルドの構図を理解し、絵にする。
そして、朗読劇のときのように、最後は「サラベルナールのサロメ」としてのサラの姿が、キャンバスのような四角い額縁に浮かび上がり終幕。
(この蒼井サラが美しかった……!!!)

残せなかったはずのサラベルナールのサロメが、画家の手により「残される」ことで、サラとオスカーワイルドの意思を残すようなエンディング。

もともと好きだったエンディング演出が、ミュシャ目線の物語として再構成されたことでよりピッタリな演出になっていてとても良かった。
今回、ミュシャを演じた和合さんは、まぁ〜〜えぐい台詞量というか、朗読劇では「語り」で繋げるからいいけど演劇にすると「台詞」になるよね!の部分を全部「台詞」かつ舞台一人のシーンで結構大事なことを言っていて、重要な役所〜〜すぎた。
映える顔の向きを気にしている(?)おもしろお兄さん(?)の印象で(若俳番組のゲストで見た)お芝居しているところ見たことなかったから、楽しみにして行って、熱演を目の当たりにできて感激
ミュシャは、ポスターとか商業的なものと上手く結びついて売れていったイメージがあるので(私はアート関係素人ですが)そのミュシャが、商業面や法的な制約よりも己の表現欲ゴリゴリのオスカーワイルドとその仕事に応えるサラの二人を見つめている、という構図は、この作品をより面白くしてた。
(ところで、舞台全体を通してやたらと紙をばら撒いたり、ぶち撒けたりしていたのはどういう意図があったんだろう?私はあんまり掴めなくて、特に最後のミュシャの苦悩は、過剰な演出だなとちょい思いました。和合ちゃんの熱演なら、ミュシャの苦悩は紙ばらまかなくても伝わるような。紙=残すもの、後世に知らせる媒体だからこそ、それに残せないという重圧を、紙に八つ当たりしているという描写なのかな?)


サロメ=オスカーワイルド、というか劇中劇サロメを「既存の価値観に勝負をしかけるもの」の位置付けたことで、蒼井翔太にサラベルナールを演じさせる意味も外在的ではあるけど付与されて良かった。
なんていうか、蒼井さんが女性を演じることは、気をつけないと、「オタクこういうの好きでしょ?」的な、興行、商業的なオモロさとか、オタクのヘキに回収される可能性もあるキャスティングだと思っていて。
そりゃあ、男女どちらの役も演じられたらすごいし、そういう推しをオタクは見たいんだけど、今の時代、特に制約もないので(時代と地域によっては女性は舞台に上がってはいけないとかもあるわけで)、女性の役は女性がやればいいと思うんですよ、何か理由がないなら。
まぁ、男性が女性を演じることは、諸々の演劇規制からして歴史上よくあることだとは思うのです取り立てて今回が「奇妙な」取り組みでもないとは思うけど、でも、劇中劇サロメの扱いが既存の価値観を揺るがす、とか、あるいは「先入観を持たない」であるならば。
7つのベールを外すことは、裸になり、女が男を誘惑することではなく、様々に偏見を引き起こす「属性」を指しているのなら。
そういう作品の表現の一つとして、蒼井翔太のキャスティングをとらえられるなぁと。
蒼井さんは定期的に(もちろん、明確な分脈を持たせることは避けているけれど、一般論として)そういうことを言うので、その意味でも意義あるキャスティングだなぁと。
終盤、怒涛のように「サラベルナールとオスカーワイルドのサロメはこうです!」の読みが、ハッキリ言語化された形で観客にも示されて、だからこそのこの形とキャストでの舞台化の意味も見えてとても良かった


で、オスカーワイルドの色気がすごい!!!!!!!!すごい!!!!すごすぎる!!!(3回言う)
朗読劇の永塚くん(私が見た回)もそうだったので、おそらく演出サイドのディレクションと脚本そのものが役者をそうさせるんだと思うけど。
ちょっとアウトサイダーで、才能あふれて、豊かな感覚を持つアーティストなので、そりゃ間違いなくセクシーでカッコいいんですが!!
寿大さん演じるオスカーは、立っているだけで香り立つ色気といいますか………舞台役者かくあるべしと言いたくなる立っているだけで物語る役者さんですごく素敵だった。

で、サロメ=オスカーワイルドの読みが明確に提示され、オスカーワイルドの欲望というか在り方とサロメの在り方が結びつけられる本作では、この色気あるオスカーの姿こそがサラにとってもサロメを読み解くために必要な色気で。つまり、オスカーワイルドの存在そのものがサラの芝居を引き出す。
そういう意味でも、声優的な「キャラを立てる」方向性の芝居ではなく、舞台役者的な、共演者の芝居を引き出すような芝居のオスカーワイルド、素敵でした。


で、蒼井翔太ファンによる蒼井翔太さんの好きなところの話〜〜!!!!なんですが

個人的にオスカーワイルドと最初に会った夜のシーンが好き。
サルドゥにうんざりした顔で、ハグされても目が笑ってね〜〜みたいな、声と顔がちぐはぐの状況を全身で表現しているのを見れるのも舞台版の良さ。
その後、激しく魅力的なオスカーが出てきて、どんどんアーティストとして惹かれ合う様子がここを始点に展開していく重要シーンで良さが詰まってた。
あと、個人的に蒼井さんの横顔が好きなので、横顔の美しさを喫煙ともに鑑賞できてたまらん好きです……

あとは何よりも7つのヴェールの踊りですよね!!
朗読劇だと身振り手振りで表現していたけど、全身で「踊り」とは表現しきれずだったものが、舞台版で解き放たれる……
サロメをやるからにはここが肝で、それをバッチリ、ときに妖艶に、ときにはしゃぐ少女のように、ときに神聖に表現していた。
ここを長尺でやれたことに舞台版の最大の旨みがあるな〜〜〜と!

それこそ、朗読劇には朗読劇の良さがあると思っていて。あえてすべてを表現しないで、朗読だけで観客の想像力を喚起するからこその豊かな表現ができる。
序盤の劇中劇ハムレットとか、序盤だったので私自身がまだ作品に入り込んで集中できていなかったせいもあって、「お!ここを全部やるのか」とちょっと引いて見てしまった時間もあって、だからこそ、舞台と朗読劇の表現の幅の違いについて考えてしまったりして。
この辺の想像で補っていた部分を衣装もつけて劇中劇を全部やっていく構成が吉とでるか凶と出るかと思って(つまり、舞台化によってかえって陳腐になるかもなぁとハラハラしながら)見ていたら、7つのヴェールの踊りが来て「これーーーーーー!!!これこれこれー!!!」の顔になりました。ハイ。これはもう劇中劇を片っ端からやるしかないです。
長尺で7つのヴェールの踊りをするなら、なんならロンドンの時と、パリでオスカーが廃人になったあとの踊りとの違いを表現するならこの構成しかない。
衣装も含めて二つの7つのヴェールの踊りを見れてすごい良かった

あと、トスカだっけ?衝撃大きすぎて忘れてるんだけど、蒼井さん鬼の歌唱力で劇中劇の歌を歌い始めて、やっぱりこの人の演者としての武器の多さはとんでもないな……と実感しました。

演技って専門職なので、本当に狭い範囲でも極めていたらいいと思うし、別に派手な芝居がいいってもんでもない。ということは大前提として、蒼井さんは、男女双方任せてください!歌えます!踊れます!!!と派手で大きな武器をめちゃくちゃ持っていて、それを繊細に使い分けてお芝居するからほんと魅力的な演者だよなぁ……としみじみ思いました。

それこそ、昨年のサロメ以来、蒼井さんは年齢を重ねて経験を積んだ中年女性の「凄み」の演技がたまらないなぁと思っていて。
今回、そこを味わえたのがほんとーーーに良かった!
蒼井さんの中年女性って、経験がいい意味で「食えなさ」というか、一筋縄ではいかなさ、を表現しているのが好きで。食えないけど、愛嬌があって、筋を通す、素敵な年の重ね方をした女性。
そういう多少の食えなさが、蒼井サラの黒と赤の衣装にも繋がったのかな……などと邪推しました。オタクは。(残念ながら見比べることは出来なかったのですが。)
純粋ゆえの狂気を描いたサロメを演じるサラが、純粋さを押し出したのか、それともピュアであることは時に狂気であることを押し出したのか。ダブルキャストで、異なる衣装の、サラがいて、蒼井サラがあの衣装であるのも、おそらく「蒼井さんのお芝居らしく」て好きでした。


と、いうことでサラベルナールのサロメ、めちゃくちゃ楽しみましたー!