i_cho_co
2026-03-01 16:29:08
6330文字
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ポラリス

シリウス(https://privatter.me/page/6986fd59a0a4c )の続き
またの名をれめしし逃避行バイク編
タイトルをなんとなく星関連で縛ってるけどそのうちネタが尽きそう

 じゃあ、三日後にオレんちのマンションで。
 通話越しの叶の最後の言葉に、獅子神は真経津が観ていたアニメの台詞を思い出した。獅子神邸のテレビは真経津の手によっていつの間にか動画配信サービスを繋げられていて、まるで自分の家のようにリビングで寛ぎながら観ている真経津の姿が記憶に新しい。いつの間に解約したのか、動画は真経津が失踪した日にはもう観ることが出来なくなっていた。それだけではなく、主任解任戦を終えた真経津が獅子神の家にしばらく泊まった際にあれだけ散らかしていたゲームも服も何もかもがあの日、獅子神の家から消え去っていた。
 真経津の私物が無くなって元通りになったリビングには、叶との通話を終えベランダから屋内に足を踏み入れた獅子神しかいなかった。つい先日まで友人たちとクイズだゲームだ、と夜遅くまで騒いでいたのが嘘のように静まり返った空間で一人、獅子神は叶との先程のやり取りを反芻する。
 獅子神の分の身分証やら何やらを偽造するのに時間が欲しいと、そう叶はそう言っていた。その口振りから察するに叶本人の分は予め用意してあったのだろう。獅子神が叶と共に行くことを選んだのは、叶にとって想定外のことだったようだ。
 叶との通話では何が必要だとか、そういった細かい話は一切しなかった。せいぜい車で逃げるならナンバープレートも手に入るから、とその程度の話しか。
 叶のマンションは獅子神の家から徒歩で行くには離れている。そして叶は確か、車を所持していないはずだ。叶が獅子神の家に来る時はいつもタクシーを利用するか、出先から獅子神を呼び出している。運転免許の有無については不明だが、要は獅子神に足を用意しろと、そう言っているのだろう。
 今でこそ真経津たちを迎えに行ったりと活躍の出番が多い獅子神の車だが、そもそも獅子神が車を所持しているのは富の象徴としてだった。獅子神が文字通り一から築き上げた投資家という今の立場、成功者というラベルを周りに見せつける為に築いた立派な邸宅。そこに並べる為の分かりやすい財産として用意した高級車だ。活躍の出番が多いということは、近隣住民の目に入る機会が多いということでもある。獅子神の知る限り、近隣で同じ車に乗っている者はいない。別に指名手配をされているわけではないが、獅子神の姿がこの街から消えた時、ここら一帯では珍しい高級車が一緒に消えていたらその目撃情報から追跡される可能性もゼロではないだろう。自分一人ではなく叶と一緒に行くのだ、避けられるリスクは避けるべきだと獅子神は結論付けた。
 ではどうするか、と考えて、獅子神の足は自然とガレージに向かう。思い出したのだ、友人たちとの思い出の詰まった車の傍らに、同じく富の象徴としてバイクを一台置いていたことを。
 玄関のキーフックにかけっぱなしになっていた鍵には何のストラップも付いておらず、まるで新品のように綺麗だった。乗り回した記憶もほとんどない為当然だと思う。ガレージに向かって存在を忘れていたバイクと対面するまで考えていたが、結局最後に乗ったのがいつだったかも獅子神には思い出せなかった。
 いざ目の前にしたそれは、特に手入れはしていなかったが雨風に晒されていない為か、思いの外状態はいいように思えた。バイクの横に立ち鍵を回せばニュートラルのランプが着く。ここまでは想定通りだ。ここから、エンジンが始動するかどうか。バイクのバッテリーの寿命は二年から三年という。暫く動かしていない為とっくに寿命が来ていても何らおかしくはない。恐る恐るハンドルの左側にあるクラッチレバーを握り込み、空いている右手でスタータースイッチを押し込む。キュルキュルとガレージに響く始動音を聞いてスイッチを離せば、ガレージ内に一定の間隔で重低音が響く。無事にエンジンのかかったバイクを前にして、獅子神は安堵の息をついた。

♢♢♢
 バイクで行こうと思ってる、となるべく日常のやり取りに見えるように叶に送ったメッセージにはすぐ既読が付いた。そこまではいつもグループチャットやら何やらの反応が友人達の中では断トツで早い叶のことなので獅子神の想定内だった。想定外だったのは、獅子神がメッセージを送った直後に叶が電話をかけてきたこと。
「ねえ敬一君バイク持ってんの!?初耳なんだけど!」
「もうとっくに車検切れてんだよ。まあでも、動くから使えるかなって」
 通話ボタンに指をかけてすぐ耳に飛び込んできた叶の明らかに興奮している様子の声に苦笑する。色は、メーカーは、車種は、と矢継ぎ早に繰り出される質問に、コイツも案外普通の男みたいな感性を持ってるんだなと思いながら答える。
「ふーん、いかにも金持ちって感じのやつだ」
「おめーには大した額じゃねーだろ」
「敬一君こそ」
 分かりやすく財を見せつける為に選んだ、よく聞く海外メーカーの人気の車種。獅子神自身は観たことないが、とある人気映画で俳優が乗っていたモデルと同じらしい。正確には獅子神が購入したモデルのマイナーチェンジ前にあたるとのことで、キャブ車だのインジェクション車だのの違いがあるとのことだったが獅子神にはどうでもよかった。
「っつーわけだけどよ、頼めるか」
 ナンバープレート、とそこだけ声を潜めたのは、獅子神なりに盗聴を警戒してのことだった。前回の叶との通話では心配ないだろうけど、とは言われているが用心に越したことはない。獅子神の警戒心を知ってか知らずか、任せといてと叶から返ってきた返事は獅子神には軽く聞こえた。
「敬一君も元カノの匂い、シートから消しておいてくれよ?」
……何年前だと思ってんだ。しねえよ馬鹿」
 何でタンデムシート持ってんだよ、元カノか?と突っ込まれることまではある程度想定していた獅子神だが、叶のあけすけな物言いに一瞬言葉に詰まる。数える程しか人を乗せていないタンデムシートは新品のような見た目をしていてまだ仄かに革の匂いがする為叶の指摘するような匂いがするはずはない。ないのだが、獅子神は一応念入りに消臭して三日後の叶との約束の日を迎えた。

♢♢♢
 久しぶりにシャッターを開けたガレージに西日が射し込む。天気予報は今日も明日も曇りということだったが思ったより雲は少ない。直近で雨が降ったのは三日前なので、もう路面は濡れていないだろう。後は雨さえ降らなければ何でもいい、と獅子神は手にしていた鍵を握り締めた。
 今手の中にあるのは車の鍵ではなく、それよりももっと小ぶりなバイクの鍵。慣れ親しんだこの家の鍵は、これからの生活には必要がないので玄関に置いてきた。
 今から行く、とだけ叶にメッセージを送ってスマホをホルダーにセットする。出発を夕方にしたのは獅子神の住む閑静な住宅街で深夜にバイクの排気音を轟かせるのはかえって目立つと判断したからだ。予め調べておいたスマホのナビが叶の住むマンションを指し示す。到着する頃には日が沈んでいるだろうか。
 フルフェイスのヘルメットを装着して手袋を嵌める。叶の分も勿論積んでいる。問題はない。先日と同じ動作を繰り返せば無事にバイクのエンジンがかかり、一定の振動が獅子神に伝わる。忘れ物はないはずだ。あったとしても、取りに戻ることは恐らくないだろう。
 スロットルに添えている右手が震えているように見えるのは、バイクの振動か緊張か。クラッチレバーを握りこんでいる左手はいつもと変わらないように見える。いつかの試合の前にそうしたように右手を握りしめて、獅子神は一人呟いた。
……行くか」
 スロットルを軽く回してクラッチレバーを緩めれば、獅子神を乗せたバイクはゆっくりと前進する。スマホの上部に表示された叶からの通知を一瞬だけ確認して、視界を前方に向けた。いつもは車で通り過ぎている見慣れた街。いつもと少し違う視界で見る街。もう、戻ることはないかもしれない街。ギアチェンジしたバイクはぐんぐんとスピードを上げ見慣れた景色を置き去りにする。
 この交差点を曲がれば真経津の気に入っていたパンのかんばやしがある。真経津が家に転がり込んできた際に散々買いに行かされたので道を覚えてしまった。なぜかここの前で叶の配信に出演したこともあった。あれから定期的に配信に誘われるようになったが、最後に出演したのはいつだったか。叶がイージーモードと名乗る配信者連中に絡まれる少し前だったはずなのでそこまで日数は経っていないはずなのに、随分前のことのように思えた。
 一、二本道を逸れれば天堂の教会も近くにあるはずだ。銀行が崩壊し真経津が失踪した、そのすぐ後くらいにこいつも行方をくらませた。真経津と異なるのは、グループチャットには未だに残っていて取ろうと思えば恐らく連絡が取れるという点だろうか。嘘か本当か、熱狂的な信者に匿ってもらっているらしいと叶から聞いた。嘘でも本当でも天堂らしいと、そう思ったのを覚えている。
 この近辺には村雨の務める病院も近いと聞いたことがある。真経津の手の手当をしたり臨終ごっこをしたりと個人的に村雨の世話になることはあったが、結局病院で医者として勤めている村雨の世話になることはなかった。一度くらい村雨が働いているところを見たかったと言ったら怒られるだろうか。確かめる術は、もうない。
 一瞬で通り過ぎた景色に思いをはせていれば、明らかに車の通行量がぐっと減っていることに気が付いた。そういえば歩行者も先程から見かけない。街外れに来たからだろうか、それとも子どもはもう帰る時間だからだろうか。歩道と車道が分かれていない道路は明らかに街灯が少なく見えて、フルフェイスのヘルメットと手袋を嵌めて露出は少ないはずなのに、何故か身体の芯から冷えていくような感覚が止まらない。日が沈み始めているからだと思いたかったが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。
 スマホのナビが目的地周辺に居ることを告げてナビゲーションを放棄する。バイクの動きを止めた獅子神の目の前には立派なマンションが一つ、ぽつんとそびえ立っていた。
 どこにバイクを停めようか、とヘルメットを外して辺りを見渡せばバイクに固定したままのスマホが震える。バイク適当に停めていいよ、のメッセージと共に送られてきた4桁の数字は部屋番号だろう。あまりにも送られてくるメッセージのタイミングがよすぎる。恐らく、叶に見られている。
 叶の言う適当とは多分そのままでもいいという意味だろう。けれどもそれはなんとなく気が引けたので、獅子神は視界に入った駐輪場にバイクを押して歩いた。
 通常のマンションであれば大人や子どもの自転車が並んでいるであろう駐輪場はもぬけの殻だった。これだけの規模のマンションで、全員が自転車を使ってどこかへ出かけているのでここには今何もない、なんてそんな都合のいい偶然を信じる獅子神ではない。
 エントランスのすぐ近くにある集合ポストには部屋番号のみが記載されていて、どこのポストもまるで使用感がなかった。様々な性格の人間が暮らすはずのマンションなら、普通はあるはずなのだ。もう入らないだろうというレベルで郵便物が溢れ出しているポストが、一つか二つは。
 きっとここには、叶以外の通常の人間は住んでいない。恐らくは、叶の言う“テラリウム”とやらなんだろう。叶のテリトリーに足を踏み入れてしまったことに、獅子神はようやく気が付いた。
 そういえば獅子神が叶の家まで来たのも住所を聞いたのも今回が初めてで、本当に叶がここに住んでいるかは獅子神には分からない。本当の住まいが別にあってここはテラリウム専用だとしても、獅子神には分からないのだ。
 先日獅子神が叶に誘われて一緒に逃げると決めた際、叶は冗談だと言った。結局は獅子神が押し切る形で共に行くことになったが、叶にとってはあくまで冗談だったなら。
 もし叶が、獅子神を閉じ込める為にここに呼んだのだとしたら。
 エントランスにある呼び出し機に伸ばした指が止まる。このまま、叶に教えて貰った部屋番号を押して中に入ってもいいのか。……本当に?
 冬の寒さとどくどくと騒ぎ出した心音が獅子神の思考力を奪っていく。手の中のスマホが震える。メッセージの差出人は勿論叶で「まだ?」という短文が更に獅子神を焦らせる。
……すぐ行ってやるよ、クソ野郎」
 誰に言うでもなくそう呟いて、獅子神はふう、と息を吐いた。そのまま呼び出し機に伸ばしたままだった指を動かして数字のボタンを4403と押す。もうどうにでもなりやがれ、と呼出ボタンを押して叶の応答を待った。
「ここそんなに階数ないよ、敬一君」
「え?……はぁ!?」
 エントランスの重厚な扉が開いてその奥から叶が現れた。応答を待っていた呼び出し機はエラーを吐いている。語呂合わせ、気付かなかった?と随分とラフな服装の叶が笑う。ししがみ、とゆっくり呼ばれた名前と共に叶の長い指が数字を描く。4、4、一拍置いて3。44が3ししがみ。萌え袖とやらでいつもは隠れている手首周りが今日はよく見える。
「敬一君遅いんだもん。待ちきれなくてさ、降りて来ちゃった」
 本当の部屋番号は教えなかったくせに、何が遅いだ。指摘するのも馬鹿らしくてさっさと行くぞ、と叶に背中を向けて駐輪場まで歩く。相変わらずがらんとした駐輪場で叶ははい、と何かを差し出してきた。少し年季の入った二つ折りの財布。明らかに叶の趣味ではない地味な色。前髪で隠れていないほうの瞳が早く開けろと促してくる。中身が何かは何となく予想が着いていた。
「これでいつ職質受けても大丈夫だぞ」
 数枚のお札に見知らぬ誰かの名前の入った保険証とキャッシュカードとクレジットカード。財布に入っていたそれらと同じ名義の免許証では、獅子神が毎朝鏡で見るのと同じ顔がこちらを見つめていた。名前も生年月日も住所も免許証の色も獅子神とは何もかもが違うのに、これが今この瞬間から獅子神の身分を証明するものになるらしい。
……いつの間に撮ったんだよ、これ」
「ナイショ」
 獅子神の疑問を華麗に躱して叶は獅子神のバイクにスマホを固定する。見覚えのある叶のスマホではないので、これからの生活の為に用意されたものだろう。目的地は獅子神の免許証に記載されている住所のようだった。どこまで行くかを聞かされていなかった為長旅になることを予想していたが、目的地はそこまで遠くなく、出発が遅く道も空いているのか到着予定時刻が思ったよりも早い。運転者の獅子神に配慮した目的地の選定か、それともたまたまか。既に獅子神の用意したヘルメットを被った叶からは何の表情も読み取れない。
「うん、元カノの匂いはしないな」
「当たり前だろ」
 獅子神も叶に倣ってヘルメットを被り、停めていたバイクに跨る。お前も、と獅子神が誘う間もなく肩に一瞬何かがのしかかる。それが叶の手のひらだと獅子神が気付いた時には、既に叶は後ろで出発を待っていた。
「敬一君の元カノみたいに腰に手回したほうがいい?」
「何で知ってんだよ……。肩でいいよ。おら、行くぞ」
 もう一度、両肩に叶の手が添えられたことを確認して、獅子神はバイクを発進させた。いつの間にか暗くなった空は雲に覆われていて星は見えない。
 街灯の明かりもない真っ暗な道を、一台のバイクのヘッドライトが照らしながら進んでいく。





ポラリス
夜空の中で常に真北を指す星「北極星」を意味する。
そのため、古くから旅の道しるべとして利用されていた。