カラス銀行が崩壊した。地下で行われていた違法賭博が明るみになったらしい。遂にその時が来たか、と獅子神はテレビから流れるニュースをどこか他人事のように眺めていた。
「どうするんですか、これから」
獅子神が雇用している雑用係の一人、園田がソファに掛けてニュースを眺める獅子神に問う。二人ともかつてカラス銀行の賭場で違法賭博に興じていた者だ。ただ一つ違うのは、園田に関しては獅子神に敗北し奴隷として買われて以降違法賭博から足を洗ったが獅子神は今現在も違法賭博を続けているという点だろうか。
「……どうするかな」
手元にあるスマートフォンを視界に入れながら獅子神が小さく言葉を漏らす。開かれているのは獅子神と仲のいい友人達とのグループチャットで、獅子神が眺めている間にもチャットは忙しなく動いている。差出人はどれも同一人物、叶黎明であった。
「ダメだ、唯君全然既読付けてくんない」
「きっちょむも見てくんないしさ」
「こりゃ逃げたかな」
「皆はどうする?」
逃げた、という単語に獅子神はとある友人を思い出した。太陽のような明るいオレンジ色の髪をした友人、真経津晨を。時に無邪気で子どもっぽい一面を見せたかと思えば、時に真理を突く言葉を口にする掴みどころのない歳下の友人はこのグループチャットに参加していない。
彼は数日前に担当行員である御手洗と共にカラス銀行を崩壊させ、失踪した。まるで最初から真経津晨という人間が存在しなかったかのように全ての痕跡を消して。
年齢も職業もばらばらの獅子神達を繋いでいた違法賭博を開催していたカラス銀行が崩壊し、獅子神達を引き合わせた張本人である真経津も姿を消した。警察は違法賭博に関わった者を検挙しようと躍起になっているらしい。きっと獅子神達の試合を観覧していたであろう存在があの政財界の大物が、あの大企業の会長が、といった形でワイドショーを連日連夜騒がせている。今はまだ行員やギャンブラーが捕まったという情報は獅子神の元には入っていないが、獅子神には違法賭博以外にも人身売買を行っていたという過去がある。あまり意識していなかったが友人達も人身売買はしているし、監禁、殺人などの余罪がある者もいる。警察の捜査の手が獅子神の身の回りに及ぶであろうことは誰の目にも明らかだった。だから皆獅子神に言っているのだ、これからどうするのかと。
銀行が崩壊した以上、きっともう二度とあのじりじりと命を燃やすような瞬間は訪れないだろう。獅子神がかつて真経津に見出した形のないピカピカは、結局この手に掴めないままだった。
「逃げるつもりはないのか」
「……村雨」
いつの間にか目の前に立っていた友人を見上げながら獅子神は呟く。かつてのように合鍵で勝手に入ってくるな、と怒ることもなく淡々と名前を呼んだ獅子神の様子に村雨は寂しげに微笑んだ。何か言いたげな表情を浮かべながら、しかし何も言わない村雨にしびれを切らした獅子神が尋ねる。お前はどうすんだ、と。
「……医師村雨礼二は近日中に死ぬ。その後、私は北に行く予定だ」
一瞬の間の後、まるで予め用意された台本を読み上げるかのように村雨は獅子神に告げた。いや、実際にそういうシナリオを村雨は用意しているのだろう。彼が大切にしている兄家族に迷惑をかけない為に。恐らく他のギャンブラーや行員もこいつみたいに死を偽ったり失踪することを選ぶから、銀行賭博の客側の逮捕はあっても銀行関係者のそうした話はてんで聞かないのだろう。
「お医者様なら死亡診断書も偽造できるってか?」
「マヌケ。自分の診断書を偽造できるわけないだろう。……あなたの診断書は、私が用意してやってもいいが」
どうする、とは聞かれなかったが村雨の瞳がそう訴えかけてくる。あなたはどうするのだ、と。死亡診断書。デッドマンズ・キャンドルライトで叶と戦う前、自身が死んだらどうなるのかのシミュレーションに村雨を付き合わせた時でさえも出てこなかった名前に獅子神はしばらく何も答えることが出来なかった。あの日の、自身のことをワルモノの姿と言っていた叶が脳裏に浮かんで獅子神に再び問いかけてくる。
「実際そんなにないよな、死んでまでやりたい何かなんて」
ここで村雨の手を取って、獅子神敬一という存在を殺して、別の人間としてここではないどこかで生きる。そうまでしてやりたいことは、果たして今の獅子神にはあるのだろうか。カラス銀行が崩壊しギャンブルをすることがなくなった今、ピカピカを追い求める日々はもう戻ってこないのに。
「別にいいよ、死んだことにしなくてもやりようはあるかもしれねえしな」
「そうか。……そうか」
村雨の提案を断った獅子神の表情を視界に捉えて、何かを噛み締めるように村雨はそう呟いた。いつだったか、自身のことをギャンブラーではないと言っていた村雨の表情がいつになく獅子神には豊かに見えた。それが自身の成長か、結果的にギャンブルを辞めることになり彼の肩の荷が下りたからかは分からなかった。別れを惜しむような村雨の表情が、きっともう二度と会うことはないと獅子神に告げていた。
♢♢♢
あなたも逃げるのであれば、決断は早いほうがいい。
村雨は最後にそう獅子神に告げて去っていった。診断を下す医者としての言葉でもあったし、友人を心配する友としての言葉でもあった。獅子神邸を去っていく村雨の後ろ姿を見えなくなるまで目に焼き付けながら、もう一度獅子神は自分自身に問い掛けた。お前はどうしたいんだ、と。答えは返ってこなかった。
突然の村雨の来訪ですっかり存在を忘れていたグループチャットはもう動いてはいなかった。最後のメッセージは叶の送った「皆はどうする?」という先程も見た一文。こうして他の友人達の意思を聞くということは、叶もどうするのか決めていないということなのだろうか。真経津が欠けて4という数字が並ぶグループチャットの画面の中から叶のアイコンをタップして、そのまま通話をかける。
「珍しいじゃん、敬一君から掛けてくるなんて」
獅子神の耳に届くコール音はすぐに叶の声に変わった。まるで獅子神から電話がかかってくることが予め分かっていたかのような早さだった。獅子神からの電話を今か今かと待ち構える叶を想像して獅子神が思わず口元を緩めれば「……なんか失礼なこと考えてない?」と咎められる。面と向かっていなくても獅子神の様子を暴いてくる叶の様子は表情の読みやすくなった村雨と違い、いつも通り変わらないなと思った。
「考えてねえよ、お前はどうすんだろって思って」
「……敬一君はさ、どうすると思う?」
主語のない獅子神の問いに叶も疑問符で応える。声だけでも叶がニヤニヤと笑っているであろうことが容易に想像できて獅子神は思わず苦笑した。
「お前が大人しく捕まるようなタマには見えねぇし、雲隠れってとこか?」
「相変わらず惜しいな敬一君は。テラリウムの奴らの身分証を使って偽造して、どこかで堂々と生きるさ」
「なるほどな、確かにお前みたいなやつがコソコソ逃げ回る姿は想像できねぇわ」
「敬一君は?」
村雨を見送ったまま玄関に立ち竦んでいた獅子神は、叶と電話を繋ぎながらベランダへと足を運んだ。上着も着ないまま外の空気に身を投げ出して、分かり切っていたはずの冬の寒さに思わず身震いする。かつて五人で遊んでいた時、真経津と村雨がここで何かを話していたことを思い出す。あの時も今日と同じように雲一つない星空が見えていたのだろうか。
「村雨には死んだことにして逃げるかって誘われた、けど」
続く言葉は星空に吸い込まれて消えた。代わりに吐き出した白い息が一つ、二つ。あの村雨があんなに別れを惜しむ様子を見せるようなら、一緒に行けばよかったのだろうか。惨めな自分から這い上がる為に死に物狂いで築いた何もかもを捨てて、未だ目に焼き付いたままのピカピカを見ないふりして。――果たしてそれは、死んでいるのと何が違うのだろうか。
「でもそのままそこにいたって捕まるだけだろ」
「……そうなんだよな」
だから獅子神はこのまま動けずにいる。たった今通話をしている友人と行った試合での敗因が時間をかけすぎたことに起因しているにも関わらず、また無為に時間をかけている。ただそれでは駄目だということにはとうに気付いていた。まあどうにかするよ、と答えにならない答えを獅子神が口にしようとした時だった。
「じゃあオレと逃げるか?敬一君」
「……はあ?」
「一人で逃げちゃったらオレのことを見てくれるヤツがいないだろ?だから敬一君が見てくれたらなって」
弾んだ声、きっと口元には笑みを浮かべている。しかし叶が何を考えているのか、今ひとつ掴めない。何故こんな大事な話を電話で済ませてしまったのか、と獅子神は後悔した。賭場で面と向かって、何一つ見逃さないように目を凝らしていても、その全てを捉えることは出来なかったのに。
叶と逃げる。村雨の提案とほとんど変わらないそれをもう一度反芻しながらふと夜空を見上げれば、等間隔に並ぶ三連星が視界に入る。子どもの頃、図書室で本を読むのは金のかからない娯楽だったから知っている。三連星を辿ってオリオン座ベテルギウス。そのまま視線を左に辿ってこいぬ座プロキオン。冬の大三角を織り成すのはあと一つ、それと。
「なんてな、冗談だよ」
「は……?」
電話越しでも分かる冷たい声。何を考えてるかは相変わらず分からない。ただ一つ、この電話を叶に切られてしまえば二度と会えなくなるだろうという予感だけはあった。
「……行くよ、お前と」
「え?」
「一緒に逃げるって言ってるんだ」
気付けば獅子神はそう口にしていた。ただ、叶を引き止める為。あったのはきっと、敵として賭場で戦ったあの日認めた眩しいピカピカを手放してなるものかという執着心。それ以外にはないはずだ、きっと。
冬の大三角を織り成す最後の一つ、一際輝くシリウスが惑う獅子神を見つめていた。
シリウス
ギリシャ語で「焼き焦がすもの」「光り輝くもの」を意味する「セイリオス(Σείριος, Seirios)」に由来する
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.