tonami
2026-02-27 01:24:35
7354文字
Public 世にロゾ
 

夏の果て

世にロゾ参加作品⑥。現パロ。



 つ、と額から流れた汗が顎を伝って地面に落ちる。帽子で直射日光が遮られているぶんまだマシだが、暴力的なまでの陽射しは容赦なく服で覆われていない肌を焼いていく。これで空気がカラッとしていれば暑いだけですんだのに。湿度の高さゆえにむわりとした熱気で余計に暑く感じる。
「あっちィ……
「だから言ったろ、昼間はやめとけって」
 隣で同じように垂れる汗を拭いながら、ゾロ屋がおれを見上げて笑った。かわいい。恋人の笑顔はいつ見ても癒される。しかしながら、暑い。
「来たいって言ったのはおれだが、失敗したな」
「まァ、もうちょっと早くか遅い時間にすりゃよかったな」
「太陽の下で見てこそって思ってたんだがな。さすがに暑さには勝てねェ」
 車の鍵を閉めて、目的地のほうへ歩き出す。駐車場から向日葵畑までは道路を挟んですぐだ。首にはこの日のために新調したカメラ。撮影対象は当然ゾロ屋だ。ついでに景色も撮るつもりではあるが、かわいくていとおしい恋人を記憶だけじゃなく写真にも残しておきたかった。おれの初恋で最初で最後、生涯唯一の恋人を頭の中だけで留めておくなんてもったいない。ゾロ屋のことなら絶対に忘れない自信はあるけれど。
「ゾロ屋」
 呼び止めてシャッターを切る。向日葵畑の前で振り返った恋人、真っ青に染まった空、背後に広がる太陽の花。青空と向日葵にゾロ屋の新緑の髪がよく映えている。現像したら額縁に飾ろう。
「お前、もうちょっとちゃんとした時に撮れよ」
「おれはどんなゾロ屋も撮りたいんだ。変な顔とかしてねェから安心しろ。綺麗だよ」
「ああ、うん……お前がいいならいいよ」
 呆れながらも目を逸らしたところに照れを見つけて、あまりの可愛さに背を屈めてつむじに唇を落とした。汗くせェだろ、と離れようとするのを腰に腕を回して抑え、そのままふわふわとした髪に鼻先を突っ込んだ。息を吸い込めば多少の汗と太陽、微妙に鉄の匂いがする。ゾロ屋は怪我もしていないのに、なぜか鉄の匂いがする男だった。刀の影響だろうか。おれもゾロ屋も妖刀なんてものに気に入られている。ゾロ屋は特に刀に好かれるらしくて、好き嫌いの激しいおれの鬼哭が出会ってすぐに触れることを許していた。あまりの懐きぶりに主であるおれさえ間に割って入れない時があるくらいだ。
 ゾロ屋の匂いを堪能して解放してやる。本当は物足りないけれど帰るのは同じ家だ。いまはゾロ屋を撮ることに集中しよう。
 前を歩く恋人と、たまに景色を撮りながら向日葵畑を進む。土が合っているのか手入れが細やかなのか、黄色い花達は総じて背が高い。歩くための道が整備されていなければあっさり埋もれそうだ。おれでさえそうなのだから、少し低いゾロ屋なんてあっという間に見えなくなるだろう。
 育ちすぎてこちらを覗き込むように垂れ下がっている向日葵を眺めるゾロ屋を写真に収める。じっと花を見つめる恋人と、太陽を見向きもせずに下を向く花。まるで声もなく会話をしているみたいだ。撮ったばかりのワンシーンをなんとなくカメラの画面で確認していると、ふと花のそばに何かが見えた。向日葵よりも、ゾロ屋よりも小さな背丈。うっすらとしてよく見えないが小さな子供だろうか。それにしては、シルエットがおかしい。なにより、撮った時にゾロ屋と向日葵以外の存在はいなかった。──ということは。
「あ、」
 何かに気づいたようなゾロ屋の声が聞こえて、ばっと顔を上げる。人工的に整えられた道沿いに植えられた向日葵。中でもとりわけ背の高い、首をもたげた一本。その傍にいるゾロ屋──が、いない。
「ゾロ屋?」
 周りを見回してみても恋人の姿は見えない。ついさっきまで目の前にいたのに。
「ゾロ屋!! どこだ! 返事をしてくれ! ゾロ!!」
 いくら声を張り上げても返ってくるあの耳触りの好い声はなくて、向日葵をかき分けても見つからない。一瞬だけ目を離しただけなのに。確かに恋人は方向音痴ですぐ迷子になる悪癖があるが、必要があって離れる時は必ず声をかけてくれていた。だからあの声が聞こえた瞬間にはまだいたんだろう。消えたのはおれが反応するまでのほんのコンマ数秒だ。何かを見つけて言おうとして、そうして消えてしまった。映っていた何かが、ゾロ屋を連れて行ってしまった。
「──冗談じゃねェ」
 ゾロ屋はおれの恋人だ。恋愛なんぞしたことがないおれが初めて出会った時に一目で落ちた男。ロロノア・ゾロという人間を知っていくうちにどんどん好きになって、人としても好ましくて、あいつの傍に在りたくてなりふり構わず好意を示し続けた。こんなに好きになる相手は後にも先にもゾロ屋だけだ。どれだけ愛情を注いでも足りない。きっとそのうち溢れた愛で海ができる。
 そんな唯一無二を奪われて平然としていられるわけがなかった。何がなんでも探して見つけ出す。手段は問わない。ゾロ屋を探しながら、まず端末に電話をかけてみる。コール音が鳴ることに安心した。電波が途切れるところにはいないらしい。機械音が数度続いて、ぷつりと通話が繋がった。
「ゾロ屋か!? お前いまどこに、」
 咄嗟に喋り出したものの、耳元に流し込まれた砂嵐みたいな音に反射的に端末を離した。ザー、ザーと不快なノイズが鼓膜を刺激する。それでも繋がったのであれば、ゾロ屋に聞こえている可能性があった。再び耳にあてて、呼びかける。向こうから拒否されるまではこっちから切るわけにはいかない。ほんの少しでもゾロ屋を見つける手立てを失いたくない。
 しばらく雑音を聞き続けていると、音の奥のほうで種類の異なる声が聞こえた気がした。呼びかけをやめて音に集中する。最初は混線しているくらい不明瞭な声だったが、待っているとだんだんと大きくなって聞き取れるようになってきた。
『ちょっと待てって、どこに行くんだよ』
 聞き慣れた、この世で一番心地好いざらついた声。心より愛してやまない唯一。声からして大きな怪我はしてなさそうだ。ほっとして思わず恋人の名前を呟いた。ゾロ屋、と。
……ロー?』
 驚きそのままを形にした声が耳に届いた瞬間、つんざくような笑い声が鼓膜を貫いた。そうしてぶつんと通話が切れる。くそ。唯一の手がかりだったのに。ゾロ屋が無事だということがわかっただけでも重畳か。
……どこぞのクソガキが」
 通話が切れる直前に聞こえた声は子供のものだった。まるでゾロ屋を捕まえたと言わんばかりに、おれを嘲笑っている。ふざけるなよ。怒りがふつふつと湧き上がってくる。自分で言うのもなんだが、おれは人一倍執着心が強い。一度気に入ったものは人であろうと物であろうと絶対に手放さないし、なんとしてでも手に入れる。奪われたのならば必ず取り返す。どんな手段を使ってでも。そうでなくても人が一人いなくなったんだ。よほど嫌いな相手であっても見捨てるのは、人として間違っている。それがこれからの人生を捧げた相手なら、なおさら。──絶対に、ゾロ屋を取り戻す。
 決意して顔を上げる。しかし、ゾロ屋を探すための手がかりはない。もう一度電話をかけてみたが、もはやコール音すら鳴ることなく勝手に通話が切断された。ゾロ屋が消えた辺りを丹念に探してみても何も見つからない。向日葵畑の中にも姿は見えない。時間はかかるが専門家を呼ぶしかないか、とアドレス帳から番号を呼び出していると、突然金属音が脳を揺らした。
「ッ!?」
 手の中から端末が落ちる。土の上に着地したそれを追うようにぐらりとおれ自身も膝をついた。全身から暑さとはまた違う汗が噴き出る。ガンガンと頭が痛む。三半規管が狂いでもしたのか胃液が迫り上がってくる感覚がする。きもちわるい。
「ぅ……ぐ、ぅ」
 不規則に襲ってくる吐き気をやり過ごしながら、気力を振り絞ってなんとか立ち上がった。端末はデニムのポケットに突っ込んでおく。呼吸を整えている余裕はなかった。早く、ゾロ屋を探しに行かなければという使命感が頭の中を支配している。おれが休んでいる間にもゾロ屋はどんどん遠ざかっていってるんだ。当事者が自分ではなくて、いなくなったのがゾロ屋じゃなければむりやりにでも休息を取らせただろうけれど。おれにはもう、ロロノア・ゾロがいない世界なんて想像できないから。
「ゾロ屋……
 視界がぐにゃ、と歪む。……否、これは陽炎だ。遠くのほうがゆらゆらと立ち上る空気によって、透明な炎のように揺らめいている。それが突然大きくぶれたかと思うと、次の瞬間には一人の男が立っていた。
 遠目でもわかる長身、白黒のアザラシ柄みたいな帽子、似たような柄のデニムに合わせた黄色いシャツ。この暑いのに青いコートまで羽織っている。極めつけは服の隙間から見え隠れする物騒なタトゥー。見るからに怪しい、到底堅気には見えない男。
 あからさまな不機嫌オーラを撒き散らしながら、男が顔を上げる。帽子に遮られていた顔はなぜかこの距離でもよく見えた。黒々とした隈に縁取られた両目が剣呑におれを睨む。
…………あ?」
 その男は、おれと同じ顔をしていた。でもおれではない。服自体は同じようなものを持っているが、おれはあんなコートは持っていないし、だいたい猛暑日にコートなんて常人とは思えない。そもそも、おれはタトゥーを入れたことは一度もない。
 男は目を眇め、くい、と顎をしゃくるとおれに背を向け歩き出した。着いてこい、ということらしい。横柄な態度に苛つくものの、あの男に着いていくしかいまは何も手がかりがない。それに、おれは恐らくあの男を知っている。おれと同じ顔だからではなく、どこかで会っている。だから大丈夫だと決めつけるには不用心すぎるけれど。
 深呼吸して吐き気をなんとか飲み下し、男の後を追う。男は常におれと一定の距離を保ちながら進んでいっているようで、さっさと一人で歩いていっては立ち止まって追いつくのを待っていた。脳内に過ぎる既視感は間違いではないだろう。あの時とは別人だが、きっと同じ部類の存在だ。ゾロ屋のところにおれを導いてくれた着物の男。目の前の男もまた、恋人がいる場所まで先導してくれている。
 歩くたびに汗が地面に染みを作っていくのもお構いなしに男を追いかけて、どこをどう進んだのか気がつけばおれは向日葵畑の内側にいた。背の高い向日葵達の合間を縫って、ひらめく青いコートを追う。もはや方角もわからない。なんとなく中心に向かっていることだけはわかった。
 おれよりも背の高い向日葵に囲まれているせいで辺りは薄暗い。けれど、男の鮮やかな青いコートはよく見えた。付かず離れずの距離を進み、やがて拓けた場所に出た。ここだけ円く空けている。その中心、柔らかな土の上に、求めていた姿はあった。
「ゾロ……!!」
 慌てて駆け寄って、首に指を当てる。少し弱いが脈はある。口元に手をかざせばかすかに息があたった。生きている。念のため体を検めてみたが怪我一つしていなかった。よかった。ただ一見無事でも頭や体内をやられている場合だってある。こんな時こそ冷静でいなければならない。
 端末で救急車を呼び、その間にできる限りのことはしておく。そのうちやってきた緊急車両に恋人を預け、おれ自身は自分の車に乗り込んだ。エンジンをかけ、いざ発進しようとしたところで、キィンと耳鳴りが響く。思わず耳を押さえ、ふと、後部座席を振り返る。おれとゾロ屋だけで来たのだから、当然他には誰も乗っていない。──人間は。
 後部座席にはトラファルガーの家宝がある。二年ほど前までは実家に置いていたが、いろいろあって現在はおれ達の家でゾロ屋の刀と一緒に安置されている。今日は定期的に砥ぎに出した鬼哭を回収した帰りでもあった。
……鬼哭?」
 ぽつりと名前を呼ぶ。今代おれを主と定めた大太刀は、しかし何も返ってくることはなく。ただ静かに、一振りの妖刀はそこに存在していた。






25.09.11