「ニッポンの曲、竜士に歌ってあげる」
竜士が散らかった教務室の片付けをしていると、ルーインがおもむろに声をかけてきた。
四大騎士 たるライトニングの弟子と言っても、竜士は未だ学生の身。こなさなければならない学校や塾の課題、祓魔師として割り振られる任務がある。よって、毎日師の元に来ている訳では無い。
それでも数日と空けない頻度で足繫く通っては、師の好奇心を満たす程度の調査外出から、そこそこ危険で難易度の高い祓魔任務──勿論竜士の立場でも許可が下りる案件に限るが──に同行したり、研究資料の整理や報告書づくりなどを手伝ったりする。その傍ら、竜士はどうにか時間を捻出して、師の日本での活動拠点であるこの教務室の掃除をするようにしている。そうでもしないと、あっという間にこの部屋は足の置き場もない魔窟と化してしまうからである。その原因は、部屋の主によって脱ぎ捨てられた衣類、放置された読みかけの本や資料、無限に増えていく蒐集物、と様々だ。悪魔に纏わる曰く付きの品の博覧会が開けそうなルーインのコレクションは、一目で価値があると分かるものから、ガラクタとしか思えないようなものまでと幅広く、一体何処から見つけてくるのか竜士には見当もつかない。
祓魔師としては天賦の才に恵まれているのに、どうして生活能力はゼロを通り越して地にのめり込んでいるのか。師への呆れが、溜息となり竜士の口から漏れ出すこと数知れず。
そんな具合が竜士の弟子稼業の常であったが、ここ数日は少しばかり例外だった。
半月ほど前から、とある希少な悪魔が急に個体数を増やし市街地での被害が拡大するという事件が中南米を中心に起きていた。これまで人間の居住地域での目立った活動があまり見られていなかったその悪魔は、祓魔師間での認知度が低いうえに、生態や至死節に関する先行研究も少ない。
ところが偶然にも、それは元々ルーインが個人的趣味で片手間に研究を進めていた悪魔だった。そのことを目ざとく聞きつけた騎士團本部の執行局及び研究所は、ルーインに大至急、件の悪魔に関する今までの彼の研究成果を余すことなく報告するように命を下した。論文などで公表するのはまだ先の段階だと捉えていたルーインは、気の向くまま取り留めもなく書き留めていた研究内容を、突貫で無理やり報告書としてまとめる力技を要求されたわけである。
そのため、竜士の師は関連資料を図書館で掻き集めてくる以外は連日教務室に缶詰めになっていた。竜士も最低限学校と塾には行くものの、それ以外はできる限りの時間を割いて師の補助に当たっていたため、殆ど同じ状況だった。
そうして数日間の奮闘ののち、どうにか作業が終わったのがつい先程。
あとはルーインがヴァチカン本部に提出すればいいだけである。
達成感と開放感で、思い切り伸びをしながら竜士は盛大に欠伸を漏らす。
直後我に返り、一時でも師の手前であることを忘れ締まりない行動を取ってしまった己の迂闊さを恥じた。その気恥ずかしさを誤魔化すように無意味に部屋を見渡すと、今度は悲惨な部屋の様相が竜士の目に飛び込んでくる。地震と空き巣に同時に襲われたのかと思われる程に荒れていたのだ。
参考となる資料や本の必要個所を確認し終わると、ルーインがそのまま机か床に放置するのを繰り返していたため、積みあがった紙束や本の塔がいたるところで雪崩を起こしているし、空気もすっかり淀んでいる。正直今すぐ横になりたい気持ちで一杯だが、この部屋の有様では休むに休めず休息どころではないと、寝不足で気怠い身体に鞭打って竜士は大掃除にとりかかった。
そんな弟子をわき目に、いつから床でひしゃげていたのか分からない毛布を適当に引き寄せたルーインは、そのままソファに沈み込んだ。いつもなら「わお、こんな時まで掃除?竜士は本当にマゾだね」「ママあとはよろしく~」などと軽口を投げかけてくるのだが、今日は珍しく大人しい。流石に連日の疲れが溜まっているのかと、竜士はなるべく物音を立てないよう行動する。
それから暫くの後、冒頭の台詞である。
ソファに倒れ込んで以降ぴくりとも動く気配がなかったため、師はとっくに寝てしまっているのだろうと竜士は思っていた。ところが、突然の声に驚き振り返った竜士が見たものは、ソファの上、臥像よろしく寛いだ姿勢で竜士を眺める師の姿だった。
疲れてはるんなら大人しゅう寝とってください───そんな言葉が喉から出かかったが、師の突拍子もない言動には慣れきってしまったし、そうやって一見巫山戯ているように見えてもその裏には師なりの意図が隠されていることがあると知っている竜士は、「...はい」とだけ返した。とは言え、眉間にしわを寄せた怪訝な顔つきになっていたのはご愛嬌だ。
素直な弟子の返事に気を良くしたらしいルーインは、緩慢な動きで身を起こすと、
「竜士はそのまま掃除を続けてくれてていいからね」
と告げて、掃除の再開を促すように手をひらひらさせた。
ルーインに声を掛けられるまで、竜士は散らかった本を棚に戻す作業をしていた。
今回の報告書づくりのため、外部から借りてきた本も相当な冊数になるが、ルーインが元々所持している本も非常に重宝した。彼によって本棚から片っ端から抜き取られたそれらは、先述の雪崩を形成する一端を立派に担っていて、広い棚も酷い虫食い状態だった。そのため竜士はせっせと、崩れた資料の山から師匠の所有本とそうでないものを寄り分けては、用途分類、著者名順の定位置に戻していたのである。
図書館もかくやという几帳面な本の配置は、間違ってもルーインの好みではない。寧ろ彼に任せるとその真逆をいくだろう。ルーインは別にそれで不便は感じていないのだが、毎度あの本を取って来いだの、あの箇所を確認して来いだのと言われる竜士は困る。ルーインが日本支部にやってきた頃、竜士は同級生の奥村燐と共に彼の引っ越しの荷解きを手伝い、本棚も現在のように整理した。それを一週間も経たないうちにものの見事にぐちゃぐちゃにしたルーインの所業に、竜士が愕然としたのは懐かしい思い出である。
何か師匠なりの法則があるからこそ、乱雑な配置なのかと弟子になりたての頃の竜士は我慢していた。が、特にそういう訳ではなく、単にずぼらな師の悪癖だと後に判明。その際に、資料を探す際の効率を考えるべきだと竜士はこれでもかと苦言を呈した。
以来、本棚の管理は竜士の好きにさせてもらっている。
歌を歌ってあげると言いながら、一方で掃除は続けろと言う師の意図が益々分からず困惑しつつ、竜士は棚に向き直り先程までの作業に再び専念した。
曲がりなりにも自分のために歌ってくれる相手に背を向けるなど失礼に当たる。通常の竜士ならそう考え、生真面目に作業の手を止め対面して聞くところだが、今回は師匠のお達しを優先した。
実のところ、自分のために誰かが歌うのを面と向かって聴くなど、小恥ずかしいことこの上ないのが本音だった。
竜士が本の整理を再開していくばくかもしないうちに、ルーインがアカペラで歌い出す。
Now, just now I know that I'm happy
because you're here with me...
予想外に穏やかなその歌い出しに、「なんや、結局英語やんか」と竜士は拍子抜けした。わざわざ日本の曲と言ったのでてっきり日本語だろうと思ったが、そうではなかったらしい。
アメリカ人のルーインと日本人の竜士。
詠唱騎士として様々な言語の知識をつけるべく日々勉学に励む竜士の英語力は、一般的な高校生の水準よりも随分と高いだろう。更にルーインの弟子になってからは、彼が投げてよこす資料が英文なのは当たり前のため、読解力は軽い学術論文程度なら難なく読めるまで鍛えられた。とは言え、竜士の話す英語はルーインの話す日本語の流暢さに未だ追いつかないため、日常での師弟の会話は竜士に合わせて日本語で行われていた。
そのため、英語で話す師を耳にする機会も勿論あるが、やはり普段聞き慣れているのは日本語を話す彼の声なのだ。
竜士は手元の動きは止めないまま、意識の半分を彼の歌声に集中させた。
馴染みのある音よりも、自然体で少しだけ低く響く師の母語の発音が、竜士の鼓膜を揺らす。
You, just you is what I really need
and all the other thought means nothing to me
'Love' is the word I really need
because all the other word means nothing to me...
───ちゅうかこれ、所謂ラブソングとちゃうか?
どう聞いても恋心を綴るような言葉の意味に気づき、竜士は思わず身体の動きを止めた。
普段から自分は人に共感できないと公言しており、己の感情への興味も希薄な師だが、だからと言って人の情を持っていない訳ではない。それに、喜怒哀楽のポジティブな部分は割と率直に表現している方だと思う。一方、”怒”と”哀”の部分は確かに他人から見たら分かりにくいし、本人すら自覚できていない時もあるようだ。しかし、彼の弟子として過ごす時間の中で、竜士には少しずつルーインの感情の機微が分かるようになっていた。彼の思考の回転速度に追いつけず何を考えているのか測りかねる部分はあっても、彼がどんな感情になっているのかはなんとなくだが察することができるようになって来ていたのだ。
さてそれでは、弟子にラブソングを歌って聞かせる師の思考と感情は如何に。
By my side, by my side, by my side,
stay by my side, by my side, hm mm...
曲はサビに入ったのか、先程よりリズミカルになる。
しかしルーインの歌声は、人に聞かせるというよりも、まるで自分自身に呟くかのような囁きだった。
対外的な場面では剽軽な振る舞いを見せる事が多い師だが、一人の世界に入り込んでいる時などは案外静かだということを竜士は知っている。それでもいつもの彼から受ける印象とかけ離れた、ひそやかに歌うその様子が、曲のチョイスと共に竜士に驚きをもたらしていた。
こっそりと首だけ肩越しに振り返り、師の様子を伺う。
すると長い前髪の奥から覗く彼の目と竜士の目が合った。その目が何とも悪戯っぽい光を湛えていることに気づく。
「あんた、巫山戯てますね?」
思わず身体ごと振り返って、竜士は文句を言った。
どうやら今回は、気まぐれな師のただの暇つぶしだったらしい。師がこの歌を自分に歌ってくる意味を考えるために、多少なりとも脳のエネルギーを消費してしまったことを竜士は後悔した。
すると案の定、
「あは、やっぱり竜士はからかい甲斐があるね~」
と、歌うのを中断したルーインがおどけた声色で言ってくる。
少し身じろいだことで彼の目元は髪の影に完全に隠れ、その瞬間瞳に映っただろう感情を竜士は捉え損ねた。
「そないな元気あるんなら部屋の片付けくらい手伝ってください」
疲れているなら休息をとってほしい──そんな師への労いの気持ちがさっぱり消え去った竜士は、ジト目で言い捨てる。
弟子からの冷たいあしらいをものともせず、「それは竜士の専門分野だ、ぼかぁ手も足も出ないよ」とからからと笑い、ルーインは再び歌い始めた。
あほらし。
己のストレスメーターのゲージが溜まる感覚を覚えながら、竜士は再び師に背を向ける。
揶揄われていたという部分には腹が立ったが、歌声自体はそれほど煩わしいというわけではないので、竜士は歌い続ける師の声を背景に掃除を続ける。
曲が進みCメロとおぼしき箇所で、ようやく日本語の歌詞が耳に入ってきた。少なくとも直接的に意味が伝わってくる英語の部分とは違い、その詩的な言葉に込められた意味を、勝呂は捉えあぐねる。
再びサビへと曲が戻っていく。
繰り返し繰り返し「そばにいて」と口ずさまれる調べ。
竜士に向けて歌うラブソングということは冗談だったとしても。
何故、師はこの歌を歌っているのだろうか。
何故、そんなにも寂しげな声色なのだろうか。
それはまるで、置いて行かれることを知っている、諦め癖のある子どものようだった。
竜士は思う。
自分は、いつかは
明陀の元へ帰るのだろう。もしかしたらその時には、既に各々の道を見つけて歩き出している
明陀には、
要なんぞいらなくなっているかもしれない。だとしても、あの場所が己の帰る場所であることには変わりない。
そうすれば、師匠の傍にずっといることは物理的にできないだろう。
それでも。
少なくとも今は、竜士は師の元で学ぶべきことがまだまだある。彼に追いつける日は当分先、どころかそんな日が来るのかも分からない。ならばそれまでは、最前列の特等席で振り落とされないようしがみついて、
詠唱・召喚儀式の達人の全てをこの目に焼き付けていたい。
同時に、世界を守るために常識の外側に足を向けることを厭わない彼が、人として道を踏み外さないように。彼の歯止めとなる存在でいたい。出過ぎた真似なのかも知れない。烏滸がましい願いなのかも知れない。しかし、ルーイン自身が蔑ろにする彼の心を、竜士は彼の代わりに大事にしてやりたいのだ。
竜士が勝手に決め込んだ、一介の弟子稼業からはみ出しているだろうその決意は、迷惑だと言われても覆すつもりはない。
だからいつか、竜士がルーインの元から巣立つ日が来るとしても。
「ほなさいなら」と、そう無責任に彼を野放しにするつもりはさらさらなかった。
ましてや竜士の心は。
───あんたの傍にずっとおるで。
竜士はそう、胸の内で呟いた。
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