つきのせ さぶろく
2026-02-22 16:09:04
3703文字
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ロスト・イン

【自陣SS】Z世代組|スイサイダルアクト【微ネタバレあり】


 きっかけは単純で、ドラマの撮影現場が千代鶴の自宅の近所だからだった。
「このたびはお世話になります!」
 小さなスーツケース一つだけで表れた吾妻莉花は深々とお辞儀をして、東京銘菓を差し出してくる。東京ぽてととはまたありきたりな名前だ。
「別に菓子折りまで用意しなくったって良かったんだけど」
「まあほら、長期間居候させてもらうんですし」
 目の奥に見える輝きをしまいこむような瞬きの後、お邪魔しますと彼女が玄関に足を踏み入れた。少し汚れたスニーカーからパンダのワンポイントが顔を覗かせている。この自宅もさほど広いわけではないが、二人分の個室を作れるくらいの間取りではある。吾妻の撮影現場の話を聞いて居候の提案をしたのは千代鶴の方であった。
「キッチンとダイニングはここ、で、そっちのドアに繋がる部屋は私の部屋だ。吾妻はこっち」
 別段何かの部屋として機能していなかったその部屋には、家具量販店でとりあえず揃えたベッドと机、椅子がある。それ以外の内装は入居時のままだ。家具のチョイスは吾妻の担当だった。
……なんていうか、意外と味気のない選択だな」
「そうですか? しっくりくるものを選んだんですよう」
「まあそりゃあ、好きにすればいいけどさ」
 彼女が選んだ家具はどれもオーソドックスな木製風のデザインで。部屋作り初心者の初期装備を見せられているような気分にさせられる。あれだけとっぴな演劇を生み出す頭の中が一体どうなっているのか、余計にわからなくなってしまいそうだ。
 吾妻は嬉しそうに部屋に入って、早速荷解きをし始めた。荷解きと言っても手持ちの荷物はあのスーツケース一個だけである。やれやれと眺めていると、出てくるのは同じ服、服、服、ズボンが2本、パジャマらしき部屋着、そして無個性にも近い下着────
「おいバカ、無防備に出すんじゃない!」
 千代鶴は咄嗟にそう叫んで扉を閉めた。考えるなと脳内で唱えても、見てしまった記憶を消すことはあまりにも困難だ。だんだんと頬が紅潮していくのがわかって、それを押さえ込むように千代鶴はグシャリと前髪を握りつぶした。
 吾妻莉花はそういう人間だ。つかみどころのなさは水の如く、しかしその水は泉や池といった程度の規模ではなく、海と表現しても過言ではないくらいだ。何もない素人のように見えても、その演技には彼女しか持ち得ない芯があり、思いつきで成功できてしまうようななにかを秘めている。千代鶴誉が知っている吾妻莉花とは、そういうものだった。

 ❖ ❖ ❖

 思いつきの同居も気がつけば2週間が過ぎていた。
 結論から話すと、千代鶴は吾妻のことが相変わらずよくわからないでいる。現場に近いのをいいことに、案の定朝の四時に起きて活動しているし、案の定帰宅してからも台本を読み込んでいるし、案の定わからないことをこまめに尋ねにくる。俳優の卵としての吾妻莉花の全ては千代鶴の思っていた通りだった。ただ、いつもの吾妻莉花という存在が、どうも曖昧な気がしている。どうしてか彼女は調子の悪いパソコン類を臆することなく操作できるし、やりもしないのにスーツケースにはゲーム機が入っていたし、カラオケが好きというわけでもないのに妙に歌が上手い。日常生活の面では、むしろ知らない彼女ばかりがそこにいた。同居を初めてたったの2週間なのだから、そんなことは当たり前なんだろうとも思えるが、どうにも首を傾げずにはいられなかった。
 これは多分の域を出ない想像だが、吾妻莉花とはこういうものだと知っている部分と知らない部分がはっきりし過ぎている気がする。特に妙なのは知っている部分だ。別段彼女の全てを知っているわけではないはずなのに、彼女の行動や心の動きのことを最初から知っていた自分がいるように感じてならないのである。自殺行為の頃の吾妻莉花に、そんな印象を抱いたことがあっただろうか。
「あのう、千代鶴さん」
 吾妻から声をかけられてハッと手から頬が離れた。眺めていた夕日は街の影にすっかり隠れてしまっていた。
「どうした、吾妻」
「あ、ううん。今日のお夕飯どうしますかって、それだけです」
「そうだな、ちょうど買い出しのタイミングだし、スーパーに行ってからでも決められるだろ」
「そうですねえ。ちなみに、今の気分はとかそういうの、ありますか?」
「特にない。どうせ吾妻もだろ」
「えー、バレちゃってるんですか」
「きっとそうだろうと思っただけだ」
「なんでもお見通しですねえ」
 靴を履いた吾妻が、玄関先を爪先でとんとんと叩いている。何度も見てきた彼女の癖だ。鍵を閉めて振り返った時、吾妻の目と千代鶴の目がぱちりと合わさった。
「あ」
「なんだよ」
「この感じ、今日撮影したシーンと一緒です」
 くすくすと笑いながら、彼女は千代鶴の一歩先を歩いている。踊り場までの短い階段を降り切った後、くるりと振り返ったその顔は、吾妻莉花以外の人間の顔をしていた。
「ね、キミが知ってる私のこと、全部教えてよ」
 このシーンのことはよく知っている。夜な夜な練習に付き合わされた部分だ。主人公の男子高校生が同じクラスの女子生徒に揶揄われるワンシーンだが、二人の淡い恋心が会話の中で交差する重要なシーンでもある。
……さあね、俺の知っていることなんてほんの一部だよ」
「じゃあその一部。全部教えて?」
 本来であれば、主人公はヒロインのことを知っているようで知らなかった自分が少し情けなく感じていたし、ヒロインはヒロインで隠していたことを主人公が知っていたことが恥ずかしく思えたといったものだった。ただ、台本通りなのは少し癪だから、千代鶴はあえて変化球をよこすことにした。
「そうだな……、遅くまで起きてることとか、自己投資は惜しまないこととか?」
 前を歩く吾妻が振り返る。その目がぱちぱちと瞬きを繰り返しているので、これは意趣返しが成功したのだろうと千代鶴はほくそ笑んだ。
「まあ、集中しすぎてドアが半開きになってることとか、味音痴すぎて食に全く興味がないってのも知ってる」
「あの、それ、もしかして、全部あたしのことですか?」
「そうだけど」
 立ち止まった2人の間に、吾妻の影だけが広がっている。きっと彼女は、この変化球に子供みたいな罵倒を打ち返すんだろう。千代鶴には自然とそれが想像できた。
……千代鶴さんのえっち!」
「なんでだよ!」
 しかし、子供っぽさに関しては千代鶴の想像以上だったらしい。
 この自然な違和感の正体はいまだに明確になっていない。ただ時折、吾妻莉花と融合してしまっているからではないかという懸念が脳によぎるだけだ。融合と言っても物理的なものではなく、精神的な部分の話であるが。
 こんな曖昧なことを当の本人に言えるわけもなく、千代鶴は極力露見しないようにと努めていた。
「なあ」
「なんですか?」
「吾妻は私のことをどれくらい知っているんだ」
「えー、千代鶴さんのこと? そうだなあ……
 しばらく唸っていた吾妻が、何か思いついたと言わんばかりに目と口を大きく開いた。漏れ出る含み笑いに千代鶴は少しだけ身構える。
「千代鶴さんはハリネズミって感じです!」
「はあ」
「こう、とげとげ! でもまるくてかわいい! みたいな」
「どういう意味だ。別に私はとげとげでもないしまるくてかわいくもない」
「そういう印象なんですってば」
 くすくす笑う彼女からは、もうあのヒロインの面影が消えていた。千代鶴はそんな彼女から少し頬を膨らませて目をそらした。吾妻はきっとそれに気づいていない。夕方はすっかり夕闇になっている。伸びていた影も暗がりに飲み込まれてほとんど見えない。ただ、千代鶴が逸らした視線に反して、かろうじて見える影の輪郭はどうしても吾妻の方を向いている。千代鶴の背中から、吾妻に向かって太陽の光が流れていたからだ。ただそれだけのはずなのに、違う理由があるような気がしてしまう。
 月が美しいのは太陽の光があるからだ。空が美しいのも、太陽の光のおかげだ。では、今の吾妻莉花があるのはどうしてだろう。頭によぎる過去がそれを簡単に説明してしまえるが、それを受け入れてしまったら、今度こそ本当に正気に戻れなくなる。千代鶴は逸らした目線を元に戻して瞼を閉じた。そしてまた目を開いて、何度か瞬きをした後、先を行く吾妻の隣を歩こうと小走りに近づいた。あとはそうだな、今日の夕飯の話なんかがきっとあたりさわりがないだろう。そんな思惑の元に、また今日も吾妻莉花を構築する。そこには既知のものしかなく、知らないものは認識さえできないと知っているから。