志庵
2026-02-17 17:09:19
8207文字
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月へ堕ちた男【悠紗】

なんでも許せる方向け

プロローグ

「月、見てんのか」
 隣に立ったその人が静かな声で言うから、目を離さないままに頷いた。蒼い月はうつくしく、澄んだ光を地上に降らせている。
「月面って、どんな景色だと思います?」
 尋ねた声には「は?」と少し低い声が返って、ようやく月から目を離す。呆れたような声を出した割に答えを見つけようとしてくれているらしい横顔が、月明かりに照らされて白く浮かび上がっていた。美しい光に照らされた、美しい人。突拍子のない問いにも存外真剣に向き合ってくれる、この人のそんなところが好きだった。
……まあ、岩とか礫とかで殺風景なんじゃねえの。あんま面白そうだとは思わねえけど」
「そうでしょうか。案外、つるりとした水晶でできていたりするかもしれませんよ」
「はっ、案外お前もロマンチストだよな」
 鼻で笑うような声を上げても否定はせずに、彼は窓枠にそっと身を委ねる。夜風がするりと吹き込んで、彼の無防備にはだけた胸元はすぐに冷えてしまいそうだ。
「なんで急に」
「いえ、いつか行ってみたいなと」
「月に?」
「はい。何があるのか、気になるじゃないですか」
「そんなおもしれえもんはねえと思うけどな」
 喉を鳴らすように笑み含んで、その双眸が月を見上げた。青白く照らされて、彼の瞳も白く霞む。その眼でそっと瞬いて、彼はやがて、ふ、と笑った。
――ま、いつか、その時は」