number21
2026-02-11 22:32:03
7983文字
Public 雨照
 

プロローグ【雨照】




 高校2年生としての生活が、終わろうとしている。
 3年生、最高学年に進学する日も近い。
 ――なのだが。
「終わらねーーーーっ!!」
 部屋に置かれた勉強机、その上に置かれたのは山積みの課題。それらと向き合う形で椅子に座っていた笹木ささきイノルは自分の真っ黒なくせっ毛を掻き毟って叫ぶ。
「くそっ……春休みって2週間ないんだぞ? 夏休みじゃねえっつーのにこの課題の量……マジであり得ねえ! 終わらせるなんて人間の成せる業じゃねえよ……
「じゃあ僕は人間じゃないってことになるね」
 頭を抱えるイノルの横、涼しい顔をした少年が机を覗き込む。くせっ毛のイノルと対照的な真っ直ぐな黒髪に、一重だが重たくなくくっきりと開かれた青い瞳。イノルの弟、笹木エンだ。
……おわあエン! いきなり来るなよお前……うーーん、と、お前は、人間、だけど、人間……の裏切り者」
「はは、何それ、笑える」
 しどろもどろに答えたイノルに対して彼は微笑を浮かべた。
「つまんなそうに笑うなよ……
「僕はちょっとずつやってただけ。毎日机に30分向かってれば終わるよ。まあ兄さんの場合は……2倍必要になるかな。それでも1時間で終わる。簡単でしょ?」
 イノルの机と背中合わせになるように並べられた勉強机。エンはその前にある可動式の椅子に座り、くるりと回ってイノルと目を合わせる。
「今さりげなくオレのことバカにしただろ」
「オブラートに包んであげたんだよ。それとも直球でぶつけた方がいい?兄さんは"バカ"だよね」
「うっっっっせえ!」
「ほら騒いでる暇あったらやりなよ。春休みはあと?」
「みっか!」
 ヤケクソ気味に叫んでイノルは卓上の紙に向かう。――が、数分と持たずにペンを投げた。
「ワカラナイ……ススマナイ……
「地球外生命体みたいになってるよ。人間じゃないのは兄さんの方だね」
「あながち間違ってない……じゃなくて、教えてくれよエン先生! 今暇だろ? ってかさ、オレたちが一番勉強しなきゃいけねえのって魔法だよな? なーんでこんなお勉強~て感じの勉強しなきゃいけないわけ?」
 東京の中でも「研究都市」と言われる雨府市では、いくつかの学校で「魔法」を学ぶことができる。イノルたちが通う雨笠あまがさ高校もその一つだ。
 魔法。「魔科学研究機関」によって現在も研究が続けられている力。
 イノルたち雨笠の生徒は、その力を有効に活用すべく学んでいる。
 魔法の初歩的な内容から始まり本格的な運用方法、更には3年次には実践という名の戦闘技術について学ぶ。
 高校1年、2年と、イノル達は魔法について見識を深めていき、実際に使ってみることもしていたのだが、
「今更……物理とか……数学とか……
 頭から熱を発しながらイノルが解いているのは、一般的な高校で扱われそうな、理系科目のいわゆる座学だ。
「魔法使うのにも知識が必要なの知ってるでしょ」
「知識なんかなくてもなんとなく使えるからいーじゃん」
「兄さんはちょっと特殊なだけ。使えるっていっても仕組みは全く分かってない、ただ適当にぶっ放してるだけだよ」
 エンはペンの先をイノルに向ける。
「兄さんの魔法の使い方は、原始人が仕組みも分からない状態で、とりあえず火力全開にしてガスコンロ点火してるってのと同じ。無駄遣いも甚だしい上に、本人にも周りにも危害が及ぶ可能性がある。対して僕たちは、その仕組みも分かったうえで一からコンロを組み立てて、料理に合わせて適切な火力調整もして使ってる」
「げ、原始人……
「恐竜の時代に行きたくなかったら勉強して」
 酷い言われ様だ、とイノルは唇を尖らせて机の上の紙を睨む。
「ま、まあ頑張るけどさ……正直、これが何か魔法の役に立つって、イマイチ実感できないんだけど。具体的に何がどう必要なんだよ?」
 そうこぼした瞬間、エンの眉がぴくりと動いた。
……兄さんさ、今までの授業どう受けてきたの」
「え? どうって……普通に、受けて……なんとか赤点取らないようにして……結果的には赤点取った」
「普通に受けた人から今の質問飛び出るわけないでしょ。1年の時やった話だよ?」
「え……
 覚えがなかった。そんなこといつ言っていたのだろうか。
 腕を組んで考え込むイノルの目の前で、すっくとエンが立ち上がる。
「そうだ、僕暇じゃなかったんだ。資料室に行く用事があった」
「資料室?」
「ちょっとした調べ物だよ。じゃ、課題頑張ってね」
 言うなり鞄を引っ提げて部屋を後にしていく弟の背中をぼうっと見送る。
「あーー……
 暫し呆然とする。自分がバカなのは自覚していたが、弟に呆れられるほどのものだったらしい。いや、彼は度々自分に呆れ顔を向けてくるのだが、
「あれはマジな顔だった……
 あそこまで本気の呆れ顔はなかなかお目にかかれない。
(授業、オレなりにちゃんと受けてきたつもりだったんだけどな……
 自分の「ちゃんと」が信用できなくなってきた。確かに学校という場は苦手ではあったし、授業を大人しく座って受けることができていたかと言われれば、自信をもって「はい」と言えないのが現状だが。
 イノルは若干の特異体質で、魔法を使うことに関しては事欠かないと思っていたし、学校なんて卒業できればいいくらいに思っていた。しかしエンの言葉を借りるならば、魔法が使えるといっても「原始人」的になってしまうようだ。
(それに気づかずに2年間をムダにしちまったってワケか……?)
「もしかして、もう手遅れ…………
 返答はない。その呟きは、独りきりの部屋に虚しく吸い込まれていった。
 湧いて出た暗い疑念を打ち払うように、イノルは首を左右に激しく振る。考え込むこともじめっとした空気も嫌いな性質なのだ。考えるより先に行動する、それがイノルのポリシーであって彼が「バカ」呼ばわりされる所以なのだが、本人はそれに気づいていない。
(さっさとこれ終わらせて、長年温めてきたあの計画を実行するんだ……!!)

 その日の夜。
 仕事から帰ってきた父と母、弟と共に食卓を囲み、いつもと同じように風呂に入り、いつもと同じように家族におやすみの挨拶をし、いつもと同じように部屋の明かりを消す。
 そしていつもと同じように目を閉じる、はずだが今日は違う。
 イノルはゆっくりと、二段ベッドの下で寝ている弟を起こさないように布団から抜け出し、そろりそろりとベッドの梯子を下る。
 壁に掛けられた上着を引っ掴んで部屋を後にし、別の部屋の扉に手をかける。
(結局課題は終わってないけど、まあ終わるなんて自分に期待してなかったけど……今日やりたいから今日決行する……!)
 彼には暴きたい秘密、というと大げさだが、とあるものに興味があった。

 イノル達が住む家、4LDKの豪華といえば豪華な部屋は「魔科学研究機関」の建物5階にある。この研究機関内には居住区があり、関係者が生活できるようになっている。といっても、昼夜問わず作業音が響いているこの施設で寝泊まりをしたいという人はそうそういないため、居住者はかなり少ないのが現状だ。
 イノルの両親は2人とも研究機関勤めで、更に言えば父、笹木ミコシは最高責任者、所謂総長というやつであり、機関で最も高い地位にいる人物だ。
 そんな父は当然この施設について最も多くの情報を有している人間であり、イノルの知らない秘密をたくさん抱えている。
 その一つが、施設の地下にある「立入禁止区域」の存在だ。
 この施設は一般人の立ち入ることができるエリアはほとんどなく、基本的には申請という手順を踏むことで入ることが可能になる。
 研究員や職員、それか申請をすることで来客用に貸し出されるIDカードがないと、各フロアへ移動するエレベーターは作動しない仕組みになっているのだ。
 しかしそのカードを以てしても入ることができない秘密のフロアがあるらしい。申請して入ることももちろんできない、固く閉ざされた禁断の場所。
 その存在について詳しく知っているであろう父からは「決して近づくな」とだけ言われていた。

 しかし「近づくな」と言われると近づきたくなるのが人間の性だ。少なくともイノルはそう思っている。
(入る方法は今でも……いや今まではよく分かってなかった。でもオレの長年培ってきた経験と予測によれば、こうだ。
 そのカギは親父にある!)
 自信満々に導き出したこの答えが至極当然で、誰にでも辿り着ける答えであることに本人は気づいていない。
(たぶん親父のカードが必要なんだ。IDカード。それを夜中のうちに盗み出す。でエレベーターに乗る。これがオレの作戦だ。カンペキ、オレ天才!)
 というわけでイノルは父親の書斎に侵入する。父が寝ているのは別の部屋であるため、今この部屋には誰もいない。
(えーっと、ええーっと……あ、あった)
 毎日父が職場に着て言っている上着を見つけ、ポケットを探ってみる。
 父は少々だらしのない性格をしているから、カードなど毎日持っていくものはポケットの中に入れっぱなしであることは知っていた。自分も彼に似てそういうことをしているし。
 カタリ、と爪が何か硬いものにぶつかる感触がする。取り出してみれば、それは自分の探していたものだった。
 エンに似た顔立ちをした、仏頂面の男性の顔写真が載っている。
(あった……!)
 イノルはこれを手にし、家を後にした。

 家の鍵をそっとかけ、そのまま施設のエレベーターに乗り込む。
 扉の横のセンサーに父のカードを読み込ませると、液晶にタッチパネルが表示される。
 来客用や一般職員のカードを通した時には屋上から地下3階までのボタンしか表示されないのだが、
(びーよん……B4……? ……! 地下4階だ! こんなの聞いたことないぞ!!)
 どうやら読みが当たったらしい。イノルは小さくガッツポーズをし、「B4」という文字に指で触れる。
 エレベーターは音もなく扉を閉め、すうっと静かな駆動音を立てて下り始めた。
 よく分からない機械が並んだ研究室、重たそうな資料室の扉、深夜で運営が終了しているため照明も全くついていない静まり返ったエントランス、とガラス張りになっているエレベーターの中から見える景色は一瞬で移り変わっていく。
 それからその透明な箱は地下フロアへとイノルを運ぶ。研究機関は地上階が科学院、地下は魔法院、というように区分分けされているのでここで一気に景観が変わった。
 どこか西洋的な雰囲気のある書斎、科学では説明できない不可思議な力で動いている機械などがイノルの目に移っては消えていく。
 そしてエレベーターは地下の奥深く、しんとした広い空間に到着した。
『地下4階です』
 無機質なアナウンスがそう告げ、扉が開く。
 そっと降り立つと、ひんやりとした空気がイノルを包んだ。
 辺りを見回す。窓があるわけではなく、明かりも一切ないため何も見えない。
(暗っ……そりゃそうか。地下だもんな)
 イノルはポケットからスマートフォンを取り出しライトを点ける。ぽうっと周りが明るくなり、部屋のなんとなくの間取りが掴めるようになった。広さはエントランスと同じくらいだろうか。体育館の半分くらい。天井はそこそこ高い。
 そして、何もない空間の奥の方に扉がある。
(もっと奥があんのかな……何があるんだろ。へへっ、ちょっとテンション上がってきたな!)
 軽い足取りで扉に向かう。それはイノルの背丈の2倍はありそうな、ずっしりとした両開きの扉だった。何の装飾も施されていない、冷たい銀色の金属がイノルを待ち受けている。
(飾りも何もない……ここだけ世界が違うって感じだな)
 少なくとも他の階は人を迎え入れるためにある程度の飾り付けはあるが、このフロアだけは全く手が加えられていない、新築の家で、人が住み始める前の状態ってこんな感じなのかな、そんなことを思う。何の家具も壁紙もないような。
 それだけ異質で、他とは切り離された空間。この先に何があるのか、好奇心が抑えられるはずもない。
 イノルは大きな扉の二つの持ち手を、それぞれの手で掴む。
 そして思い切り、前に押した。


 今度は白い空間。
 明かりも何もないはずなのに、先程とは打って変わって眩しいほどの真っ白な床、壁、天井。
 その真ん中に、見たことのない物体が鎮座していた。
(なんだこれ?)
 大きさは先程の扉と同じくらい。
(鏡……じゃないよな。こっち写ってないし)
 近づいて観察する。楕円形をした額縁のような。額は金色に塗装されているようだが、これまた装飾の類は一切ない、シンプルな当たり障りのないもの。
 ただし壁にかかっているのではなく、台座のようなもので床に固定されていた。コレクションとして飾られているフィギュアのような、と表現するのが正しいだろう。それを固定している台座は床に完全に接着されているのか、押しても動くことはなさそうだ。額縁のような物体も同じ。台座から外れそうにはない。
 存在そのものが異質なそれを、更に異質たらしめるものがあった。
(これ、なんだ……?)
 額縁の中。普通であれば透明なガラスの下に絵画などが収められているはずの場所が、歪んでいた。
 歪んでいた、としか表現しようのない状況。混ざり合っていない絵の具をぶちまけたような、赤青黄色、その他様々な色が額縁の中で光り輝き、踊っている。
 見慣れない光景に困惑した脳は、自身の知っている知識で目の前の現象を説明しようとする。
 これは液晶画面で、何か映像を映し出しているだけなのだろうか。
「それとも魔法の何か? ……あ~~~~~オレに分かるわけねえ!!」
 頭を使うよりもまずは行動。
 正体不明のそれを調べてみようと、指先で触れてみる。

 ――瞬間。

「うっ……!?」
 触れた瞬間、額縁に吸い寄せられるのを感じた。
「ちょっ、なんだこれ!? どうなってんだよ!?」
 指が、腕が、肩から先が。薄い額縁の、異様な空間にどんどん吸い込まれていく。
 歯を食いしばって踏ん張ろうしても、その抵抗は全く意味をなさない。
「う、うわあああああああああ!?」
 真っ暗になった視界の中で、落ちる、そんな感覚があった。


「う……
 薄っすらと目を開く。それから1回、2回と瞬き。
「ここ……
 うつ伏せに倒れていたようだ。のそのそと立ち上がって、先程と同じように周囲を確認して、目を見開く。
「ここ……どこだ……?」
 今までいた場所と全く景色が変わっている。薄暗い中目を凝らしてみると、辛うじて内装のようなものが判別できた。
 大きな円柱形の柱。白く美しい壁には金色のシャンデリアのようなものがかかっている。床はつるつるとしていて、軽くつま先で叩くとこつ、と硬い触感を返してきた。
 西洋の城とか、美術館みたいな感じだ。そう思った。少なくともあの無機質な部屋の先にあるものとしては想像もできない。
「あれ。オレ何してたんだっけ」
 そう思って、今しがた自分の取った行動を振り返ってみることにする。
(親父のカード使って立入禁止の場所に入って、その先の白い部屋に行って、なんか変な額縁みたいなやつ見つけて、それ触って、……そうだ、あのぐにゃぐにゃした絵みたいななんかに吸い込まれたんだった! はずだ)
 はっとして後ろを振り返る。自分が出てきたと思われる場所には、あの部屋で見たのと同じような額縁があり、同じようなぐにゃりとした空間が枠の中に広がっていた。
(ドア……じゃないよな。この後ろ壁があるだけだし)
 経験したことのないような不思議な出来事に頭が混乱してくる。魔法か何かだろうか。自分の知らないすごい魔法とか。そう単純に考えてみる。

「そこにいるのは誰だ!!」
 突然の大声にびくりと肩を震わせる。声のした方を見ると、1人の男が立っていた。
 特筆すべきはその出で立ちだ。甲冑に鎧、片手に槍と、中世の西洋の風景からそのまま出てきたような恰好をしている。
(あれ本物か……? コスプレ……? にしては完成度高すぎ……
 疑問に思って彼を凝視する。男は持っている武器の先をこちらへ向けた。
「えっと、ここはどこ? ……っつーか、オレ怪しい奴じゃねーぞ!! 迷い込んだだけっていうか、別に悪い奴とかじゃねーし……
 最初は混乱していた頭に遅れて焦りがやってくる。一体、何がどうなっているんだ。武器を向けられ、睨みつけられているこの状況。かなり悪いことをやらかしてしまったのだろうか。
「怪しいに決まっているだろう! このゲートの使用には、事前に我々警備の者に連絡が入ることが約束だ」
「ゲート……? 連絡……? 何の話だ! ってかここはどこって聞いてんの!」
――侵入者というのはお前か」
 ぱっ、と部屋に明かりが灯り、鎧の男が入ってきたと思われる扉からもう1人、屈強そうな男性の姿が見えた。
 淡い青色の髪は大胆にかきあげられていて、その額には太く吊り上がった眉が並んでいる。
「あちらの世界の者だな。こんな時間にこそこそと、何の用があってこちらに来た」
「あちらの世界……?」
 彼の放った言葉に疑問符を浮かべる。
 あちらの世界。何の話だ、それは。
「まあいい、後でゆっくり聞けば済む話だ」
 イノルの疑問には耳を貸さず、その男もまた、背中に構えていた大振りの剣を抜き、構える。
 これまでイノルは状況が分からず困惑が勝っていたが、このタイミングになってようやく、自分が危機的状況に陥っていることを理解した。
 イノルに向けられた2本の剣の先が鋭く光る。イノルはこれに対抗する武器など持っていない。
(一応魔法なら使えるけど……でも……
 そもそもこの状況において「正しい立場」がどちらかというのはイノルにだって分かる。
 彼らの言うように、侵入者――この場で道理に反した行動を取っているのは自分なのだ。
 好奇心で立ち入り禁止区域に入り、仕組みも分からない道具に勝手に触れ、今この場に立っている。
(誰がどう見たってオレが悪いよな……
 イノルの頭に真っ先に浮かんだのは後悔だ。
 父の、研究機関の持つ秘密を暴こうとしたことを後悔する。
 
 誰もが大きかれ小さかれ、秘密を抱えている。
 世界に関わる真実も、心の奥にしまった小さな思いも、秘密には変わりない。
 自らの秘密を告白するにも、誰かの秘密を覗くにも、相応の覚悟を持たなければならない。
 
 世界を揺るがす大きな真実であろうと、内に秘めた繊細な感情だろうと、秘密は時に、人や社会を大きく狂わせるからだ。