なえつき
2023-01-20 18:43:43
5965文字
Public 『うちの上司は情緒がヤバい』
 

『墓前に花』

『うちの上司は情緒がヤバい』の2次創作小説です。不安(カプ名)です。不笠䙥花と安定緒が、緒波御幸のお墓を訪れる話です。


 ――二年前に亡くなった緒波御幸は、私の恋人だった。
 御幸くんの命日からずっと、私は毎月欠かさず彼のお墓参りをしている。
 都心から少し離れた海沿いの霊園。
 お盆休みである今日も彼のお墓を訪れ、掃除をしたところまでは良かったものの、お供え用のお花を持ってくるのを忘れてしまった。急いでお花を購入し、再び御幸くんのお墓に戻ると、私のよく知る人物がそこにいた。
 長い黒髪。生気のない足取り。煙草を吸う姿が似合う、目を奪われるような美貌の女。
 私――不笠䙥花の同僚であり、私の恋人と心中を図り、死に追いやった許し難い女。私の人生の何もかもを狂わせ、台無しにした酷い女。
……なんであの女がここにいるの?」
 慌てて物陰に隠れる。
 安定緒は私の存在に気づいていないようで、呑気に花を供え、黙とうなんて捧げていた。
 あの人は、いったい、なにをしているんだろう。
 頭の中はぐちゃぐちゃだった。
 御幸くんを私から奪ったあなたが、どうして御幸くんのお墓参りなんてできるの。あなたが御幸くんのお墓に来るだけで不快な思いをする人がいるんだって、考えたことはないのかな。
 首に掛けた指輪を手のひらで包み込むようにして握る。かつてペアだった指輪は、今やこの世には片方しか存在しない。もう片方の指輪は、御幸くんの遺体と共に火葬してしまったから。
 私はスマホの連絡先の中から、ある人物の名前をタップしていた。通話はすぐには繋がらず、二回目のコールで声が聞こえた。
……もしもし」
「お疲れ様、安定さん。突然電話してごめんね?」
 問いただしてやりたかった。安定緒がどういうつもりで御幸くんのお墓参りなんてしているのかを。そして、訴えてやりたかった。私がどれだけ安定緒を憎んでいるのかを。
「安定さん、今、どこにいるの?」
「どこって、コインランドリー、とか。二週間分くらい洗濯物溜まってて。あと買い物。エナドリ切らしちゃってさ……
――――。はぁ」
 だというのに――この女は。
 二週間分の洗濯物というと、もしかしなくても、私が先々週に安定緒の家へ掃除をしに行き、洗濯物を片付けてあげた日から今日までの洗濯物ということだよね?
 それにエナジードリンクは三日前、一緒に買い物をしたときに箱買いしたばかりだったはず。それってつまり、三日間で全部飲み干したってこと?
「安定さんさあ……
 こんなの聞いちゃったら、我慢ならないに決まってるじゃない。
 結局、私はいつものように安定緒に口を出してしまった。エナジードリンクは飲みすぎちゃ駄目なこととか、スナック菓子ばかりじゃなくてご飯はバランス良く食べてほしいこととか、洗濯物はこまめに片付けないと着る服なくなっちゃうよってこととか。
「はい……はい……
「ちゃんと聞いて。安定さん、私だって怒るときは怒るんだよ?」
 私の心配をよそに、当の本人の反応は薄い。その、己の生活と健康に無頓着な態度が気に入らなくて、つい厳しい態度をとってしまうし、ついでに世話を焼いてしまう。
 そんな私を、心の中にいるもう一人の私が、冷めた目つきで見つめていた。その瞳が語っているのは、いつも見ないようにしている私自身の黒い感情だ。
『あんな死にかけの女、ほっといたらいいじゃない。憎くないの? それとも忘れちゃった? ――安定緒は、御幸くんの仇なんだってことをさ』
 ……うるさいなぁ、もう。忘れてないし、忘れるはずがない。
 そうだよ、私。あんな不健康で情緒不安定な女、ほっといたらすぐに死ぬ。だったらなおさら安定緒は死なせてはいけない。
 だって――
……不笠さん?」
 不自然に押し黙った私を見かねてか、安定緒が不安そうな声で私の名前を呼んだ。笑って誤魔化して、通話を終えた。
 軽く溜息をつく。気がつけば日は沈んでいて、辺りはすっかり暗くなっていた。遠くを見やると、街灯の下、ちょうど私との通話を終えた安定緒が立ち去っていく姿が見えた。
 人の絶えた霊園にはもう、参拝客は私一人しかいなかった。
……
 御幸くんの墓石へと足を向ける。
 遠くから聞こえていた波のさざめきは、心なしか大きく、荒々しかった。天気が荒れ始めているのだろう。そういえば今日の天気予報では夕方頃から雨が降るのだった。あまり長居せずに帰った方がいいかもしれない。
……やっと二人きりになれたね、御幸くん」
 御幸くんの墓前には、安定さんが供えたお花が置いてあった。菊、リンドウ、アイリス、スターチス。死者に手向ける色とりどりのお花たち。
 御幸くんのお墓に添えられた美しい花々のどれもが、あの顔の良い女を幻視させた。
 美しき花弁は均整のとれた顔を、瑞々しい葉はきめ細かな肌を、そして細くしなやかな茎はすぐに折れてしまいそうなくらい脆い首筋を。
「ああ、いやだなぁ……
 目を奪われるほど美しいお花。私にはその全部が、汚く映った。
 花束を掴み、ぼんやりと眺める。
 立派に育てられて綺麗に咲いたのに、誰かが水をあげなければ枯れてしまう、人に依存したお花たち。
 安定緒と同じだ。放置すればすぐに枯れてしまう死にかけの女。
 なら、この女に水をあげるのは、私だ。私でなければならない。
 めいっぱい世話を焼いて、めいっぱい幸せにして、めいっぱい私に依存させる。
 そうして、私無しでは生きられないようにして――安定緒の内側が生きる希望に満ちた時、満を持して、私はあの女を殺すのだ。
 それが、私の復讐。
 
 ――――――想像する。私が復讐を遂げるその瞬間を。

 均整のとれた顔をぐちゃぐちゃに歪め、
――それはまるで、ぷちぷちぷちと、花びらを引き抜くように)
 きめ細かな柔肌をずだずたに破壊して、
――それはまるで、びりびりびりと、葉っぱを切り裂くように)
 脆くて細い首にゆっくりと力を籠める。
――それはまるで、ぼきぼきぼきと、茎を曲げて手折るように)
 
 そうすればきっと、私は――――――
 
――ぇ」
 心臓が、止まる。
 御幸くんのお墓に供えられた綺麗なお花たちは、見るも無残な姿に成り果てていた。
 花弁は全て引き抜かれ、葉っぱは切り裂かれ、茎は隅から隅まで折れていた。
「どうして? なんで? え? だって、だってさっきまで、」
 私が目を離した隙に誰かが悪戯をしたのかとか、私が気がつかないうちに台風がやってきてお花を荒らしていったんだとか、原因を考えて考えて、両手を見たらやっと気づいた。
…………ぁ」
 いつか御幸くんが綺麗だねと褒めてくれた私の手は、ぐずぐずに崩れた花粉と千切れた葉っぱの屑に塗れていて、お花を千切ってできた切り傷からは、真っ赤な血が滲んでいた。
…………私だ。ぜんぶ、わたしだ」
 本当は、ずっと前から考えていた。もしかしたら安定さんは全然悪くないんじゃないか、って。
 安定さんは確かに死にたがりだけど、他人を巻き込むような人じゃないから。
 よく知ってるよ。だって私、安定さんが大好きだもん。
……だとしても、もう戻れないよ」
 ぽつりと呟く。
 だとしても、とっくの昔に手遅れだ。今さら、私たちの関係はもう元には戻らない。戻れない。
 不笠䙥花と安定緒の間には、取り返しのつかないほど決定的な境界線が引かれてしまっているのだから。
 ぽつり、と一粒の雨粒が墓石を打った。それから二粒、三粒と雨粒の染みは増えていく。
 ざあざあざあ。ざあざあざあ。
 雨が勢いよく降り注ぎ、服が、髪が、身体が濡れていく。
 ……忘れていた。そういえば、今夜は雨が降るんだった。はやく傘を差さなくちゃ。
「ぅ、ううぇん――――、あああぁ、あ」
 はやく傘をささなくちゃ。でなきゃ風邪をひいてしまう。
 はやく、はやく、はやく。
 私は傘をささなくちゃ。でなきゃ、私は。
 ざあざあざあ。ざあざあざあと、雨が降る。
 はやく、だれか、私に、傘を――
 霊園に生まれたひとりぼっちの泣き声は、雨音に覆われて、人知れず消えていった。


/『墓前に花』 了