久遠の恵方に幸甚を

MHRウ教×ハ♀。夫婦。
節分。『恵方』巻き。

凛と引き締まって冷たい冬の空気は、斜陽の色を鮮やかに際立たせ、空は優しく燃えていた。

狩猟続きの厳しい日常の狭間、穏やかな黄昏時。冬と春の季節の境界である節分の日にふさわしい寒気かんきだった。

普段ならどこか寂しさを覚えかける時刻だが、カムラの里の英雄『猛き炎』たる娘と、彼女の師である里の教官ウツシの夫婦が住み暮らす小さな平屋。
その中の炊事場は、寂寥せきりょうとは無縁に賑やかだった。
夕空を貫かんとするほどの、ウツシの元気な声が響いている故かもしれない。

想いを通じ合わせ、夫婦の契りを結んで時が経ち、今は師弟か夫婦か。心が甘くなるような空気感はなく、その線引きは二人にとって心地良く曖昧なまま。

「愛弟子よっ! いよいよ巻いていこうっ! とっても大切な工程だ、頑張ろうね!」
「はいっ! お米と具材を潰さないよう、でもちゃんと巻けるように力の調整頑張ります!」
「いいねえ! その意気だ、愛弟子っ! 俺も頑張るよ、キミに食べてもらう恵方巻きだからね!」
「ふふふっ、それはわたしもです! あなたに食べてもらう恵方巻きですから!」

調理台の前に並び、楽しげに笑い合う師弟夫婦の両手は、台上で巻きすを押さえつけている。

巻きすの中には、それぞれの好みの具材、神々の数に由来した七つの具材をたっぷりの白米に大きな海苔を巻きつけた、巻き寿司になる予定のものが詰まっていた。

調理台近辺にはお米粒が残っている飯台や、短冊切りになった卵焼きにこんがり肉、鮪にネギトロ、トビッコ、殻の外れた蟹の剥き身、胡瓜に干瓢かんぴょう、大葉、桜でんぶといった鮮やかな具材が、戦いの後のように散らばった状態で乗っている大皿がある。二人は思い思いの具材を使って、巻き寿司の中を彩っていた。

夫婦で並んで息もぴったりに、巻きすの中身を潰さないよう、美味しい巻き寿司になるよう形を、両手を使って整えて続けている。

「よおおしっ! もうすぐ完成だ! 愛弟子、俺の恵方巻きでキミも元気いっぱい! 無病息災だよ!」
「ふふっ! わたしの恵方巻きも、あなたの好きなお肉をたくさん入れておきましたから! 楽しみにしてて下さいね」
「わあ、そうなの!? 嬉しいなぁ! 俺もね、栄養バランスを考えつつ、キミの好きなものもたーくさん入れたから! 美味しく食べてねっ!」

互いに顔を見合わせ笑い合いながら、互いに相手への愛おしさで胸を躍らせ、二人は手元の巻きすにも改めて集中する。この瞬間の力加減はとても大切だ。

今年は一緒に恵方巻きを作らないかと、完成したら交換してお互いの恵方巻きを食べ合わないかと、娘にそう提案したのはウツシだった。

夫婦なのに最近は互いに多忙で、同じ屋根の下にいるにも関わらずなかなか二人きりの時間がゆったり取れずにいたことを内心、とても寂しく思っていた娘。
彼女は夫ウツシの提案に二つ返事で承諾し、彼と、そして節分という季節の日にも感謝した。

考えれば考えるほど嬉しくて、両手で巻きすを操る娘の口角がふくふくと震える中、彼女の隣のウツシが「よおしっ!」と達成感に満ちた様子で両手を上げた。

「できたーー! 愛弟子! 俺の恵方巻き、できたよっ!」
「わたしも、もうすぐできます! 最後に、崩れないように少しだけ……

巻きすの端から端まで、全体的に、娘が両手で加減しながら形を整えるように握っていく。あくまで米を潰さず、巻き寿司としても崩れないように、最後の仕上げ。

後でそんな完成した恵方巻きを食べる時のウツシの握力がそこまで強くなければ、などと考えた娘の脳裏に、ふと映像が浮かぶ。

両手で恵方巻きを持ち、後ろから具材をはみ出させながら元気いっぱいに大きな口で齧りつき、頬を膨らませてもぐもぐと食べ進めるウツシの姿。

想像するだけで「ふふっ」と吐息混じりの笑声が溢れかけた娘は、それをごまかすように、「んんっ」と咳払いを一つ。

「よーしっ……これで……!」

流れるように巻きすを外して、調理台上、ちょうど二人の間に置かれていた、先客はウツシの作った恵方巻きだけが乗っているまだ綺麗な角皿の上に、両手で、黒く艶めく出来たての恵方巻きをそっと乗せた。

「──はいっ! わたしもできましたよー! ウツシ教官への恵方巻きです!」
「えへへ、やったあ! ありがとう、愛弟子! じゃあ向こうの畳で一緒に食べよっか!」
「はい! そうしましょう!」

娘が皿を持とうとした矢先、ウツシが真っ先に流れるような動きで皿を持ち「楽しみだね!」と穏やかに微笑んだ。

かまちから上がった先にある畳の間には既に、煎茶で満たされた桜色と若緑色の夫婦湯呑めおとゆのみの乗った卓袱台が設置されている。

二本の恵方巻きが寄り添った皿がその中央に置かれ、夫婦はそわそわと待ち遠しそうに並び座った。

座った途端、ウツシの目尻は娘の作った少々具材のはみ出た恵方巻きを見つめて、とろりと幸せそうに下がる。

「えへへ、奥さんのお手製、嬉しいなぁー!とっても立派で美味しそうな恵方巻きだね!」
「ふふ、ありがとうございます。卵焼きとかちょっと尻尾が出ちゃいましたけどね。ウツシ教官の恵方巻きはもう、このまま茶屋とかで売れそうなくらい綺麗で美味しそうです」
「ふふふ、ありがとう。愛しい我が妻のためだから、ね!」
「っ、う……ありがとう、ございます……! わ、わたしも、頑張りました……!」
「んふふふ、ありがとう」

初々ういういしく素直に頬を染める娘の愛おしさに目尻を蕩けさせてから、ウツシは「よしっ!」と軽く手を叩く。

「さあ、今年の恵方は南南東だ! 今年の福を願いながら、美味しく恵方巻きを食べようねっ!」
「はい! ふふっ、教官の恵方巻き本当に美味しそう。静かにしなきゃいけませんけど、声を出したくなっちゃいそうです」
「ふふふっ、それは俺もだよ! 叫ばないよう気を付けなきゃ!」
「ふふっ……全くもう」

幸せそうに目を細めて微笑んだ娘に、ウツシも満面に笑顔を返しつつ、先に両手でそっと、娘の作った恵方巻きを持ち上げた。それにならう形で、娘もウツシの作った恵方巻きに両手を伸ばす。

その間、ウツシはおもむろに体を「どっこいせ」と『南南東』に向けて、正座で座り直した。それを見た娘も妙に慌てながら、引き寄せられるように、彼の隣で南南東に体を向けて「よいしょ」と正座する。

さながら追いかけてくる雛鳥のような彼女を横目で密やかに見守っていたウツシの口元は、素直に大きく緩んだ。
里の英雄とまで呼ばれた娘が狩猟時とは打って変わって、修行時代よりも正確にウツシを追うように動いている姿は、彼の中に在りし日の記憶を呼び起こさせる。

よしよし、いい子だねと何度も頭を撫でたくなってしまうと同時に──愛する妻への甘い胸のときめきが、彼の中で賑やかに鐘を鳴らし続けた。
抱きしめて、何度も口付けたくなるような衝動。

……ウツシ教官? どうしました?」
「っ!? ご、ごめん、見ちゃってた!? ごめんねっ、これから食べようって時に! 何でもないよっ!」

気付けば娘の横顔に釘付けになっていたウツシが「んんっ!」と大仰に咳払いをして、両手の恵方巻きを持ち直しながら前方、南南東を向いた。

その咳払いの様子に既視感を覚えた娘が、嬉しそうに、くすっと微かな声をこぼして口角をほころばせたことには、気付かないまま。

「さ、さあ、まずいまずい! 海苔がこれ以上しなびちゃ勿体ない! そろそろ一緒に食べ始めようっ!」
「ですね。せっかくウツシ教官が気持ちを込めて作ってくれた恵方巻き、美味しく頂きたいですから」

二人は改めて両手の恵方巻きを一瞥してから顔を見合わせ、幸せそうに笑い合う。

今年も無事に、共に、冬から春への節分を過ごせることへの感謝と喜びが、瞳の中に光となって弾け煌めく。

二人は楽しげに恵方巻きを見つめ直し、さあいよいよ、とばかりに深呼吸。先に「よおぉし!」と元気いっぱいの雷声かみなりごえを轟かせたのは、ウツシ。

「それじゃ、愛弟子! とっておきの恵方巻き! 頂こうかっ!」
「はい! 食べ終わるまでおしゃべりはダメ、ですね?」
「うっ……そうだね……! キミが作ってくれたものを食べるのに、しばらく語れないなんて……! こればかりはやっぱり少し自信がないけど……頑張る!」

改めて「よしっ!」と、ウツシが気合を込めて息を吐いてから。

「それでは! 愛弟子の……俺の愛しい奥さんの恵方巻き! いっただきまーす!」
「わたしも! ウツシ教官……旦那さまの作って下さった恵方巻き、いただきまーす!」

結局ばらばらになったかけ声だが、それすら二人は楽しそうななまま。
直後、師弟らしい阿吽あうんの呼吸で大きく口を開くと、同時に恵方巻きに齧り付いた。

@acadine