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織音
2026-01-17 20:36:31
10358文字
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一日花
『さようならと告げる度に、一つ色彩が失われていく。そうしてまたはじめましてと告げる度に、新たな色彩が一つ増えていく。』
記憶のタナトフォビアの続き。長期記憶を保てなくなって、毎日リーを忘れてしまう指揮官の話。まるで一日花みたいだと思ったので。『想送』と『白命』の二本立てでお送りします。
弊社指揮官の外見に関する記述あり。
1
2
白命/咲いた花びらはまだ色を持たない。いつか鮮やかな何色かには染まれど、何色にでも染まれる運命の元にはない。
柔らかい光で目が覚めた。
朝の色に染まった白いレースカーテンが揺れ、静かな時が流れ、一人分の呼吸だけがこの部屋を満たしている。
此処は、何処だろう?そんな問いから始まった思考は、時間が経つにつれて眠気というものを押し退けて少しづつ明瞭になっていく。しかし頭の中にあるべき記憶は空白で、とっかかりどころか本来存在しているはずの『昨日』という過去の記憶すら、僕の中には何一つ残されていない。
――
それなのに失ったでも奪われたでもない、ただ胸に穴が空いたようなどこか空虚で満たされない感覚だけが心の奥で揺らぎ続けている。
ただ空気みたいな色をした、何者でもない自分が此処に在るだけ。僕は凍えるように息を吐いて、自分の存在を確かめるように首元をなぞった。触れた温度は温かい。確かに体温はここにあるのに何故か、今僕に存在する全てが作り物みたいに思えてしまって。全て夢かもしれないと爪を立てて力を込める。皮膚の下で動き続ける動脈の震えに触れた、刹那。
「おはようございます、指揮官。よく眠れましたか」
不意に隣から凛とした響きを伴った、落ち着いたテノールが響く。目が覚めたばかりで鈍感な聴覚を刺激するように鼓膜を振るわせたそれに聞き覚えはないのにどこか落ち着くような、安心するような感覚が胸を満たして爪を立てて強張ったままの指先からゆっくりと力が抜ける。
脱力した体をベッドシーツの上に預けたまま、声のした方へと視線を向けた。そこにいるのは淡い金髪の青年だった
……
いや、正しく言えば青年の『形』をしている人型の機械だった。人間でいう瞳の部分、酷く澄んだ青色の向こうにある機構が調整されるように僅かに動き、じっとこちらの姿を見つめていた。
「
……
おはよう、ござい、ます」
「バイタルも異常ありませんね、もう起きられますか?」
「
……
え、あ、はい
……
」
手をこちらに、と差し伸べられた手は、こちらがその手を取りやすい角度と位置で完璧に調整されていた。機械だからこそできることなのだろうかなんて、人間らしい温もりを持たぬ手に触れながら思う。
――
しかしどうしてだろうか。目の前の青年は確かに機械の体であるはずなのに、ただの機械だと言い切ってしまうことを胸の奥の何かが拒んだ。
それを知ろうと手を伸ばしても、形を持たないそれは指の隙間をすり抜けて消えてしまう。僕には、それを知ることなど叶わないのだろう。核となる記憶を失って形骸化してしまった切実な感情ほど知りたいと願ってしまうのに、結局何も得られないままに僕が消えていく。知るにはあまりにも時間が足りなかった。僕が覚えていられる時間など、普通の人たちに比べてほんの瞬き程度の時間しかないのだから。
「
……
貴方は、誰、ですか」
ずっと投げかけるべきか悩んでいた問いがようやく紡がれた頃、機械の青年はああ、と気が付いたように口を開いた。
「今日は自己紹介がまだでしたね。名乗っても構わないのですが、そうですね
……
僕が名乗るよりもあの手帳を見た方がわかりやすいでしょう」
機械の青年の視線がこちらから外れて、まるで導くようにベッドサイドの方へと向けられる。何があるのか興味が湧いて、その方向を見遣る。
そこで白い朝の光を反射して、柔らかく光を放っていたのはシンプルな手帳だった。装飾性の欠片もなくて、ただ実用性だけが重視されたもの。新品同様に綺麗な表紙だったが
……
手に取ってみれば新品よりも紙が柔らかく、誰かが大切に何かを記していたであろうことが伺えた。
「それが貴方の手帳です。僕が説明するよりもわかりやすいと思いますよ」
「
……
これが、僕の?」
「ええ、それに全て、貴方の知りたいことが書いてあるはずです。自分が何者で、今目の前にいる僕が何者なのか。そして貴方が『覚えていない』昨日までのこと、全部」
読み終わるまで待っています、と機械の青年は端的に伝えると窓の外へ視線を向けた。白い光が降る早朝の空中庭園はまだ静かだった。薄い青色が雲と共に偽りの天蓋に映し出され、その色がさらに青い機械の青年の瞳に映り、反射する。まるで本物の空がその瞳を模した球体の中に閉じ込められているようで目が離せなくなった。
――
あの瞳の青色も、どこかで見たような気がした。まるで焦がれてしまうかのような、密かな衝動すら感じてしまうような。すっと透き通って、高く澄んだ空と似た色彩。しかし、これも知ることは叶わないのだろう。今手に持った手帳に記されていない限りは。
ようやく表紙を捲った先、几帳面な文字で書かれていたのは名前だった。この字の書き方も、この文字の並びも見覚えがある気がする。きっとこれが僕の名前なのだろう。丁寧にふりがなまで振られているし、自分の名前でなければ表紙を捲ってすぐの場所に書いたりなどしないはずだ。
文字を辿り、時折貼り付けられた写真の景色をなぞりながら、裏側に存在していた感情の足跡を辿る。数ヶ月前の日付が記載された日の文章から、本来留めていられるはずの昨日の記憶まで。或る日はたった数行で終わり、また或る日は隙間なく埋められた文章は記憶を留めていられない今、過去確かに自分が生きていたという証だ。この形でしかもう過去を辿ることを許されないが、こうやって文字に残り続ける限り何度でも辿ることができるのだから、悪くはないのかもしれない。
そして、今日のこともこうやって、この手帳の中に記された足跡になっていくのだろう。
記憶の文章を辿り終えた先の数十ページ先、まるで写真が貼られているかのように不自然な硬さをしたページの感触が指に伝わる。まだ知っておくべきことがあるのかもしれないと何の躊躇いもなくそのページを捲った。
想像に違わず、そこに貼られていたのは数枚の写真だった。白い服を着て、ところどころに金色の意匠が散らされた黒く長いツインテールの少女と、白く長い髪をした、白い服を着てピンク色の髪飾りのようなものを着けた少女。
『グレイレイヴン隊、隊長ルシア、隊員リーフ』
注釈のように書かれた文字と矢印。この黒いツインテールの少女がルシアで、この白い髪の少女がリーフというらしい。さっきまで読んでいた過去の記憶の中にも何度か出てきた名前だったはずだ。
……
そういえば、文章の中でこの二人よりも多く出てきた『リー』という男性は誰なのだろう。ルシアとリーフは数日に一度の割合でしか登場しないが、この『リー』という男性はほとんど毎日名前の記載があった。それほどまでに『自分』にとって大切な存在なのだろうか。
ほとんど無意識的にページを捲った。そこに貼られていたのは前のページと同じように写真。淡い金髪で、高く透き通る空の色をした瞳の機械の青年の、写真。
「
…………
リー、?」
きっと声は小さくて、掠れていた。
鈴を転がすような、言い淀む要素すらないたった二文字の名前。指先でなぞりながら辿々しく、確かめるように読んだ名前に機械の青年が僅かに反応する。
僕は何かに弾かれたように顔を上げた。すぐ横にいた青年とぱち、と音がしそうなほどに目が合う。
そこに在ったのは先ほどと同じ、空に良く似た色の瞳だった。それなのに読み取れないはずの瞳の向こう、先ほどとは微かに何かが違うことに気が付いた。
――
僕は、きっと
……
いや、絶対にこのひとを知っている。
そう知った刹那、何かが頭の隅を掠めた気がした。この寝室に満ちる夜と微かな月明かり
……
そして酷く朧げな透き通る青。すぐに形を失って消えてしまう前に、なんとか留めようと手を伸ばす。空を切る前にそれは目の前の青年に掴まれ、機械の温度を溶かしていく。
「
…………
君が、リー?」
吊り目で切れ長の青い瞳。毛先に向かうにつれて色を薄くしていく淡い金髪。作り物と疑うほど端正な顔立ち。黒を基調にした服と左右で色の違う機械の手。見比べた機械の青年は、写真の中にある青年の姿と同じだった。
「
……
ええ、今日の貴方にとってははじめましてですね」
ふっと緩むような、ほんの僅かに口角が上げられた綺麗な笑みに僕は目が離せなくなる。
「僕はグレイレイヴン隊のリーです。かつて、指揮官だった貴方が率いた小隊の一員もあります」
朝日に照らされた部屋の中で、手のひらが何かを願うような強さで握られる。不思議とそれが嫌ではなくて、僕は微かな力でその手を握り返した。
昨日までの足跡を何ひとつ留めていられないまま、一日花は再び咲く。
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