真那
Public 原藤
 

夜を越えて③

「夜を越えて」( https://privatter.me/page/69189b4a7fbf2 )と「夜を越えて②」( https://privatter.me/page/69270a79b4859 )
の続き。これにて最終話です。すけべなシーンはない。

 いつからそんなにも藤堂平助のことを好きになったのか、と問われると、正直なところ原田から出せる回答は「わからない」となる。
 だって「気付いたときにはいつの間にか」としか答えようが無いからだ。

 いつの頃からなのか本当に定かでないのだが、原田の視線は気付けば彼を追いかけるようになっていた。

 彼がそのかんばせに柔らかい笑顔を浮かべているのを見ていると、自分もなんだか胸の内がぽかぽかしてきて、つられたように顔が綻んだ。悲哀にその瞳が揺れているときは、自分がその原因を少しでも取り払ってはやれないかと、必要以上に深入りしない範囲で、という己に課していた大前提を越えないようにしながら、それでも必死に頭をひねっていた。自分の中にこんなに揺れる感情があったのかと、己自身でも驚くほどだったのだ。
そうやって視線が、心が、原田の理性を置いて勝手に藤堂を追いかけていて、そして追いかければ追いかけるほどに、彼という人間に惹かれていった。できるだけ幸せであってくれればいいと、いつだって心のどこかで願っていた。それがすべてだ。だからそのスタート地点が果たしてどこだったのかなんてのは、原田にとってそこまで重要ではないのである。
 けれどそんな原田の中に「藤堂平助」という存在が、本当に、決定的に焼き付いて離れなくなってしまったのは、あの寒い寒い冬の日、原田が永遠に彼《か》の星を失ったときだろう。

 ――どうして、と。
 悲痛な顔で問うてくる藤堂の瞳に、己の心が激しくざわめいたのがわかった。
 そうしてこちらを見つめてくるその瞳の中で揺れていた炎に、胸の内の一部が焦げ付いてしまうほど、強く強く焼かれたのだ。

今更何を言ったところでどうしようないだろうなんていうことは、藤堂だって痛いくらいに理解していたはずだ。できないはずがない。状況を判断する能力に人より長けていたからこそ、彼は誰よりも早く、そして的確に敵陣へと切り込んでいくことができる『魁先生』だったのだから。そんな彼が、あのときの状況を正しく飲み込めていないはずがなかったのだ。
どう考えてももう何もかもが手遅れで、終わっていて、やり直すための道なんかどこにもあるはずがなくて。それでも己の中で捨てきれないもの、譲れないものがが勝ってしまったらしい彼は、己を納得させてくれる理由を、目の前に現れた原田の中から探さずにはいられなかったのだと思う。状況的にあのときの原田は藤堂にとっての敵であったにも関わらず、そんな相手に縋ってでさえも、己の中で「正しい」と飲み込める答えを求めたがった。そんなものは当然原田の中になどあるはずもなかったし、きっと世界中のどこを探しても見つからなかっただろうというのに。

 そんな藤堂を見た原田は、こいつはなんて哀れなひとなんだろうと思った。
 けれどそれ以上に、この人間はなんて無垢で、まっすぐで、そして眩しいのだろうとも思ったのだ。

 だって原田左之助という人間は、どうひっくり返ったってこんなふうにはなれなかった。こうなろうと思うこそすら一切なかった。
 全てはそういうものだと思って黙って受け入れろと、必要以上のことは考えるなと、深入りするなと、そう教わってきて、ずっとそういうふうに生きてきた。それが当たり前だと思っていたし、そういう生き方のほうが楽で良いとすら思っていた。自分は自分で納得して、己のそういう生き方を受け入れていたのだ。それがひどく虚しいことだったと、もっと違う生き方だってあっただろうにと、そんなふうにはっきりと思えたのは、いよいよ己の死が間際になったときだったわけだが。
 ともかくあのときの藤堂は、そんな原田とは全く違っていた。あの場で「どうして」と悲しげな色を隠しきれないままに問える彼の在り方に、原田は酷く胸を打たれたのだ。
 その在り方はあの場においては決して正しいとは言えなかったし、ましてや賢いとも到底言えないようなものだったのだろう。人の悪意を何も知らない無垢な幼子でもあるまいし、しかも裏切り裏切られが当たり前となっていたあんな時代の中で、これほど愚直で不器用な生き方しかできないのは正直生きづらかろうとしか思えない。だからこそ彼は若くして死ぬことになったのだと言われれば、まったくもってそのとおりでしかないのだが。

 それでもそんな不器用な生き方しかできない男に、原田は己の心をひどく焼け焦がされたのだ。

 けれど原田を焼いたその眩しい炎は、その夜のうちに燃え尽きてしまった。否、自分たちが無遠慮に冷たい水をぶっかけて、もう二度と燃え上がらないように消し去ってしまったのである。
 藤堂がもっと物分かりよく諦めてくれるものだと、多かれ少なかれ程度の差はあれど、愚かにも全員がそう考えていた。きっとそうしてくれるだろうと、心のどこかで彼を侮っていた。もう何もかも終わりで、どうしようもないのだから、藤堂だってその事実を受け入れてくれるだろうと。
 けれど藤堂は諦めてくれなかった。折れてなんかくれなかった。最後まで抗って、戦って、どうしようもできない理不尽に対して「なぜ」と心の底から叫び続けて。
 そうして原田の心を焼いて、消えない傷を残して、そうして永遠に手の届かない場所へ行ってしまった。原田は己の中にべっとりとこびりついた真っ黒な燃え滓を、ただ呆然と眺めていることしか出来なかったのだ。
 
 もう二度と会えないと、あの星の輝きを目にすることはできないと思っていたのに。せいぜい未練たらしくその燃え滓をなぞって、確かめて、彼の形をひとりでそっと思い出すことしかないと諦めていたのに。
 奇跡は不意にあっさりと、原田の目の前に、そしてあろうことかこの手の中へと転がり込んできたのである。

 あの頃とは互いに少しずつ在り方が変わってしまったけれど、否、あるいは変わったからこそ、原田左之助と藤堂平助は、このカルデアという場所で共に過ごすことができるようになった。
 だからこうしてともにいられる間、原田は藤堂のことをいっとう大事にしてやろうと思ったのだ。
 あの眩い炎を、今度こそ無遠慮に消してしまわないように。目の前で消えてしまわないように。

 藤堂が彼が望む形で剣を振るい続けられるのならば、その命を燃やし続けるための糧として、原田自身を薪にとして炎へ焚べてくれたって構わなかった。あれほど心を焦がしてくれた愛しい炎に焼かれ、彼を生かす力の一助となれるのならば、それも本望だとすら思っていた。
 隣でまた笑ってくれる奇跡が嬉しくて、胸をつくほどに彼が愛おしくて、愛おしくてたまらなくて。だから今ここにある彼を、自分なりに精一杯大切にしたいと思った。慈しみたいと思った。かつてはできなかったことを、今ならできるかもしれないから。過去は変えられないけれど、これから先のことだったら己の努力で如何様にもできるはずだから。

 心から支えたいと思える主のもとで、かつて共に背を預け合った仲間たちと心置きなく剣を振るい、いつでも抱きしめられる距離にいっとう愛しい人がいてくれる。
 いつかは何も残らずに終わる泡沫の夢なのだとしても、少し恵まれ過ぎているほどだった。少なくとも、裏切りものには過ぎた幸福である。だからこの幸福を大事に守りたいと、本気でそう思っていた。
 
 けれど、あんまりにも幸福すぎたものだからこそ、気付かぬうちに調子に乗ってしまっていたのかもしれない。 

 いやだ、と叫びながら、恐怖によって不安定に揺れる瞳で見上げてくる藤堂の姿が、鮮明にフラッシュバックする。
 やめなければと思うのに、こんなことは駄目だと思うのに、体のほうはちっとも言うことを聞いてくれなくて。こいつを頭からばりばりと食ってしまいたいと、そんな凶暴な欲望が、己の中で吠えて、牙を剥いて、目の前の獲物に向けられている。やめろと叫びながら身を捩る藤堂を無理矢理組み伏せて、己でいいようにできてしまう状況にしていることに、どこか仄暗い喜びが腹の底から確かな質量をもって湧き上がってきていた。

 噛み砕いて、腹の中に収めて、そうして彼をどこへも行かせないようにしてしまうのが、お前の本当の望みなのだろう。
どんなに甘くやさしいもので言葉を包んだところで、所詮お前という人間は、そもそもそんな言葉が似合うような生き物ではないのだから。

 そんな冷たい言葉がどこかから届き、頭の中でうわんうわんと反響して、原田の脳みその芯を鈍く痺れさせる。 
ごちん、という鈍く衝撃で意識を刈り取られるまで、原田は己の中で湧き上がる声に、衝動に、自分の意思であらがうことができなかった。

 それからカルデアの医務室で目が覚めて、ばちばちと閃光のように脳に刺さる最悪な記憶に顔をしかめて、呻いて。原田左之助という男は、藤堂平助という人間を傷付ける側の生き物なのだと、それを思い知れと、刺さってくる記憶たちからそう言われているような気がした。
 医療チームから事の顛末を一通り説明され、原田の頭に一番に浮かんだのは、藤堂を手放してやるべきなのかもしれないという思いだった。彼の幸福を考えるのならば、もう二度と間違えないようにするためには、それが最善なのではないかと。
 藤堂をどうしようもないほどに傷付けて、壊して、また原田の手が二度と届かない場所へ行ってしまう前に。もっと藤堂のことを、ちゃんと真っ当に大事にしてくれるやつのところへ行かせてやるほうがいいのではないか。

 けれどそこまで考えて、そんなのは嫌だと、必死に叫んでいる自分の心に気がついた。

 藤堂が原田以外の別の誰かの腕に抱かれて、口を吸われて、蕩けた顔を惜しげもなく晒して、それ以上のこともされて。そうやって幸せそうに笑ってくれていたのなら。きっとそれはそれで、原田も一緒に笑えるのだろうとは思う。よかったなと、お前が幸せで嬉しいよと、良い兄貴分としての顔を丁寧に貼り付けて、彼の頭を撫でてやるくらいのことはきっとできるはずだった。そういうことができるように、原田左之助という人間は作られていたはずだから。
 けれど本音を曝け出せば、そんなのは当然受け入れられそうになかった。藤堂を手放したくなんかなかった。離れていってほしくなかった。誰よりも藤堂のそばにいる権利を、他の誰でもない自分にこそ許してほしかった。たとえよかれと思って手を離したとしても、自分はずっとあの一番星を追いかけ続けてしまうだろうから。今も、昔も、それはもう変えられそうにない。
 
 そんな原田の我儘は、藤堂本人によってあっけなく許された。
 それこそが己も欲するものだと、自分から原田へ手を伸ばしてきてくれた。
そんな藤堂の姿に原田がどれほど強く心を打たれて、たまらない気持ちにさせられたのか、藤堂はきっと知らないだろう。

手を伸ばして、許された彼の心を、身体を、そのすべてを夢中で貪った。もっと、と珍しく欲しいものを素直にねだってきたものだから、今このときだけは求められたものを求められるまま、全部こいつにやろうと思った。
 互いの体温の差がわからなくなるくらい繰り返し体を深く重ね合わせて、心も体も全部ぐちゃぐちゃになって。流石にそろそろ、と思って入ったシャワールームでもまたうっかり燃え上がってしまって、獣のように互いを貪りあって。
 行為を覚えたての餓鬼でもあるまいし、と自分でも嘲笑いたくなるほどの様相だったが、坂を転がり落ちるような欲望を止める術を原田は持ち得ていなかったし、藤堂も止めるどころか積極的に煽ってさえいたのだから、そこはもう仕方がないというやつだ。その後は互いにくたくたになってベッドへ倒れ込み、そのまま気絶するように眠りに落ちてしまった。
 
 原田が目を覚ましたのは、僅かに浮上した意識の中に、藤堂の靴先が床を軽く叩く音が落ちてきたからだった。とんとん、という軽やかな音が、波紋のように広がって、響いて、原田の心をやわらかく震わせる。
 原田をどうしようもなくさせる愛しいその人は、寝台に背を向けて、とんとん、とまた靴先で床をたたきながら、足の調子を確かめているようだった。ふわふわの髪の毛が跳ね回っているのが愛らしくて、思わず顔がほころんでしまう。彼が戦場において全力で駆け出す前にもしているその仕草が、原田は好きだった。
 どこへも行かないでくれと、この腕の中にずっと閉じ込めておきたい気持ちがあるのは本当だ。あのとき胸の内で湧き上がった仄暗い喜びに、たぶん嘘はない。そうできたらどんなに、とも思う。けれどそれ以上に、どこまでもまっすぐに駆け出していく藤堂の姿が、原田はどうしようもなく好きで、愛おしくて、その在り方を大切に守りたかった。もし万が一彼が進むのを迷ったときに、その背をそっと押してやれるような、そういうひととして藤堂の隣に立っていたかった。
 まだ重たい眠気に意識の大半を支配されながらも、原田は薄っすらと目を開ける。部屋の中は既に朝の気配に包まれているようだった。日だまりの中にいるような、こんなあたたかい気持ちで目覚めることができる日がまたくるなんて、かつての自分は想像もしなかっただろう。
 さて、こちらに背を向けて身支度を調えているらしい藤堂の手を後ろから引いて、寝台の中へと引きずり込んだら、いったいどんな顔を見せてくれるのだろうか。そんな悪戯心がにわかにわき上がってきた、そのときだった。
 
「あ」
 
 どこか間の抜けた声とともに、藤堂の姿がふっと視界から消えたのだ。

「ッ、平助!」

 原田は布団を蹴って跳ね飛ばし、半ば転がり落ちるような勢いで寝台から飛び出した。ばくん、と心臓が嫌な感じに跳ねて、全身の穴という穴から冷たい汗が噴き出す。
 果たして藤堂は唐突に目の前から消え失せたわけではなく、床の上にぺたりと座り込んでいた。どうやら崩れ落ちるようにして床に尻もちをついたせいで、原田の視界からすると急に消えたように見えてしまったらしい。原田の剣幕に驚いたのか瞳が丸く見開かれ、、きょとんとした様子でこちらを見上げていた。

「び……っくり、した。いつから起きてたんですか、原田さん。というか、ええと、おはようございます」
「え? おう、おはよう……いや、おはようじゃねえんだわ。ビビったのはこっちだよ、あほんだら。お前が急にどっか消えたのかと思った」
「なんですか、それ」

 藤堂は呆れたようにほのかに笑いながら肩をすくめ、床に手をつきながらよろよろと立ち上がった。いつもてきぱきと機敏に動く彼らしからぬその姿に、原田は眉をひそめる。

「どうした、どっかいてぇのか?」
「いえ、痛みはないですよ。……ただ、その……足、というか股関節、かな? あんまりうまく力が入らなくて」

 少しでも油断すると力が抜けて座り込んでしまうのだ、と藤堂は困ったように眉尻を下げていた。
 もちろん、彼の不調の理由は明白である。普段であれば使わない部分の筋肉を酷使したりだとか、本来なら動かさないであろう向きに関節を強引に開いたりだとか、夕べは散々そういう無理を伴う行為をしたのだから。つまりはそういうことだ。

……あの、うん、ホントごめん」
「謝らないでください。昨夜のことは、なんというか、あれだ、お互い様というやつでしょ。あんたにそうまで殊勝にされると、盛り上がってしまった僕のほうも居たたまれなくなるのでやめてください」
「ハイ」

 頬を赤らめながら唇を尖らせる藤堂の姿には大いにキュンとさせられたので、原田には素直に頷く選択肢しかなかった。俺の平助がかわいい、と顔が勝手ににやけてしまいそうになる。しかしこの状況でそんなことを口に出したら最後、また全力で脳みそを揺らす頭突きなどがとんできかねないので、一応心の中にしまっておくことにした。
 とりあえず先ほど跳ね飛ばした布団を床から拾い上げて元に戻しながら、寝台の上に腰を下ろす。

「それより平助、お前、こんな早く起きてどうした?」
「別に何もないですよ。普通に朝食を食べに行こうかなと」
「は? 俺を置いてか?」
「急に面倒くさい彼女みたいなこと言い出さないでください。だって原田さん、さっきまで寝てたじゃないですか」
「叩き起こせよ、そこは。何を遠慮してんだ。夕べあんなに熱く激しくまぐわった仲だっつーのに」
「ま、まぐ……っ! いや、あの、僕はただ、その、原田さんきっと昨夜のことで疲れてるだろうから起こしたら悪いし、寝かせておいてあげたほうがいいかなって」
「それどっちかというと俺が言うべき台詞だと思うんだけど」
「どっちでもいいでしょう、そんなことは! というか、僕が先に起きて朝御飯食べに行くなんて、今までも何度かあったじゃないですか。なんで今日はそんなに突っかかってくるんですか」
「んだよ、つれねー奴だな。今日くらいははどこにも行かないで、ずっと一緒にいてくれよってこと。俺が寂しいから」
「!」

 にんまりと笑いながらそう告げれば、はく、と藤堂は言葉のないまま唇を戦慄かせた。口を開いては閉じ、また開いては閉じてを繰り返している。言葉がなかなか出てこないらしい。

………………原田さんって、ほんと、そういうところ、僕は心底狡いと思います」

 藤堂は顔を真っ赤にしながら、やがて呻くようにそう言った。
 けれど困った顔をしつつも、原田のそばまで戻ってきて、そっと隣に腰を下ろしてくれる。藤堂のその様子を、原田は遠慮なく了承と受け取ることにした。腕をひいて腕の中に体ごと閉じ込めて、そのままもつれ合うよう布団の中へ潜り込む。うわ、と驚いたような声は上がったものの、拒絶の類いの動きはなく、藤堂はそのまま原田と一緒に寝台の上へ横になった。

「はー、ぬくいぬくい」
「そんなに言うほど寒くもないと思うんですけど」
「そういうんじゃねーよ。単に俺の気持ちの問題っつーか。平助だってこうしてるとあったかいだろ」
……そう、ですね。寒いよりは、いいです」

 そう言ってもぞもぞと身動いでいた藤堂だったが、やがて収まりがいい場所を見つけたらしく、原田の腕の中でそっと身を委ねてきた。警戒心をむき出しにして毛を逆立てていた小動物が、ようやくこちらが伸ばした手に自ら鼻先を触れさせてくれたような、そんなふわふわした達成感がある。
 ぐうっと腹の底からわき上がってきた名前も分からない衝動に身を任せて、原田はそのまま藤堂を強く抱きしめた。旋毛に顔を埋めて息を吸い込めば、原田が自室のシャワールームで普段使っているさっぱりとした洗髪料の香りと、昨夜散々むさぼった藤堂の匂いが、ほんのりと混じり合いながら鼻腔を擽ってくる。なんだかうっかり変な気持ちになりそうだったが、それよりも触れあった場所から伝わってくる体温の心地よさに、ふんわりとした柔らかい眠気がやってくるほうが早かった。目を閉じて、心地良さにそのまま身を委ねる。
 もっと、と心が求めるままに藤堂の頭へさらに深く顔を埋めると、いい加減やめろと困ったような声が小さく聞こえてきた。だがこれからこの香りとぬくもりを堪能しつつ二度寝を決め込む気満々でいる原田には、こんな木野に抜けた声での制止などあってないようなものである。事実、さらに強くぎゅうと力を込めて抱きしめれば、藤堂も文句を言うのをやめて大人しくなった。

……起きたら、朝ご飯、一緒に食べに行ってくれますか」

 藤堂もうとうとし始めたのか、どこか舌足らずな声でそう問うてきた。原田に甘えきっていることがわかるその声が可愛らしくて、きゅうっと胸が締め付けられる。うん、と返した自分の声も大分寝ぼけたようなふわふわした声になってしまったが。まあどうせ藤堂しか聞いていないのだから構うまい。
 藤堂とこうやって未来の話ができるのが、原田はどうしようもなく嬉しいのだ。
 ここにこうして在るのはかつての自分たちそのものでは決してなくて、世界によって一時的に許された泡沫の夢で、どこまでいっても仮初めでしかなくて。すべてが終わった後には、何も残らないのかもしれない。
 それでも今ここで、藤堂をこの腕の中に抱きしめて、そのぬくもりを、命を確かめていることは、そうして愛おしいそれを大切にしたいと思っていることは、少なくとも今ここにいる原田にとっては本物なのだ。あの冷たい夜を越えて、今ここに二人は在るのだ。

「平助」

 好きだよ、と。
 かつては言えなかった、言おうとすることすらなかったその言葉。今は言えるようになった大切な気持ちをはっきり口にしてから、原田はもう一度強く藤堂の体を抱きしめた。