真那
Public 原藤
 

夜を越えて

初夜大失敗で原田さんが大焦りしてる話

 ――さて、どうしたもんか。

 眠りから目が覚めて、意識がはっきりしてきたところで一番に頭の中に浮かんだのは、そんなどこか他人事みたいな一言だった。

 腕の中には、規則正しい寝息を立てながら眠っている藤堂がいる。普段であればほこほこと胸の内が暖められるような、そんな甘く柔らかい幸福を感じている時間だ。
 けれど彼のふわふわした癖のある髪と旋毛を眺めながら、原田は一人静かに冷や汗をかいていた。

 昨夜は恋人として、初めて彼と身体を重ねた。

 ふたりでそういうことをしたい、と言い出したのは原田のほうだった。
 紆余曲折の末、藤堂と「恋仲」というべき間柄になってしばらく、彼がぎこちないながらも原田の気持ちを自分の仲で素直に受け止められるようになってきているのを日々見ているうちに、心だけでなく体も深く繋がりたいと強く思うようになったのだ。

 お前の全部に、誰も触れたことのない奥まで、余すことなく触れる許可をくれないか。

 とうとう気持ちを抑えきれなけなった原田は、ある日藤堂に対し目そう乞うた。
 原田からそう告げられた直後、藤堂は見ていて可哀想になるくらい顔を真っ赤にしながら、半ばパニックに陥っていたようだった。とはいえ懇ろになったふたりの仲が深まっていけば、いずれそういうことになろうというのはさすがに理解していたらしい。後で聞いた話だが、藤堂のほうもいつかは原田に言い出そうと思ってタイミングを計っていたのだと言う。
 というわけで、原田が抱きたいと乞うてからしばらく猶予は必要になったものの、藤堂はうろうろと視線を彷徨わせながらも、原田が伸ばした手をきゅっとしっかり握って頷いてくれた。自分の羞恥心を押しのけて原田の求めに応えてくれたいじらしい姿に、原田は思わずくらくらするほどの幸福感と愛おしさ、そしてどばどばと洪水のように押し寄せる興奮を覚えたものである。
 だが男である藤堂の身体は元々受け入れるようには出来ていないし、当然のことだが他者を受け入れるのも初めてのことだった(なお、このこと自体に関しては全く問題ないし、むしろ良かったと原田が思っていることは一応申し添えておく。もし初めてじゃなかったらと想像しただけで、腹の底がぐつぐつ煮えて、内臓が全部ひっくり返って口から吐きそうになる心地がするので)。
 加えて極度の緊張のせいか、藤堂は終始全身をガチガチにしていて、もたらされる快楽に浸れるような余裕もまったくなさそうだった。原田の指先が肌に触れるたびにびくびくと体を跳ねさせていたのは、当然気持ちよさからくるものなどではなく、いや多少はあったと思いたいが、ほとんどはその強い緊張と、己の体を暴かれる予感からくる本能的な恐怖によるものだったのだろう。

 そんな藤堂の身体を、原田はなるべくゆっくり時間をかけて宥めすかし、解かせて、どうにか苦痛を与えない方法を模索しながら事を進めていった。

 それでもやはり簡単にはいかなくて、藤堂の体はいつまで経っても原田という異物を強く拒否し続けていた。
 男でも中で感じられる箇所があるというのを事前に調べて知ってはいたのだが、藤堂は元々の体質的に中での快感を感じづらかったのか、あるいは初めてのことでそういった感覚を掴むのが上手くいかなかったのか、結局最後まであまり良くはなれなかったらしい。単純に内臓を他者に探られ続けている違和感や痛みばかりを感じていたようで、最中の藤堂の顔にはずっと「くるしい」と書いてあるのが見えるようだったし。
 原田としては、今回だけで無理に挿入までいかなくとも良いとは思っていたのだ。この先まだいくらでも機会はあるのだから、ゆっくり慣れていって、いずれ藤堂が原田を受け入れられる心と体の準備ができたら、そのときにできればいいだろうと。
 けれど「やめないで」「お願い」「いれて」「さいごまでして」と、ぐすぐす泣かれながら縋り付くように懇願されれば、さすがに止めようがなかった。藤堂を大事にしたい、大切に愛したいという気持ちはあれど、残念ながら原田の精神と肉体は聖人とはほど遠い人並みの欲を持った普通の男であるからして、好いた相手からそんなふうに必死に求められてしまったら、そりゃあ止められるわけがなかろう。止まれる男がいるというならぜひとも面を拝んでみたいところである。
 というわけで、殆ど力尽くで捻じ込むようにして無理矢理繋がること自体はできたものの、急所を強く締め付けられた原田も正直なところ痛みのほうが強かったし、強引に身体の中を押し開かれた藤堂は言わずもがなである。血の気が失せた青ざめた顔をしてシーツをぎゅうと掴み、固く閉ざした瞼からぼろぼろ涙を零しながら、歯を食いしばって苦鳴を漏らすまいと必死に耐えている姿は、もはや拷問でも受けているのかといった様相だった。自分たちは愛し合うための行為をしているのではなかったか、と原田も頭が嫌な感じに冷えてしまったほどである。涙を拭ってやろうと指先で触れた藤堂の肌が、その身を苛む苦痛によってかすっかり冷え切ってしまっていたのもあるかもしれない。
 ともかくそんな藤堂の冷えてしまった身体をあたためるように、あやすように、熱心に撫で擦って、抱きしめて、自分の快楽は二の次で、どうにかこうにか互いに出すものを出して、一応事は終えられたわけである。
 けれど正直なところ、上手くいったとは到底言いがたい初夜だった。事を終えたあとの藤堂は今まで見たことがないくらいぐったりしていて、そのまま気絶するように眠ってしまったし。原田も感じたことのない類いの疲労がどっと背中にのし掛かってきたのを感じて、後始末もそこそこに藤堂を抱きしめて眠りに落ちたのだった。
 最後まで、と強く望んだのは確かに藤堂だったし、原田はそれに応えただけと言える。けれど本当に彼のことを大事にしたいと思っているのなら、たとえいくら泣いて懇願されたとしても、上手いこと宥めすかして「それはまた次のときにな」とでも説得して止めておくべきだったのだ。ひとまずはお互いに気持ちいいことだけして、藤堂をできる限り満足させて、「もっとしたい」と思わせるくらいが、ひとまずの初夜としてはちょうど良いはずだったのに。
 けれど原田が所謂『良い大人の顔』を貼り付けてそうできなかったのは、縋るように求めてくる藤堂を前にして己の欲を抑えきれなかった、というのも確かに理由のひとつではある。だが一番強く原田を突き動かした理由は、あそこで藤堂のためを思って遠慮するのは、藤堂自身が一番望んでいないことだとも思ったからだ。原田が本当に心から藤堂のことを求めていることを言葉ではなく行動で伝えなくてはならなくて、そしてきっとそうしないと互いに大事なところが満たされないまま終わってしまう気がしたのだ。今回のことだけじゃなくて、この先のすべてが。
 だがそう思ったのだとしても、もう少しやりようはあったはずだった。少なくとも閨において、原田が苦痛ばかりを与えるような男だと思われているのは非常によろしくない。原田の男としての沽券に関わるというのも一応あるにはあるのだが、何よりも藤堂が原田とのまぐわいをだと思い込んでしまうことがおそらく一番まずかった。
 苦痛に耐えて原田を受け入れることが互いの付き合いの上では必要なことなのだと、そういうものが恋仲同士における『普通』であるなどとは絶対に思われたくない。そんな一方的で虚しいだけの関係を、藤堂との間に持ち込んでたまるものか。そんなことを原田はこれっぽっちも藤堂へ求めてはない。
 だが藤堂は元来素直すぎるところがあるし、こうだと思ったらひたすら一直線の男だ。その上変なところで頑固者だから、一度思い込んでしまったら誤解を解くのには相当な苦労を要する。
 原田が藤堂のことを大事に想っているということだって、彼にわからせるのに大変な労力を費やしたのである。何度も何度も噛んで含めるように言い聞かせて、しつこく言い聞かせ続けて、たまに泣かせつつそれでも根気強く伝え続けて、ようやく互いの思いが通じ合っているということを納得させた。原田が藤堂のことを好いていて、だからこそ大切に愛したいのだと、藤堂にちゃんと理解させたのはずなのだ。そういったこれまでの努力が、ここで一気に瓦解するのはさすがに勘弁願いたい。
 要するに、変な思い込みがインプットされきってしまう前に、そうじゃないんだというのを藤堂にはきちんとわかってもらわなくてはならないわけで。そもそも体を重ねる前にそういった意思確認というかも互いにしておくべきだったのだろうが、いよいよ藤堂を抱くのだという緊張と高揚と興奮と、ともかく色んな感情でぐちゃぐちゃで、普段より頭が回っていなかったのは認めざるを得まい。抱かせてくれと言って、その場でそのまま押し倒したのもおそらくそもそも良くなかった。日を改めていれば、もう少し冷静になれたかもしれないのな。
 しかしすべて後の祭りである。後悔したところで時は戻らないし、やってしまったことをなしにはできない。原田が心を砕くべきは、まだ何も成されていない、これから先のことである。

 よし、と原田はあらためて一人静かに気合いを入れ直した。

 藤堂に罵られても構わないし、むしろ文句の一つや二つくらいはぜひぶつけてほしいところであるが、彼の感情はおそらく自責の方へと向かってしまうだろう。だから完全に取り返しのつかないところへ彼が落っこちてしまう前に、全力で捕まえてやる必要がある。原田は藤堂を本気で大事にしたいのだから、そこを間違えるわけにはいかないのだ。
 原田は藤堂を抱きしめていた腕を少しだけ緩め、名残惜しさはありつつもほんのちょっぴり体を離した。完全に密着したままだと顔が見られないからだ。疲れ切っているだろうからとりあえず自然と目覚めるまではこのまま眠らせておくつもりだけれど、彼がどんな状態なのかは一応確認しておきたくなった。昨夜はあまり気遣いもできないまま眠りに落ちてしまったもので。
 身長差も体格差もかなりあるので、こうやって抱きしめ合う格好でいると、藤堂は原田の身体にすっぽりと収まってしまう。原田として頭を撫でるのも容易だし、抱きしめやすくてとてもいいと思っている。
 こういうことを言うと「子ども扱いするな」と藤堂は怒ってしまうのだが、元々の骨格の造りや大きさからして相当違うのだからそこは仕方あるまい。そして昨夜はこんな小さな身体で必死に原田を受け入れようと頑張ってくれていたのだと思うと、胸の奥がきゅっと甘く締め付けられた。
 相変わらずすうすうと規則正しく寝息を立てながら、深く眠っているらしい彼の顔を覗き込む。いつもと変わらない愛しい寝顔だが、昨日は散々泣かせてしまったせいか、目元の辺りが腫れて赤くなっていた。指先でそっとなぞると、微かに熱をもっているのがわかる。あとで何か冷やすものでも持ってきてやるべきか。
 そんなことを考えながら、丸い頬を指先でそっとなぞるようにしていたときだった。

「ん、ぅ……?」

 もぞり、と腕の中に閉じ込めていた身体がわずかに身動いだ。ふわふわとした芯の通っていない声が、彼の半端に開いたままの口から転がり落ちる。
 その小さな声に、原田はびくっと大袈裟なくらい背中を跳ねさせてしまった。そしてそんな自分に自分で驚いてしまう。普段の自分だったら、こんな動揺を外に出すことなんて絶対にしないのに。

「へ、平助……?」

 そうして慌てて呼びかけた声も、自分でもわかるくらい裏返ってしまっていた。ああ、もう本当に駄目だ、己のすべてが情けなさすぎる。さっき入れ直したはずの気合いは一体どこへ行った。思わず頭を抱えたくなる。
 原田が一人で悶々としているうちに、藤堂の腫れぼったくなっているであろう瞼が、ゆるゆると緩慢に持ち上げられた。澄んだ青色の瞳が姿を現し、ゆらゆらと揺れながら、やがてぼんやりと原田を捉える。しんと静まりかえった冬の夜みたいな、澄んだ色。けれどひとたび彼の感情に火が付けば、その中には彼自身をも焼き尽くす炎が燃え上がるのを知っている。
 そんな瞳が今は、とろんとした甘い柔らかさをたたえながら、原田の存在をきちんと捉えていた。完全に熱と光を失い、何も映さなくなった虚ろで濁った彼の瞳を知ってしまっているから、藤堂がこちらをちゃんと見ているのがわかるたびに、原田はひどく安心するのだ。

……はらだ、さん? おはよう、ございます……
「おう、おはよう。……大丈夫か。身体、つらくねぇか」

 少し考えてからようやく絞り出せたのは、月並みにもほどがある言葉だった。けれど藤堂の身を案じている気持ちは間違いなく本物だ。彼の身体に回した手で、腰のあたりを労るようにそっと擦ってやる。
 目が覚めた直後であるせいでまだ意識が覚醒しきっていないのか、或いは昨晩の疲労をまだ重たく引きずっているのか、藤堂は相変わらず普段よりぼんやりとした顔でこちらを見上げてきていた。ぱちり、ぱちり、と瞬きをいくつかゆっくりと繰り返している姿は、なんとなく猫を思わせる。
 そうして藤堂は少し考える素振りを見せた後、こくん、と小さく頷いてくれた。原田の口からは知らず識らずのうちにほっと安堵の息が溢れていく。
 とはいえ意地っ張りの傾向がある藤堂のこと、たとえ大丈夫じゃなかったとしても大丈夫と言うに決まっているのだ。昨晩の苦しそうにしていた表情が頭を過り、彼にあんな顔をさせるほどの痛苦を与えたのは間違いなく昨夜の自分なのだと思うと、今更ながら口の中に苦いものがこみ上げてくる。
 幸いにも今日は二人ともリソース集めのための周回などの予定がない、所謂非番といえる日である。加えて、互いに個人的な別の予定も入れないようにと事前から調整していたため、丸一日部屋に引きこもっていても特に差し障りはないはずだ。
 何をするかは特に決めていなかったが、今日は藤堂をひたすら優しく甘やかすとしよう。今決めた。昨日の苦痛の記憶が、彼の中で変な方向にこびりついてしまわないように。

……あの、原田さん」

 寝起き直後よりは少し意識がしっかりしてきたのか、先ほどまでより明瞭で芯の入った声音が、徐に原田の名前を呼んだ。
 困ったように眉尻を下げておろおろしている様子は小動物のようでとても愛らしいが、たぶんこの先に続く言葉はそんな呑気を許してはくれないのだろう。原田は「うん」と短く頷いて、藤堂の言葉の続きを促した。

「あの。昨日は、すみませんでした。その……あんまり、よくなかった……ですよね」

 来た。予想どおりというか、何というか。
 そんな必要はないのに、むしろ己を痛めつけた原田を責めてくれたっていいのに、藤堂は自分が悪いのだと心底申し訳なさそうにしている。
 さて、そんな彼に対して、自分は一体なんと声をかけたものか。原田がさっきまで必死に考えていて、けれど結局藤堂が目を覚ますまでに結論を出せなかった自問自答が、再び脳内で繰り返される。
 ただここで黙したままでいるのは、藤堂の先の問いかけを肯定していると捉えられかねず、そしてそんなのは間違いなく最悪の回答であると断言できる。つまり最善の言葉が見つかっていなくても、とにかくすぐに何かは言わねばならないわけだった。

「えーっ、と……その、アレだ。そんな最初から全部上手いこといかないのは仕方ねぇって。お前だってキツかっただろ。俺のほうこそ、焦らせて、無理させて悪かった。ま、二人で段々と慣れていこうや。練習ってのは何にでも必要だしな」

 なるべく深刻に捉えられないように軽い口調で、なおかつ言外に次の機会を求めていることを仄めかしながら告げる。藤堂は頬を微かに赤らめつつ、黙したままこくんとまた一つ頷いてくれた。ほっと胸を撫で下ろす。もうあんなのは二度と御免だ、と言われてもおかしくないと思っていたから。
 原田は藤堂の身体を抱え直し、ぎゅっと抱きしめた。藤堂の様子から察するにまだ疲労が抜けきっていないのだろうし、このままもう一眠りさせておくとしよう。
 だが抱きしめられた藤堂が、そのまま大人しく腕の中に収まるでもなく、何やらもぞもぞと居心地悪そうにしていることに気がついた。額を原田の胸の辺りに押しつけて、うー、と何やら小さく唸っている。
 原田はそっとふわふわの髪を撫でてやりながら、どうした、と問いかけた。あんまりにも甘ったれの声が出たものだから、自分で笑いそうになってしまう。
 藤堂は原田の腕の中で顔を深く俯かせたまま「ええと」とか「あの」とか、しばらくはそんな意味のない言葉をもごもごと口の中で転がしていたが、やがて意を決したように原田の顔を見上げてきた。きらきらと輝く青の瞳に、好きだなぁ、と呑気に思ってしまう。

「えっと……原田さんって、本当に、僕なんかのことを、好きでいてくれたんだなって」

 藤堂への愛おしさで呑気にぼやけていた原田の脳みそは、一瞬、そんな藤堂の口から出た言葉の理解を拒んだ。

………………う、ん?」

 真っ白になった頭を無理矢理蹴飛ばしながら動かして、藤堂の言葉を咀嚼しようとする。
 しかし原田がそんなふうにひっそりと混乱しているのを知ってか知らずか、藤堂はそのまま次々と言葉を重ねていった。

「あ、あの、違いますからね! 別に原田さんの言葉や気持ちを疑っているとか、そういうことではないんです! ただ、なんというか……ごめんなさい、うまく、言えないんですが。僕にそんなふうに思ってもらえる価値があるのかなって、ずっと考えてて。……僕は、原田さんに、なにも与えられていないのに」

 そんなことねぇよ、と思わず大きな声を上げたくなってしまった。
 けれどここでどんなに強く否定してやったところで、彼が本当の意味で納得してくれることはないのだろう。藤堂平助という人間はそういうふうにできてしまっていて、特にサーヴァントとして顕現している今、そういう在り方がどうしたって確定してしまっているのだから。
 原田が藤堂へ熱心に注いできた気持ちを藤堂自身が蔑ろにしている、というわけではないことは、彼が自分の口で言ってくれたとおりだ。だからちゃんと伝わってはいる、とは思う。思いたい。けれど藤堂の中ではきっと、そういうものを受け止めるための器がきちんとできていないのだ。
 ただ享受するだけのことができない。与えられたそれが、穴だらけで未成熟の器から落ちて消えていってしまわないように、与えられたそばからすべて、相手の求める形で返さないといけないと思っている。自分の中に溜めておけない。それをただ一人で抱きしめているだけではいられないのだろう。

「原田さんから『抱きたい』って言われたとき、たぶん、僕は安心していたんです」

 求められているものが何なのか、はっきりと伝えてくれたから。そして原田から求められているものがちゃんと自分の手元にあったから、こんな自分にもちゃんと彼に差し出せるものがあるとわかった。だから安心した。原田から欲しいと言われたものを渡すことができれば、自分が原田の隣にいる価値を、意味を、自分の中でちゃんと飲み込めると思った。
 ぽつぽつとそんなことをぬかす藤堂に、原田はにわかに頭痛を覚えていた。なんだかぐるぐると目が回るような心地である。誰かこの大馬鹿のあほんだらを今すぐ黙らせてほしい。さもなくば自分を殴って気絶させてくれ。

 わかっている。
 藤堂平助という男が欲しいと思って手を伸ばしたときから、こういうものごと抱え続けることになる覚悟はしていたはずなのだ。

 けれどあまりにもその性質が根深すぎて、原田はあらためてどうしたらいいのかわからなくなってしまった。藤堂の持っている傷だらけで穴だらけの不完全な器を、もはやそれごと全部を溺れさせてしまうくらいたくさん注いでやればいいと、そう思っていたのは実は間違いなんじゃないかと。彼を追い詰めて、苦しめてしまうだけなのではないかと。

「平助、俺は」
「でもね、原田さん」

 いい加減黙っているのも限界で思わず口を開いたが、藤堂の声で強引に止められてしまった。こちらを見上げて、自分の気持ちを聞いてほしいと、そう訴えてくる瞳のまっすぐさに、胸を射貫かれる。

「夕べ、最初に原田さんに抱きしめられたとき……原田さんの心臓が、すごくどくどくいってるのが、聞こえて。ああ、僕だけじゃないんだな、同じなんだなって、そう思えて」

 緊張していることとか、相手のことが好きでたまらなくていっぱいいっぱいになっていることとか。きっと同じ気持ちを持ち寄ってこの場に二人はいるのだと、理屈ではなく自然とそう思えた。互いの気持ちが間違いなく重なっていると知れたことももちろんだが、自分がそう思えたこと自体が、なんだか無性に嬉しかった。
 だからどんなに苦しくても、痛くても、受け入れたいと思ったのだ。決してそうしなくてはならないという義務感からではなくて、何よりも自分自身の心が、そうしたいと願った。互いに同じ熱を持っているのだと、もっと深くまで知りたかったし、原田にも知って欲しかった。そして原田はそんな藤堂の気持ちに、ちゃんと応えてくれたから。

「原田さんが欲しいものを僕があげられるとか、あげられないとか、そういうことじゃなくて。ただ同じでいられれば、それでいいんだと。おんなじ気持ちで触れあえればそれで、それが、いいんだと、僕がそうしたいんだと。そう思えたんです」
「平助……

 藤堂はふわりと微笑むと、原田の顔へそっと手を伸ばしてきた。指先が頬に触れる。慈しむような手つきに、思わず息が止まった。

 ああ、お前は。
 そんなふうに、俺に触れるんだな。

「僕がそう思えたのは、原田さんが、そういうふうに思えるように、僕に触れてくれたからなんだろうなって、思って。だから……僕を、大事にしてくれて、ありがとうございます」

 そう言って照れくさそうに微笑む藤堂の姿に、ぎゅん、と心臓が引き絞られるような心地がした。
 喉の奥で変な音が鳴って、呼吸が浅くなり、視界の端で光がちかちかと忙しなく瞬く。

 今己の腕の中で微笑んでくれているこの生き物が、途方もなく、心底、本当に、わけが分からなくなるほどに愛おしい。

 際限なく湧き上がってくる藤堂への想いで、全身が隙間なく満たされていた。否、満たされるどころか、原田の身体を突き破って勝手に外へ出て行ってしまいそうになっている。

……平助」
「はい」
「好きだ」

 だから変なふうに爆発してしまう前に、言葉という形を持たせて、からだの外へと取り出しておくことにした。
 原田の言葉に一瞬ぽかんと呆けた藤堂の顔が、一拍遅れてみるみる赤く染まっていく。彼が原田に触れている指先もあっという間に熱くなる。慌てたように引っ込んでいく手を掴んで、捕まえて、その手のひらに己の唇を押しつけた。ちゅう、と可愛らしい音がする。藤堂から悲鳴のような声が上がった。顔どころか首まで真っ赤になってしまっている。
 原田は慌てふためく藤堂に構わず、マーキングする動物みたいに、己の頭をぐりぐりと藤堂の身体へ押しつけながら、衝動のままに口を動かし続けた。

「好きだよ、平助。好き。好きだ。俺、お前のこと、すげぇ好き」
「あ、あの、ちょっと待っ……!」
「好き。好きだ。大好き。めちゃくちゃ好きだ。平助が好き、好きだよ……
……原田さん、何だか子どもみたい」

 それこそ小さな子どもに対してするように、藤堂は笑いながら原田の頭を優しく撫でてくれた。撫でることに慣れていないのがわかるような、少しおっかなびっくりで不器用な手つきだったが、確かに藤堂の手だとわかる仕草。綿に包まれてふんわりと全身が温まっていくような、どこかくすぐったさもある不思議な心地よさを覚える。もっとしてと言わんばかりに強く擦り寄ると、藤堂はくすくすと笑いながら撫でてくれた。

「僕も、好きです。大好きです、原田さん」
……うん」

 なんだか鼻の奥がツンと痛んだ。目尻のあたりが熱くなる。そこから溢れ出すものはなかったけれど、生み出された熱は涙として溢れる代わりに血潮に乗って全身へと流れていき、原田の身体の隅々まで行き渡っていく。指の先まであたためられる。
 羽毛で優しく包まれているような柔らかい空気と時間が、二人の間には流れていた。
 藤堂の根っこ深くに居座っているものを変えるのは、きっととても難しいし、途方もないくらいの時間がかかるのだろう。此度の現界でそれを成すことは、おそらくできない。
 それでも今この瞬間、原田の気持ちは、確かに藤堂の心の深いところまで届いている。そして彼がそれをきちんと自分に与えられたものとして受け止めて、呑み込んでくれた。そして原田はそんな藤堂の心を知ることができた。彼の口から、直接、彼の言葉で。
 ただそれだけで、原田は己の中で何かが救われたような気がしていた。