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「やってくれましたね、リナさん
……」
ドアを開けたリナが見たのは、いつも表面上柔和だった笑顔を、見る影もなく引きつらせている獣神官だった。
取り敢えずどうぞ、とリナが家の中に通し、茶を出す。魔族だとわかっている相手に茶を出す人間も彼女ぐらいだろう。
一方、黒い法衣に身を包んだ男
……獣神官ゼロスは、来客用のテーブルについたものの、出された茶に目もくれず、頬杖をついて黙り込んでいた。
不機嫌さを隠さず、生き物にとって有害な瘴気が微妙に漏れている。さっきから鳥や虫の声が途絶えているのは気のせいではなく、辺りから逃げ出したからだった。
——怒ってるわよねぇ
……当然ながら
……。
リナは向かいの席で茶を飲みつつ相手を観察する。
彼女が席に座るのを待っていたのか、ゼロスがやっと口を開き、
「
……何であんなことしたんです?」
と聞いた。
「バレちゃったのね」
リナの言葉にゼロスの視線が鋭くなる。
「へぇ、とぼけるんですか。僕を呼び出すためにやったんでしょう」
「まさか。あなたの仕事を増やして悪かったと思ってるわよ」
栗色の髪をした、顔立ちにまだ幼さを残す女性は静かに返す。
「リナさんが書いた
……『あのお方』
……に関する記述を読ませていただきました。
よくもあんな
……でたらめが書けますね。違う意味で燃やしそうになりましたよ」
「ってことは、一度は忍び込んだのね。その後ちゃんと玄関から訪問したと。律儀ねぇ。
家が火事にならなかったのはよかったわ。中古とはいえ安くはなかったしね」
「家の心配ですか
……。僕が来たのは、リナさんのご想像通りの目的なんですけど」
「あたしの始末、よね」
「
…………」
そうです、と口にするのも馬鹿馬鹿しく、溜息で答えた。
——リナ=インバースが『金色の魔王』に関する知識を流布しようとしている。口封じせよ。
ゼロスが上司から受け取ったのはこのような命令である。
聞いた時は耳を疑った
——魔族の聴覚に耳は関係ないが。
確かに、あの存在の力を借りた魔法が広まれば、魔族全体に不利益ではある。だが、同時に生き物全体にとっても危険なことなのである。他の人間の誰よりも『あれ』について正しい知識を持ち、その危険性を理解している彼女が、そのような愚行に走る理由がわからなかった。
魔族の存在理由は世界を完全に滅ぼすこと。もし部外者の魔族の中に、かつての冥王フィブリゾの計画を知る者がおり、なおかつフィブリゾ以上におめでたい頭をしていたとしたら、これで例の術が暴走して世界が滅べばそれでいいではないか、などと考えるかも知れない。だがそれはゼロスが長年従事してきた『人間に余計な知識を与えないよう、異界黙示録《クレアバイブル》の写本を処分する』という任務を否定することになる。よって、獣王もその部下のゼロスも、そんな楽観的な考えは持っていない。
そもそも、最初にリナが『余計な知識』を持ったきっかけは、ゼロスの仕事の『漏れ』と言える。写本は燃やしたものの、その内容は口伝されていた。本来なら知識を伝えられたリナも始末すべき対象だったのである。彼女が今でも生きているのは、最初はゼロスの『伝聞まで対処するのはさすがに面倒くさい』という怠慢、次は冥王の計画の核に彼女が使われたから。その後は
……魔族全体に色々と大きな動きがあり、これ以上リナに関わるのは損であるという風潮になり、なあなあにされていたためであった。
最も、口伝を担う賢者たちもリナも、『あれ』の知識の危険性を察していたので、際限なく広まる、という心配も要らなかったのが大きい。
そうやってわずかな生存の可能性をつかみ取り、見逃されてきたのに、である。
リナは何を考えているのか。焦る気持ちで彼女の記した資料を開き
……あまりの内容にずっこけた時の様子を当人に見せてやりたいものである。
詳細に書くとゼロスの精神に負荷がかかるため、例え話で説明すると
——『あれ』の力を使えば煮物が美味しくなる
——
……みたいな概要である。
それをご近所に読み聞かせていたようだ。
気が遠くなるほど冒涜的な話だが、でたらめではある。ならば始末命令も撤回されるかというと、そうはならない。よりにもよってリナが、『あれ』の情報を一般に拡散させる意志を見せた、という危険性が『念のため排除する』理由として十分だからだ。
確かにリナを始末するという仕事は増えたが、それ自体はゼロスの不機嫌の理由ではない。ここまではただの前提である。
写本絡みの仕事、かつ相手がリナ=インバースなら、彼女をよく知るゼロスに始末命令が来るのは当然予想されうる
——まあ今回の条件なら、他の魔族に来たら殺してでもゼロスが買って出ただろうが
——ことであった。
他ならぬリナが、ゼロスに任務が来ることを予想した上で、自分を殺しに来るよう仕向けた。それが問題なのだ。
ゼロスとリナ、二人共通の祈りを、彼女が一方的に裏切ったからだ。
実のところ、ゼロスの怒りは今までにないほどだった。殺すのでは生ぬるい。屍肉呪法《ラウグヌト・ルシャヴナ》で肉塊に変え、永劫苦しませるのが妥当ではないかと思いさえしたが
——。
「
……あの時の言葉、リナさんはもう忘れちゃったんですかぁ
……?」
恨みがましくつぶやくゼロス。
「覚えてるわよ
……もちろん」
——次会う時は敵同士かも知れない。だから二度と会わないことを祈る。
そう、互いに祈り合ったはずだった。
「僕があなたに恐れをなしてあんなことを言ったとでも?
そんなわけないですよね。ちゃんと伝わっていたはずです」
あれ以降、何度か顔を合わせることはあったものの、いずれも敵対関係ではなかった。全て仕事絡み
——と言うには行き過ぎたちょっかいを出したこともあるが
——のことであり、必要以上の接触はしていない。彼女に会う行為を、それなりに重く見ていたからだ。
リナを殺す命令が来ないように、祈りながら過ごしてきた。
今まで数えきれないほどの人命を奪ってきたゼロスに、そこまでさせたのである。
「勝てる勝てないの話を抜きにして、リナさんは僕を殺したくないと思っていましたよね。
……僕も、同じ気持ちだったんですけど」
「わかってるわ
……」
重い口調で答えるリナ。
シリアスな空気であるのだが、そんな中。
ゼロスは、フ
……と自嘲気味に溜息をつき、
「本気なのは、僕だけだった
……ってことです、か
……」
などと遠い目で言う。その様子がまるっきり、失恋した人間そのものだったので、リナは思わず吹き出しそうになった。
顔を伏せて肩を震わせる。笑ってはいけない。表情筋を中央にぎゅっと寄せて耐えた。
——いや、今のは明らかに笑わせに来てたと思うけど!?
しかし今回の件で非があるのは明らかにリナであり、彼には本気で悪いと思っているのだ。これ以上怒らせたくはない。
最終的に笑いを呑み込むことができたのはひとえに、彼がリナの怒りや悲しみを、少なくとも表面上は嘲笑ったことがないからだった。
「笑いごとじゃないんですよリナさん」
バレてるし。
「何だってこんな自殺行為をなさったんです? 生きるのが嫌になったとか言いませんよね」
「だーかーらー、あんたら魔族にバレたのは誤算なんだってば。
あたしはまだ死にたくないし、こんなことになるなんて思わなかったわよ」
元々不機嫌だったゼロスの顔が更に引きつる。
——この期に及んで、まだ嘘をつくんですか。この人は。
「死にたくないなら抵抗のひとつでもなさったらどうですか?」
「あのね、あたしから仕掛ける素振りでも見せたら、それだけで戦闘開始の合図になるでしょ。で、呪文の最初の一節も唱え終わらない内に、あなたはあたしを始末するでしょう。
力の差ってやつは一応弁えてんのよ、これでも」
ここまでの会話全てでリナに探りを入れてきたが、さすがにまだボロを出さない。改めて直球で疑念をぶつける。
「何か企んでますよね?」
「何かって?」
「探偵の真似事がしたいわけじゃないんですけどね。そもそもなんで旅をおやめになったんです?
しかもお一人でこんな田舎に居を構えるなんて。よくガウリイさんが納得しましたね」
彼女の旅の相棒だった男の名前を出しても、動じる様子はない。眉を上げてこう言った。
「あたしの人生設計に口出す権利なんて、誰にも、ガウリイにも無いんだから。
田舎を気に入ったのも、あたしの勝手」
事前の聞き込みにより、リナが粗悪なホラを広め始めたのは移住直後であることがわかっている。
つまり、である。
情報を流すためにここに住んだと考えるのが自然なのだ。
魔道士協会の影響が薄い地域であり、住民の魔法に対する知識も浅い。まじないのようなものだからと嘘を吹き込まれても、深く考えない人間が多いだろう。都市のように人が密集していないので、情報の広まりもこの狭いコミュニティで収まる。
『情報を世間に広めたくはないが、広める意志を見せる』に適した立地と言えた。
「大体、なんでこんなに耳が早いのよ!? 村の中に魔族でもいたの?」
「
……そうですけど。僕が来たので、出ていっていただきましたよ」
リナの様子をうかがいながら、正直に答える。これ以上警戒心を煽っても口が固くなるだけだ。
「あっそ。平和になったのか危険になったのかわかんないけど、潜んでた奴が消えたのはいいことね。
でも、追い出してあんたに得ある?」
「知ってて情報流しましたよね、リナさん?」
魔族に聞かれるのを知っていて、獣王の耳に入れるために使っただろう、と突っ込んだ。
「お引き取りいただいたのは、これ以上あなたに利用されないようにです。話がややこしくなりますからね」
「利用って
……あんた、あたしのこと何だと思ってんのよ
……」
「もちろん、魔族の中であなたのことを一番理解してるのは僕ですから。誤解なんてしませんよ」
にっこり笑って傲岸不遜に言い切ったゼロスに、思わず言葉を詰まらせるリナ。
少し溜飲が下がったゼロスは、彼女の顔を見ながら、ぬるくなった香茶を飲み思案する。
リナは敢えて魔族
……というよりゼロスに、自分を殺しに来させるために今回の奇行に走った。それは間違いない。
しかしその理由がわからない。
死にたいなら勝手にすればいい話で、魔族を巻き込む必要は無い。
世を儚む時、最期に自分に会いたかったから
……などという甘い推測は真っ先に棄てた。リナはそんなロマンチシストではない。
必ず裏がある。魔族を使う理由が。
呼び出して迎え撃つため、という線ももちろん考えたが、ゼロスに生半可な魔法は通じない。かつて彼女に売った呪符《タリスマン》も既に存在せず、下調べの時も、他の魔力増幅の手段や強力な魔法の道具《マジックアイテム》は無さそうに見えた。彼女の仲間の気配もない。正攻法で攻撃してくるつもりなら、手数が少な過ぎるのだ。これで勝つつもりなら舐められたものである。
リナがそこまで愚かになったというのなら、自分は呪文を一節唱える暇も与えず返り討ちにするだろう
……というのは先ほど言い当てられたばかりである。返り討ち、と言っても殺しはしないが、ゼロスの結論が出るまで『不自由な体になってもらう』ことになる。
正攻法ではないなら、例えば
……魔族がリナを殺せば、魔族が絶滅する、みたいな超級の呪いが発動するとか。さすがに無茶苦茶過ぎるが、リナ相手だとありえないとも言い切れない。
何か裏がある、というのは半分はゼロスの勘で、もう半分は願望だった。
あのリナが、つまらない理由で死を選ぶわけはない。自分を驚かせるようなどんでん返しをしでかして欲しい
……という。
「どうしたら吐いてくださいますかね
……」
つい口からこぼれたほぼ独り言のつぶやきに、リナはぴくりと肩を震わせた。
魔族は負の感情を糧とするので、人のそれにも敏感だ。彼女のわずかな怯えが伝わってくる。
「えーっと、もしかして、拷問とか考えてる
……?
あたし痛いのはちょっと
……」
「ああ
……」
気持ちいいことならいいんですか? とからかいたい気持ちと、楽な死に方できると思ってるんですか? と苛立ちをぶつけたい気持ちがせめぎ合い、結局、どちらも抑え込んだ。
「人間って負の感情を食うわけでもないのに、同族を痛めつけるのが好きですよねぇ。
一応忠告しておきますけど、あれで得られる情報って信憑性低いですから。そういう用途なら、フィクションの中でとどめておくのをお勧めしますよ」
まあ苦痛を与える目的であれば、魔族の食事としては有用ではあるが、ゼロスとしては特別惹かれる食べ方ではない。
明らかに実践した側から助言を受けて、リナは「はあ」と生返事をした。
尋問について他の手段を挙げておくと、例えばここの村人や、彼女の知人を連れてきて、『今から一人ずつ殺す。やめて欲しければ狙いを吐け』などと言ったところで、拷問の話と一緒である。証拠が無い以上、それで得られた発言が嘘か本当か判断する術がない。それに人質とか、冥王じゃあるまいし、自分の趣味でもない。
「じゃあ
……どうするの?」
「
……」
リナを始末する。それは確定事項なのだが
……。
相手が口を割らない現状で、成り行きのままに殺すのは、罠にはまりに行くようで面白くない。
では本当に肉塊に変えて、ゼロスが滅びるまで続く半永久的な苦しみを与えるか? 殺すことはできなくなるが、あの術は理性を奪う。今まで嘘をついてきた罰が返ってくるように、『殺して』としか言えなくなるだろう。知識の流布ができなくなるなら命令を果たしたことになる。
……だが、それこそが狙いのようにも思えた。
魔族が殺すのがまずいなら、直接手を下さずに済むように、人間に殺させるとか、どこかに閉じ込めて餓死させるというような手もあるが、どこまでの関与が『魔族が殺した』判定になるのか不明確な状態では避けたい。何より趣味ではない。
さっきから趣味を優先しまくっているわがまま魔族のように聞こえるかも知れないが
……実際そうなのだが
……腹を立てているとはいえ、せっかくのリナの最期。機会は一度しかない。
殺すにしろ呪うにしろ、その命を任された以上、彼女が最後の瞬間に目にするのは自分であるべきだ、と思う。その時は、なるべくなら完璧に負けを認めさせたい、と思うのだ。格好悪いところは見せられない。
やりたいことは大体決まった。
命令に背く気はないし、他の誰にも譲る気はない。あまり時間をかけてもいられないが
……明確に期限を定められたわけでもない。リナを監視していれば情報拡散の心配もなく、面目も立つ。
「ひとまず
……しばらく厄介になります」
「へ?」
「まだ色々調べたいことがあるので」
これにはさすがのリナも動揺した。
「しばらくって
……。ちょっと、あんた、そんなに暇なの?」
「おや? まるですぐに片を付けて欲しいような物言いですね」
ゼロスの指摘は的を射ていたようで、一瞬だがムッと眉間にしわを寄せるのを、彼は見逃さなかった。笑顔でたたみかける。
「二、三日で済ませろなんて言われてませんから、ご心配なく。
まあ長くても数週間ですかね。猶予ができてよかったじゃないですか。
存分に最期の時を楽しまれては?」
リナは複雑な表情をしている。伝わってくる感情は
——不安。
そんな彼女の顔を、ゼロスは席を立って、テーブルに片手をつき覗き込む。
「では、短い間ですが、居候としてよろしくお願いしますね」
改めてそう言うと、リナは一瞬見せた心細げな雰囲気をどこかへとやって、じろりと睨んできた。
「見ての通り、狭い家よ。一人暮らししか想定してないんだけど」
不満たらたらな彼女に
「言っておきますけど」
奥底に沈めていた怒りをのぞかせて、凄みのある笑顔で告げる。
「リナさんに拒否権ありませんから。
まずは村の皆さんに、僕のこと紹介していただけます?」
断る隙など微塵もない。言葉遣いが丁寧なだけの命令に、リナはため息をつき、うなだれた。
従うしかない。
「そろそろ出かける時間だから
……ついて来て
……」
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